12 / 30
12
しおりを挟む
ギニョール帝国の白亜の宮殿、その大舞踏会会場。
何百もの魔導ランプが灯り、贅を尽くした空間には帝国中の有力貴族たちが集まっていた。
しかし、オーケストラの調べが止まり、会場が静まり返ったのは、その二人が現れた瞬間だった。
「……信じられん。あの方が、あの『死神』と恐れられた皇帝陛下か?」
「隣の女性を見ろ。まるで月明かりを纏っているようだ。彼女が噂の『お菓子好きの賢者』か?」
階段の上に立つアラルの表情は、これまで見たこともないほど誇らしげだった。
彼はレティシアの腰をしっかりと抱き寄せ、並み居る貴族たちを鋭い眼光で見下ろした。
「諸君、今夜は楽しんでくれ。……そして、私の隣にいるレティシア・ヴァン・ベルクに最大の敬意を払うことを忘れないように」
アラルの低い、しかし会場の隅々まで通る声が響く。
レティシアは、あまりの視線の多さに少しだけ身を縮めた。
「アラル様、皆様がこちらを凝視していて、少しばかり歩きにくいですわ」
「気にするな。彼らはただ、太陽を間近に見た住民のように困惑しているだけだ」
「それは流石に、目が痛そうですわね」
レティシアは微笑みながら階段を下りた。
彼女が歩くたびに、ドレスに縫い込まれたダイヤモンドが火花を散らすように輝く。
貴族たちが次々と挨拶に来るが、アラルが放つ「近寄るな」というオーラがあまりに強烈なため、誰も三メートル以内に近づけない。
「レティシア顧問、先日の港湾都市の件、感服いたしました! 我が領地の赤字も、是非一度ご相談を……」
「……下がれ。今は彼女のプライベートな時間だ。仕事の話をするなら、首を洗ってからにしろ」
「ひっ、申し訳ございません!」
逃げるように去っていく貴族の背中を見送りながら、レティシアは溜息をついた。
「アラル様、あれでは相談に乗ることもできませんわ。……あ、それよりアラル様。あちらのテーブルに見える、山盛りの赤い果実は何でしょう?」
「あれか? 隣の公国から献上された『紅炎苺』だ。一つで金貨一枚は下らない稀少品だが……」
「金貨一枚の苺……! 食べたいですわ!」
レティシアは、社交などそっちのけでビュッフェテーブルへと向かった。
ドレスの裾を翻し、一目散に苺へと突撃するその姿は、ある意味でどんな淑女よりも優雅で、どんな戦士よりも迷いがなかった。
「……ふむ。甘酸っぱくて、濃厚な香りが鼻に抜けますわ。これは素晴らしいです!」
「そうか。ならばその公国の苺を、今後十年間はすべて買い占めておこう」
「それは流石に独占禁止法……いえ、独占のしすぎですわ」
幸せそうに頬を膨らませるレティシア。
その様子を見て、会場の貴族たちは衝撃を受けていた。
「冷徹な皇帝が、あんなに優しそうな顔をして苺を差し出している……!」
その微笑ましい光景が繰り広げられている頃、エストニア王国のカイル王子は、暗い執務室で一人、震えていた。
「……招待状が、届いていない?」
「はい、殿下。ギニョール帝国の舞踏会、近隣諸国のすべての王族に招待状が送られましたが……我が国だけは、名簿から除外されておりました」
「馬鹿な……! レティシアは私の婚約者だったのだぞ! なぜ、彼女の晴れ舞台に私が呼ばれないんだ!」
カイルは机を叩いたが、もはや彼を諌める者さえいなかった。
エレナは、王宮の財産が底をついたことを悟り、すでに別の逃げ道を探して、怪しげな商人との接触を繰り返していた。
カイルが捨てた「地味な女」は、今や世界で最も甘やかされ、最も眩しい場所にいた。
そして彼は、その光を二度と拝むことのできない、暗闇の底へと沈みつつあった。
何百もの魔導ランプが灯り、贅を尽くした空間には帝国中の有力貴族たちが集まっていた。
しかし、オーケストラの調べが止まり、会場が静まり返ったのは、その二人が現れた瞬間だった。
「……信じられん。あの方が、あの『死神』と恐れられた皇帝陛下か?」
「隣の女性を見ろ。まるで月明かりを纏っているようだ。彼女が噂の『お菓子好きの賢者』か?」
階段の上に立つアラルの表情は、これまで見たこともないほど誇らしげだった。
彼はレティシアの腰をしっかりと抱き寄せ、並み居る貴族たちを鋭い眼光で見下ろした。
「諸君、今夜は楽しんでくれ。……そして、私の隣にいるレティシア・ヴァン・ベルクに最大の敬意を払うことを忘れないように」
アラルの低い、しかし会場の隅々まで通る声が響く。
レティシアは、あまりの視線の多さに少しだけ身を縮めた。
「アラル様、皆様がこちらを凝視していて、少しばかり歩きにくいですわ」
「気にするな。彼らはただ、太陽を間近に見た住民のように困惑しているだけだ」
「それは流石に、目が痛そうですわね」
レティシアは微笑みながら階段を下りた。
彼女が歩くたびに、ドレスに縫い込まれたダイヤモンドが火花を散らすように輝く。
貴族たちが次々と挨拶に来るが、アラルが放つ「近寄るな」というオーラがあまりに強烈なため、誰も三メートル以内に近づけない。
「レティシア顧問、先日の港湾都市の件、感服いたしました! 我が領地の赤字も、是非一度ご相談を……」
