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序章
第三話 捕虜姫と豚男
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中央大陸西部、西端半島に最も近い港町トゥーロン港には、神聖帝国艦隊を主力とした、神聖連邦構成国の大艦隊が集結していた。
その数凡そ、二千隻である。
あまりにも多数の船が集まった為に、入港出来ずに湾内で錨を降ろして、そのまま待機している船の方が多かった。
間違いなく神聖帝国建国、神聖連邦結成以来の、大艦隊であろう。
その中でも、一際大きな船が、トゥーロンの奥に停泊していた。
大きさは、他の大型船の二倍程あり船尾には、神聖帝国帝室の象徴である双頭驢馬旗が翻っている。
この双頭驢馬には、伝説があった。
初代皇帝リヒト大帝が、まだ農民であった子供の頃に、リヒト大帝生家の近所で産まれ、不吉という理由で殺処分されるところを、大帝に救われたという逸話だ。
やがて、成長した双頭驢馬は人語を話し、高い知性を示したという。
そして、その高い知性を持って参謀格となり、大帝の覇業を助けた。
そんなおとぎ話の様な、伝説だった。
しかし、今でも大帝の墓所の隣には、大帝墓所よりも大きな、双頭驢馬墓所が存在する事。
また、大帝自らが帝室の紋章として定めている事が、帝国の公式記録に記載されており、帝国では史実として扱われている話である。
おそらく、あまりにも締まらない、驢馬という生き物を、帝室の象徴としているので、そんな理由に納得してしまうのだろう。
しかし、締まらない生き物にしては、旗が豪華に見える。
装飾によって可能な限り威厳を保つ様にという、職人の努力なのだろうか。
この船こそが、帝国海軍総旗艦『グロース・リヒト』である。
船尾の甲板上に設けられた司令官室内には、数人の人影が見えた。
部屋の奥には、おそらく本国からわざわざ運ばせたのであろう、上質な執務机が置かれている。
だが、残念なまでに豪華な装飾が、これでもかと施されている事から、実用品には見えない。
もっとも、これは仕方の無い事であった。
机を前に座っているのは、権威と強大な権力を併せ持った人物なのだ。
神聖帝国及び、神聖連邦内でこれ以上の権力者となると、そうは居ない。
「大人しく、余の命に従うがよいブヒ。
さすれば、従者は五体満足で返してやろうブヒぞ。
無論断るのであらば、返すのは従者の一部となるブヒがな。
さあ、安全な航路を教えるブヒ、穢らわしい亜人種め!」
机の主、第三次神聖軍総司令官レオポルド・フォン・オーベルシュタイン大公爵は、机の前に跪かせた少女に向かってそう言い放った。
オーベルシュタインの、穢らわしいという言葉とは裏腹に少女は美しく、神々しい程であった。
金糸の様な長い黄金の髪に、透き通る様な白い肌、長い耳は少女がエルフである事を示している。
身に纏う鎧下は薄汚れていたが、豪華に装飾されている事から、少女が高貴な身分であるのは明白だ。
さらに黄金の瞳からは、ハイエルフである事が窺えた。
薄紅色の唇は微かに震えていたが、瞳からは意思の強さを感じる。
客観的に観れば、明らかに美しい少女であったが、聖十字教徒にとって亜人種は魔族に近く、触れれば自らも穢れてしまう存在であった。
「無礼な!
穢らわしいのは、お前の方でしょう。
何故、オークが人類領域の軍を従えているのです?」
少女は、気丈にもオーベルシュタインを睨みながら、言い返した。
オークと言われれば、普通の人類種は怒るのが当然である。
ましてや、オーベルシュタインは聖十字教会と信者の守護者たる、神聖帝国の皇弟である。
怒らない方がおかしい。
室内にいた人間のほとんどが、少女の死を予感した。
「ブヒ!?
オーク等、何処に居るブヒか?」
しかし、予想に反してオーベルシュタインは怒らなかった。
背後を振り向いて、オロオロしている。
そう、皇位継承権を持つ程の皇族ともなると、率直に批判する者などは存在しない。
その為、オーベルシュタインの容姿に触れる者も、当然存在しなかったのだ。
そんな下らない事実が、少女の命を救った。
張りつまった空気が、一気に弛緩する。
しかし、参謀の一人が話題を戻そうとした瞬間、少女は再び爆弾を落とす。
「えっ、オークではないのですか?
まさか、その容姿にその語尾で人族とでも言うのですか?」
再び空気が凍り付いた。
斜め上の発言をする存在は、オーベルシュタインだけではなかったのだ。
この少女、ハイエルフ王国第三王女にして、近衛弓兵中隊長である、ベアトリクス・ミ・エルフィンクは、虚勢でも何でも無く、本気でこの肥満体の中年と、オークを混同視していた。
「ブヒ!?
まさか、余を豚扱いしたのブヒか?
この、美しく高貴で気品が溢れ出る様な、とまで言われた余をオークと見間違うブヒか。
長距離狙撃で有名なエルフ弓兵の目も、実際は大した事は無さそうブヒな」
まともな感性を持っている者であらば、ベアトリクスの表情から、彼女が本気で勘違いしていた事に気付いた筈だ。
しかし、オーベルシュタインも、悪い意味でただ者ではない。
強がりを言っていると判断したのである。
室内の空気は、再び弛緩した。
この時点で、グロース・リヒト号の艦長や、ベアトリクスを連れてきた水兵二名など、オーベルシュタインの様な皇族とは縁の無い面々の寿命は、二十年縮んでいた。
ちなみに、ベアトリクスとは初対面であるオーベルシュタインの側近衆は、それ以上に縮んでいた。
何故なら、神聖帝国の皇族に対して、これ程までに無礼な振る舞いをした人物は存在せず、この先何が起こるかは未知の領域にも等しかったからである。
前例の無い事態を恐れる彼等は、実に官僚的だった。
事実、皇族の側近衆等というものは内乱を防ぐ為に、法衣貴族と呼ばれる領地を持たない世襲官僚の子弟から撰ばれるので、当然と言えば当然であろう。
「鏡を見た事が無いのですね。
可哀想に。」
室内の空気を散々乱した挙げ句、ベアトリクスはオーベルシュタインを哀れんでいる。
もはや、コントにしか見えないが、三たび空気が凍り付く。
「生意気を言いよるブヒ。
それで、安全な航路を教えて、大事な家臣を助けるブヒか?
それとも、教えずに見捨てるブヒか?
早く決めるブヒよ」
周囲の心配を他所に、オーベルシュタインは全く気付いた様子がない。
悔しそうに、唇を噛みしめるベアトリクスであったが、状況を好転させる術は存在しなかった。
「やむを得ません。
航路を教えましょう。
ただし、アンジェリカの解放が先です」
ベアトリクスは苦渋の決断をする。
王族としては失格であるが、ベアトリクスにとってのアンジェリカは、幼い頃から仕えてくれた姉も同然の家臣なのだ。
それでも本来なら、見捨てなければならないのだろう。
だが、人質とされた時点で、彼女は自ら舌を噛もうとして失敗している。
ベアトリクスの足枷とならない様にという事だ。
まさに忠臣の鑑といった振る舞いである。
ベアトリクスには、そんな彼女を見捨てるという選択が出来なかった。
アンジェリカの行動によって、ベアトリクスは忠臣を見捨てるという選択肢が採れなくなってしまったのだ。
皮肉な話である。
「それは無理な話だブヒ。
穢らわしい亜人種の約束等、信用出来んブヒよ。
その代わり、人質とは同じ牢に入れてやるブヒ。
余の慈悲深い精神に、泣いて感謝するブヒね」
オーベルシュタインも人質を先に解放する程、甘い男では無かった。
「仕方がないですね。それで妥協しましょう」
一方のベアトリクスもその事は理解しており、むしろアンジェリカと同じ牢屋に入れられる事は、予想以上に好都合な展開であったのだが、それを態度に出す様な事は無い。
彼女とて、一国の王女なのだ。
ある程度の交渉術は仕込まれている。
(こうなったら、どうにかしてタルターニャ領海の奥深くまで、誘導するしかないですね。
タルターニャも、分かりやすい旗艦なら、拿捕しようとする筈。
そのドサクサに紛れて、なんとか脱出しなくては。
帰国の便宜を取り計らってくれる様な相手なら、どんなに良いか。
ですが、帝国兵と共に捕まって誘導した事実がばれたら、どの様な要求をされるものか、分かりません)
