その聖女、神の愛し子です!

一路(いちろ)

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第九話

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窓から差し込む陽光が木製の机の上を温かく照らしていた。孤児院の一室に簡易の学習机を並べ、ルミナは今日もユリウスの授業を受けていた。淡い銀髪を後ろに撫でつけ、姿勢正しく腰掛ける執事――ユリウス=ラインベルク。その手には、革張りの分厚い書物があった。

「さて、ルミナ様。今日はこの国の制度について学んでいただきましょう」

柔らかい口調ながらも、彼の声音にはいつもと同じく隙のない調子があった。ルミナは机にちょこんと座り、手を膝に揃えて大きな瞳を見開く。

「くにの、せいど……?」

「ええ。人は誰しも、年を重ねれば社会の一員として生きる義務を持ちます。この国では、成人を十六歳と定めています。その年を迎えると、多くの子どもがそれぞれの道を歩み始めるのです」

「じゅうろくさい……」

ルミナは小さな指を折りながら数えてみる。いまは五歳。まだ十年以上先のことのように思える。けれど、ユリウスの話を聞くと、その「未来」が少しだけ現実味を帯びて迫ってくるのだった。

「主に貴族の子息たちは、王都にある学院へ進学いたします。学院では政治、歴史、戦術、魔法学など、国を支えるための知識と技術を学びます。ゆくゆくは官僚や騎士、あるいは領主として国に尽くすことが期待されるのです」

「がくいん……」

ルミナは目をきらきらと輝かせた。王都の学院という響きには、どこか胸を躍らせる響きがある。

ユリウスはそんな彼女の反応にわずかに微笑むと、淡々と続けた。

「しかし、学院に通えるのは主に貴族階級の者に限られます。庶民の子どもは、十六歳になると働きに出るのが一般的です。農家の子なら畑を継ぎ、職人の家なら弟子入りする。あるいは街で商売を学ぶ者もおります」

「……じゃあ、こじいんの子たちは?」

ふと問いかけたルミナに、ユリウスは真剣なまなざしを向けた。

「孤児院の出身者は、多くが職人や商人の下で働き始めます。力自慢の者は兵士となることもありますし、少し危険ですが、冒険者として生計を立てる者も少なくはありません」

「ぼうけんしゃ……!」

ルミナの胸に小さな火が灯る。冒険者――それは幼い心にとって、この上なく魅力的に響く言葉だった。森へ行き、魔物を退治し、宝を見つけ、人を助ける。絵本や物語で読んだような世界が広がっている気がしたのだ。

だが、ユリウスの声はそれをすぐに現実へ引き戻した。

「ただし、冒険者の道は危険に満ちています。怪我や病で命を落とす者も少なくありません。ゆえに、軽々しく選ぶべきではありません」

「……」

ルミナは少し唇を尖らせたが、彼の真剣な表情を見て黙り込んだ。ユリウスは続ける。

「いずれにせよ、十六歳の節目は大きな転機となります。未来をどう形作るかは、その人自身の選択にかかっているのです」

その言葉に、ルミナは机に置いた両手をぎゅっと握りしめた。未来。自分の未来。

――わたしは、どうなるんだろう?

まだ五歳の心には少し難しい問いだったが、ユリウスの言葉は小さな胸に深く残った。

「さて、ルミナ様。この国の仕組みを、もう少し詳しくお話しいたしましょう」

ユリウスは机の上に大きな地図を広げた。羊皮紙に描かれたそれは、まだ子どもの目には大きな宝の地図に見えてわくわくする。

「これが我が国の中心、王都アルシアです。王城をはじめ、学院や大聖堂、そして各種の商会や組合が軒を連ねております。まさにこの国の心臓部ですね」

「おうと……ここが、いちばんおおきなまち?」

「ええ。先日ルミナ様も訪れた場所です。人口も多く、諸外国との交易も盛んです。そして王都から街道が延び、各地の町や村と繋がっております」

地図の上でユリウスの指がいくつもの点を示す。

「王都の周囲には衛星都市とも呼ばれる中規模の町がいくつもあります。農産物を供給する村、鉱山を抱える山間の集落、漁で栄える湖畔の町……それぞれが特色を持ち、互いに補い合って国を支えているのです」

