その聖女、神の愛し子です!

一路(いちろ)

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第六話

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冷たい石畳の上に、ノエルとルミナの足音が静かに響く。高くそびえる白亜の壁、鮮やかな赤い絨毯、整然と並ぶ衛兵たち――そのどれもが、ルミナにとっては初めて目にするものだった。

目の前の扉が、音もなく開かれる。

中に招かれたのは、広間ではなく、柔らかな陽光が差し込む応接の間だった。大理石の床に厚手の絨毯、壁際には古い棚と小さな暖炉。宮廷らしい豪奢さの中に、どこか家庭的な温もりがあるその空間に、ルミナの緊張もほんの少しだけ和らいだ。

「大丈夫、怖がらなくていい」

ノエルの声が静かに背中を押すように響く。

室内にはすでに一人の人物がいた。気品ある金の髪と深い蒼の瞳を持つその男は、ルミナを見て、やわらかな笑みを浮かべた。

「久しいな、弟よ」

それは、ノエルの兄にして、この国の王――レオン=アルシアス・セリオナードだった。

懐かしげな笑顔とともに、王はゆっくり立ち上がる。その姿に、ルミナの手がわずかに震えるのを感じて、ノエルはさりげなく抱き寄せた。

「陛下、お招きありがとうございます。……この子が、ルミナです」

「うむ。思ったより、ずっと幼いな。そして……可愛い子だ」

レオンはゆっくりとルミナを見つめるが、その眼差しには威圧も猜疑もなかった。むしろ、どこか守るべき存在を見るような、父親のようなまなざしだった。

「ルミナ、こちらはこの国の王様だ。怖がらなくていい」

「……こんにちは、王さま」

震える声でそう言って、ルミナはぺこりと頭を下げた。

王は微笑んで頷くと、執事に目配せをした。

「案内してやってくれ。少し、ノエルと話がしたい」

「はい。お嬢様、こちらへどうぞ。甘いお菓子と、紅茶をご用意しています」

一瞬、不安げにノエルを振り返ったルミナに、彼は頷いて見せる。

「すぐ終わるよ」

扉が閉まり、部屋に二人きりになると、レオンは緊張を解いたように椅子に腰を下ろした。

「ルミナのことは、王宮でも信頼する者にしか知らせていない。下手に広まって騒がれる前に、真実を見極めねばなるまい」

国王の低く落ち着いた声が、客間に静かに響いた。

「ご配慮、痛み入ります。兄上……いや、陛下」

ノエルは、目の前にいる兄の言葉を受け、静かに頭を垂れた。

王は懐かしげに微笑むと、幼い頃の記憶を探るように、弟の顔を見つめた。

「まさか、院長などという役目に就くとは思わなかった。……いや、就かせたのは私か」

「そうです。あなたが“お前に向いてる”とおっしゃって、あの孤児院をお任せいただいたのです」

「ふむ……やはり、お前でよかったと思っているよ。ルミナのような子が、誰か他の手に渡っていたらと思うと――」

王の眉がわずかにひそめられた。
ノエルは頷き、言葉を継いだ。

「彼女の力は、少しずつ明らかになっていきました。最初は、病にかかった子の額に手を当てただけで、熱が引いた。次は、大怪我をした子の傷が……」

「癒えたのだろう?」

「……はい。ありえない速さで。しかも、魔道具も、薬も、一切使っていなかった」

王は少し目を細め、背もたれに深く寄りかかった。

「その力は、聖女しか持たないからな」

ノエルの表情が、ほんのわずかに曇った。

「正直に申し上げます。あの子を最初に見つけたときの状況は、普通ではありませんでした」

「最初に……?」

「はい。孤児院の門の前に、小さな籠が置かれていたのです。生まれて間もない赤子が、上等な布に包まれて……まるで、誰かが“そこに置くこと”を意図したかのように」

王の眉がわずかに動く。

「そのとき、一緒に一枚の紙がありました。そこには──“名はルミナ。聖女である。大切に育てよ”と、そう記されていたのです」

「やはり……聖女なのか」

レオンは低く呟いた。神聖な響きを持つその語が、静かな空気を震わせる。

「それから……見た目についても、実は現在は魔紋石で変えているのです。けれど本来の姿は、空のように淡い髪、そして木々のように深く澄んだ緑の瞳をしていました。……かつての聖女と同じ特徴です」

ノエルの言葉を受けて、レオンは長く息を吐いた。

「……ならば、疑いようはあるまい。その力も、その姿も、記録にある“聖女”のそれと一致しているのだからな」

「……ただ、本人にはまだ詳しくは伝えていません。馬車の中で、癒しの力があること、それが特別なものかもしれないことを、少しだけ話しました」

レオンはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。

「私としては、王宮で保護するのが本来あるべき形だと考えていた。だが、あの子の様子を見て……理解したよ。城の壁の中に閉じ込めてしまえば、かえって芽を摘むことになるやもしれん」

ノエルははっとして、王を見上げた。

「それでは……」

「あの子の意思を尊重しよう。成人の年までは、そなたのもとで育てるといい」

「……感謝いたします、兄上」

「ただし、完全に放っておくわけにはいかん。万が一に備え、信頼のおける者をひとり、使用人として派遣しよう。表向きは孤児院の手伝いだが、護衛としての役目も担う」

「承知しました。……彼女を、守るためなら」

ふたりの視線が重なったとき、再び扉がノックされた。

「ルミナ様をお連れしました」

扉の向こうで執事の声が響くと、レオンは頷いた。

「入れ」

扉が開かれ、小さな影がノエルのもとへ駆け寄る。

「せんせい……」

「おかえり。大丈夫だった?」

「うん。お菓子、おいしかった……でも、やっぱり、ちょっとこわかった」

ノエルはそっとルミナの肩に手を置いた。

「もう大丈夫。あとは王様に、お話をしていただくだけだよ」

レオンはルミナの前に立ち、穏やかに言葉をかける。

「ルミナ。今日、ここに来てもらったのは、君が特別な力を持っていると知ったからだ。だが、そのことで君を縛ったりはしない。君が望む場所で、望むように生きることが、何よりも大切だと思っている」

ルミナは少し驚いたように、ノエルを見上げ、それから王に向き直って、少しだけ口を開いた。

「わたし……みんなと、あのおうちに、いたいです。せんせいと、いっしょに……」

レオンはゆっくりと頷いた。

「わかった。君は、君の家で、みんなと過ごすといい。だが、何かあったときは、すぐに知らせてほしい。君は、国にとっても大切な存在だからな」

ルミナはまだ意味をすべて理解してはいない様子だったが、言葉の優しさには気づいたようで、小さく頷いた。

「ありがとう、王さま」

レオンの唇がふっと綻ぶ。

「その小さな声が、国を救う日が来るかもしれないな」

そして、ルミナの頭をそっと撫でたその手には、確かに王の威厳ではなく、一人の大人の優しさが宿っていた。

こうして、王宮での謁見を終えたノエルとルミナは、再び静かな道を、日常へと帰っていった。
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