「……下がれ。今は彼女のプライベートな時間だ。仕事の話をするなら、首を洗ってからにしろ」
「ひっ、申し訳ございません!」
逃げるように去っていく貴族の背中を見送りながら、レティシアは溜息をついた。
「アラル様、あれでは相談に乗ることもできませんわ。……あ、それよりアラル様。あちらのテーブルに見える、山盛りの赤い果実は何でしょう?」
「あれか? 隣の公国から献上された『紅炎苺』だ。一つで金貨一枚は下らない稀少品だが……」
「金貨一枚の苺……! 食べたいですわ!」
レティシアは、社交などそっちのけでビュッフェテーブルへと向かった。
ドレスの裾を翻し、一目散に苺へと突撃するその姿は、ある意味でどんな淑女よりも優雅で、どんな戦士よりも迷いがなかった。
「……ふむ。甘酸っぱくて、濃厚な香りが鼻に抜けますわ。これは素晴らしいです!」
「そうか。ならばその公国の苺を、今後十年間はすべて買い占めておこう」
「それは流石に独占禁止法……いえ、独占のしすぎですわ」
幸せそうに頬を膨らませるレティシア。
その様子を見て、会場の貴族たちは衝撃を受けていた。
「冷徹な皇帝が、あんなに優しそうな顔をして苺を差し出している……!」
その微笑ましい光景が繰り広げられている頃、エストニア王国のカイル王子は、暗い執務室で一人、震えていた。
「……招待状が、届いていない?」
「はい、殿下。ギニョール帝国の舞踏会、近隣諸国のすべての王族に招待状が送られましたが……我が国だけは、名簿から除外されておりました」
「馬鹿な……! レティシアは私の婚約者だったのだぞ! なぜ、彼女の晴れ舞台に私が呼ばれないんだ!」
カイルは机を叩いたが、もはや彼を諌める者さえいなかった。
エレナは、王宮の財産が底をついたことを悟り、すでに別の逃げ道を探して、怪しげな商人との接触を繰り返していた。
カイルが捨てた「地味な女」は、今や世界で最も甘やかされ、最も眩しい場所にいた。
そして彼は、その光を二度と拝むことのできない、暗闇の底へと沈みつつあった。
48
あなたにおすすめの小説
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。
無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。
彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。
ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。
居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。
こんな旦那様、いりません!
誰か、私の旦那様を貰って下さい……。
ガネット・フォルンは愛されたい
アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。
子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。
元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。
それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。
私も誰かに一途に愛されたかった。
❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。
❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
完結 王族の醜聞がメシウマ過ぎる件
音爽(ネソウ)
恋愛
王太子は言う。
『お前みたいなつまらない女など要らない、だが優秀さはかってやろう。第二妃として存分に働けよ』
『ごめんなさぁい、貴女は私の代わりに公儀をやってねぇ。だってそれしか取り柄がないんだしぃ』
公務のほとんどを丸投げにする宣言をして、正妃になるはずのアンドレイナ・サンドリーニを蹴落とし正妃の座に就いたベネッタ・ルニッチは高笑いした。王太子は彼女を第二妃として迎えると宣言したのである。
もちろん、そんな事は罷りならないと王は反対したのだが、その言葉を退けて彼女は同意をしてしまう。
屈辱的なことを敢えて受け入れたアンドレイナの真意とは……
*表紙絵自作
乙女ゲームの正しい進め方
みおな
恋愛
乙女ゲームの世界に転生しました。
目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。
私はこの乙女ゲームが大好きでした。
心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。
だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。
彼らには幸せになってもらいたいですから。
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる