その聖女、神の愛し子です!

一路(いちろ)

文字の大きさ
6 / 33

第五話

しおりを挟む
朝の清々しい空気の中、年長の子どもたちが水汲みや庭掃除を終えて戻ってくる頃、遠くから馬車の車輪が石畳を軋ませる音が聞こえてきた。
その音は、いつもの巡回の商人でも、町役人のものでもない。重く、堂々たる蹄の音が、孤児院の門前でぴたりと止まった。

ノエルが玄関に出ると、王宮の紋章を掲げた立派な馬車と、その傍らに立つ使者たちの姿があった。灰色の外套を纏った男が一歩前へ出て、恭しく頭を下げる。

「院長殿。いえ、ノエル=エリオス・セリオナード殿下。王命により参上いたしました。お嬢様──ルミナ様をお迎えに上がりました」

ノエルのまなじりがわずかに鋭くなる。
やはり、予感は当たっていた。

数日前、ルミナがほかの子の傷を癒したその瞬間を、王宮付きの文官が見ていた。
癒しの力──魔道具でも魔法薬でもない、“触れただけで癒える”という現象。
それは、かつて数百年前に存在した聖女しか持ち得なかったという、奇跡の力だ。

ノエルは問いかける。

「国王は彼女を、どうするつもりだと?」

使者は静かに答えた。

「陛下は、御自らの目で確認なされたいとのこと。もし彼女が……“その存在”であるのならば、王宮で保護すべきだと」

──彼女が聖女と同じ力を持つならば、国の守り神として扱う、ということだ。

だが、それは同時に、彼女が“ただの子ども”としての人生を奪われることを意味する。

ノエルは庭を見やる。春のやわらかな光に包まれ、子どもたちの笑い声が響いている。
その中に、ルミナの姿はまだなかった。だが、彼女ならこの空気をきっと察しているだろう。

----

ルミナは、窓辺からそっと外を覗いていた。

見知らぬ人たち、見たことのない立派な馬車。
胸がざわざわして、足元が落ち着かない。

「せんせい……あの人たち、だれ?」

「……お客様だよ。でも、ルミナに用があるらしい」

ノエルの声は静かだったが、どこか張りつめていた。

「わたし……なにか、わるいことした?」

「してないよ。なにも悪くなんかない。君は、君のままで大丈夫」

ルミナは、小さく頷いた。けれど、その小さな肩はかすかに震えていた。

ルミナの視線の先では、立派な馬車の扉が開かれ、王宮の紋章を胸に刻んだ人々が降り立っていた。その動きは無駄がなく、整っていて、どこか冷ややかな雰囲気をまとっている。

ルミナは緊張した面持ちのまま、ノエルの隣に立っていた。

「大丈夫。先生が一緒にいるからね」

ノエルは、そう言って微笑みかける。ルミナは彼の顔を見上げ、ようやくほんの少しだけ、緊張を和らげたようだった。

王宮からの使者は、屋敷の門の前に立つ重々しい馬車を指し示した。

「どうぞ、こちらへ」

ノエルはルミナの手を引きながら、馬車へと歩みを進めた。ルミナが乗り込みやすいよう、そっと腰を支えて持ち上げる。

「ありがと……せんせい」

か細い声でルミナがつぶやく。その表情は不安げで、何かを言いかけたが、言葉にはならなかった。

馬車がゆっくりと走り出すと、ルミナは窓から外の景色をぼんやりと見つめた。小さな手が膝の上でぎゅっと握られている。

ノエルもまた、無言で窓の外を見ながら、心の中で思案を巡らせていた。

(やはり、癒しの力が“聖女”のものとされている以上……放ってはおけなかった、ということだろう)

----

馬車の中は、しんと静まり返っていた。

ルミナは窓の外を見つめながら、膝の上で指を組んでいた。足元には春の光が差し込み、揺れる木々の影が優しく映っている。だが、その穏やかな光景とは裏腹に、彼女の小さな胸の奥はざわついていた。

「……せんせい。あの人たち、なんでわたしに用があるの?」

隣に座るノエルは少しだけ間を置き、それから静かに口を開いた。

「ルミナ。君が庭で、怪我をした子の手を治したこと……覚えているかな」

「うん……。痛そうだったから、触ったら、ふわってあったかくなって……」

「うん。それを、王宮から来ていた方が見ていたんだよ」

ルミナは不安げにノエルを見上げた。

「わたし、だめなことしちゃったの……?」

「ちがう。君は誰にもできないことをした。でも、それは決して悪いことじゃない。ただ──ちょっと特別だったんだ」

ノエルは言葉を選びながら続けた。

「この国にはね、“癒しの力”を持つ者は、たったひとりしかいないとされている。それは、〈聖女〉と呼ばれる存在だ」

ルミナの目が、わずかに丸くなる。

「せいじょ……?」

「聖女の力は、魔法薬でも、魔道具でもない。誰の助けも借りず、人の痛みや傷を癒す、清らかな力。……そして、それは、君が持っているものとよく似ている」

ルミナは、何かを理解しようとするように、ぎゅっと手を握った。

「じゃあ、わたし……その“せいじょ”なの?」

「まだ、はっきりとは分からない。でも、王宮の人たちは、君に興味を持った。だから、今日こうして呼ばれたんだ」

「……こわい」

ぽつりとこぼれた声に、ノエルはそっと肩を抱いた。

「うん。怖いよね。急に呼ばれて、知らないことがたくさんで……。でも、私はずっとそばにいるから。何があっても、君をひとりにはしない」

ルミナは、ノエルの胸元に顔をうずめながら、小さくうなずいた。

「せんせい……わたし、どうしたらいいの……?」

「難しいことは考えなくていいよ。ただ、聞かれたことに正直に答えればいい。あのとき、どうして手を差し伸べたのか。どうして助けたいと思ったのか──それだけで、十分だから」

馬車がゆっくりと減速を始める。

石畳の振動が伝わり、やがて王都の空気が車窓の隙間から入り込んできた。

「もうすぐ着くね。……心配しなくて大丈夫。君は、君のままでいい」

ノエルは立ち上がり、ルミナに手を差し出した。

「さあ、おいで」

その手を、ルミナはためらいながらも取った。かすかに震えていたが、その奥には、小さな決意のようなものが宿っていた。

(この子はまだ何も分かっていない。それでも、自分なりに受け止めようとしている……)

ノエルは静かに頷きながら、馬車を降りた。

王宮の大扉が、音もなく開かれていく。

冷たい石の階段を前に、ルミナは不安げにノエルを見上げた。

「ねえ、せんせい……王さまって、こわい?」

「ふふ。王様は少し厳格だけど、優しい人だよ。大丈夫、きっと君のことをちゃんと見てくれる」

そう言って微笑むノエルの顔に、ルミナは少しだけ安心したような表情を見せた。

ふたりは並んで、ゆっくりと王宮の中へと歩みを進めていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

元勇者は魔力無限の闇属性使い ~世界の中心に理想郷を作り上げて無双します~

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
ファンタジー
  魔王を倒した(和解)した元勇者・ユメは、平和になった異世界を満喫していた。しかしある日、風の帝王に呼び出されるといきなり『追放』を言い渡された。絶望したユメは、魔法使い、聖女、超初心者の仲間と共に、理想郷を作ることを決意。  帝国に負けない【防衛値】を極めることにした。  信頼できる仲間と共に守備を固めていれば、どんなモンスターに襲われてもビクともしないほどに国は盤石となった。  そうしてある日、今度は魔神が復活。各地で暴れまわり、その魔の手は帝国にも襲い掛かった。すると、帝王から帝国防衛に戻れと言われた。だが、もう遅い。  すでに理想郷を築き上げたユメは、自分の国を守ることだけに全力を尽くしていく。

