夜の記録

３

ホテルのバーの片隅で、僕は静かにグラスを傾けた。氷がカランと鳴り、酒がほろ苦い。軽く鼻から息を吐くと、煙草の煙が空間を漂いながら薄く広がる。どこか遠くから流れてくるジャズのメロディが、まるで僕の心の中の何かを軽く撫でるように響いている。

僕はいつもこの場所に来ると、何かが少しだけ軽くなるような気がしていた。目の前のグラスを見つめながら、僕は自分を見つめていた。誰にも邪魔されることなく、ただこのひとときに身を任せることができる。ホテルのバーの静けさ、ほのかな照明、そしてこぼれるジャズの音楽。それらすべてが、まるで僕を許してくれているかのようだった。

日々を生きるのが辛いとき、僕はここに来る。何も考えたくないとき、何も感じたくないとき、ただ酒を飲み、煙草を吸い、そこに身を置くだけでいい。無理に何かを求めることもなく、ただこの瞬間だけを生きていればいいと感じる。静かな夜に包まれながら、僕はその時間を飲み干すように味わうのだ。

だが、心の奥底でひとつの疑問が芽生え始めていた。それは、もし酒と煙草がなくなったら、僕はどうやって生きていくのだろうか、という疑問だった。何となく、それが僕の現実そのものであるような気がしてならない。酒と煙草は、僕が生きるための支えのようなものになっている。それがなければ、僕はきっとここにいることすら許されないのではないかと思うときがある。

僕はグラスをもう一度手に取る。酒が少しずつ減っていくたびに、その空っぽの部分が、僕の内面に少しずつ近づいてくるような気がする。何も考えたくないはずなのに、考えざるを得ない瞬間が訪れる。心の中に静かに広がる空虚さが、僕を支配し始める。それが何なのか分からない。ただ、何もないようで、すべてを感じている自分がいる。

「生きるって何だろう」

僕はそう呟きながら、煙草の煙をもう一度深く吸い込む。煙は深く喉を通り抜け、胸の中で燃え尽きる。やがて僕はその煙を吐き出し、ふと目を閉じる。この一瞬、酒と煙草に包まれた瞬間にだけ、僕は自分が生きていることを確信できる。

そのことを知っているのは、このバーの中だけだ。誰もが僕の存在を受け入れてくれるように思える。誰もが僕をジャッジしない。この場所にいる限り、僕は僕でいられる。

僕は再びグラスを傾け、酒の温かさを頬に感じる。そんな些細なことが、今の僕にはどれほど大切なのか。あの頃の僕には考えられなかったことだ。生きる意味や価値を求めることすら面倒だった。それでも今は、酒が僕を支えてくれるように思える。それがただの逃げ道だとしても、今はそれで構わない。

僕はまた煙草を吸い、深く息を吐きながら、ふと感じる。もしかすると、僕はずっとここにいることで、やっと「生きる」ということを許されているのかもしれないと。

そして、そのまま静かにグラスを持ち上げ、もう一口、冷たい酒を口に含む。