決して戻らない記憶

菜花

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幼馴染の二人

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 山奥にある村に住む平民のカミロとセレネは同い年の幼馴染であり、稀に見る美男美女であり、結婚を約束した仲であった。
 それぞれの親に言わせると二人は生まれた時からべったりで、揃って親の名前より相手の名前を話したという。
 五歳で幼児に過ぎないカミロが同じく幼女だったセレネにプロポーズして、そこが村の畑の脇だったものだから村中に知れる所となった。
 年頃になっていくと二人は競うように美しく成長するものだから、大人達は口をそろえて「物語のような二人だ」と誉めそやした。
 だが村一番の嫌われものの老婆だけが非難していた。

「ふん。美しければ万事上手くいくなんて幻想さね。美貌ゆえに厄介事を引き込むことだってあるだろうよ。この世に醜いものなんてないと言わんばかりの生活しちゃってまあ……。あの二人は不幸にしかならないと予言しておくよ」

 その言葉を信じる者はいなかった。それどころが耳にした人間全てが「陰険婆め。他人の幸せがそんなに妬ましいか」と顔をしかめた。
 だがその老婆が死んでほどなく、予言は当たることとなる。



 カミロには王都に親類がいた。結婚するので是非来てほしいと手紙が届いたのだ。
 セレネは行かないでほしいと懇願した。
 遠い所に行くなんて心配だし、先日の大雨で道が塞がっているところもあると聞いた。危険を伴う旅になるのは明白だし、何より王都で綺麗な女性を見て心変わりでもされたら嫌だ、と。
 カミロはそんなセレネの心配を笑った。
「大丈夫だって。旅慣れた父さんも一緒だし、ちゃんと帰ってくるよ。王都の土産を期待してて」
「でも、何だか嫌な予感がするの。私の勘がよく当たるの知ってるでしょう?」
 カミロはセレネを愛している。だから普通だったら言う通りにしてやりたいのだが……。
 カミロは自分が田舎者だということをよく理解していた。たまに麓の街に行くと、自分達が来ているのとは全然違う服、アクセサリー、化粧を身にまとっている人達が眩しかった。そういう人達がカミロを見て「あの人かっこよくない?」「でも着てる服が田舎丸出し。野暮なのはちょっとね」と言ってくるのが恥ずかしかった。
 街の人達だって見たことがないような王都に行ってみたい。最新の文化を味わいたい。そして、セレネに特別な贈り物をしたいから王都で買い物がしたい。

「心配は分かるよ。でも俺も一度は行ってみたいんだ。王都だよ? この国の文化の中心だよ? 死ぬまでに行ってみたいじゃないか」
「カミロ……」
 それでも不安そうな顔をするセレネの手を握り、カミロは言った。
「戻ってきたら、結婚しよう」
「……!」
「指輪、王都で買いたくて。セレネもどうせなら綺麗な指輪がいいだろう?」
「……うん。分かった。でも、気をつけてね……」



 カミロと父親は王都に向かった。旅は途中までは驚くほど順調だった。
 途中、崖の上の橋を渡らなければいけない場所があったのだが、その橋が先日の嵐で所々傷んでいるのが見えて、通るのに躊躇してしまう。だがこの橋を渡らなけいのであれば、何倍もの時間をかけて迂回しなければならない。
「なあに、事故なんてそうそう起きはしないさ」
 父親がそう言って先陣切って渡るものだから、カミロも後に続いた。
 中ほどまで進んで、やっぱり父の言った通りだったなと安心したその時、橋のロープが切れた。
 カミロと父親は空中に放り出された。



 王都の伯爵家の令嬢、メラニアは、馬車の中で不機嫌を隠そうともしなかった。
 数年後には他家に嫁ぐことが決まっていたのだが、嫁ぎ先で不幸があり、結婚相手が同年代の男性からその父親に変わった。元々の婚約者は一人息子で早く結婚をと望まれていたのだが、亡くなってしまったからには家の血を継ぐ息子を得るために父親がまた頑張らないといけなくなり……。メラニアは爪を噛みながら不満を誤魔化した。元々の婚約者は見目も悪くなかったのに、どうして今更父親より年上の男に嫁がないといけないのか。その男は子供ができにくいらしくもう何人も妻を娶っている。私は初婚なのにそいつに嫁いで貞節を守って子供を生まなければならない。相手は何人も女を知ってる人間なのに。やってられないとメラニアは思っていた。嫁ぐ前にアバンチュールの一つでもしたいものだわとぼんやり窓に目をやると、川の傍で誰かが倒れているのが見えた。
 無視するのも寝覚めが悪い、と様子を見に行くと、王都でも中々見ないような美男子がそこに倒れていた。死んでたら放置、生きていたら近くの村の人間を呼んで後始末をそちら任せにしようと思っていたのだが、気が変わった。
 メラニアは侍従達に命じてその美男子を救出することにした。



 メラニアが連れ帰って医師に見せ、打撲や擦り傷などの怪我は多いが命に別状はない、安静しているようにとの診断をもらった。そしてベッドに寝かせていると、ほどなくその美男子は目を覚ました。

「うう……ここは……?」
「まあ、気が付かれたのですね。侍従が言うには上流の橋から落ちたんじゃないかという話でしたけど」
「橋……?」
「ええ。見に行った村人が壊れていたと証言しておりましたから」
「俺が……?」
「ええ。まあ私も直接見た訳ではないので、推測ですけれど」
「……」

 何か様子がおかしい。メラニアが「お名前は?」と聞くと「カミロ」と返ってきたので、意思疎通は出来るようだが……。メラニアが不審がっていると、カミロが意を決したように話した。

「あの、すみません。ここはどこで、俺はどこの誰なのですか。自分の名前以外何も思い出せないのです」

 カミロは強張った顔でそう言った。普通の人間なら「なんてお気の毒に」と思うところだろうが、メラニアは違った。
 都合の良い玩具が手に入ったとカミロに分からないようにほくそ笑んだ。

「カミロったら忘れたの? 私は貴方の恋人のメラニアよ」



 セレネのいる山奥の村では、カミロは死んだのではないかと囁かれ始めていた。
 王都に行くと言って一年。何の連絡もない。流石におかしいと思って伝手を頼りカミロ達が合う予定だったという親類に手紙を出すと「彼らとは一度も会っていない」とのこと。
 セレネはもっと強く止めておくんだったと幾日も泣いた。一人娘の嘆きに心を痛めた両親は、なけなしのお金をかき集めて「王都に行くといい。見つかるかもしれないし、見つからなかったら区切りをつけられる」と勧めた。

 セレネは両親に感謝して旅立った。費用がどうしても一人分にしかならず、女の一人旅は危険を伴うものだったが、愛する人に会うためならばとセレネは覚悟を決めていた。

 用心に用心を重ねて危ない道は避け、安全な宿屋に泊まり、どうにかこうにか王都までついた。

 ついたのはいいものの、セレネの住む村とは圧倒的に違った。人も建物も物資も洪水のように溢れ、セレネは一目見ただけでこの中からたった一人を見つけるなんて無理だと悟った。それにカミロがどうなったのかは薄々感づいていた。
 来る途中の宿で、一年前に身元不明の水死体が近くの川に上がったのだと聞いた。そして上流にある橋が壊れていたとも。水死体は男女の判別すら難しいほどだったと聞く。それがカミロかその父親かは分からないが、状況的に二人のどちらかだろうとは推測はできる。そして一緒にいたはずの一人がそうなったというのなら……。

 セレネは涙を流しながら村に戻ろうとして、貴族の馬車とすれ違った。
 物珍しさから目を向けて――中にカミロがいるのを見てしまった。人の目も気にせず馬車に駆け寄り、叫ぶ。
「ああカミロ! 生きていたのね! 私よ、セレネよ!」



 カミロはメラニアに恋人だと言われて戸惑っていたが、記憶も無い自分には介抱してくれたメラニアを信じるしか術はない。
 メラニアは親切だった。カミロの親族は先日の大嵐で亡くなってしまい、自分の家で預かっているのだと聞かされそういうものなのかと納得した。
 まず着ている高価な衣服に驚いた。慣れない肌触りにこれが貴族の着る物なのかと思い、そこに違和感を覚えた。
 なぜそんなことを考える? 貴族の婚約者なのだから自分も貴族のはずだろう? 高価な衣服なんて着なれているはずだ。違和感があるなんてそれではまるで……。

 平民のようだと思いそうになって慌てて首を振る。助けてくれた恩人を疑うようなことはしたくなかった。

 食事に関してもそうだった。牛肉に魚。異国の果物。どれもカミロには食べなれていない物で、美味しさのあまり慌てて頬張ってメラニアに苦笑された。
 こんな美味しいの食べたことがない、とまるで今まで貧乏人だったかのようなことを言いそうになって慌てて口をつぐむ。
 何かがおかしい。でもそれを言ったら、唯一自分を助けてくれたメラニアに失望されるのではないか? もし平民だと判明したら、メラニアは自分を捨てるのでは? 彼女に見捨てられたら、記憶のない自分は何処に行けばいい? 
 カミロは違和感を放置し、メラニアとの恋人生活にしがみつくことを選んだ。最も、恋人とは名ばかりで実態は愛人でありヒモでしかなかったのだが。

 その日もメラニアと郊外でデートをして帰って――自分の名前を呼ぶ平民娘に出会ってしまった。

 その娘は見目は綺麗な部類だが、着ている物は薄汚れてセンスがなく田舎者丸出し。知り合いだと思われるのが恥ずかしくなり、「……知ってる方?」と聞くメラニアに「知らない。記憶にない」と言い張った。馬車の外からでもそれが聞こえたのだろう、平民娘が空気を読まず必死に「どうしたの? 私よ、セレネよ! 一年経っても帰らないから、迎えに来たの!」 と言ってくる。

 セレネ。それを聞いた時、何故か懐かしい心地に襲われた。それに、一年。ちょうど自分が記憶を失った時期と同じだ。まさか……?
 動揺するカミロを見てまずいと思ったのか、メラニアが声を荒げる。
「平民ごときが貴族の馬車の通行を邪魔するなんて何様のつもりなの! 御者、鞭をくれてやりなさい!」

 主に忠実な御者は言われた通りにセレネに鞭を振り上げる。辺りに悲鳴が響いた。
 カミロはそれを聞いてなおも動揺している。声に聞き覚えがあるような気がする。本当に知り合いでは?でも……。
 メラニアは苛立ちもあってそんなカミロを唆した。誰がカミロをここまで養ったと思っているのか。
「カミロ、最近はああいう詐欺が流行ってるのよ」
「詐欺?」
「そう、どこからか情報を手に入れて、もっともらしい嘘を並べて詐欺を働くの。貴方の事情を知ってそんなことするなんて卑怯にも程があるわ。少し懲らしめてあげなさいな」
 そうメラニアに言われたカミロは馬車を下りてセレネの近くに行く。
「カミロ……!」
 鞭を手で受けたのだろう、血をにじませながらもその顔はカミロに会えた嬉しさでいっぱいだった。
 もし彼女が詐欺師だったら、きっとそれくらいの演技はする。自分が、貴族の自分がこんな平民なんかと知り合いのはずがない。彼女は自分を騙そうとしているんだ。だったら自分も彼女を騙してもいいはず。
「セレネ……」
「やっと会えた、ねえ村に帰ろう? 指輪なんてもういい。何もなくても、カミロがいればそれでいい。どうしてカミロが貴族の世話になっているのかは知らないけど、何か事情があったんでしょう?」
 一瞬、何か思い出せそうな気がしたが、貴族の自分にこんな知り合いはいないと自分を奮い立たせて、カミロは言った。

