午後

ドルドレオン

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「あなたが“僕”ですか?」

その声は、僕が三口目のアイスコーヒーを飲んだとき、不意に横から聞こえてきた。
高くも低くもない声。抑揚が少なく、まるで夢の中で誰かが話しているような声音だった。

「たぶんそうです」と僕は答えた。
「あなたが“猫”なら。」

女は、ふっと笑った。
彼女は長い黒髪を無造作に結び、リネンの白いシャツを着ていた。年齢は僕と同じくらい、三十代後半か、あるいはそれより少し上かもしれない。目元に少しだけ疲れたような陰があった。でも、それがどこか懐かしく感じられた。

「あなたがここに来るとは思っていませんでした。普通の人なら来ない。」

「僕は普通じゃないってことですか?」

「少なくとも、“世界にまだ疑問を持ってる人”ってことです。」

僕はしばらく言葉を探しながら、グラスの氷が鳴るのを聞いていた。

「疑問というのは、たとえば?」

彼女はカウンターの奥に視線を向けた。そこには古いスピーカーがあり、コルトレーンの「Naima」の残響がまだ微かに漂っていた。

「“なぜ生きるのか”とか、“時間って何なのか”とか。
 そういう問いを、もうしなくなった人って案外多いんです。
 仕事に追われて、関係性に縛られて、何かを“こなす”だけになっていく。」

「それが大人になるってことじゃないですか?」

「そうかもしれません。でも、時々、どこかで“何かがおかしい”って思いませんか?」

「よく思います。でも、たいていは寝たら忘れます。」

「それで正しいんです。たぶん。
 でも、その“何かがおかしい”っていう感覚を無視しつづけると、心のどこかが静かに壊れていく。
 自分でも気づかないうちに。」

僕はその言葉を聞きながら、しばらく黙っていた。
それは僕がここ数年、ずっと感じていたことだった。
気づかないふりをしていた、感覚の歪み。
歯車が合わないまま、無理やり回しつづけているような日常。

「あなたは、何者なんですか?」

僕はそう聞いた。すると彼女は少しだけ微笑み、

「私は、“問いの声”です。
 それとも、“水曜日の猫”って名乗った方がわかりやすいですか?」
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