夜の記録

２

銃声が、遠くから聞こえてくる。しばらくすると、耳をつんざくような音が近づき、塹壕の壁が震えた。土と泥と汗の匂いが混ざり合って、胸の中で何かが詰まる。僕はその中にいた。あの戦争の中で、何もかもが狂っていた。

目の前には、暗い大地が広がっている。煙と火薬の匂いが漂い、時折、爆発音が響いては、空気が震える。人々の叫び声、銃声、爆音、それらが耳をつんざく中で、僕はただ、黙って座り込んでいる。身体が硬直し、視界はぼやけていく。だが、心の中にはひとつの問いが渦巻いていた。

「俺は生きているのか？」

それがすべてだった。

塹壕の中で、土の壁に背を預け、銃を握りしめていた。時折、地面が揺れ、足元に手を伸ばして地面にしがみつく。全身が泥だらけで、疲れ切っている。何も考えられない。ただ、生きることだけを考えていた。死にたくない。生きて、この場所から出て行きたい。それだけだった。

銃声が続く。右耳で左耳で、頭上で。まるでこの場所そのものが銃声の中で生きているかのように、静寂が押しつぶされていた。目の前には敵がいる。だが、それがどんな人間かは分からない。ただ、あの銃口から飛び出す弾丸の先にいる、同じように命を懸けている人間たちがいるということだけが分かっていた。

その瞬間、僕はただ震えていた。

「死ぬか、生きるか」

それしかなかった。考える余裕もなく、ただその瞬間を生きるために必死だった。あの戦争の中で、何もかもが切り刻まれ、無に帰していった。友情も、愛も、希望も、すべては崩れ去って、ただ生き延びることが唯一の意味を持った。

そのうちに、仲間が倒れる音がした。足元に血が広がっていくのが見える。あいつは死んだのか、傷を負ったのか。分からなかった。僕はただ、目をそらした。見たくなかったからだ。それでも、心の中でひとつだけ思った。

「次は、俺が死ぬ番だ」

死というものが、だんだんと近づいてくる気がしていた。それは不安でもあり、安堵でもあった。なぜなら、この戦争の中で生きることがどれほど意味のないことに感じられるか、僕には分かっていたからだ。

しばらくして、突如として静けさが訪れた。戦闘が終わったわけではない。けれども、銃声は止まり、爆発音も、足音も聞こえなくなった。まるで、時間が止まったかのように、塹壕の中には静寂が支配していた。

その時、初めて僕は呼吸をすることを意識した。息を吸い込み、胸を張り、ゆっくりと吐き出す。その動作が、まるで命の証であるかのように思えた。

塹壕の壁に手をつき、僕はその場に座り込む。泥だらけの手が血の匂いを感じ、手を拭うこともできずにただその場にいる。周りの空気が重く、どこか深い場所に閉じ込められたような気がした。

「生きるか死ぬか」

その選択肢しかなかった。

だが、今、僕は生きている。それだけで充分だと思う。どんなに不安定で、どんなに意味がないと思える状況でも、今、この瞬間だけは生きている。それが僕の唯一の証だった。

そして、その思いは今でも僕の中に残り続けている。