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第七章 幸せの予約
60 補佐の事前準備(2)
しおりを挟むサフィールがハンスと、共にサロンに入るまで、2人はずっと無言だった。
正直に言うと、サフィールは、今回のハンスの訪問を、全く予想していなかった。
宝石仕分けの権利を、シャルロッテに譲渡したことを恨んでいたとしても、ハンスは宝石の仕分けを1人ですることは出来ない。
ましてや、騎士になるというのなら、なおさら、領地経営だけでも精一杯のはずだ。
そんなハンスに宝石の仕分けなど任せたら、大きな失敗を犯し、ホフマン伯爵家が膨大な負債を抱えるだけではなく、宝石に関わる、多くの貴族にそっぽを向かれ、苦労するのはハンスの方なのだ。
サフィールとしては、騎士の才能があるハンスの未来をも助けたつもりだったのだ。
「それで、ハンス殿、話とは何かな?」
サフィールが尋ねると、ハンスは真剣な顔をしながら言った。
「はい……殿下もご存知の通り……。
我がホフマン伯爵家は、宝石の仕分けの権利をシャル……シャルロッテ嬢に譲渡しました。
ですが……祖父亡き今、彼女1人で全てを請け負うのは、かなりの負担だと思ったのです。
ですから、彼女が慣れるまでは、私が彼女の補佐をしてあげたいと思いまして……」
サフィールは、ハンスが何を言っているのか、咄嗟に理解が出来なかった。
確か、補佐をしてあげたいと言わなかっただろうか?
この男は、一体何を言っているのだろうか?
サフィールは、急激に心が冷たくなるのを感じて、冷徹な笑みを浮かべなら言った。
「君が、彼女の補佐を……。それは随分と……いや。それで、なぜそのような話を私に?」
ハンスはサフィールの怒りには気づくこともなく、話を続けた。
「私は、契約で彼女と話をすることができません。
ですが、サフィール王子殿下の口添えがあれば、おそらく契約を変更することができます。
私は、全てを彼女に押し付けて、苦労をさせたかったわけではないのです。
せめて、騎士になるまでの数年は、彼女を助けたいと思います。
この国で彼女と同じことができるのは、私だけなのですから……」
この男は本気で言っているのだろうか?
本気で、彼女と同じことが出来ると思っているのだろうか?
サフィールは、心の中で呟いた。
「(どうやら、前ホフマン伯爵は、この男が宝石の仕分けの仕事に就くということなど、全く想定していなかったのだろうな……)」
前ホフマン伯爵が、余命を宣告されて、宝石の仕分けの知識を誰かに託さなければと、焦っていたのは知っていた。時間のなかった彼には、理解力が高く、勤勉で、優秀なシャルロッテだけにしか、全てを託すことしかできなかったのだろう。
きっと前ホフマン伯爵は、シャルロッテが宝石の仕分けを請け負う。もしくは、シャルロッテがハンスに仕分けの方法を教えてくれる。そう思っていたのだろう。
だが彼は大きな過ちを犯した。
――この男、ハンスには宝石の仕分けなど全く出来ない。
残酷だが、紛れもない真実を、孫であるハンスに伝えるべきだったのだ。
きっと、真実を伝えることで、シャルロッテとのハンスの関係が壊れることを恐れたのだろうが、それにしても、この男に、彼女と同等の仕事ができるなどと口にするのも、おこがましい。
「彼女と同じことが出来る……か。君も可哀想だね」
サフィールは、その点だけは、ハンスに同情した。
彼の周りの人間は、誰も彼に真実を伝えなかったのだ。
きっと、前ホフマン伯爵だけではなく、彼の秘書や筆頭執事など、屋敷にいた者なら知っていたはずだ。
現ホフマン伯爵は、あまりわかっていない様子だったので、彼は本当になんの知識もないのだろう。
ホフマン伯爵家の者たちは、幼い頃につらい思いをさせた負い目があるのか、ハンスに知らせなかったのだろう。