「記憶がないんだ」
「え?」
「一年前、移動中に事故にあって記憶を失ったと、メラニア様が」
「そう……だったの。今は大丈夫なの?」
「ああ。でもそういう訳だから、お前が本当に知り合いなのか分からない」
「それは……そうよね。そんな事情なら……」
「当時自分を診てくれた医師がいる。その人に話を聞いてきてくれないか? 自分はメラニア様の傍を離れられないから」
「わ、分かったわ。どこに行けばいいの?」

 セレネは愛する人が自分のことを忘れているという事実にショックを受けた。お前呼びされたことも地味に傷ついた。だが事情が事情だ。その医師とやらに話を聞いて、カミロが自分の婚約者のカミロだと分かれば自分の事を信じてくれる。記憶も戻るかもしれない。


 そう信じてカミロの言った家にいた男は、とても医師とは思えない身なりで醜い男だった。愛する人を診た医師だと聞いてここに来たと言うセレネを思いっきり笑った。
「俺は一度も医師だったことはない。でもメラニアの紹介で来たってことはそういうことだろう?」
 男はセレネに手を伸ばす。セレネは男に凌辱された。
 男はメラニアの伯父で、若い時からの無類の色情狂であり、困り果てていた親族は貴族の子女に手を出されるくらいなら、と定期的に身分の無い女を寄越していた。年頃になると女を寄越す役目はメラニアになった。メラニアとしても、自分より醜くて品の無い女がボロボロになって帰っていく姿を見るのは面白いものだったのだ。ああならない私はやっぱり選ばれし者と思えるから。

 数日後、ボロボロな姿でメラニアの馬車を呼び止めたセレネに、メラニアは馬車を止めてカミロに「引導を渡してやりなさい」と囁いた。
「よう他の男と寝る尻軽。これに懲りたら二度と近づくな」
 茫然とした様子で返事も出来ないでいるセレネを置いて、馬車は再び走り出した。

 メラニアはカミロの対応に満足していたが、愛玩しているカミロの婚約者だったというセレネはなおも気に食わなかった。
 先に出会ってたくらいで人の物にちょっかい出すなんて信じられない。綺麗だと思ってた玩具にシミが付いてたみたいな気持ちだわ。私をこんな気持ちにさせるだけでも重罪よ。あの女にはもっと罰を与えてもいいわね。
「ねえカミロ、今夜面白いものを見せてあげるわ」


 真夜中。カミロがメラニアと一緒に指定された場所に向かうと、男達が固まって何かをしていた。よく見ると、セレネが男達に襲われていた。メラニアが笑って発端を語る。
「身の程知らずには良い罰じゃない? 人の物にちょっかい出すくらいには男好きなんだから存分に味わってもらおうと思って」
 セレネが助けを求めるようにカミロを見た。カミロはぷいと視線を逸らした。メラニアの言う通りだ、マナーを弁えない男好きがどうなろうが知ったことか。

 その後、男達から解放されたセレネは、しんどそうな様子でボロを纏い、幽鬼のように村の方角に歩いて行った。 
「カミロは……もういない。もういないのよ……」
 ぶつぶつそう言いながら歩く異様な風体の女に近づく者はもういなかった。




 それからのカミロは魚の骨が喉に刺さっているような感覚が離れなかった。
 自分は間違っていない。あんな女知らない。自分は貴族のはずだ。貴族の知り合いを語る平民女には当然の罰だ。自分は何も悪くない。
 しかしメラニアには落ち込んでいるのが分かってしまったのか、「夕食は趣向を変えたものにしましょうか」と気を遣われた。
 だというのにその晩に並んだ食事を見てメラニアは気を悪くした。「趣向を変えろと言ったけれど、平民料理を食べさせるなんて」と。
 カミロは折角だから食べてみたいとメラニアと食べたのだが、口に含んだ瞬間、懐かしさで胸がいっぱいになった。

 ああ、これはよく食べた料理だ。うちは母さんが早くに亡くなったから父さんがこれをよく作ってくれて、父さんは大雑把だから具材がもっと大きく切られていて……え?

