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序章
第九話 交戦後の初接触(前編)
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「参ったなぁ」
万屋は溜め息を吐いた。
彼の目の前に広がるのは広大な太平洋だ。
空は蒼く澄みきって、海も深い藍色という青、蒼、碧と眼に優しくも雄大な景色である、万屋の精神状態とは全く関係が無いらしい。
だが、顔色だけは海と同じ様に、真っ青と言ってもよいだろう。
ここは、硫黄島沖北北東一キロメートル程の海上、海上自衛隊所属の最新鋭輸送艦『みうら』の甲板上である。
本来ならば万屋とその部隊は、横須賀の米艦隊との共同演習作戦、『ドーモ=パンダ=サン』の真っ最中な筈であった。
この演習は、敵性勢力が日本が領有する離島に上陸、占拠した場合を想定しており、近年の演習では極一般的なものである。
本来の予定通りなら、万屋達の部隊は、島を奪還するという想定で、硫黄島に上陸している頃だ。
しかし、事件は起こってしまった。
それにより演習は中止となり、万屋だけではなく周辺海域に居る幹部自衛官全員の頭を悩ませていた。
特に万屋の場合は、昨日の夜から別件で頭を悩ます事が多かったので、寝不足の頭で演習を切り抜けなければならない、という状態への追い討ちとなった。
だが、それは良いのだ。
彼とて、自衛官の端くれ。
いや、端くれどころか二尉という下っ端ではあっても、一応は幹部なのだ。
たかが寝不足ぐらいで、演習中の指揮を執れなくなる様な事はない。
むしろ、そんな幹部がいたら、国防上の大きな問題である。
ただ問題は、このイレギュラーな事態だ。
この事件によって演習は中止となってしまったが、問題はそれだけではない。
法的にはどう対処すべきなのかという、重要な問題が残っている。
それが、幹部達を悩ませているのだ。
残念ながら万屋は、そういった分野の成績が、著しく悪い学生だった。
某銀河の英雄的な魔術師に憧れたのか戦史のみは首席だったが、法学関連は落第ギリギリの成績、という過去がある。
もちろん、本来ならば二尉程度の尉官は、決定を左右する立場にない。
影響を与える事すら基本的には有り得ないだろう。
だが、今回の事態に限っていえばそうも言っていられないのが、万屋の置かれている現状だった。
役に立てるだけの能力があり、国民の血税の中から給料を受け取っている以上はそれが何であろうと、やらねばならない。
それが、公務員としての義務である。
仕事量が増える事を望んでいる訳ではないが、そういった職業意識を最低限持っているのが、万屋という男なのだ。
もっとも残念ながら、他の誰かと交代出来る様な簡単な事情ではないという事実も、彼がこの問題と向き合う決意を固めた理由としては大きかった。
と言うのも、どうやらこの件に関しては、恐ろしい事に万屋のみが感じているらしいのだ。
そう、どうやら万屋以外の自衛官達の耳には、捕虜(と言っても過言ではない被疑者)であると同時に、溺者として救助して艦上に拾い上げた人々の言葉が、外国語として聞こえている様なのだ。
そして、厄介な事に万屋の耳には、彼等の言葉が日本語として、聞こえている。
万屋にも、これが明らかにおかしい事態であるという自覚はあった。
本来なら顔を洗ってから一休みして、それでも治らない様ならば念の為に彼等の様子を観察し、それから精神安定剤を求めて医務室へ向かうものだ。
上への報告はそれからだろう。
もちろん、病気療養の為である。
だが、問題は万屋の病歴に、精神疾患という項目があるという点だった。
自分自身、病気が悪化しただけなのかもしれないと思っているのに、その程度の確認だけで上へ報告すべきなのか。
そこが問題であった。