ベアトリクスには、タルターニャ海軍が負けるという考えは無い。
この世界では、それが常識なのだ。
人魚の潜水部隊の前では、ジン朝のティコーゼン艦隊ですら、無力である。
ヲーヅツや、ティネガーシマを『悪魔の飛び道具』などと呼んで、頑なに持とうとしない帝国艦隊であれば、会敵した途端に鎧袖一触で蹴散らされるだろう。
帝国が重用する魔法兵にしても、水属性でなければ、水中の相手に打撃を与える事は出来ない。
オーベルシュタインの計画は、さしずめ『余所見している虎の尾を踏んで知らん顔をする』とでも言ったところだろうか。
まさに無謀の極みである。
しかし、皇帝の立場から観れば、この計画は素晴らしいモノであった。
タルターニャとの手打ちに、オーベルシュタインの首、という経費が必要ではあるのだが、厄介者の皇弟と引き換えに西端半島を得るのであらば、充分に黒字だと言えるのだ。
故に皇帝アルベルト一世も、この計画を承認したのである。
尚、手打ちに掛かる経費について、気付いていないのはオーベルシュタイン本人と、一部の側近衆だけであった。
さらに言えば、気付いた側近衆も含めて、同情する者は皆無である。
そもそも、オーベルシュタインの素行は、まだ皇子であった頃から悪く、容姿や愚鈍さも相まって、宮中で最も評価の低い皇族であった。
それは先帝が死去した後、傀儡として担ごうとする貴族すら存在しなかった事からも、明らかである。
何しろ、血生臭い帝位継承争いを、『何時でも殺せるから』という理由で見逃されるという、一種の不名誉な形で生き残った程なのだ。
当然、アルベルト一世の即位後も、素行が善くなる事は無く後に、オーベルシュタイン大公爵位を得てからも、その悪行は噂されていた。
曰く、美女を見れば連れ込み、妊娠させても認知する事なく放逐する。
曰く、女が子供の血統を騒ぎ立てれば、親子共々屋敷に監禁する。
その割には、口を封じる様な度胸も無いのだが、認知だけは絶対にしない。
曰く、領地を視察中に村長の妻を連れ込み決闘騒ぎを起こした。
その際に、鎌を持っただけの村長に対して、鎧を着込んだうえに乗馬して、決闘場所に現れた。
しかし、乗馬に馴れていなかった為、開始早々、落馬して倒れた。
倒れて身動きが取れずにいたところを、危うく殺されかけたが、側近が弓を射掛けて事なきを得た。
だが、村長の遺体を足蹴にしたうえ、晒し首として領都オーベルシュタインまで持ち帰った。
それによって一揆が起こったが、数十倍の兵を以て数年の年月を費やし、漸く鎮圧した。
その際、複数の村を完全に根絶やしとした。
この様な噂の場合、大抵は尾ひれが付くものであるが、オーベルシュタインの悪行は、そのほとんどが事実であったのだから質が悪い。
放置すれば民衆の不満が蓄積され、国が傾く可能性も充分に考えられる程だ。
そういった事情もあり、帝国にとってのオーベルシュタインとは、無駄飯喰らいの邪魔者でしかなかったのである。
その為、帝国では宮中から軍部までの上層部全体が、オーベルシュタインをタルターニャへ引き渡す事となるのは、大いに都合の良い事として捉え、肯定的に受け止めていたのだ。
しかし、そんな事情がベアトリクスの状況を変えてくれる訳ではない。
そして、哀れな捕虜と太った道化を乗せた『グロース・リヒト』もまた、二人の事情とは関係が無いかの様に、物質の積み込み作業が行われ、夜通し灯りが消える事が無かった。
それが、ベアトリクスかオーベルシュタインの、或いは二人の運命を示すものなのか、それとも全くの無関係なのか。
それを知る者は、この時点ではまだ居ない。
翌、神聖歴千七百十三年六月八日、神聖軍本隊は予定通りトゥーロン港を出港。
沿岸航路から外れて西端半島を西進、西端半島最西部の港ガザを目指した。
これが、神聖連邦の崩壊と、教会権威失墜の序曲となる事を知る者も、まだ何処にも存在しなかった。
その数凡そ、二千隻である。
あまりにも多数の船が集まった為に、入港出来ずに湾内で錨を降ろして、そのまま待機している船の方が多かった。
間違いなく神聖帝国建国、神聖連邦結成以来の、大艦隊であろう。
その中でも、一際大きな船が、トゥーロンの奥に停泊していた。
大きさは、他の大型船の二倍程あり船尾には、神聖帝国帝室の象徴である双頭驢馬旗が翻っている。
この双頭驢馬には、伝説があった。
初代皇帝リヒト大帝が、まだ農民であった子供の頃に、リヒト大帝生家の近所で産まれ、不吉という理由で殺処分されるところを、大帝に救われたという逸話だ。
やがて、成長した双頭驢馬は人語を話し、高い知性を示したという。
そして、その高い知性を持って参謀格となり、大帝の覇業を助けた。
そんなおとぎ話の様な、伝説だった。
しかし、今でも大帝の墓所の隣には、大帝墓所よりも大きな、双頭驢馬墓所が存在する事。
また、大帝自らが帝室の紋章として定めている事が、帝国の公式記録に記載されており、帝国では史実として扱われている話である。
おそらく、あまりにも締まらない、驢馬という生き物を、帝室の象徴としているので、そんな理由に納得してしまうのだろう。
しかし、締まらない生き物にしては、旗が豪華に見える。
装飾によって可能な限り威厳を保つ様にという、職人の努力なのだろうか。
この船こそが、帝国海軍総旗艦『グロース・リヒト』である。
船尾の甲板上に設けられた司令官室内には、数人の人影が見えた。
部屋の奥には、おそらく本国からわざわざ運ばせたのであろう、上質な執務机が置かれている。
だが、残念なまでに豪華な装飾が、これでもかと施されている事から、実用品には見えない。
もっとも、これは仕方の無い事であった。
机を前に座っているのは、権威と強大な権力を併せ持った人物なのだ。
神聖帝国及び、神聖連邦内でこれ以上の権力者となると、そうは居ない。
「大人しく、余の命に従うがよいブヒ。
さすれば、従者は五体満足で返してやろうブヒぞ。
無論断るのであらば、返すのは従者の一部となるブヒがな。
さあ、安全な航路を教えるブヒ、穢らわしい亜人種め!」
机の主、第三次神聖軍総司令官レオポルド・フォン・オーベルシュタイン大公爵は、机の前に跪かせた少女に向かってそう言い放った。
オーベルシュタインの、穢らわしいという言葉とは裏腹に少女は美しく、神々しい程であった。
金糸の様な長い黄金の髪に、透き通る様な白い肌、長い耳は少女がエルフである事を示している。
身に纏う鎧下は薄汚れていたが、豪華に装飾されている事から、少女が高貴な身分であるのは明白だ。
さらに黄金の瞳からは、ハイエルフである事が窺えた。
薄紅色の唇は微かに震えていたが、瞳からは意思の強さを感じる。
客観的に観れば、明らかに美しい少女であったが、聖十字教徒にとって亜人種は魔族に近く、触れれば自らも穢れてしまう存在であった。
「無礼な!
穢らわしいのは、お前の方でしょう。
何故、オークが人類領域の軍を従えているのです?」
少女は、気丈にもオーベルシュタインを睨みながら、言い返した。
オークと言われれば、普通の人類種は怒るのが当然である。
ましてや、オーベルシュタインは聖十字教会と信者の守護者たる、神聖帝国の皇弟である。
怒らない方がおかしい。
室内にいた人間のほとんどが、少女の死を予感した。
「ブヒ!?
オーク等、何処に居るブヒか?」
しかし、予想に反してオーベルシュタインは怒らなかった。
背後を振り向いて、オロオロしている。
そう、皇位継承権を持つ程の皇族ともなると、率直に批判する者などは存在しない。
その為、オーベルシュタインの容姿に触れる者も、当然存在しなかったのだ。
そんな下らない事実が、少女の命を救った。
張りつまった空気が、一気に弛緩する。
しかし、参謀の一人が話題を戻そうとした瞬間、少女は再び爆弾を落とす。
「えっ、オークではないのですか?
