懐冬

八紘一宇

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冬来たる。

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目の前に広がる真白な丘を登る。
はるかな向こうに大樹が見えるのだ。
吹雪の切れ目にそびえるそれはまるで安住の地がそこにあるかのように私には見えた。

凍えそうな足に最後の力を注ぎ込みようやく丘の頂上の大樹に至った。

吹雪をぬけた安心感からか私は大樹に背を預けて腰を下ろす。
しばらくすれば吹雪はこちらにもやってくるであろうことは理解しているが、せめて今くらいは休みたいものだ。

それにしても大きな木であるなと見直したところ地面に光るものが見えた。

土と根の隙間から金属が覗いている。

興味を引かれて掘り出したところスチールの箱であるようだ。

箱の劣化具合からかなり古いものであることが分かる。

中を開けると文字がずらりと並んだ紙が幾枚も入っていた。
どうやら手紙であるらしい。けれども差出人も宛名もない。

誰かのものであるかもしれないが、残り少ないタバコの共にと私はおもむろに読み始めた。

"もうここまで来てしまっては私にすべきことは何もない。ただひたすらに迫り来る冬を前に私のような矮小な存在が何ができるだろう。
きっと何も無いのだ。だから今こうして言葉を綴っている。けれどもそれで良い。
私は後悔などなく自らの生を終えられる。


  私は人間では無いらしい。プラントの研究者たちは誇らしげに新人類と私たちを呼んでいたが実際のところは劣化クローンに過ぎないと兄弟たちは言っていた。私たちは土から生えてくる。
水と光さえあれば何百年も生きていくことができ、エネルギー効率も良く不老であるのだ。
何より体の一部を土に植えれば新たにクローンが生えてくるのだ。だから私も、私の兄弟たちもみな似たような姿で同じような背格好をしている。はっきりいって自我などない。
それでも私たちはお互いを兄弟と呼び愛し合った。
この世界に残された数少ない肉親としてお互いを愛しく、失いがたい何者かと定義していたのだ。

研究者たちは自らを人類最後の砦とよび、私たちを用いてこの星の終わりに抗おうとしていた。

この星は苛烈なる冬に襲われていた。南からやってきたそれは、意思もなく、目的もなく、触れるもの全てを弛まない寒さのみでねじ伏せるだけの現象であった。

僅かな安住の地を求めた人類は北上したのだが北に残された土地は少なく、もはや人類に残された未来というのは死への覚悟を決めるのみであった。
そんな折、指折りの科学者たちが集って人類救済の希望として私たちを生み出したらしい。


人類の形に植物を押し込んだということもあって、私たちの肉体は僅かな栄養を与えて育てるだけで、莫大なエネルギーを抱えて産まれてくるのだそうだ。
簡単に生産できる栄養源。私たちは人類の生きる糧として生まれてきた。

なんとも恐ろしい話だ。
もちろん倫理的な側面での反対はあったようだが、迫り来る死を前に倫理という皮は安易に剥がされる。生存本能を持たない獣は獣を名乗る資格は無い。その点彼らはやはり私たちよりはるかに生きる資格はあるだろう。

けれども、彼らは私たちを当初の予定通りに用いることは出来なかった。

人の姿をしている私たちを喰らうというのは死の前に神に縋るような生き物にとってこれ以上ない禁忌であり、それこそ信仰が加速する状況である以上人々は醜い生より美しい死を求めるようになったのだ。

結果として私たちはどうなったかと言うと、いずれにしろ大して変わらないのだが、冬への最後の抵抗の武器として使い捨てされるようになったのだ。

私たちは死ぬ間際に大きな光を放って死ぬ。しかもただ死ぬのではなく、辺り一体に莫大な量の熱を放って死ぬのだ。研究者たちによると体内の膨大なエネルギーが一気に放出されるということらしい。

猛烈な勢いで迫り来る吹雪の中で私たちが散れば、一時的にでも冬の進行を遅れさせることが出来るのだ。

焼け石に水程度の効果だが、最後に残されたプラントの研究者たちはそれこそが唯一の救われる道だと信じて疑わなかった。
自らの人道に悖るくらいならば望みの薄い賭けに縋ると考えれば自然な思考の流れなのかもしれない。

こうして発生したのが、生まれて成体になった私たちを吹雪の中に送り込み、そこで自害させて冬の進行を遅らせるという狂気的な戦略だ。

もしもまともに戦略を錬れる人間がいればこんな無謀な計画に全力を注ぐなんてことはないだろうが、皮肉にも最後に残された人類というのは、なにかの経験を積んだ類の人間ではなく、机上の空論をできる限り現実に近づけるタイプの人間のみだったのだ。前者のタイプの人間は既に死に絶えてしまったが故に。

私たちは、生まれてから数年で人間の成人と同じ体つきになる。

その間に人類のために身を捧ぐのがいかに高尚で崇高で名誉ある行動かと教えこまれる。
如何せん、生半可に知能を得た私たちは成長する過程で自らの運命に疑問を持ってしまうからだ。

私たちを設計した人間は、こんなことは止めて欲しいと思っていたのだ。だからせめてもの抗いで私たちに人間と同程度の知能が芽生えるよう仕向けた。

そして、最後に生まれてきた私に人類の歴史の全てと真っ当な倫理観を与えたのだ。


年々生まれゆくコピーと言っても、コピーのコピーのコピーのコピーともなってくると、オリジナル程のエネルギーはなくほぼ人類と大差ない生命になってしまう。
先の見えない計画であったことと、頭でっかちな研究者の集団であったせいで、オリジナルに近い、早く成体となった兄弟から前線に送り込まれて行ったのだ。

結果として残っていくコピーの劣化版は前世代ほどの威力はないために、私たちの栽培は威力が担保されている最後の世代で打ち止めとなった。


私たちの設計者は最後の世代の最後に設計された私に、人類の持つ全ての知識を詰め込んだ。

私だけは冬を越して次の生命となるように、せめて人類がこれまで重ねてきた営みが失われないようにと。

そしてその研究者は私の設計が終わるとピストルで自らの頭を撃ち抜き自害した。

冬は、プラントのすぐそこまで迫っていた頃であった。


もうこれで人類は最後の希望すら失った。あえて言えば人類自身の生存は不可能となったのだ。

そう思うと研究者たちは自ずと死を選んだ。

まだ暖かい安らぎがある内に、自らの体が寒さに蹂躙され死に至るくらいならばと、設計者の後を追うように死に至ったのだ。

残された私たち兄弟200体は途方に暮れた。

勝手に作られ、勝手に放置されたのだ。

残された道と言っても、自ら冬に向かって行って死ぬか、冬の訪れを待って死ぬのみだ。

兄弟は皆、どうすれば良いかを話し合った。

何せ今まで施されていた教育に従えば、人類のために散っていくべきなのだが、その守るべき人類はもう居ない。
ではどうするべきなのだろうか。

大人しく死を待つか、激しく自ら散って行くかのどちらかだ。

私としては、最後の方舟としての役割が与えられていたためどうしようもなかったが、プラント内の人工太陽も寿命があるし、このプラント自体も、人類の文明を破壊するほどの冬を前にしては幾年も持たない、何せ管理する人間がいなくなってしまった以上朽ちていく時間は加速する。

何度も私たちは話し合っていたが、あるものが言った。

せめてあの桜の木は守りたい、と。


あの桜の木というのは、プラントの最奥にある巨大な桜のことだ。

どこからか持ってこられて、何者かが植えた。
どうにも、あれは1種しか存在しない桜を幾万回、幾億回もクローンを作っていって人類が未来へと残したものであるらしい。

なんでそこまでして残したかと言うと、その桜が何よりも美しいかったからだそうだ。

私たちに与えられた倫理観では人類の美的感覚は分からない。けれども単一の樹から無限に作られたクローンというのはどこか感情移入できるものであったのだ。だから私たちにとってもその桜はある種心の拠り所であり、皆が大切に思う希望のようなものであった。


最初に声を上げた兄弟もきっとそんな気持ちがあったに違いない。誰も彼女を否定するものはいなかった。

私以外は。

私は、寂しかったのだ。1人寂しく残るくらいならば皆と最後の時を過ごしたいと思っていた。
けれども私のように人間的価値観を植えられたものはおらず、皆うっすらと微笑みを湛えて外への扉を順番にくぐりぬけて行った。

私は恐ろしかった。誰も自分を理解しないことを、誰も死を恐れないことを。

彼らは、何も無かったのだ。人から託されたものも自ら得ているものも。全て人から目的を与えられて製造され、人に中身を入れられて完成する生き物だからだ。
そんな彼らが初めて自らの意志で守りたいと思ったものが生まれたのだ。それはきっと止められぬものだろう。

もちろんこんなことをしたところで僅かに桜の寿命を伸ばすのみだ。
そんなことは皆わかっている。けれども、ただ何もせず死ぬくらいならば、何か明確に残すものがある内に死んでしまいたいのだ。

それが彼らに芽生えた唯一の人間的感情であったように私は思う。

結果として私は今1人ここで桜の木と共に死を待っている。

自分の命が膨大な意味の中に溶け込んでしまうのはとても腹立たしいが。私は散っていった兄弟のためにも桜の木と共に1秒でも長く生きなくてはいけない。


既に最後の兄弟がここを出て行ってから300年たった。いよいよ冬はプラントの中に入り込み、残すところはこの部屋のみとなった。

私は祈る。自分では何も獲得してこなかった私も、今ここで幾ばくかの文字を綴ることで何か報われるかもしれない。

生まれる前から未来が定まっている私の、運命への最後の抵抗としてこの手紙を未来へ託す。

誰も読まないかもしれない、誰も知らないかもしれない。けれどもそこに意味はある。

私が最後に生きた証は、兄弟が最後まで稼いだ私と桜の寿命は、この文章に託されているのだ。

どうか、願わくば、この桜が未来で咲き誇っていることを、そして美しく散って行くことを。

その様の美しさだけは、途方もない時間と寒さの中でも確かなものであると、私は信じている。"



私は最後まで読み終えると、目前まで冬が迫っていることに気づく。

目の前の朽ちた大木を前に、私は最後のタバコを供えた。

せめて、彼らの安らぎが暖かみと共にあることを祈って。
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