好きでした、婚約破棄を受け入れます

たぬきち25番

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第九章 幸福の足音

75 それぞれの明暗(2)

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――シャルロッテの初めての仕事が終わった頃。
 王都にあるホフマン伯爵邸では、シャルロッテの元婚約者であるハンス・ホフマンが、ハンスの父親であるホフマン伯爵の帰りを待っていた。

 数日前に、急にホフマン伯爵領にいる父親から連絡があり、ハンスと、ナーゲル伯爵家のヘルマ・ナーゲルとの婚約を正式な物にすると連絡があったのだ。

 婚姻の契約は、親同士が行うのが一般的なので、ハンスは屋敷で父親の帰りを待っていたのだ。




「おかえりなさいませ、父上。どうでしたか?」

 ホフマン伯爵が、屋敷に戻ると、ハンスはエントランスで、ホフマン伯爵を出迎えた。
 伯爵は、無表情に言い放った。

「お前たちの婚約は、正式に受理された。ハンス。すぐに、ここを出て行く準備をしなさい」

「……え? ここを出て行く?」

 ハンスは、戸惑いながら父親を見ながら尋ねた。

「どういうことですか、父上。屋敷を出るとは………」

 伯爵は、先程と変わらず無表情に答えた。

「元々、この屋敷の維持費は、仕分け資金で賄っていたのだ。
 仕分けの仕事をしていない今、王都にこれだけの敷地を持った屋敷を維持することが難しくなった」

 ハンスは、父親の言葉が信じられなかった。
 ホフマン伯爵領は、広い領地もあり、鉱山もある。
 そんな領が、仕分けという鑑定業の延長のような仕事を失っただけで、屋敷を維持出来ないなど大袈裟だと思ったのだ。

「たかが、仕分けの仕事を譲ったくらいでそのような……」

 ハンスの言葉に、伯爵は目を見開いた後に、怒りの表情を見せた。

「くっ!!……己の祖父が命を削り、築き上げてきたことを、他でもないお前が『たかが』だと……?!」

 これまで、目にしたこともない父親の怒りを、目の当たりにしたハンスは、言葉を失ってしまった。
 だが、伯爵はすぐに悲しそうな顔をした。

 以前交わしたナーゲル伯爵との会話を思い出してしまったのだ。
 伯爵は、またしても無表情になり、ハンスに言った。

「とにかく、早くこの家を出る準備をしなさい」
 
「この屋敷を出て、私はどうしたらいいのです?」

 焦るハンスの言葉に、ホフマン伯爵は感情なく言った。

「ナーゲル伯爵家で世話になることになった」

 するとハンスが顔色を変えて大きな声を上げた。


「次期ホフマン伯爵の私に、『他人の家に間借りせよ』とおっしゃるのですか?」

「……すでに、この家は売りに出した」

「私になんの相談もなく、そのようなことを!!」

 ハンスの言葉を聞いたホフマン伯爵は、自嘲気味に言った。

「ふっ。相談か……。
 お前は、私たちには何も相談せずに、勝手に重大なことを決め、私たちには相談せよと、随分と身勝手なことを言うのだな」

「それは……」

 押し黙るハンスに、ホフマン伯爵は、まるで呟くように言った。

「私の遠縁の親戚がな……息子を我がホフマン家に養子に出してもいいと言ってくれた」

「何を……言っているのです? 父上……では……私はどうしたら……」

 ハンスの顔から全ての表情が抜け落ちた。

「騎士になるのだろう? ナーゲル伯爵と話をしたが、お前は随分と才能があるらしいじゃないか。
 あちらは、お前なら養子に迎えてもいいとおっしゃってくれている」

「養子?! お待ちください!! 母上は……母上はこのことをご存知なのですか?!
 父上の勝手で、このように母上が悲しむようなことを!!」

「……お前の母は……倒れた」

「え?」

 ハンスは驚きながら、父親の顔を見た。

「お前が、ランゲ侯爵家からのシャルロッテ嬢のお披露目会の招待状を奪い、自らがお披露目会に参加すると言ったあの日。
 こちらの執事からの連絡を受けた妻は、心労で倒れた。
 ……あまりにも傍若無人なお前の態度に、もう、自分はお前の親を名乗る自信がないと言って泣いて暮らしているよ」

