15 / 30
15
しおりを挟む
帝国国境近くの宿営地。
ボロボロの天幕の中で、カイル王子は忌々しげに爪を噛んでいた。
「……許せん。あのアラル皇帝も、あの生意気な女も。私をあんな門前払いにしおって!」
「カイル様、もう諦めて帰りましょうよ。こんな埃っぽい場所、お肌に悪いですわ」
隣で文句を言うエレナを、カイルは鋭い目付きで睨みつけた。
すでに二人の間に「愛」と呼べるような甘い空気はない。
「黙れ! このまま帰れば、私は王位継承権を剥奪される。……こうなれば手段は選ばん。セバス、例の準備はできているか?」
影から現れた執事が、無表情に頷いた。
「はい。レティシア様に『最後のお別れと謝罪のための茶会』の招待状を送りました。場所は国境の不干渉地帯。……警備の薄い、崖に面した東屋です」
「よし。茶の中に、一時的に自由を奪う薬を混ぜておけ。彼女を無理やりにでも馬車に押し込めば、帝国の連中も手出しはできまい」
カイルの歪んだ笑みが、暗い天幕を照らす。
彼はまだ信じていた。レティシアさえ戻れば、魔法のように国政が元通りになると。
数日後。指定された東屋に、レティシアは現れた。
護衛のアラルを少し離れた場所に待たせ、彼女は一人でテーブルに着く。
「カイル様、お待たせいたしました。……それで、お話とは?」
「ああ、レティシア。よく来てくれた。これまでの非礼を詫びたくてね。この茶は、君の好きだったエストニア王宮特製の茶葉だ。飲んでくれ」
カイルが震える手で茶を注ぐ。
レティシアはそのカップを手に取り、鼻先で香りを確かめた。
「……。カイル様、このお茶、少しばかり『余計な風味』が混ざっていませんか?」
「な、何のことだ? 気のせいだろう」
「いえ。私の舌は、美味しいものと不純物を見分けるためにありますから。……これ、麻痺薬の『眠り姫の吐息』でしょう? それも、かなり安物の」
カイルの顔から血の気が引いた。
レティシアは呆れたようにカップをテーブルに戻した。
「毒を盛るのなら、せめて最高級の茶葉に、味を邪魔しない無味無臭の薬を使っていただかないと。……これでは、せっかくの茶葉が台無しですわ」
「貴様……! 気づいていたのか!」
「当然です。……アラル様、もうよろしいですよ」
レティシアが声を上げると同時に、東屋の周囲に張り巡らされていた不可視の結界が砕け散った。
そこから現れたのは、抜刀したアラルと、完全に包囲した帝国の影の部隊だった。
「……カイル王子。私の婚約者に毒を盛ろうとは。死罪でも生ぬるいな」
アラルの瞳には、これまでにない激情の炎が宿っていた。
カイルは腰を抜かし、無様に地面を這い蹲った。
「ま、待て! これはただの冗談だ! 話し合えばわかる!」
「話し合う必要はない。……レティシア、この男、どう処分したい?」
レティシアは、アラルの差し出したハンカチで自分の手を丁寧に拭うと、冷ややかにカイルを見下ろした。
「アラル様。この方は、お菓子の味も、人の心の価値も、何もわかっておられないようです。……殺すのは時間の無駄ですから、そのまま王国へ送り返して差し上げてください」
「……いいのか?」
「ええ。今の王国に戻る方が、彼にとってはどんな拷問よりも苦しいはずですから。……それよりアラル様、口直しに、帝都の有名なミルフィーユを食べに行きたいですわ」
「……ああ。君の望む通りにしよう」
アラルはレティシアを抱き寄せ、震えるカイルを一瞥もせずにその場を去った。
残されたカイルには、間もなく訪れる「王国の崩壊」という名の、終わりのない断罪が待ち受けていた。
ボロボロの天幕の中で、カイル王子は忌々しげに爪を噛んでいた。
「……許せん。あのアラル皇帝も、あの生意気な女も。私をあんな門前払いにしおって!」
「カイル様、もう諦めて帰りましょうよ。こんな埃っぽい場所、お肌に悪いですわ」
隣で文句を言うエレナを、カイルは鋭い目付きで睨みつけた。
すでに二人の間に「愛」と呼べるような甘い空気はない。
「黙れ! このまま帰れば、私は王位継承権を剥奪される。……こうなれば手段は選ばん。セバス、例の準備はできているか?」
影から現れた執事が、無表情に頷いた。
「はい。レティシア様に『最後のお別れと謝罪のための茶会』の招待状を送りました。場所は国境の不干渉地帯。……警備の薄い、崖に面した東屋です」
「よし。茶の中に、一時的に自由を奪う薬を混ぜておけ。彼女を無理やりにでも馬車に押し込めば、帝国の連中も手出しはできまい」
カイルの歪んだ笑みが、暗い天幕を照らす。
彼はまだ信じていた。レティシアさえ戻れば、魔法のように国政が元通りになると。
数日後。指定された東屋に、レティシアは現れた。
護衛のアラルを少し離れた場所に待たせ、彼女は一人でテーブルに着く。
「カイル様、お待たせいたしました。……それで、お話とは?」
「ああ、レティシア。よく来てくれた。これまでの非礼を詫びたくてね。この茶は、君の好きだったエストニア王宮特製の茶葉だ。飲んでくれ」
カイルが震える手で茶を注ぐ。
レティシアはそのカップを手に取り、鼻先で香りを確かめた。
「……。カイル様、このお茶、少しばかり『余計な風味』が混ざっていませんか?」
「な、何のことだ? 気のせいだろう」
「いえ。私の舌は、美味しいものと不純物を見分けるためにありますから。……これ、麻痺薬の『眠り姫の吐息』でしょう? それも、かなり安物の」
カイルの顔から血の気が引いた。
レティシアは呆れたようにカップをテーブルに戻した。
「毒を盛るのなら、せめて最高級の茶葉に、味を邪魔しない無味無臭の薬を使っていただかないと。……これでは、せっかくの茶葉が台無しですわ」
「貴様……! 気づいていたのか!」
「当然です。……アラル様、もうよろしいですよ」
レティシアが声を上げると同時に、東屋の周囲に張り巡らされていた不可視の結界が砕け散った。
そこから現れたのは、抜刀したアラルと、完全に包囲した帝国の影の部隊だった。
「……カイル王子。私の婚約者に毒を盛ろうとは。死罪でも生ぬるいな」
アラルの瞳には、これまでにない激情の炎が宿っていた。
カイルは腰を抜かし、無様に地面を這い蹲った。
「ま、待て! これはただの冗談だ! 話し合えばわかる!」
「話し合う必要はない。……レティシア、この男、どう処分したい?」
レティシアは、アラルの差し出したハンカチで自分の手を丁寧に拭うと、冷ややかにカイルを見下ろした。
「アラル様。この方は、お菓子の味も、人の心の価値も、何もわかっておられないようです。……殺すのは時間の無駄ですから、そのまま王国へ送り返して差し上げてください」
「……いいのか?」
「ええ。今の王国に戻る方が、彼にとってはどんな拷問よりも苦しいはずですから。……それよりアラル様、口直しに、帝都の有名なミルフィーユを食べに行きたいですわ」
「……ああ。君の望む通りにしよう」
アラルはレティシアを抱き寄せ、震えるカイルを一瞥もせずにその場を去った。
残されたカイルには、間もなく訪れる「王国の崩壊」という名の、終わりのない断罪が待ち受けていた。
58
あなたにおすすめの小説
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。
無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。
彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。
ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。
居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。
こんな旦那様、いりません!
誰か、私の旦那様を貰って下さい……。
ガネット・フォルンは愛されたい
アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。
子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。
元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。
それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。
私も誰かに一途に愛されたかった。
❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。
❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
完結 王族の醜聞がメシウマ過ぎる件
音爽(ネソウ)
恋愛
王太子は言う。
『お前みたいなつまらない女など要らない、だが優秀さはかってやろう。第二妃として存分に働けよ』
『ごめんなさぁい、貴女は私の代わりに公儀をやってねぇ。だってそれしか取り柄がないんだしぃ』
公務のほとんどを丸投げにする宣言をして、正妃になるはずのアンドレイナ・サンドリーニを蹴落とし正妃の座に就いたベネッタ・ルニッチは高笑いした。王太子は彼女を第二妃として迎えると宣言したのである。
もちろん、そんな事は罷りならないと王は反対したのだが、その言葉を退けて彼女は同意をしてしまう。
屈辱的なことを敢えて受け入れたアンドレイナの真意とは……
*表紙絵自作
乙女ゲームの正しい進め方
みおな
恋愛
乙女ゲームの世界に転生しました。
目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。
私はこの乙女ゲームが大好きでした。
心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。
だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。
彼らには幸せになってもらいたいですから。
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる