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第五話
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朝の清々しい空気の中、年長の子どもたちが水汲みや庭掃除を終えて戻ってくる頃、遠くから馬車の車輪が石畳を軋ませる音が聞こえてきた。
その音は、いつもの巡回の商人でも、町役人のものでもない。重く、堂々たる蹄の音が、孤児院の門前でぴたりと止まった。
ノエルが玄関に出ると、王宮の紋章を掲げた立派な馬車と、その傍らに立つ使者たちの姿があった。灰色の外套を纏った男が一歩前へ出て、恭しく頭を下げる。
「院長殿。いえ、ノエル=エリオス・セリオナード殿下。王命により参上いたしました。お嬢様──ルミナ様をお迎えに上がりました」
ノエルのまなじりがわずかに鋭くなる。
やはり、予感は当たっていた。
数日前、ルミナがほかの子の傷を癒したその瞬間を、王宮付きの文官が見ていた。
癒しの力──魔道具でも魔法薬でもない、“触れただけで癒える”という現象。
それは、かつて数百年前に存在した聖女しか持ち得なかったという、奇跡の力だ。
ノエルは問いかける。
「国王は彼女を、どうするつもりだと?」
使者は静かに答えた。
「陛下は、御自らの目で確認なされたいとのこと。もし彼女が……“その存在”であるのならば、王宮で保護すべきだと」
──彼女が聖女と同じ力を持つならば、国の守り神として扱う、ということだ。
だが、それは同時に、彼女が“ただの子ども”としての人生を奪われることを意味する。
ノエルは庭を見やる。春のやわらかな光に包まれ、子どもたちの笑い声が響いている。
その中に、ルミナの姿はまだなかった。だが、彼女ならこの空気をきっと察しているだろう。
----
ルミナは、窓辺からそっと外を覗いていた。
見知らぬ人たち、見たことのない立派な馬車。
胸がざわざわして、足元が落ち着かない。
「せんせい……あの人たち、だれ?」
「……お客様だよ。でも、ルミナに用があるらしい」
ノエルの声は静かだったが、どこか張りつめていた。
「わたし……なにか、わるいことした?」
「してないよ。なにも悪くなんかない。君は、君のままで大丈夫」
ルミナは、小さく頷いた。けれど、その小さな肩はかすかに震えていた。
ルミナの視線の先では、立派な馬車の扉が開かれ、王宮の紋章を胸に刻んだ人々が降り立っていた。その動きは無駄がなく、整っていて、どこか冷ややかな雰囲気をまとっている。
ルミナは緊張した面持ちのまま、ノエルの隣に立っていた。
「大丈夫。先生が一緒にいるからね」
ノエルは、そう言って微笑みかける。ルミナは彼の顔を見上げ、ようやくほんの少しだけ、緊張を和らげたようだった。
王宮からの使者は、屋敷の門の前に立つ重々しい馬車を指し示した。
「どうぞ、こちらへ」
ノエルはルミナの手を引きながら、馬車へと歩みを進めた。ルミナが乗り込みやすいよう、そっと腰を支えて持ち上げる。
「ありがと……せんせい」
か細い声でルミナがつぶやく。その表情は不安げで、何かを言いかけたが、言葉にはならなかった。
馬車がゆっくりと走り出すと、ルミナは窓から外の景色をぼんやりと見つめた。小さな手が膝の上でぎゅっと握られている。
ノエルもまた、無言で窓の外を見ながら、心の中で思案を巡らせていた。
(やはり、癒しの力が“聖女”のものとされている以上……放ってはおけなかった、ということだろう)
----
馬車の中は、しんと静まり返っていた。
ルミナは窓の外を見つめながら、膝の上で指を組んでいた。足元には春の光が差し込み、揺れる木々の影が優しく映っている。だが、その穏やかな光景とは裏腹に、彼女の小さな胸の奥はざわついていた。
「……せんせい。あの人たち、なんでわたしに用があるの?」
隣に座るノエルは少しだけ間を置き、それから静かに口を開いた。
「ルミナ。君が庭で、怪我をした子の手を治したこと……覚えているかな」
「うん……。痛そうだったから、触ったら、ふわってあったかくなって……」
「うん。それを、王宮から来ていた方が見ていたんだよ」
ルミナは不安げにノエルを見上げた。
「わたし、だめなことしちゃったの……?」
「ちがう。君は誰にもできないことをした。でも、それは決して悪いことじゃない。ただ──ちょっと特別だったんだ」