辺境で静かに暮らしていた俺、実は竜王の末裔だったらしく気づけば国ができていた

平木明日香
ファンタジー
はるか五億四千万年前、この星は六柱の竜王によって治められていた。火・水・風・土・闇・光――それぞれの力が均衡を保ち、世界は一つの大きな生命のように静かに巡っていた。だが星の異変をきっかけに竜の力は揺らぎ、その欠片は“魂”となって新たな生命に宿る。やがて誕生した人類は文明を築き、竜の力を利用し、ついには六大陸そのものを巨大な封印装置へと変えて竜王を眠りにつかせた。 それから幾千年。 現代では六つの大国がそれぞれ封印を管理し、かろうじて世界の均衡を保っている。しかし各地で異常な魔獣が出現し、封印の揺らぎが噂されはじめていた。 そんな世界を気ままに旅する青年がいる。名はブラック・ドラグニル。三年前からハンターとして魔獣を討伐し、その肉を味わいながら各地を渡り歩く放浪者だ。規格外の実力を持ちながら名誉や地位には興味がなく、ただ「世界のうまいものを食べ尽くす」ことを楽しみに生きている。 ある日、光の王国ルミナリア近郊で王女ユリアナが大型魔獣に襲われる事件が起きる。死を覚悟した騎士団の前に現れたブラックは、その怪物をわずか数十秒で討ち倒す。彼にとっては雑魚同然だったが、その圧倒的な強さは王国中に知れ渡る。王女は自由に生きる彼の姿に心を奪われるが、ブラックは次の目的地へ向かう計画を練るばかり。 だが彼自身はまだ知らない。 自らが竜族の末裔であり、世界を再び“統合”へ導く鍵となる存在であることを。 竜の封印が揺らぐとき、自由を愛する青年は世界の命運を左右する選択を迫られる。 これは、竜の記憶と人の魂が交錯する壮大なファンタジー叙事譚である。

国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。

樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。 ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。 国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。 「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

犬の散歩中に異世界召喚されました

おばあ
ファンタジー
そろそろ定年後とか終活とか考えなきゃいけないというくらいの歳になって飼い犬と一緒に異世界とやらへ飛ばされました。 何勝手なことをしてくれてんだいと腹が立ちましたので好き勝手やらせてもらいます。 カミサマの許可はもらいました。

莫大な遺産を相続したら異世界でスローライフを楽しむ

翔千
ファンタジー
小鳥遊 紅音は働く28歳OL 十八歳の時に両親を事故で亡くし、引き取り手がなく天涯孤独に。 高校卒業後就職し、仕事に明け暮れる日々。 そんなある日、1人の弁護士が紅音の元を訪ねて来た。 要件は、紅音の母方の曾祖叔父が亡くなったと言うものだった。 曾祖叔父は若い頃に単身外国で会社を立ち上げ生涯独身を貫いき、血縁者が紅音だけだと知り、曾祖叔父の遺産を一部を紅音に譲ると遺言を遺した。 その額なんと、50億円。 あまりの巨額に驚くがなんとか手続きを終える事が出来たが、巨額な遺産の事を何処からか聞きつけ、金の無心に来る輩が次々に紅音の元を訪れ、疲弊した紅音は、誰も知らない土地で一人暮らしをすると決意。 だが、引っ越しを決めた直後、突然、異世界に召喚されてしまった。 だが、持っていた遺産はそのまま異世界でも使えたので、遺産を使って、スローライフを楽しむことにしました。

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

辺境追放された「植物魔導師」の領地開拓 ~枯れ果てた死の大地は、俺の魔力で聖域(楽園)へと変貌する~

リーフレット
ファンタジー
​「植物魔法? ああ、農作業にしか使えないあの地味な魔法か」 ​帝国騎士団の専属魔導師だったアルトは、無能な二世皇太子レオンによって、一方的に追放を言い渡された。 アルトがどれほど魔導植物を駆使し、帝国の食糧難を裏から支えていたかを知らぬまま、彼は「戦闘に役立たない役立たず」という烙印を押されたのだ。 ​帝国を出て行き着いた先は、魔物が跋扈し、草一本生えないと言われる最果ての荒野。 死を待つだけの地。しかし、アルトは絶望するどころか、晴れやかな顔で笑っていた。 ​「やっと、気兼ねなく『植物』を愛でられる。……よし、ここを世界一の庭(楽園)にしよう」

処理中です...