 一つ思い出すと連鎖的に他の事象も思い出す。そうだ、父親がいた、山の奥の村だ。あの日、父親と王都に向かって、見送りにはセレネが……セレネ? 俺はセレネに何をした?

 カミロのスプーンを持つ手が震えていることに気づいたメラニアが「どうしたの?」と問うが、カミロは「今日は早くに休みたい、疲れてる」と言うばかり。

 それからカミロは命令を捏造して故郷の村を調べさせた。そしてそこにはセレネはいないとのこと。メラニアの私物を売っぱらって探偵を雇うと、セレネは崖の上に立つ修道院にいると分かった。
 取るものも取らず慌てて向かうと、果たしてそこにセレネはいた。

「あらカミロ。思い出したの?」

 セレネは笑っていた。身体は自分で引っかいたのか生傷が一面にあり、今まで見たことも無いほど痩せているのに腹ばかりが膨れた姿で。

「誰の子か分からないの。村の人達には散々怒られたわ。そんなふしだらな女は治安を乱すって言われちゃって、ここに」

 ショックのあまり言葉を発せないでいるカミロ相手に、セレネは笑いながらに話す。

「一人目の人はね、胸が好きだったみたい。二人目は太腿。三人目は首を絞める癖があったわ。でもどの人も力任せに事を行う人でね、私痛くて痛くて。でも途中からはもう感覚はなかったから良かった。そもそももう初めてでもなんでもなかったし。あはは」
「セレネ……」
 ようやく言葉を発したカミロにセレネは「ボーっとしてるくらいだったら外に連れ出してくれない? ずっと部屋の中だからつまらなくて」 と言う。
 愛しいセレネの頼みを聞こうと壊れ物を扱うようにセレネを起こして連れ出す。着いた場所は崖の傍だった。
「ここから見る夕焼けって絶景なの。知ってた?」
「いいや……」
「そう、最後に見ておくといいわ。貴方もう貴族なんでしょう? ここには来ないでしょうから」
「違う、貴族じゃない、あの女に騙されていたんだ」
「あの時目を逸らしたのも彼女に騙されていたからなの?」
 セレネのその言葉に気まずそうにうつむくだけのカミロ。その様子にセレネも決心がついた。
「ねえ、私バカだったでしょう?」
「そんなことはない!」
「思い出せない人に必死で縋って、立場も考えずにつきまとって。貴族からしたらバカでしかないじゃない。それに貴方は病人同然だったんだから、思い出すように言い募るんじゃなくて、思い出せるまで待っておけばよかったのよ。バカじゃなくても傲慢だった」
「違う、思い出さなかった俺がバカだったんだ」
「もういいわよ。でも、そうね……」
 セレネは崖の端まで歩いた。そこでカミロと向き直る。そこまで行って初めてずっとうつむいていたカミロはセレネのいる場所を理解した。
「もしも生まれ変わることがあっても、貴方とは二度と会わないことを願うわ」
 凄絶な笑顔でそう言ったあと、セレネは崖から飛んだ。



 修道院はセレネの遺体を葬ろうとはしなかった。元々ふしだらな身の上であったし、貰った寄付金も雀の涙ほど。助ける人間に危険な思いをさせてまで遺体を探そうなんて思わなかったのだ。セレネの遺体は永遠に谷底に眠ることになった。

 カミロはせめてセレネのご両親に謝りたいと一年ぶりに村に戻ったが、父親のいない子を宿して戻った娘のことで相当色々言われたらしい両親は既に自死していた。セレネとの思い出が残るセレネの実家は、蛆と蠅でいっぱいだった。天井からぶら下がる遺体の視線の先にはセレネがよく遊んだ人形、使いこんでいた鏡、よく着ていた服が並んでおり、せめて最後に娘を感じながら死にたかったのだろうと察せられて、涙が零れた。
 父が風邪をひいて農作業が進まなかった時、『うちの子の大事な人だから』と二人が二倍働いてくれたことを覚えている。恩人でさえあれ、仇などでは決してないのに、どうして二人がこんな死に方をしてるんだろう……。情けをかけた人間に裏切られて何を思って死んでいったんだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 誰もいなくなった家で誰にも届くことない謝罪が響いた。

