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帝都の夜は更け、窓の外には満天の星空が広がっていた。
レティシアは、皇帝妃としての公務――という名の「帝国全土から献上された新作菓子の検品」を終え、ふぅ、と小さく息をついた。
「……さすがに、今日は食べすぎましたわね。でも、あのマスカットのジュレは外せませんでしたわ」
レティシアが独り言をこぼしながら、執務机の上に広げた資料を整理し始めた時のことだ。
ノックの音もなく、執務室の重厚な扉が静かに開いた。
「まだ起きていたのか、レティシア。あまり根を詰めると、体に毒だぞ」
現れたのは、部屋着の上にマントを羽織ったアラルだった。
その瞳には、隠しきれない疲労と、それ以上の深い慈愛が宿っている。
「アラル様。……あ。もしかして、またお仕事を抜け出してこられたのですか?」
「……。抜け出したのではない。君の顔を見ないと、最後の決裁書類に判を押す気力が湧かなかっただけだ」
「それを世間では『サボり』と申しますのよ。皇帝陛下ともあろうお方が」
レティシアが苦笑して椅子を勧めると、アラルはその隣に立ち、彼女が整理していた資料に目を落とした。
そこには、彼女が書き込んだ「流通コストの削減案」と「新作菓子の評価グラフ」が並んでいる。
「……君は、本当にすごいな。食べることへの執着が、そのまま国家を豊かにする力に変換されている。私が何年もかけて取り組んできた課題を、君は楽しみながら解決していく」
アラルの大きな手が、レティシアの頭を優しく撫でた。
その手の熱さに、レティシアの心臓が不規則な音を立てる。
「……アラル様。私、別に国家のためにやっているわけではありませんわ。ただ、美味しいものが途絶えないように、一番効率の良い方法を考えているだけで……」
「わかっている。だが、その結果として救われている人間が何万人もいるんだ。……もちろん、私もその一人だ」
アラルはレティシアの隣に跪き、彼女の視線と同じ高さで、その瞳をじっと見つめた。
「レティシア。私は、戦場では誰にでもなれると思っていた。だが、君の前では、ただの男になってしまう。……君が美味しそうにお菓子を食べている顔を見るだけで、この国を守って良かったと、心の底から思えるんだ」
「……」
「私は、君の食べる顔が……世界で一番好きだ」
あまりに真っ直ぐな、一点の曇りもない告白。
エストニア王国での三年間、カイルから一度も向けられたことのない、純粋な肯定。
レティシアは、口の中に残っているはずの甘い味さえ忘れてしまうほど、顔が熱くなるのを感じた。
ドクン、と胸の奥が跳ねる。
「……あ。アラル様、それは……ずるいですわ」
「ずるい? 何がだ」
「……そんなことを言われたら。私、次からお菓子を食べる時に、アラル様の顔を思い出してしまいますもの。味がわからなくなったら、どうしてくださるのですか?」
レティシアが頬を膨らませてそっぽを向くと、アラルは驚いたように目を見開いた後、低く、愉しげに笑った。
「そうか。ならば、味がわからなくなるほど、私の愛を上書きしてやろう。……君の人生が、どの菓子よりも甘くなるように」
アラルが彼女の手を取り、その指先を一本ずつ、愛おしそうに食むように口づける。
レティシアは、それがどんな高級なショコラよりも、自分の心を甘く溶かしていくことに、ようやく気づき始めていた。
一方、エストニア王国の暗い廃塔。
幽閉されているカイルは、月の光の下で一人、壁に傷をつけていた。
「……レティシア。お前、今頃何を食べている。……腹が減った。こんな硬いパンではなく、あいつが焼いてくれた、あの地味なクッキーが食べたい……」
かつて「地味だ」と笑って捨てたものが、どれほど温かく、どれほど自分を支えていたのか。
彼は今、飢えと孤独の中で、決して届かない味を夢見ていた。
レティシアは、皇帝妃としての公務――という名の「帝国全土から献上された新作菓子の検品」を終え、ふぅ、と小さく息をついた。
「……さすがに、今日は食べすぎましたわね。でも、あのマスカットのジュレは外せませんでしたわ」
レティシアが独り言をこぼしながら、執務机の上に広げた資料を整理し始めた時のことだ。
ノックの音もなく、執務室の重厚な扉が静かに開いた。
「まだ起きていたのか、レティシア。あまり根を詰めると、体に毒だぞ」
現れたのは、部屋着の上にマントを羽織ったアラルだった。
その瞳には、隠しきれない疲労と、それ以上の深い慈愛が宿っている。
「アラル様。……あ。もしかして、またお仕事を抜け出してこられたのですか?」
「……。抜け出したのではない。君の顔を見ないと、最後の決裁書類に判を押す気力が湧かなかっただけだ」
「それを世間では『サボり』と申しますのよ。皇帝陛下ともあろうお方が」
レティシアが苦笑して椅子を勧めると、アラルはその隣に立ち、彼女が整理していた資料に目を落とした。
そこには、彼女が書き込んだ「流通コストの削減案」と「新作菓子の評価グラフ」が並んでいる。
「……君は、本当にすごいな。食べることへの執着が、そのまま国家を豊かにする力に変換されている。私が何年もかけて取り組んできた課題を、君は楽しみながら解決していく」
アラルの大きな手が、レティシアの頭を優しく撫でた。
その手の熱さに、レティシアの心臓が不規則な音を立てる。
「……アラル様。私、別に国家のためにやっているわけではありませんわ。ただ、美味しいものが途絶えないように、一番効率の良い方法を考えているだけで……」
「わかっている。だが、その結果として救われている人間が何万人もいるんだ。……もちろん、私もその一人だ」
アラルはレティシアの隣に跪き、彼女の視線と同じ高さで、その瞳をじっと見つめた。
「レティシア。私は、戦場では誰にでもなれると思っていた。だが、君の前では、ただの男になってしまう。……君が美味しそうにお菓子を食べている顔を見るだけで、この国を守って良かったと、心の底から思えるんだ」
「……」
「私は、君の食べる顔が……世界で一番好きだ」
あまりに真っ直ぐな、一点の曇りもない告白。
エストニア王国での三年間、カイルから一度も向けられたことのない、純粋な肯定。
レティシアは、口の中に残っているはずの甘い味さえ忘れてしまうほど、顔が熱くなるのを感じた。
ドクン、と胸の奥が跳ねる。
「……あ。アラル様、それは……ずるいですわ」
「ずるい? 何がだ」
「……そんなことを言われたら。私、次からお菓子を食べる時に、アラル様の顔を思い出してしまいますもの。味がわからなくなったら、どうしてくださるのですか?」
レティシアが頬を膨らませてそっぽを向くと、アラルは驚いたように目を見開いた後、低く、愉しげに笑った。
「そうか。ならば、味がわからなくなるほど、私の愛を上書きしてやろう。……君の人生が、どの菓子よりも甘くなるように」
アラルが彼女の手を取り、その指先を一本ずつ、愛おしそうに食むように口づける。
レティシアは、それがどんな高級なショコラよりも、自分の心を甘く溶かしていくことに、ようやく気づき始めていた。
一方、エストニア王国の暗い廃塔。
幽閉されているカイルは、月の光の下で一人、壁に傷をつけていた。
「……レティシア。お前、今頃何を食べている。……腹が減った。こんな硬いパンではなく、あいつが焼いてくれた、あの地味なクッキーが食べたい……」
かつて「地味だ」と笑って捨てたものが、どれほど温かく、どれほど自分を支えていたのか。
彼は今、飢えと孤独の中で、決して届かない味を夢見ていた。
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