万屋にとって恐ろしい事にここで対処を誤った場合には、少なくとも減俸処分が下される事は間違いないだろう。
非常時に、くだらない事で時間と手間を取らせるという事は、それだけ重い罪と言える。
当然出世にも響く。
万屋の主観に於いては、そこまでなら良かった。
元々、精神疾患歴のあった身だ。
少子化に伴う近年の基準緩和によって、防衛大学へ進学する事が可能になったとはいえ、腫れ物扱いである。
最初から出世は諦めていた。
しかし、残念ながらさらに恐ろしい事に、何もしなければ何もしないでそれ以上の、厳しい処分が下される可能性もある。
万屋の耳や脳、精神が現時点でまともであった場合だ。
自分の方がまともであって欲しい。
そう願うのが人情である。
万屋は、自身がまともである可能性を、信じたがっているのだ。
そうは考えても、逆に精神的な問題である可能性の方が、圧倒的に高いというのも事実である。
恥を忍んで報告したは良いが、万が一にもマスコミなどに見付かって、『発狂自衛官』云々と、厄介なレッテルでも貼られた暁には目も当てられない事になるだろう。
最悪の場合は転職の斡旋も無しに、退官を余儀なくされる可能性もあった。
何故、騒ぎ屋の賑やかしに、人生を左右されなければならないのかと、理不尽さを感じたところでどうにもならないのだ。
「ホントに、どうしてこうなったんだ…………………………」
話は今日の午前十一時、演習開始から二時間が過ぎた頃にまで遡る。
地震が起こったのだ。
震度三という、それほどでもない揺れだった。
日本人なら誰でも、一度は体験した事があるであろう小さい揺れだ。
余程運が悪くなければ、死ぬ事も怪我をする事も無いだろう。
だが、その範囲は異常だった。
震源地は島根県出雲市、範囲は全国にまで及んだのだ。
それも、全国一律で同じ震度である。
しかし、そうは言ってもこの程度の事態で済めば、演習の中止という状況にはなり得なかっただろう。
在日米軍の将兵はともかく、日本人にとってこの程度の震度は、よくある事で済まされる。
記憶にも残らない筈だ。
しかし、被害は思いもよらぬところにあった。
厳密に言えば、その不具合と地震との因果関係は証明出来ない。
しかし、あり得ない様な範囲での地震が起きた、その直後から発生した不具合なのだから、関係無いとは言い切れないだろう。
そして、軍事的には最悪な事に、不具合とは衛星に関する事だった。
地震の直後から、全ての衛星が沈黙してしまったのである。
こうなると、軍事的には大打撃なのだ。
イージス艦等、護衛艦の能力が大きく削がれてしまう。
一昔前ならば、航空機の運用が出来ないレベルの、大きな不具合なのだ。
一大事であった。
さらには日本国外の通信までもが、完全に沈黙してしまった事が混乱を大きくした。
まるで、核戦争でも起こったかの様なこの事態に、各部隊動揺を隠せず演習どころではなくなってしまった事は、当然であろう。
こうして、地震発生から三十分後には演習が正式に中止となり、万屋達にも待機命令が下された。
しかし、問題発生はこれだけに留まらなかったのだ。
第二の事件の切っ掛けは、演習中止命令から二十分後の、十一時五十分頃の事であった。
今回、演習の司令部が置かれており、米国第七艦隊の旗艦である揚陸指揮艦『ブルー・リッジ』へ、緊急通信が入ったのだ。
通信は、駆逐艦『マスティン』からのもので、内容は硫黄島東北東二十キロの海上に、国籍不明の木製船団を多数発見したというものであった。
その数が、千を越えるという異常なものだったので、一大事と見た艦長が報告を挙げたのだ。
数分間の議論の末に、司令部は駆逐艦『マスティン』に対して、その異様な木製船団を臨検する様に命じた。
命令に従って『マスティン』は、木製船団と並走しつつ無線を通じて、英語や日本語、中国語、韓国語、ロシア語等で停船を命じたが、それ等の命令は完全に黙殺される。
