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ギニョール帝国の社交界、その頂点に立つ「薔薇の温室」。
今日は帝国の有力貴族の夫人たちが集まる、伝統ある定期お茶会の日だった。
その中心に座るのは、保守派の重鎮であるゼノビア公爵夫人。
彼女は、アラルがどこからか連れてきた「お菓子好きの令嬢」が皇帝妃になることに、少なからず不満を抱いていた。
「レティシア様。我が帝国の社交界には、数千年の歴史に裏打ちされた『茶道の礼法』がございます。……よもや、ただお菓子を食べるだけの場だと思ってはおられませんわよね?」
ゼノビア夫人が、わざとらしく扇子で口元を隠して微笑む。
周囲の夫人たちも、品定めをするような冷ややかな視線をレティシアに注いだ。
「礼法……。ええ、存じておりますわ。お茶の温度、注ぎ方、そして器の鑑賞……。どれも素晴らしい文化ですわね」
レティシアは、目の前に出された最高級の紅龍茶(こうりゅうちゃ)を一口、ゆっくりと含んだ。
そして、小さく眉を寄せた。
「ですがゼノビア夫人。このお茶、せっかくの芳醇な香りが台無しになっておりますわ」
「な……なんですって!? これは帝国最高の茶師が淹れたものですのよ!」
「お茶自体は完璧です。……問題は、この付け合わせのスコーンですわ。バターの風味が強すぎて、繊細な茶葉の香りを殺してしまっています。これでは、ただの『油っぽいお湯』を飲んでいるのと変わりませんわね」
会場に衝撃が走った。
帝国一の礼法の権威に対し、レティシアは平然と、しかし論理的に「食の真理」を突きつけた。
「お茶会とは、単なるマナーの発表会ではありません。茶と菓子の双方が高め合い、最高の瞬間を作る『味覚の戦場』のはずですわ。……皆様、宜しければ私が持参したこの『雪塩のクッキー』を試してみてくださいませんか?」
レティシアが侍女に目配せすると、彼女が手配していた小さな焼き菓子が配られた。
夫人たちは半信半疑でそれを口にする。
「……っ! 何かしらこれ。塩気が、お茶の甘みを驚くほど引き立てるわ!」
「これこそ、紅龍茶が求めていた相棒(パートナー)……! 今まで私が飲んでいたお茶は、何だったのかしら……!」
一瞬にして、温室内の空気が変わった。
マナーでマウントを取ろうとしていた夫人たちが、今や熱烈な瞳でレティシアを囲んでいる。
「レティシア様! このクッキー、どこで手に入りますの!?」
「帝都の東街にある、小さなお店ですわ。皆様、伝統を守るのも素敵ですが、たまには胃袋の声を聞いてみるのもよろしいかと。……美味しいものは、心を豊かにしますもの」
レティシアが優雅に微笑むと、ゼノビア夫人もついに扇子を置き、深く溜息をついて頭を下げた。
「……完敗ですわ。あなたはただの令嬢ではない。食の理(ことわり)を統べる、真の皇帝妃にふさわしいお方だ」
その報告を影で聞いていたアラルは、満足げに拳を握りしめていた。
「……さすが私のレティシアだ。マナーではなく、味覚で帝国を征服するとはな」
「陛下、次は全貴族を集めての『お菓子コンクール』を開催したいと仰っておりますが……」
「認めよう。予算はいくらでも出せ。彼女が望むなら、この国を巨大なパティスリーに変えても構わん」
アラルがさらなる溺愛の決意を固めていた頃。
エストニア王国のカイルは、ついに物乞いへと身を落としていた。
「……お、お恵みを。……クッキー一つでいい。レティシアが焼いていたような、あの素朴なやつでいいんだ……」
かつて彼が「古臭い」と吐き捨てた、レティシアの真心。
それが今の彼にとって、世界で最も高貴な食べ物になろうとは、皮肉な結末であった。
今日は帝国の有力貴族の夫人たちが集まる、伝統ある定期お茶会の日だった。
その中心に座るのは、保守派の重鎮であるゼノビア公爵夫人。
彼女は、アラルがどこからか連れてきた「お菓子好きの令嬢」が皇帝妃になることに、少なからず不満を抱いていた。
「レティシア様。我が帝国の社交界には、数千年の歴史に裏打ちされた『茶道の礼法』がございます。……よもや、ただお菓子を食べるだけの場だと思ってはおられませんわよね?」
ゼノビア夫人が、わざとらしく扇子で口元を隠して微笑む。
周囲の夫人たちも、品定めをするような冷ややかな視線をレティシアに注いだ。
「礼法……。ええ、存じておりますわ。お茶の温度、注ぎ方、そして器の鑑賞……。どれも素晴らしい文化ですわね」
レティシアは、目の前に出された最高級の紅龍茶(こうりゅうちゃ)を一口、ゆっくりと含んだ。
そして、小さく眉を寄せた。
「ですがゼノビア夫人。このお茶、せっかくの芳醇な香りが台無しになっておりますわ」
「な……なんですって!? これは帝国最高の茶師が淹れたものですのよ!」
「お茶自体は完璧です。……問題は、この付け合わせのスコーンですわ。バターの風味が強すぎて、繊細な茶葉の香りを殺してしまっています。これでは、ただの『油っぽいお湯』を飲んでいるのと変わりませんわね」
会場に衝撃が走った。
帝国一の礼法の権威に対し、レティシアは平然と、しかし論理的に「食の真理」を突きつけた。
「お茶会とは、単なるマナーの発表会ではありません。茶と菓子の双方が高め合い、最高の瞬間を作る『味覚の戦場』のはずですわ。……皆様、宜しければ私が持参したこの『雪塩のクッキー』を試してみてくださいませんか?」
レティシアが侍女に目配せすると、彼女が手配していた小さな焼き菓子が配られた。
夫人たちは半信半疑でそれを口にする。
「……っ! 何かしらこれ。塩気が、お茶の甘みを驚くほど引き立てるわ!」
「これこそ、紅龍茶が求めていた相棒(パートナー)……! 今まで私が飲んでいたお茶は、何だったのかしら……!」
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「レティシア様! このクッキー、どこで手に入りますの!?」
「帝都の東街にある、小さなお店ですわ。皆様、伝統を守るのも素敵ですが、たまには胃袋の声を聞いてみるのもよろしいかと。……美味しいものは、心を豊かにしますもの」
レティシアが優雅に微笑むと、ゼノビア夫人もついに扇子を置き、深く溜息をついて頭を下げた。
「……完敗ですわ。あなたはただの令嬢ではない。食の理(ことわり)を統べる、真の皇帝妃にふさわしいお方だ」
その報告を影で聞いていたアラルは、満足げに拳を握りしめていた。
「……さすが私のレティシアだ。マナーではなく、味覚で帝国を征服するとはな」
「陛下、次は全貴族を集めての『お菓子コンクール』を開催したいと仰っておりますが……」
「認めよう。予算はいくらでも出せ。彼女が望むなら、この国を巨大なパティスリーに変えても構わん」
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