ノエルは言葉を選びながら続けた。
「この国にはね、“癒しの力”を持つ者は、たったひとりしかいないとされている。それは、〈聖女〉と呼ばれる存在だ」
ルミナの目が、わずかに丸くなる。
「せいじょ……?」
「聖女の力は、魔法薬でも、魔道具でもない。誰の助けも借りず、人の痛みや傷を癒す、清らかな力。……そして、それは、君が持っているものとよく似ている」
ルミナは、何かを理解しようとするように、ぎゅっと手を握った。
「じゃあ、わたし……その“せいじょ”なの?」
「まだ、はっきりとは分からない。でも、王宮の人たちは、君に興味を持った。だから、今日こうして呼ばれたんだ」
「……こわい」
ぽつりとこぼれた声に、ノエルはそっと肩を抱いた。
「うん。怖いよね。急に呼ばれて、知らないことがたくさんで……。でも、私はずっとそばにいるから。何があっても、君をひとりにはしない」
ルミナは、ノエルの胸元に顔をうずめながら、小さくうなずいた。
「せんせい……わたし、どうしたらいいの……?」
「難しいことは考えなくていいよ。ただ、聞かれたことに正直に答えればいい。あのとき、どうして手を差し伸べたのか。どうして助けたいと思ったのか──それだけで、十分だから」
馬車がゆっくりと減速を始める。
石畳の振動が伝わり、やがて王都の空気が車窓の隙間から入り込んできた。
「もうすぐ着くね。……心配しなくて大丈夫。君は、君のままでいい」
ノエルは立ち上がり、ルミナに手を差し出した。
「さあ、おいで」
その手を、ルミナはためらいながらも取った。かすかに震えていたが、その奥には、小さな決意のようなものが宿っていた。
(この子はまだ何も分かっていない。それでも、自分なりに受け止めようとしている……)
ノエルは静かに頷きながら、馬車を降りた。
王宮の大扉が、音もなく開かれていく。
冷たい石の階段を前に、ルミナは不安げにノエルを見上げた。
「ねえ、せんせい……王さまって、こわい?」
「ふふ。王様は少し厳格だけど、優しい人だよ。大丈夫、きっと君のことをちゃんと見てくれる」
そう言って微笑むノエルの顔に、ルミナは少しだけ安心したような表情を見せた。
ふたりは並んで、ゆっくりと王宮の中へと歩みを進めていった。
その音は、いつもの巡回の商人でも、町役人のものでもない。重く、堂々たる蹄の音が、孤児院の門前でぴたりと止まった。
ノエルが玄関に出ると、王宮の紋章を掲げた立派な馬車と、その傍らに立つ使者たちの姿があった。灰色の外套を纏った男が一歩前へ出て、恭しく頭を下げる。
「院長殿。いえ、ノエル=エリオス・セリオナード殿下。王命により参上いたしました。お嬢様──ルミナ様をお迎えに上がりました」
ノエルのまなじりがわずかに鋭くなる。
やはり、予感は当たっていた。
数日前、ルミナがほかの子の傷を癒したその瞬間を、王宮付きの文官が見ていた。
癒しの力──魔道具でも魔法薬でもない、“触れただけで癒える”という現象。
それは、かつて数百年前に存在した聖女しか持ち得なかったという、奇跡の力だ。
ノエルは問いかける。
「国王は彼女を、どうするつもりだと?」
使者は静かに答えた。
「陛下は、御自らの目で確認なされたいとのこと。もし彼女が……“その存在”であるのならば、王宮で保護すべきだと」
──彼女が聖女と同じ力を持つならば、国の守り神として扱う、ということだ。
だが、それは同時に、彼女が“ただの子ども”としての人生を奪われることを意味する。
ノエルは庭を見やる。春のやわらかな光に包まれ、子どもたちの笑い声が響いている。
その中に、ルミナの姿はまだなかった。だが、彼女ならこの空気をきっと察しているだろう。
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ルミナは、窓辺からそっと外を覗いていた。
見知らぬ人たち、見たことのない立派な馬車。
胸がざわざわして、足元が落ち着かない。
「せんせい……あの人たち、だれ?」
「……お客様だよ。でも、ルミナに用があるらしい」
ノエルの声は静かだったが、どこか張りつめていた。
「わたし……なにか、わるいことした?」
「してないよ。なにも悪くなんかない。君は、君のままで大丈夫」
ルミナは、小さく頷いた。けれど、その小さな肩はかすかに震えていた。