サフィールは、ここまで圧倒的な差に気づくことも出来ず、こんなバカげた提案をしてくるハンスを、心から哀れだと思った。
「では!!」
「だが、私は今は、あくまで、一学生だ。それに……個人契約といえども、一度交わした契約を違えるようなことが、簡単に出来るわけがない」
個人契約なら、どうにかできると思っているところも、無知がゆえの愚かな考えだ。
サフィールだって、幼い頃から、エカテリーナだけを愛している。
だが、自分の意思でエカテリーナが、サフィールを選んでくれるまで、個人契約のような婚約をせずに待ったのだ。
美しいエカテリーナに寄って来る者は多い。
それでも、己を磨き、エカテリーナに選んでもらえるように努力したつもりだ。
自分を磨きなら、想い人を振り向かせるように努力する、そういうところが、ゲオルグとサフィールの最大の共通点で、友人として、心を通わせた理由でもあったのだ。
サフィールはこれ以上、契約の重さを理解しようとしない、愚かな男と話をしたくはなかった。
シャルロッテほどの健気な女性と、婚約を破棄出来たのも、その愚かさが原因だろう。
「悪いが、話がそれだけなら出て行ってくれ。私も忙しい」
サフィールがハンスに背を向けると、ハンスが大声で叫んでいた。
「……それでは、シャルが……シャルロッテ嬢が、苦労します!」
きっと、この男は本気でそう思っているのだろう。
――自分がいなければダメだ。
それがサフィールをさらに苛立たせた。
「ホフマン伯爵子息殿。彼女にはすでに、優秀な補佐と秘書を付けている。君が心配することなど何もない。お引き取り願おう」
「すでに、補佐と秘書を? 普通の者にシャルロッテの手伝いなどできません!! 秘書はともかく、何も知らない者が、補佐についても、彼女が苦労するだけです!!」
「聞こえなかったか?」
サフィールの苛立った声に、ハンスがたじろいで頭を下げた。
「いえ、失礼いたしました」
ハンスが退席する姿をサフィールは、窓ガラス越しに見ていたのだった。
☆==☆==
「……ということがあったんだ♪ すでに、優秀な補佐を付けたって言っちゃったからさぁ~~♪」
サフィールは、目の前で唖然とした後に、怒りを露わにしたゲオルグの顔を覗き込みながら言った。
「……くっ!! そのようなふざけたことを……どこまで……シャルロッテを見くびり、傷つければ気が済むのだ!!」
ゲオルグが、己の拳をきつく握りながら、顔を歪めながら言った。
そんなゲオルグを見て、サフィールが笑っていない怒りのこもった瞳で言った。
「ね? 燃えるでしょ?」
ゲオルグは、書類を手に取ると、サフィールをじっと睨みつけるように言った。
「ああ、5日以内にはシャルロッテを手伝えるレベルになる」
「だって♡ じゃあ、ジェフ、よろしくね♪ ゲオルグに内容を叩き込んで、絶対に普通の補佐なんて、誰にも言わせないようにして♡ ね♪」
サフィールから、怖い笑顔を向けられて、ジェフは震えながら姿勢を正して答えた。
「はい!!」
ゲオルグも、鋭い視線で睨むようにジェフを見上げながら言った。
「よろしく頼む」
「畏まりました!!」
宝石についての専門的な知識をすぐに身に着けることは、難しい。
だが、宝石の流通を検討するための、各種書類の解析なら、ゲオルグにも手伝うことが出来る。
この各方面からの報告書をそれぞれ理解して、前ホフマン伯爵とシャルロッテのこれまでの判断を、記憶して、宝石流通を判断する基準を見極められるようになればいいのだ。
それにはこのたくさんの報告書の内容を確実に理解することが必要だ。
サフィールの秘書のジェフなら、ここにある報告書を全て把握している。
こうして、ジェフによる、ゲオルグが優秀な補佐となるための、勉強会が始まったのだった。
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