 家族は父しかいなかった。その父もここの戻る際、あの事故の時に水死体が見つかったと聞いて一人ぼっちになったのだと思った。
 せめて世話になった隣家のおばさんに最後の挨拶でもと立ち寄ると、汚水をぶちまけられた。
「セレネちゃんは何も言わなかったけど、あの子は嘘をつく時に指先を弄る癖があったんだよ。もしかしてカミロが何かしたのかい?と聞いたら彼には会わなかった、彼は原因じゃないって言いながら指先を弄ってて……。他の人はそれを信じたようだけど。そんなのあんまりだろう。まして元凶がのうのうとしてるなんて……この人でなしが!あの子もその両親もお前に一体何をしたっていうんだい!二度と顔を見せるんじゃないよ!」


 ふらふらとメラニアのもとへ戻ると、メラニアは可愛いと思っているのだろう、ぷんぷんと頬を膨らませた表情で怒っていた。
「もうどこに行っていたのよ! まあ、戻ってきたからいいけど。ねえねえ聞いてよ、私、妊娠したのよ。貴方の子!」
「え……」
「あ、でもごめんね? 私実は略結婚の相手がいて。だからこの子は産んだら売りに出しましょう。どうせ平民の子は貴族じゃないんだし」
「平民って……」
「戻ってきてくれた今だから言えるけど、貴方実は平民なのよ。川辺で倒れていて貴方を拾ったの。ちょうど貴方の容姿のような愛人が欲しくて。貴方も私のような美して高貴な貴族令嬢の遊び相手になれて光栄でしょう? 勘違いした付きまとい女も追い払ってあげたんだから感謝するしかないわよね! 今後、二度と私から離れないように!」

 カミロはその夜、メラニアの腹を裂いた。
 殺されている最中のメラニアはどうして、どうしてといった表情で、罪の自覚なんかこれっぽっちもなさそうなのが腹立たしかった。
 セレネがあんな目にあったのに、元凶のお前が俺の子を身ごもるなんて許されるものか。セレネが我が子殺しなら、自分だって子供を殺してやる。
 そして遺体を隠してから、あの日セレネを襲った男達を集めた。
「面白い物を見せてやる」
 そう言って興味津々で集まった男達に薬を盛った酒を振る舞い、動けないように縛りつけたあと、全員下半身のブツを切り落とした。
「お前だって止めなかっただろ!」
 そう一人の男が叫んだ言葉が、いやに耳に残った。



 カミロは貴族を害した平民として断頭台送りとなった。見せしめのためにより残酷な火刑にしろという声もあったが、メラニアが元々評判の良くない令嬢だったこと、カミロの美貌に心を打たれた女性達から嘆願書が集まったことを理由に断頭台になった。
 カミロからしてみたら死に方なんてどうでも良かった。むしろ酷い死に方のほうがセレネが喜んでくれるならそのほうがいいまであった。

 断頭台に上向きにくくりつけられながら、どうしてこんなことになったんだろう、セレネの忠告を無視したからか、父親の楽観的な判断がいけなかったのか、メラニアの言葉と自分の感覚の矛盾をひたすら無視したからなのか。メラニアを信じて無実のセレネと傷つけたことなのか。どれにしても、記憶さえ、記憶さえ失わなければ、記憶を失うくらいならいっそ命を失っていれば愛するセレネは傷つかなかったのに……。

 自分の首と胴を切り離す刃を見つめながら、またセレネに会いたい、許してくれるなら今度こそセレネと結ばれたいと思いながらカミロは死んだ。
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