その後、艦長のハワード少佐が機転を利かせて、拡声器を使い同様に停船を命じたがこれも黙殺された為、駆逐艦『マスティン』は臨検隊を編成し、ゴムボートで船団に向かわせた。
そうして十二時二十六分頃、臨検隊が船団の中でもっとも外側にあった、船舶まで数十メートルの距離まで近付いた頃に、事態は動いた。
臨検隊を出迎えたのは、無数の矢だったのだ。
矢は、軍用ゴムボートの表面すら傷つける事は出来なかったが、臨検隊の面々に対しては違った。
いくらプロテクターや、ヘルメットで防護しようとも、それは隙間無く使用者を守る装備ではない。
結果的に、臨検隊の負傷者は多かったが、不幸中の幸いと言うべきなのか、死者は臨検隊の指揮官であった、ロバートソン少尉ただ一人であった。
もっとも、だからと言って収まる様なら、アメリカ人ではない。
当然、『ブルー・リッジ』へ反撃の許可が申請され、その許可は降りてしまう。
こうして、千を越える国籍不明船団いや、国籍不明の武装集団には中世式の歓迎への 返答と云わんばかりに攻撃が行われた。
木製の船体に速射砲弾とミサイル、機銃の雨が降り注いだのだ。
結果は、分かりきっている。
そして、数分間の間に謎の武装集団は、ほぼ壊滅してしまう。
幸いな事に、武装集団の位置は公海上であり、米艦隊がテロリストを攻撃したところで法的には何ら問題は無かった。
しかし問題は、その数故に命からがら逃げ切ってしまった船への対処と、溺者の救助である。
前者は最悪な事に、日本の領海内へ進入してしまった為、自衛隊の場合は官邸からの指示が、米国艦隊の場合は要請が無ければ、どうにも出来ない。
後者は、国際法的な面のみを考えれば、簡単である。
実は、テロリストの場合、国際法上は放置しても問題が無いのだ。
しかし、そうは言っても、実際に放置しては人道上の大きな問題になるので、救助しなければならない。
それが大変なのだ。
米艦隊が拾う分には問題は無い。
テロリストとして、拘束してしまえばいいのである。
だが、問題は自衛隊側にあった。
当然、護衛艦も傍で見ている訳にはいかないのだ。
救助しつつ、拘束しなければならない。
彼等が、海賊という扱いならば、法制度上はソマリアの海賊と同じ扱いが可能であり、話は簡単だった。
しかし、今回の場合は海賊なのかどうかという判断が、難しい案件なのである。
その点を調べなければならない。
ところが当然ながら、自衛隊に捜査権は無いのだ。
一見すると警務隊ならば、捜査権を持っていそうなのだが、彼等が持っているのはあくまでも、隊員に対する捜査権のみである。
さらに、こういう時に頼れる、海上保安官や巡視船のほとんどが、近年は尖閣諸島付近を中心に、南西諸島方面へ集中配備されていた。
つまり、救助しつつ拘束するのがベストではあるのだが、法的な解釈によってはそれが違法となってしまう危険性があるのだ。
そうなってしまえば、もうマスコミと野党のターンである。
政治の分野となってしまえば、当然対応も内閣が行うべきだろう。
だが、自衛隊も責任追及から逃れる訳ではないのだ。
故に、時間的猶予があるならば、官邸の指示を待つべきであった。
しかし、そうしている間に溺者が溺れてしまったら、結局は同じ事である。
いや、後味が悪い分もっと酷いだろう。
こうして、日本側の演習最高責任者兼、第一護衛隊群司令を務める、大谷誠一郎海将は、決断せざるを得なくなった。
「全艦、機関停止。
溺者をスクリューに巻き込まない様にしろ。
救助開始。
ただし、負傷者以外は拘束せよ」
この不幸な指揮官は、現在五十八歳。
本来ならば、天下りとは言わないまでもそれに近い様な、経歴を活かした嘱託の椅子が彼を待っていた。
大抵の人間は、官邸からの指示を待つだろう。
しかし、大谷は熟考こそしたものの動揺する事は無く、淡々と溺者救助命令を発した。
この決断の素早さから、隊員達からは『いざという時に頼れる指揮官』と評価が上がっている。
もっとも本人としては、
「定年も近いし蓄えも充分ある。
妻は、庭の草むしりが間に合わないと怒るぐらいだから、文句も言わんだろう。
いつ辞めても問題は無い」
という程度の認識だった。
こうして、合法なのか違法なのかは一先ず置いておき、とにかく救助作業兼拘束作戦が始まったのだ。
しかし、その光景は異常なものだった。
自衛官も米兵も救助を開始して直ぐにその異常さに気付いている。
その為なのか、恐ろしく寡黙に作業を進めつつあった。
彼等が沈黙しまうのも、無理はないだろう。
溺者兼テロリストらしき連中は、リアリティーのある仮装をしていたのだ。
例えば、重厚かつ豪華な中世風の甲冑を身に付けた、騎士の様な格好をした男が居る。
しかし、それは強化プラスチック製のレプリカでは無いらしく、男は必死の形相で船の残骸にしがみついていた。
どうやら、簡単には脱げないらしい。
その傍では、つぎはぎだらけのみすぼらしい格好をした茶色い髪の少年が、男の甲冑を懸命に脱がそうとしている。
だが、男は愚かにも少年を振り払う様な素振りで、暴れているらしい。
信じ難い事に、どうやら少年に触られるのが嫌な様だ。
つまり彼等は外見だけでなく、精神面でも異様なのである。
自衛官も米兵も遠目に見た時点で、仮装をした異様なテロリストである事は理解していた。
だが、近付いて見てみればどうだろう、これではコスプレどころか、本物の中世人の様だ。
こんな光景を見たら誰でも不安を感じて、静かになるというものだろう。
今は、救命艇やホバークラフトを活用しつつ、黙々と作業を続けているがそれはそれで異様な光景であった。
万屋は溜め息を吐いた。
彼の目の前に広がるのは広大な太平洋だ。
空は蒼く澄みきって、海も深い藍色という青、蒼、碧と眼に優しくも雄大な景色である、万屋の精神状態とは全く関係が無いらしい。
だが、顔色だけは海と同じ様に、真っ青と言ってもよいだろう。
ここは、硫黄島沖北北東一キロメートル程の海上、海上自衛隊所属の最新鋭輸送艦『みうら』の甲板上である。
本来ならば万屋とその部隊は、横須賀の米艦隊との共同演習作戦、『ドーモ=パンダ=サン』の真っ最中な筈であった。
この演習は、敵性勢力が日本が領有する離島に上陸、占拠した場合を想定しており、近年の演習では極一般的なものである。
本来の予定通りなら、万屋達の部隊は、島を奪還するという想定で、硫黄島に上陸している頃だ。
しかし、事件は起こってしまった。
それにより演習は中止となり、万屋だけではなく周辺海域に居る幹部自衛官全員の頭を悩ませていた。
特に万屋の場合は、昨日の夜から別件で頭を悩ます事が多かったので、寝不足の頭で演習を切り抜けなければならない、という状態への追い討ちとなった。
だが、それは良いのだ。
彼とて、自衛官の端くれ。
いや、端くれどころか二尉という下っ端ではあっても、一応は幹部なのだ。
たかが寝不足ぐらいで、演習中の指揮を執れなくなる様な事はない。
むしろ、そんな幹部がいたら、国防上の大きな問題である。
ただ問題は、このイレギュラーな事態だ。
この事件によって演習は中止となってしまったが、問題はそれだけではない。
法的にはどう対処すべきなのかという、重要な問題が残っている。
それが、幹部達を悩ませているのだ。
残念ながら万屋は、そういった分野の成績が、著しく悪い学生だった。
某銀河の英雄的な魔術師に憧れたのか戦史のみは首席だったが、法学関連は落第ギリギリの成績、という過去がある。
もちろん、本来ならば二尉程度の尉官は、決定を左右する立場にない。
影響を与える事すら基本的には有り得ないだろう。
だが、今回の事態に限っていえばそうも言っていられないのが、万屋の置かれている現状だった。
役に立てるだけの能力があり、国民の血税の中から給料を受け取っている以上はそれが何であろうと、やらねばならない。
それが、公務員としての義務である。
仕事量が増える事を望んでいる訳ではないが、そういった職業意識を最低限持っているのが、万屋という男なのだ。
もっとも残念ながら、他の誰かと交代出来る様な簡単な事情ではないという事実も、彼がこの問題と向き合う決意を固めた理由としては大きかった。
と言うのも、どうやらこの件に関しては、恐ろしい事に万屋のみが感じているらしいのだ。
そう、どうやら万屋以外の自衛官達の耳には、捕虜(と言っても過言ではない被疑者)であると同時に、溺者として救助して艦上に拾い上げた人々の言葉が、外国語として聞こえている様なのだ。
そして、厄介な事に万屋の耳には、彼等の言葉が日本語として、聞こえている。
万屋にも、これが明らかにおかしい事態であるという自覚はあった。
本来なら顔を洗ってから一休みして、それでも治らない様ならば念の為に彼等の様子を観察し、それから精神安定剤を求めて医務室へ向かうものだ。
上への報告はそれからだろう。
もちろん、病気療養の為である。
だが、問題は万屋の病歴に、精神疾患という項目があるという点だった。
自分自身、病気が悪化しただけなのかもしれないと思っているのに、その程度の確認だけで上へ報告すべきなのか。
そこが問題であった。
万屋にとって恐ろしい事にここで対処を誤った場合には、少なくとも減俸処分が下される事は間違いないだろう。
非常時に、くだらない事で時間と手間を取らせるという事は、それだけ重い罪と言える。
当然出世にも響く。
万屋の主観に於いては、そこまでなら良かった。
元々、精神疾患歴のあった身だ。
少子化に伴う近年の基準緩和によって、防衛大学へ進学する事が可能になったとはいえ、腫れ物扱いである。
最初から出世は諦めていた。
しかし、残念ながらさらに恐ろしい事に、何もしなければ何もしないでそれ以上の、厳しい処分が下される可能性もある。
万屋の耳や脳、精神が現時点でまともであった場合だ。
自分の方がまともであって欲しい。
そう願うのが人情である。
万屋は、自身がまともである可能性を、信じたがっているのだ。
そうは考えても、逆に精神的な問題である可能性の方が、圧倒的に高いというのも事実である。
恥を忍んで報告したは良いが、万が一にもマスコミなどに見付かって、『発狂自衛官』云々と、厄介なレッテルでも貼られた暁には目も当てられない事になるだろう。
最悪の場合は転職の斡旋も無しに、退官を余儀なくされる可能性もあった。
何故、騒ぎ屋の賑やかしに、人生を左右されなければならないのかと、理不尽さを感じたところでどうにもならないのだ。
「ホントに、どうしてこうなったんだ…………………………」
話は今日の午前十一時、演習開始から二時間が過ぎた頃にまで遡る。
地震が起こったのだ。
震度三という、それほどでもない揺れだった。
日本人なら誰でも、一度は体験した事があるであろう小さい揺れだ。
余程運が悪くなければ、死ぬ事も怪我をする事も無いだろう。
だが、その範囲は異常だった。
震源地は島根県出雲市、範囲は全国にまで及んだのだ。
それも、全国一律で同じ震度である。
しかし、そうは言ってもこの程度の事態で済めば、演習の中止という状況にはなり得なかっただろう。
在日米軍の将兵はともかく、日本人にとってこの程度の震度は、よくある事で済まされる。
記憶にも残らない筈だ。
しかし、被害は思いもよらぬところにあった。
厳密に言えば、その不具合と地震との因果関係は証明出来ない。
しかし、あり得ない様な範囲での地震が起きた、その直後から発生した不具合なのだから、関係無いとは言い切れないだろう。
そして、軍事的には最悪な事に、不具合とは衛星に関する事だった。
地震の直後から、全ての衛星が沈黙してしまったのである。
こうなると、軍事的には大打撃なのだ。
イージス艦等、護衛艦の能力が大きく削がれてしまう。
一昔前ならば、航空機の運用が出来ないレベルの、大きな不具合なのだ。
一大事であった。
さらには日本国外の通信までもが、完全に沈黙してしまった事が混乱を大きくした。
まるで、核戦争でも起こったかの様なこの事態に、各部隊動揺を隠せず演習どころではなくなってしまった事は、当然であろう。
こうして、地震発生から三十分後には演習が正式に中止となり、万屋達にも待機命令が下された。
しかし、問題発生はこれだけに留まらなかったのだ。
第二の事件の切っ掛けは、演習中止命令から二十分後の、十一時五十分頃の事であった。
今回、演習の司令部が置かれており、米国第七艦隊の旗艦である揚陸指揮艦『ブルー・リッジ』へ、緊急通信が入ったのだ。
通信は、駆逐艦『マスティン』からのもので、内容は硫黄島東北東二十キロの海上に、国籍不明の木製船団を多数発見したというものであった。
その数が、千を越えるという異常なものだったので、一大事と見た艦長が報告を挙げたのだ。
数分間の議論の末に、司令部は駆逐艦『マスティン』に対して、その異様な木製船団を臨検する様に命じた。
命令に従って『マスティン』は、木製船団と並走しつつ無線を通じて、英語や日本語、中国語、韓国語、ロシア語等で停船を命じたが、それ等の命令は完全に黙殺される。
その後、艦長のハワード少佐が機転を利かせて、拡声器を使い同様に停船を命じたがこれも黙殺された為、駆逐艦『マスティン』は臨検隊を編成し、ゴムボートで船団に向かわせた。
そうして十二時二十六分頃、臨検隊が船団の中でもっとも外側にあった、船舶まで数十メートルの距離まで近付いた頃に、事態は動いた。
臨検隊を出迎えたのは、無数の矢だったのだ。
矢は、軍用ゴムボートの表面すら傷つける事は出来なかったが、臨検隊の面々に対しては違った。
いくらプロテクターや、ヘルメットで防護しようとも、それは隙間無く使用者を守る装備ではない。
結果的に、臨検隊の負傷者は多かったが、不幸中の幸いと言うべきなのか、死者は臨検隊の指揮官であった、ロバートソン少尉ただ一人であった。
もっとも、だからと言って収まる様なら、アメリカ人ではない。
当然、『ブルー・リッジ』へ反撃の許可が申請され、その許可は降りてしまう。
こうして、千を越える国籍不明船団いや、国籍不明の武装集団には中世式の歓迎への 返答と云わんばかりに攻撃が行われた。
木製の船体に速射砲弾とミサイル、機銃の雨が降り注いだのだ。
結果は、分かりきっている。
そして、数分間の間に謎の武装集団は、ほぼ壊滅してしまう。
幸いな事に、武装集団の位置は公海上であり、米艦隊がテロリストを攻撃したところで法的には何ら問題は無かった。
しかし問題は、その数故に命からがら逃げ切ってしまった船への対処と、溺者の救助である。
前者は最悪な事に、日本の領海内へ進入してしまった為、自衛隊の場合は官邸からの指示が、米国艦隊の場合は要請が無ければ、どうにも出来ない。
後者は、国際法的な面のみを考えれば、簡単である。
実は、テロリストの場合、国際法上は放置しても問題が無いのだ。
しかし、そうは言っても、実際に放置しては人道上の大きな問題になるので、救助しなければならない。
それが大変なのだ。
米艦隊が拾う分には問題は無い。
テロリストとして、拘束してしまえばいいのである。
だが、問題は自衛隊側にあった。
当然、護衛艦も傍で見ている訳にはいかないのだ。
救助しつつ、拘束しなければならない。
彼等が、海賊という扱いならば、法制度上はソマリアの海賊と同じ扱いが可能であり、話は簡単だった。
しかし、今回の場合は海賊なのかどうかという判断が、難しい案件なのである。
その点を調べなければならない。
ところが当然ながら、自衛隊に捜査権は無いのだ。
一見すると警務隊ならば、捜査権を持っていそうなのだが、彼等が持っているのはあくまでも、隊員に対する捜査権のみである。
さらに、こういう時に頼れる、海上保安官や巡視船のほとんどが、近年は尖閣諸島付近を中心に、南西諸島方面へ集中配備されていた。
つまり、救助しつつ拘束するのがベストではあるのだが、法的な解釈によってはそれが違法となってしまう危険性があるのだ。
そうなってしまえば、もうマスコミと野党のターンである。
政治の分野となってしまえば、当然対応も内閣が行うべきだろう。
だが、自衛隊も責任追及から逃れる訳ではないのだ。
故に、時間的猶予があるならば、官邸の指示を待つべきであった。
しかし、そうしている間に溺者が溺れてしまったら、結局は同じ事である。
いや、後味が悪い分もっと酷いだろう。
こうして、日本側の演習最高責任者兼、第一護衛隊群司令を務める、大谷誠一郎海将は、決断せざるを得なくなった。
「全艦、機関停止。
溺者をスクリューに巻き込まない様にしろ。
救助開始。
ただし、負傷者以外は拘束せよ」
この不幸な指揮官は、現在五十八歳。
本来ならば、天下りとは言わないまでもそれに近い様な、経歴を活かした嘱託の椅子が彼を待っていた。
大抵の人間は、官邸からの指示を待つだろう。
しかし、大谷は熟考こそしたものの動揺する事は無く、淡々と溺者救助命令を発した。
この決断の素早さから、隊員達からは『いざという時に頼れる指揮官』と評価が上がっている。
もっとも本人としては、
「定年も近いし蓄えも充分ある。
妻は、庭の草むしりが間に合わないと怒るぐらいだから、文句も言わんだろう。
いつ辞めても問題は無い」
という程度の認識だった。
こうして、合法なのか違法なのかは一先ず置いておき、とにかく救助作業兼拘束作戦が始まったのだ。
しかし、その光景は異常なものだった。
自衛官も米兵も救助を開始して直ぐにその異常さに気付いている。
その為なのか、恐ろしく寡黙に作業を進めつつあった。
彼等が沈黙しまうのも、無理はないだろう。
溺者兼テロリストらしき連中は、リアリティーのある仮装をしていたのだ。
例えば、重厚かつ豪華な中世風の甲冑を身に付けた、騎士の様な格好をした男が居る。
しかし、それは強化プラスチック製のレプリカでは無いらしく、男は必死の形相で船の残骸にしがみついていた。
どうやら、簡単には脱げないらしい。
その傍では、つぎはぎだらけのみすぼらしい格好をした茶色い髪の少年が、男の甲冑を懸命に脱がそうとしている。
だが、男は愚かにも少年を振り払う様な素振りで、暴れているらしい。
信じ難い事に、どうやら少年に触られるのが嫌な様だ。
つまり彼等は外見だけでなく、精神面でも異様なのである。
自衛官も米兵も遠目に見た時点で、仮装をした異様なテロリストである事は理解していた。
だが、近付いて見てみればどうだろう、これではコスプレどころか、本物の中世人の様だ。
こんな光景を見たら誰でも不安を感じて、静かになるというものだろう。
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だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
大和型戦艦、異世界に転移する。
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※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
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