18 / 30
18
しおりを挟む
ギニョール帝国全土が、沸き立っていた。
稀代の冷徹皇帝アラルが、ついに伴侶を迎える。
その相手が、かつて隣国で「無能」と蔑まれていた公爵令嬢レティシアであることは、すでに帝都中の誰もが知る公然の事実となっていた。
「……アラル様、祝典の予算案を見せていただきましたけれど。これ、少しばかり無駄が多すぎませんか?」
レティシアは、サクサクと小気味よい音を立ててクッキーを齧りながら、山積みの書類の一角を指差した。
執務室には、皇帝妃としての教育を担当する官僚たちが数名、緊張した面持ちで控えている。
「無駄? 当然だろう。君を迎えるための祝典だ。国庫が空になっても構わんと命じてある」
「それでは困りますわ。国庫が空になったら、来年のお菓子の新作開発費が出なくなってしまいますもの」
レティシアは、官僚たちから奪い取ったペンを走らせ、瞬く間に数字を書き換えていく。
「ここの装飾費、高級な絹を使うより、帝都の職人組合が作った新作のレースを使ったほうが安上がりですし、地元の産業も潤いますわ。浮いた予算で、全領民に配るお菓子の質を一段階上げられます」
「な……。レティシア様、それでは流通が追いつきません!」
官僚の一人が慌てて声を上げるが、レティシアは動じない。
「追いつかせますわ。北部の運送ギルドが、冬の間は仕事がなくて困っているはずです。彼らに特別手当を出して動員すれば、三日で全土に配送可能ですわよ。……あ、その手当は、この貴族向けの余興費を削れば捻出できますわ」
レティシアが提示した「お菓子を全土に届けるための物流改革案」に、官僚たちは言葉を失った。
彼女にとっては「皆で美味しいものを食べたい」という一心での計算だったが、それは結果として、帝国の経済をかつてない速度で循環させる、魔法の数式だった。
「……アラル様。私、この予算で通してよろしいでしょうか?」
「ああ。君が正しいと言えば、それが帝国の法だ」
「ありがとうございます。では、この浮いた分で……私の結婚式のケーキ、もう一段高くしてもよろしいかしら?」
「十段でも二十段でも積み上げろ。……おい、聞こえたか。今すぐ建築家に連絡して、崩れないケーキの構造計算をさせろ」
皇帝の極端な指示に、官僚たちは「かしこまりました!」と叫んで部屋を飛び出していった。
彼らの目にはもう、レティシアは「他国から来た令嬢」ではなく、帝国の繁栄を約束する「幸運の女神」に映っていた。
数日後、レティシアは視察のために帝都の広場へと降り立った。
そこでは、彼女が手配したお菓子が子供たちに配られていた。
「これ、新しい皇帝妃様がくれたの?」
「うん! すっごく甘くて美味しいよ!」
歓声を上げる子供たちを見つめ、レティシアは満足げに頷いた。
その美しさと、民を慈しむ(と思われている)慈愛に満ちた姿に、広場に集まった人々は一斉に跪いた。
「レティシア様万歳! 帝国の至宝に栄光あれ!」
地鳴りのような歓声に、レティシアは少しだけ照れたように笑った。
一方、エストニア王国の地下牢。
カイルは、カビの生えた硬いパンを前に、虚空を見つめていた。
「……なぜだ。なぜ、あいつが……。私の前では、あんなに地味に、ただ書類を書いていただけだったのに……」
彼が気づかなかったのは、レティシアが「地味」だったのではない。
彼女が完璧に仕事をこなし、彼に何の苦労もさせなかったからこそ、彼は彼女の価値を見誤ったのだ。
失って初めて知る、代わりのきかない宝石の輝き。
しかし、その宝石はもう、彼の手の届かない高みで、新しい主と共に世界を照らしていた。
稀代の冷徹皇帝アラルが、ついに伴侶を迎える。
その相手が、かつて隣国で「無能」と蔑まれていた公爵令嬢レティシアであることは、すでに帝都中の誰もが知る公然の事実となっていた。
「……アラル様、祝典の予算案を見せていただきましたけれど。これ、少しばかり無駄が多すぎませんか?」
レティシアは、サクサクと小気味よい音を立ててクッキーを齧りながら、山積みの書類の一角を指差した。
執務室には、皇帝妃としての教育を担当する官僚たちが数名、緊張した面持ちで控えている。
「無駄? 当然だろう。君を迎えるための祝典だ。国庫が空になっても構わんと命じてある」
「それでは困りますわ。国庫が空になったら、来年のお菓子の新作開発費が出なくなってしまいますもの」
レティシアは、官僚たちから奪い取ったペンを走らせ、瞬く間に数字を書き換えていく。
「ここの装飾費、高級な絹を使うより、帝都の職人組合が作った新作のレースを使ったほうが安上がりですし、地元の産業も潤いますわ。浮いた予算で、全領民に配るお菓子の質を一段階上げられます」
「な……。レティシア様、それでは流通が追いつきません!」
官僚の一人が慌てて声を上げるが、レティシアは動じない。
「追いつかせますわ。北部の運送ギルドが、冬の間は仕事がなくて困っているはずです。彼らに特別手当を出して動員すれば、三日で全土に配送可能ですわよ。……あ、その手当は、この貴族向けの余興費を削れば捻出できますわ」
