白椿

ドルドレオン

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女は、しゃがんで椿の花を手に取った。雪に濡れた花弁は、まるで絹のような感触で、掌にひんやりと冷たかった。どこか懐かしい感触だった。
 そのとき、不意に、記憶の奥に霞んでいた声が蘇った。

 ──「椿は、散るんじゃないの。ぽとり、と落ちるのよ。音を立てずに」 

 まだ五つか六つのころ、母の着物の袖に隠れながら見上げた冬の庭を、女ははっきりと思い出した。あれもまた、こんな朝だった。
 母は藤色の紬をまとい、庭に咲いた椿の花をそっと見つめていた。薄紅の唇にほとんど笑みを浮かべず、ただその白い横顔が、美しかった。
 髪はいつも香油の匂いがして、幼い女は母の髪に顔をうずめるのが好きだった。

 ──「この花は、誰にも見せようとしないのよ。ただ、雪のなかに咲いて、雪のなかで落ちるの」

 椿の花のような人だった、と女は思う。
 あの母が、いつから弱っていったのか、思い出せない。ただ、ある日を境に、庭に立たなくなり、香油の匂いもしなくなった。

 「おかあさん……」

 女は、小さくつぶやいた。誰に聞かせるでもないその声が、雪の空気にすっと吸い込まれていった。
 掌の中の椿は、花でありながら、母の面影そのもののように思えた。

 彼女はそっと立ち上がり、椿をもとの苔の上に戻した。
 落ちた花は、手を加えず、拾い上げても、やはり土に還るのがふさわしい。
 それはまるで、母がこの世を去ったとき、声を上げて泣けなかった自分への、ささやかな弔いのようだった。

 雪がまた、静かに降りはじめていた。
 中庭の杉の葉に、小さく積もる音がするような気がした。
 そして椿の上にも、そっと、雪が降りかかった。
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