雑多な短編

八紘一宇

文字の大きさ
上 下
3 / 5

よるのなかで

しおりを挟む
私が一人暮らししている部屋にはベランダがある。

夜眠れない時はベランダに出て夜空や遠くの夜景を見るのが好きで日課となっている。

私の家は人気の少ない住宅街で夜の綺麗な世界に自分だけと錯覚する感覚がたまらなく好きなのだが、最近知らない人がよくいる。

最初はこの辺りの住人なのかと思ったが、どうにも見覚えがない。

夏なのに厚手のジャンパーを着ている中年の男性で、夜の静かな住宅街を歩き回っているのだが、時折立ち止まっては私の方を見る。

私はあまり視力が良くないのでかれと目が合っているのかどうかは分からない。

しかしやはり私の方を見ているのように感じられるのだ。

初めてそれに気づいた時は驚きのあまり部屋にすぐ戻ってしまったのだが、私は好奇心が強い気質なので、彼がなぜ私の方を見ているのか気になってしまったのだ。




直接コミュニケーションを取るのは気が引けるのでいろいろ実験してみることにした。

恐らく私のことを見ているのだろうが、なんとはなしに私の家の方を見ている可能性もある。

彼がこちらに気づいたタイミングで私は姿を隠してみた。

彼から死角となる位置から彼の様子を確認してみる。

恐る恐る窓の縁から覗いてみると、やはりこの家には見向きもしていない。

私がいるかどうかは問題ではないようだ。

では私の方を見ているのだろう。

次に試したかったのは本当に私自身に興味があってこちらを見ているのかどうかだ。

いつも私は同じようなパジャマを着ている。

なので普段着ないような男物のスーツに男装用ウイッグをつけてみた。

鏡で見る限りパジャマの私とはまるっきり別人で、ただの成人男性のように見える。

これであれば別人がベランダに立っているように見えるだろう。

その日も、彼が徘徊する時間に合わせて私はベランダにたってみた。

以前のように女性ライクな格好では無いのだ、もし性的な目的で私のことを見ているなら彼は反応しないはずだ。


けれどもやはり私のことを見ていた。

いつもと変わらないように、私や私の部屋を凝視するように覗き込んでいるのだ。

一体何故だろう。

一人暮らしのOLの部屋にスーツの男が現れたら恋人の類だと思い、興味を失うだろうと思ったのに。

いよいよ私は興味を抑えきれなくなって彼に直接話しかけることにした。

私と背格好が近い友人に協力を頼み、指定の時間に私のパジャマを着てベランダにたってもらい。私は彼に直接話しかけることにした。

もう1人の友人に近くで待機してもらい、何かあれば通報してもらう算段だった。


その日は彼はいつもより早く場所に現れた。

私は計画した通りに彼にこっそり近づいた。

近くで見ると普通の中年男性に見える。

私は背後から声をかけた。

その瞬間、彼はこちらをしばらく見やり、何か言いたがな表情をした後にそのまま追いつけないような速度で走り去ってしまった。

私はあまりにあっけない幕開けでぽかんとしてしまった。

ただの変質者に過ぎなかったようだ。

1度声をかけて逃げるようであればもう同じようなことはしないだろうし、酷い場合は警察に通報するか引っ越せばいいだけの話だ。

どこか拍子抜けしてしまった私は、待機してた友人と一緒にそのまま部屋に戻った。

部屋で待機してる友人と一緒に協力してくれたお礼でもしようと思っていた。

部屋に戻ると彼女はどこにもいなかった。

部屋は特に荒らされた形跡はなく、ただただ彼女は消えてしまったのだ。
しおりを挟む

処理中です...