レティシアが提示した「お菓子を全土に届けるための物流改革案」に、官僚たちは言葉を失った。
彼女にとっては「皆で美味しいものを食べたい」という一心での計算だったが、それは結果として、帝国の経済をかつてない速度で循環させる、魔法の数式だった。
「……アラル様。私、この予算で通してよろしいでしょうか?」
「ああ。君が正しいと言えば、それが帝国の法だ」
「ありがとうございます。では、この浮いた分で……私の結婚式のケーキ、もう一段高くしてもよろしいかしら?」
「十段でも二十段でも積み上げろ。……おい、聞こえたか。今すぐ建築家に連絡して、崩れないケーキの構造計算をさせろ」
皇帝の極端な指示に、官僚たちは「かしこまりました!」と叫んで部屋を飛び出していった。
彼らの目にはもう、レティシアは「他国から来た令嬢」ではなく、帝国の繁栄を約束する「幸運の女神」に映っていた。
数日後、レティシアは視察のために帝都の広場へと降り立った。
そこでは、彼女が手配したお菓子が子供たちに配られていた。
「これ、新しい皇帝妃様がくれたの?」
「うん! すっごく甘くて美味しいよ!」
歓声を上げる子供たちを見つめ、レティシアは満足げに頷いた。
その美しさと、民を慈しむ(と思われている)慈愛に満ちた姿に、広場に集まった人々は一斉に跪いた。
「レティシア様万歳! 帝国の至宝に栄光あれ!」
地鳴りのような歓声に、レティシアは少しだけ照れたように笑った。
一方、エストニア王国の地下牢。
カイルは、カビの生えた硬いパンを前に、虚空を見つめていた。
「……なぜだ。なぜ、あいつが……。私の前では、あんなに地味に、ただ書類を書いていただけだったのに……」
彼が気づかなかったのは、レティシアが「地味」だったのではない。
彼女が完璧に仕事をこなし、彼に何の苦労もさせなかったからこそ、彼は彼女の価値を見誤ったのだ。
失って初めて知る、代わりのきかない宝石の輝き。
しかし、その宝石はもう、彼の手の届かない高みで、新しい主と共に世界を照らしていた。
55
あなたにおすすめの小説
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。
無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。
彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。
ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。
居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。
こんな旦那様、いりません!
誰か、私の旦那様を貰って下さい……。
ガネット・フォルンは愛されたい
アズやっこ
恋愛
私はガネット・フォルンと申します。
子供も産めない役立たずの私は愛しておりました元旦那様の嫁を他の方へお譲りし、友との約束の為、辺境へ侍女としてやって参りました。
元旦那様と離縁し、傷物になった私が一人で生きていく為には侍女になるしかありませんでした。
それでも時々思うのです。私も愛されたかったと。私だけを愛してくれる男性が現れる事を夢に見るのです。
私も誰かに一途に愛されたかった。
❈ 旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。の作品のガネットの話です。
❈ ガネットにも幸せを…と、作者の自己満足作品です。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
完結 王族の醜聞がメシウマ過ぎる件
音爽(ネソウ)
恋愛
王太子は言う。
『お前みたいなつまらない女など要らない、だが優秀さはかってやろう。第二妃として存分に働けよ』
『ごめんなさぁい、貴女は私の代わりに公儀をやってねぇ。だってそれしか取り柄がないんだしぃ』
公務のほとんどを丸投げにする宣言をして、正妃になるはずのアンドレイナ・サンドリーニを蹴落とし正妃の座に就いたベネッタ・ルニッチは高笑いした。王太子は彼女を第二妃として迎えると宣言したのである。
もちろん、そんな事は罷りならないと王は反対したのだが、その言葉を退けて彼女は同意をしてしまう。
屈辱的なことを敢えて受け入れたアンドレイナの真意とは……
*表紙絵自作
乙女ゲームの正しい進め方
みおな
恋愛
乙女ゲームの世界に転生しました。
目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。
私はこの乙女ゲームが大好きでした。
心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。
だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。
彼らには幸せになってもらいたいですから。
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる