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扉を出た瞬間、空気が変わった。
重力は少しだけ軽く、空は深く、濃い青だった。星は一つもなかったが、不思議と恐れはなかった。むしろ、目に映るすべてがあまりに静かで、美しかった。音も、風も、影さえもなかった。ただ、どこまでも続く白い砂の大地と、遠くにかすかに見えるガラスのような山々。
彼女は隣に立ち、僕の肩をそっと叩いた。
「ここでは、記憶が地図になるの。」
「記憶が……?」
「そう。地球では、記憶は内側に留まる。でもこの惑星では、過去は足跡として地面に刻まれる。だから、歩いた分だけ、自分が誰だったかを思い出せるのよ。」
僕は歩き出した。足跡が白い砂の上に刻まれるたび、胸の奥から何かが浮かび上がってきた。
忘れていた旋律、通学路の朝のにおい、地下鉄の座席に触れたときの静電気、あるいは、もう名前さえ思い出せない誰かの指先の温度。
そして、七歩目を踏んだとき、不意に目の前の空間が揺らぎ、映像のようなものが浮かび上がった。
それは過去の記憶だった。僕がまだ十歳だった頃、祖母と縁側に並んで座り、麦茶を飲んでいた夏の日。
けれどその風景には、見覚えのない“何か”が混じっていた。
空の片隅に、巨大な黒い円盤が浮かんでいたのだ。
まるで、そこにずっと存在していたかのように自然に。祖母はそれを見ても驚かず、ただこう言った。
「大丈夫。あれはずっと昔からそこにあるのよ。」
目を覚ますように我に返ると、彼女が僕の方を見て微笑んだ。
「あなたの世界は、ずっと前から“観察されて”いたのよ。気づかなかっただけ。」
「誰に……?」
彼女は指先で空を指し、そのままゆっくりと胸に手を置いた。
「外にあるようで、中にあるもの。遠くにあるようで、すでにここにいるもの。
――それが“観測者”。そして、あなたもまた、その一人なの。」
「僕が……?」
「世界は閉じていない。宇宙は観測によって形を変える。
だからこの惑星では、あなたが見たものが現実になる。
あなたが忘れたものが、この星の風景になる。」
僕は空を見上げた。相変わらず星はなかった。
けれど、その青はどこまでも深く、何か大きなものを包み込んでいるようだった。
彼女はコートの内ポケットから、小さな鍵を取り出し、僕の手にそっと握らせた。
「これが“扉”の鍵。けれど開けるのは、記憶の中のあなたよ。」
僕はその鍵を握りしめたまま、深呼吸をした。
そしてようやく気づいた。
この旅は、どこかへ行くためのものではなかった。
自分が、誰であったかを思い出すための旅だったのだ。
重力は少しだけ軽く、空は深く、濃い青だった。星は一つもなかったが、不思議と恐れはなかった。むしろ、目に映るすべてがあまりに静かで、美しかった。音も、風も、影さえもなかった。ただ、どこまでも続く白い砂の大地と、遠くにかすかに見えるガラスのような山々。
彼女は隣に立ち、僕の肩をそっと叩いた。
「ここでは、記憶が地図になるの。」
「記憶が……?」
「そう。地球では、記憶は内側に留まる。でもこの惑星では、過去は足跡として地面に刻まれる。だから、歩いた分だけ、自分が誰だったかを思い出せるのよ。」
僕は歩き出した。足跡が白い砂の上に刻まれるたび、胸の奥から何かが浮かび上がってきた。
忘れていた旋律、通学路の朝のにおい、地下鉄の座席に触れたときの静電気、あるいは、もう名前さえ思い出せない誰かの指先の温度。
そして、七歩目を踏んだとき、不意に目の前の空間が揺らぎ、映像のようなものが浮かび上がった。
それは過去の記憶だった。僕がまだ十歳だった頃、祖母と縁側に並んで座り、麦茶を飲んでいた夏の日。
けれどその風景には、見覚えのない“何か”が混じっていた。
空の片隅に、巨大な黒い円盤が浮かんでいたのだ。
まるで、そこにずっと存在していたかのように自然に。祖母はそれを見ても驚かず、ただこう言った。
「大丈夫。あれはずっと昔からそこにあるのよ。」
目を覚ますように我に返ると、彼女が僕の方を見て微笑んだ。
「あなたの世界は、ずっと前から“観察されて”いたのよ。気づかなかっただけ。」
「誰に……?」
彼女は指先で空を指し、そのままゆっくりと胸に手を置いた。
「外にあるようで、中にあるもの。遠くにあるようで、すでにここにいるもの。
――それが“観測者”。そして、あなたもまた、その一人なの。」
「僕が……?」
「世界は閉じていない。宇宙は観測によって形を変える。
だからこの惑星では、あなたが見たものが現実になる。
あなたが忘れたものが、この星の風景になる。」
僕は空を見上げた。相変わらず星はなかった。
けれど、その青はどこまでも深く、何か大きなものを包み込んでいるようだった。
彼女はコートの内ポケットから、小さな鍵を取り出し、僕の手にそっと握らせた。
「これが“扉”の鍵。けれど開けるのは、記憶の中のあなたよ。」
僕はその鍵を握りしめたまま、深呼吸をした。
そしてようやく気づいた。
この旅は、どこかへ行くためのものではなかった。
自分が、誰であったかを思い出すための旅だったのだ。
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