「……まさか」

「ハンス、私は妻が何よりも大切だ。これ以上、私の妻を傷つけるようなら――例え息子といえど、容赦はしない」

 父親からの威圧を受けて、ハンスは言葉が出なかった。

「……」

「幸い、お前はナーゲル伯爵には、酷く気に入られているようだ。
 養子になれるのなら、その方がいい。自分と同じ考えを持つ者と暮らした方がお互いのためだ」
 
「ですが!! もし……その親戚の息子が、養子を嫌がったらどうするのです?」

「その心配はない。本人も、ホフマン領の家業を知って、興味を持っていてな。
 今年、貴族学院のAクラスを優秀な成績で卒業することが決まっている。
 シャルロッテ嬢に憧れているので、仕事で繋がりができるのなら、光栄だと、乗り気だ。
 すでに何度も、会っていてな。とても気持ちのいい青年だ」

「そんな……シャル目当てに仕事をするような男など信用できません!!」

 ハンスの言葉を聞いた、ホフマン伯爵は天を仰いだ後に、泣きそうな顔をして言った。

「私は、かつて、たった1人の男のために、幼い頃から必死で努力してくれた健気な少女を知っている。――誰かのために頑張ることを否定しているお前よりは、百倍マシだ!!」

「……!!」

「いいか、ハンス。お前はもう、私の代理などではない。ランゲ侯爵家からの招待状を渡して貰おう。
 お前を、あの場には、絶対に立たせない。それが、親として、シャルロッテ嬢に出来る最後の償いだ……」

「まさか……それを阻止するために……このようなことを」

「それだけではないが……最後に私たちに決断させるきっかけにはなったな」

「待って下さい!! シャルは私がいないと、満足に仕事など出来ないのです!! 私は彼女を助けたかっただけだ」

 ハンスの必死な言葉を聞いたホフマン伯爵は、自分の耳を疑った。

「……何? お前は……そんなことを、本気で言っているのか?」

 ホフマン伯爵は、心底驚いていた。
 今更、何を言っているのだろうか?
 シャルロッテ嬢はすでに、前ホフマン伯爵以上に完璧な仕事をこなし、その仕事ぶりは『さすが前ホフマン伯爵のお弟子さんだ』と各方面から絶賛され、亡き前ホフマン伯爵の評価を高めてくれているというのに……。

 これから養子に迎える青年も、とても興奮しながら『シャルロッテ嬢は素晴らしい』と話をしてくれていた。

 それなのに、そんなことさえ知らないとは!!

――それほどまでに家業に興味がなかったのか……。

 ホフマン伯爵は、信じられない事実に目の前が暗くなった。

「現に……彼女の仕事は……滞っていると……」

 ハンスの言葉に、ホフマン伯爵は目を大きく開けて、怒りをあらわにした。

「全ては、お前が事前に何も準備もせずに、突然、婚約破棄など言い出したからだ!! なぜわからないのだ?!
 むしろ、突然環境が変わって、これほど完璧に仕事をこなしたシャルロッテ嬢がどれほどの才女か、お前にはわからないのか?! そんな彼女に……そのような……よくもそんな恥知らずなことが言えるな」

「え? ですが、私は一級鑑定士で……」

「彼女の仕事にとって、一級鑑定士など持っていて当たり前の資格だ。資格を持つだけでできる仕事であれば、わざわざお前に長い時間をかけて、仕事を覚えさせたりはさせない!!」

 ホフマン伯爵の言葉に、ハンスは顔色を変えた。

「では……彼女はどのような仕事を?」

 そんなハンスに、ホフマン伯爵は怒りを抑えて低い声で言った。

「今更、お前に知る必要などない……いいから、早くランゲ侯爵家からの招待状を持って来なさい」

「ですが……!!」

「持って来い」

 これまで見たこともない、父親の伯爵としての圧にハンスは、自室に向かった。
 そして、ハンスは、自分の机の引き出しから招待状を取り出すと、招待状をじっと見つめた後、顔を歪めて、父親の元に戻り招待状を差し出した。