ルミナは丸い目を地図に向けたまま、頷いた。

「みんなで、いっしょに……」

「その通りです。王都だけでは国は成り立ちません。地方があってこそ、国は国として機能するのです」

ユリウスはそう言って、ゆっくりと別の場所を指した。

「そして――この国を語るうえで、忘れてはならないのが教会の存在です」

「きょうかい……?」

ルミナの声には素朴な疑問がにじむ。孤児院の祈りは日々の習慣のようなもので、深く考えたことはなかった。

「かつて現れた聖女セレフィナ。その奇跡を伝え、人々に信仰を広めているのが教会です。彼女は干ばつに苦しむ大地に恵みをもたらし、病に伏せる人々を癒した――そう記録に残っておりますね」

ユリウスの声音は、まるで祈りの言葉のように静かで澄んでいた。

「この国の各地には大小さまざまな教会が存在します。王都の大聖堂は最も格式高く、王もそこで式典を執り行うほど。地方の村には小さな礼拝堂があり、人々は日々祈りを捧げているのです」

「……みんな、せいじょさまを、しんじてるの?」

「ええ。聖女は人々に希望を与えた存在です。たとえそれが数百年前のことでも、語り継がれ、信じられている。それがこの国の土台のひとつとも言えるでしょう」

ルミナは唇を噛みしめた。信じる。希望を与える。――それは、どこか自分の身に近い響きを持っていた。

彼女は小さな声で呟く。

「……わたし、せいじょさまに、にてるのかな」

その言葉に、ユリウスの手がぴたりと止まった。だがすぐに、彼はいつもの落ち着いた笑みを浮かべる。

「どうでしょうね。ただ――ルミナ様が人に優しく、思いやりを持つことは確かです。それだけで、十分に尊いことなのです」

「……ほんとう?」

「ええ。人の心を救うのは、大きな奇跡だけとは限りません。小さな優しさもまた、立派な奇跡です」

その言葉に、ルミナは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

----

授業のあと、孤児院の庭では子どもたちが遊んでいた。ルミナも一緒になって鬼ごっこをしていたが、ふと立ち止まって空を見上げる。

青空の向こうにあるはずの未来。十年以上先の自分は、どんな場所にいるのだろう。

「ルミナ、どうしたの?」

遊びの途中で気づいた孤児仲間が声をかける。ルミナは少し笑って首を振った。

「ううん、なんでもないよ」

でも、胸の奥ではさっきの言葉がぐるぐると巡っていた。

――わたしは、何になれるんだろう。

----

夕暮れ時、孤児院の廊下を歩いていると、ユリウスが窓辺に立って外を眺めていた。背筋を伸ばし、沈む夕日を見つめるその姿は、影絵のように凛として美しい。

「ユリウス……」

「おや、ルミナ様。まだ眠るには早い時間ですね」

「……ねえ。わたし、十六さいになったら、どうすればいいのかな?」

 幼い問いかけに、ユリウスはしばし黙考するように目を細めた。やがて、彼は静かに口を開いた。

「それは、誰も代わりに答えを出せない問いです。しかし――ひとつだけ確かなことがございます」

「……なに?」

「ルミナ様は、ご自分の選んだ道で必ず人を照らすでしょう。どのような未来であっても、善き心を持ち続けるならば」

その声は、温かな夕焼けの色のように、ルミナの胸を満たした。

「……うん!」

まだ答えは出せない。けれど、未来を楽しみにしてもいいのかもしれない。そう思わせる力が、ユリウスの言葉にはあった。

その夜。寝床に入ったルミナは、目を閉じても眠れずにいた。

――聖女。未来。成人。学院。冒険者。

今日一日で耳にした言葉が、頭の中でくるくると回っている。

自分はいつか十六歳になる。そのとき、どんな道を選ぶのだろう。
教会で祈りを捧げる聖女の絵を思い浮かべると、不思議なことに胸が高鳴った。

――もし、わたしも人を助けられるなら……。

そう思うと、少しだけ眠気が戻ってきた。夢の向こうであの赤金の髪の神が見ているような気がして、ルミナは小さな寝息を立て始めた。
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