まさか、その容姿にその語尾で人族とでも言うのですか?」
再び空気が凍り付いた。
斜め上の発言をする存在は、オーベルシュタインだけではなかったのだ。
この少女、ハイエルフ王国第三王女にして、近衛弓兵中隊長である、ベアトリクス・ミ・エルフィンクは、虚勢でも何でも無く、本気でこの肥満体の中年と、オークを混同視していた。
「ブヒ!?
まさか、余を豚扱いしたのブヒか?
この、美しく高貴で気品が溢れ出る様な、とまで言われた余をオークと見間違うブヒか。
長距離狙撃で有名なエルフ弓兵の目も、実際は大した事は無さそうブヒな」
まともな感性を持っている者であらば、ベアトリクスの表情から、彼女が本気で勘違いしていた事に気付いた筈だ。
しかし、オーベルシュタインも、悪い意味でただ者ではない。
強がりを言っていると判断したのである。
室内の空気は、再び弛緩した。
この時点で、グロース・リヒト号の艦長や、ベアトリクスを連れてきた水兵二名など、オーベルシュタインの様な皇族とは縁の無い面々の寿命は、二十年縮んでいた。
ちなみに、ベアトリクスとは初対面であるオーベルシュタインの側近衆は、それ以上に縮んでいた。
何故なら、神聖帝国の皇族に対して、これ程までに無礼な振る舞いをした人物は存在せず、この先何が起こるかは未知の領域にも等しかったからである。
前例の無い事態を恐れる彼等は、実に官僚的だった。
事実、皇族の側近衆等というものは内乱を防ぐ為に、法衣貴族と呼ばれる領地を持たない世襲官僚の子弟から撰ばれるので、当然と言えば当然であろう。
「鏡を見た事が無いのですね。
可哀想に。」
室内の空気を散々乱した挙げ句、ベアトリクスはオーベルシュタインを哀れんでいる。
もはや、コントにしか見えないが、三たび空気が凍り付く。
「生意気を言いよるブヒ。
それで、安全な航路を教えて、大事な家臣を助けるブヒか?
それとも、教えずに見捨てるブヒか?
早く決めるブヒよ」
周囲の心配を他所に、オーベルシュタインは全く気付いた様子がない。
悔しそうに、唇を噛みしめるベアトリクスであったが、状況を好転させる術は存在しなかった。
「やむを得ません。
航路を教えましょう。
ただし、アンジェリカの解放が先です」
ベアトリクスは苦渋の決断をする。
王族としては失格であるが、ベアトリクスにとってのアンジェリカは、幼い頃から仕えてくれた姉も同然の家臣なのだ。
それでも本来なら、見捨てなければならないのだろう。
だが、人質とされた時点で、彼女は自ら舌を噛もうとして失敗している。
ベアトリクスの足枷とならない様にという事だ。
まさに忠臣の鑑といった振る舞いである。
ベアトリクスには、そんな彼女を見捨てるという選択が出来なかった。
アンジェリカの行動によって、ベアトリクスは忠臣を見捨てるという選択肢が採れなくなってしまったのだ。
皮肉な話である。
「それは無理な話だブヒ。
穢らわしい亜人種の約束等、信用出来んブヒよ。
その代わり、人質とは同じ牢に入れてやるブヒ。
余の慈悲深い精神に、泣いて感謝するブヒね」
オーベルシュタインも人質を先に解放する程、甘い男では無かった。
「仕方がないですね。それで妥協しましょう」
一方のベアトリクスもその事は理解しており、むしろアンジェリカと同じ牢屋に入れられる事は、予想以上に好都合な展開であったのだが、それを態度に出す様な事は無い。
彼女とて、一国の王女なのだ。
ある程度の交渉術は仕込まれている。
(こうなったら、どうにかしてタルターニャ領海の奥深くまで、誘導するしかないですね。
タルターニャも、分かりやすい旗艦なら、拿捕しようとする筈。
そのドサクサに紛れて、なんとか脱出しなくては。
帰国の便宜を取り計らってくれる様な相手なら、どんなに良いか。
ですが、帝国兵と共に捕まって誘導した事実がばれたら、どの様な要求をされるものか、分かりません)
ベアトリクスには、タルターニャ海軍が負けるという考えは無い。
この世界では、それが常識なのだ。
人魚の潜水部隊の前では、ジン朝のティコーゼン艦隊ですら、無力である。