「こちらです」

「確かに。それでは、ハンス。この家はすでに売りに出されている。明日にはこの家を出なさい。
 明日、ナーゲル伯爵が荷馬車を手配して下さるそうだ。今日中に荷物をまとめなさい」

「父上、本気なのですか?」

 ハンスの言葉に、伯爵は、力なく答えた。

「そのセリフ……シャルロッテ嬢との婚約を破棄すると言った時のお前に、そのまま返そう」

「父上……」

「ハンス……これは親として、最後の忠告だ。自分にとって、都合の悪い現実から、逃げるな。それと――絶対に彼女に近づくな」

 ホフマン伯爵は、そのまま屋敷を去ると、馬車に乗り込んだ。
 ハンスはその様子を何時間も呆然と見ていたのだった。


☆==☆==


 実は、ハンスが婚約破棄をして数日後に、ホフマン伯爵は、ナーゲル伯爵の元を訪れていた。
 その時、ナーゲル伯爵は、ホフマン伯爵に信じられないことを言ったのだ。

「婚約破棄ですと? 何を大袈裟な。
 この国の法では、17歳以下の口約束など、ないも同然です。
 それと、ホフマン伯爵。騎士とは、自分と、仲間と、国に住む全ての民の命を預かるのだ。
 それ以外、生き残るのに邪魔になる。ハンス殿をこれ以上、家業などに縛りつけるのは可哀想だ。
 ハンス殿は、素晴らしい才能を持っている。
 すでに幹部からも学院を辞めて、副隊長に押す声さえもあるのだ。
 そちらの家業はヘルマが請け負う。ハンス殿は、王国の全ての民のために、命を守ることに集中せて貰いたい」

 ――全ての考え方が自分たちとは違う。

 ホフマン伯爵は、そう思ったのだ。
 自分は、剣や乗馬よりも、家業でもある宝石の勉強の方が大切だと思っていた。
 だが、ナーゲル伯爵にとっては、家業よりも、剣や乗馬の方が大切だと思っている。

 また、ハンスとシャルロッテ嬢の婚約を口約束だと言った。
 きっとハンスは、ナーゲル伯爵に、『婚約をしている』とだけ伝えていたのだろう。
 普通に考えると、幼い頃に個人契約をしてまで婚約するという方が考えられないのだろう。
 実際に自分たちでさえ、父である前ホフマン伯爵が『個人契約での婚姻』を言い出した時には、驚いて止めた。それでも他に方法もなかったので、そのような手段を用いた。

 人にはそれぞれの立場や事情がある。

 領民の暮らしと、鉱山を守りながら国の財政を支えていたホフマン伯爵。
 騎士として、己の命と、仲間の命、そして国に住む人々を守る騎士であるナーゲル伯爵。

 どちらも国のため、そこの住む人のために尽力しているが、考え方や手段は違うのだ。
 どちらが正しい、どちらが間違っているということは言えない。

 ただ、考え方が根本的に違うのだ。

 そして、ハンスは、ナーゲル伯爵の思いに賛同しているのだ。

 自分たちと、考えが全く違ってしまった息子にホフマン伯爵領を任せることが本当に正解なのか?

 そう思っていた時、ハンスが招待状を奪ったという知らせが届き、ホフマン伯爵夫人が倒れた。
 そして、ホフマン伯爵は、自分たちと進む道を違えた息子と違う道を歩むことを決意したのだ。


 ホフマン伯爵は、馬車の中で、先程ハンスが持ってきた招待状に視線を向けた。
 幼い頃から、ハンスの様子を手紙で報告してくれ、息子と離れて暮らす私たちをずっと気遣ってくれていた、健気で聡明な少女の輝く笑顔が浮かんだ。

 もしかしたら、ホフマン伯爵夫妻にとって、シャルロッテは、すでに自分たちの娘になっていたのかもしれない。

「私たちは……どこで間違えてしまったのだ!!」

 ホフマン伯爵は胸を押さえ心の痛みに耐えながら、涙を流したのだった。





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