ルミナの視線の先では、立派な馬車の扉が開かれ、王宮の紋章を胸に刻んだ人々が降り立っていた。その動きは無駄がなく、整っていて、どこか冷ややかな雰囲気をまとっている。
ルミナは緊張した面持ちのまま、ノエルの隣に立っていた。
「大丈夫。先生が一緒にいるからね」
ノエルは、そう言って微笑みかける。ルミナは彼の顔を見上げ、ようやくほんの少しだけ、緊張を和らげたようだった。
王宮からの使者は、屋敷の門の前に立つ重々しい馬車を指し示した。
「どうぞ、こちらへ」
ノエルはルミナの手を引きながら、馬車へと歩みを進めた。ルミナが乗り込みやすいよう、そっと腰を支えて持ち上げる。
「ありがと……せんせい」
か細い声でルミナがつぶやく。その表情は不安げで、何かを言いかけたが、言葉にはならなかった。
馬車がゆっくりと走り出すと、ルミナは窓から外の景色をぼんやりと見つめた。小さな手が膝の上でぎゅっと握られている。
ノエルもまた、無言で窓の外を見ながら、心の中で思案を巡らせていた。
(やはり、癒しの力が“聖女”のものとされている以上……放ってはおけなかった、ということだろう)
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馬車の中は、しんと静まり返っていた。
ルミナは窓の外を見つめながら、膝の上で指を組んでいた。足元には春の光が差し込み、揺れる木々の影が優しく映っている。だが、その穏やかな光景とは裏腹に、彼女の小さな胸の奥はざわついていた。
「……せんせい。あの人たち、なんでわたしに用があるの?」
隣に座るノエルは少しだけ間を置き、それから静かに口を開いた。
「ルミナ。君が庭で、怪我をした子の手を治したこと……覚えているかな」
「うん……。痛そうだったから、触ったら、ふわってあったかくなって……」
「うん。それを、王宮から来ていた方が見ていたんだよ」
ルミナは不安げにノエルを見上げた。
「わたし、だめなことしちゃったの……?」
「ちがう。君は誰にもできないことをした。でも、それは決して悪いことじゃない。ただ──ちょっと特別だったんだ」
ノエルは言葉を選びながら続けた。
「この国にはね、“癒しの力”を持つ者は、たったひとりしかいないとされている。それは、〈聖女〉と呼ばれる存在だ」
ルミナの目が、わずかに丸くなる。
「せいじょ……?」
「聖女の力は、魔法薬でも、魔道具でもない。誰の助けも借りず、人の痛みや傷を癒す、清らかな力。……そして、それは、君が持っているものとよく似ている」
ルミナは、何かを理解しようとするように、ぎゅっと手を握った。
「じゃあ、わたし……その“せいじょ”なの?」
「まだ、はっきりとは分からない。でも、王宮の人たちは、君に興味を持った。だから、今日こうして呼ばれたんだ」
「……こわい」
ぽつりとこぼれた声に、ノエルはそっと肩を抱いた。
「うん。怖いよね。急に呼ばれて、知らないことがたくさんで……。でも、私はずっとそばにいるから。何があっても、君をひとりにはしない」
ルミナは、ノエルの胸元に顔をうずめながら、小さくうなずいた。
「せんせい……わたし、どうしたらいいの……?」
「難しいことは考えなくていいよ。ただ、聞かれたことに正直に答えればいい。あのとき、どうして手を差し伸べたのか。どうして助けたいと思ったのか──それだけで、十分だから」
馬車がゆっくりと減速を始める。
石畳の振動が伝わり、やがて王都の空気が車窓の隙間から入り込んできた。
「もうすぐ着くね。……心配しなくて大丈夫。君は、君のままでいい」
ノエルは立ち上がり、ルミナに手を差し出した。
「さあ、おいで」
その手を、ルミナはためらいながらも取った。かすかに震えていたが、その奥には、小さな決意のようなものが宿っていた。
(この子はまだ何も分かっていない。それでも、自分なりに受け止めようとしている……)
ノエルは静かに頷きながら、馬車を降りた。
王宮の大扉が、音もなく開かれていく。
冷たい石の階段を前に、ルミナは不安げにノエルを見上げた。
「ねえ、せんせい……王さまって、こわい?」
「ふふ。王様は少し厳格だけど、優しい人だよ。大丈夫、きっと君のことをちゃんと見てくれる」
そう言って微笑むノエルの顔に、ルミナは少しだけ安心したような表情を見せた。
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