ヲーヅツや、ティネガーシマを『悪魔の飛び道具』などと呼んで、頑なに持とうとしない帝国艦隊であれば、会敵した途端に鎧袖一触で蹴散らされるだろう。
帝国が重用する魔法兵にしても、水属性でなければ、水中の相手に打撃を与える事は出来ない。
オーベルシュタインの計画は、さしずめ『余所見している虎の尾を踏んで知らん顔をする』とでも言ったところだろうか。
まさに無謀の極みである。
しかし、皇帝の立場から観れば、この計画は素晴らしいモノであった。
タルターニャとの手打ちに、オーベルシュタインの首、という経費が必要ではあるのだが、厄介者の皇弟と引き換えに西端半島を得るのであらば、充分に黒字だと言えるのだ。
故に皇帝アルベルト一世も、この計画を承認したのである。
尚、手打ちに掛かる経費について、気付いていないのはオーベルシュタイン本人と、一部の側近衆だけであった。
さらに言えば、気付いた側近衆も含めて、同情する者は皆無である。
そもそも、オーベルシュタインの素行は、まだ皇子であった頃から悪く、容姿や愚鈍さも相まって、宮中で最も評価の低い皇族であった。
それは先帝が死去した後、傀儡として担ごうとする貴族すら存在しなかった事からも、明らかである。
何しろ、血生臭い帝位継承争いを、『何時でも殺せるから』という理由で見逃されるという、一種の不名誉な形で生き残った程なのだ。
当然、アルベルト一世の即位後も、素行が善くなる事は無く後に、オーベルシュタイン大公爵位を得てからも、その悪行は噂されていた。
曰く、美女を見れば連れ込み、妊娠させても認知する事なく放逐する。
曰く、女が子供の血統を騒ぎ立てれば、親子共々屋敷に監禁する。
その割には、口を封じる様な度胸も無いのだが、認知だけは絶対にしない。
曰く、領地を視察中に村長の妻を連れ込み決闘騒ぎを起こした。
その際に、鎌を持っただけの村長に対して、鎧を着込んだうえに乗馬して、決闘場所に現れた。
しかし、乗馬に馴れていなかった為、開始早々、落馬して倒れた。
倒れて身動きが取れずにいたところを、危うく殺されかけたが、側近が弓を射掛けて事なきを得た。
だが、村長の遺体を足蹴にしたうえ、晒し首として領都オーベルシュタインまで持ち帰った。
それによって一揆が起こったが、数十倍の兵を以て数年の年月を費やし、漸く鎮圧した。
その際、複数の村を完全に根絶やしとした。
この様な噂の場合、大抵は尾ひれが付くものであるが、オーベルシュタインの悪行は、そのほとんどが事実であったのだから質が悪い。
放置すれば民衆の不満が蓄積され、国が傾く可能性も充分に考えられる程だ。
そういった事情もあり、帝国にとってのオーベルシュタインとは、無駄飯喰らいの邪魔者でしかなかったのである。
その為、帝国では宮中から軍部までの上層部全体が、オーベルシュタインをタルターニャへ引き渡す事となるのは、大いに都合の良い事として捉え、肯定的に受け止めていたのだ。
しかし、そんな事情がベアトリクスの状況を変えてくれる訳ではない。
そして、哀れな捕虜と太った道化を乗せた『グロース・リヒト』もまた、二人の事情とは関係が無いかの様に、物質の積み込み作業が行われ、夜通し灯りが消える事が無かった。
それが、ベアトリクスかオーベルシュタインの、或いは二人の運命を示すものなのか、それとも全くの無関係なのか。
それを知る者は、この時点ではまだ居ない。
翌、神聖歴千七百十三年六月八日、神聖軍本隊は予定通りトゥーロン港を出港。
沿岸航路から外れて西端半島を西進、西端半島最西部の港ガザを目指した。
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【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
あっとさん
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
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