新日本書紀《異世界転移後の日本と、通訳担当自衛官が往く》

橘末

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第一章 小笠原事変

第十九話 イカれた医者と、王女の意地

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    産業革命とは、偉大なものであった。
仮に、『異世界転移』と言う現象が、二百年前の日本を覆ったとしよう。
その上で、偶然にも今回と同様にエルフが(平和的に限った場合に限るものの)初の遭遇者となったとする。
その場合、当時の日本を観た彼等は、どんな反応をするのであろう?

    少なくとも、物珍しさは感じる筈だ。
木製家屋の街並みはともかく、紙を窓に貼って明かりを取り入れる等、エルフとは異なる発想が、当時の日本にはあった。
しかし、当然ながらエルフ以外の文化、文明等はこちらの世界にも存在する。
そして二百年前の日本は、産業革命の波を被っていない時代であった。
故に、エルフ達は物珍しさこそ感じても、思考停止に陥る様な事は、先ず無いであろう。
特別に恐怖を抱く事も、特別に魅力を感じる事も無く、それなりに好奇心を刺激されるだけで、実務的には淡々とした外交交渉が始まる筈だ。

    時計の針を進めて、百年前ならばどうだろうか?
既に、明治維新や大正デモクラシーが終わり、昭和の動乱期である。
彼等は、今の日本人と遭遇した王女一行と同様に、驚愕の連続を味わう事になるであろう。

    では、逆に時間を遡って千年前に遭遇した場合と、五百年前に遭遇した場合、彼等の反応に差はあるだろうか?
おそらく、似通った反応であろう。
権威と権力が分かれ始めた時代と、分けられた後の時代という政治的な違いこそあれ、初見ではどちらの時代でも、同様の反応が見れる筈だ。

    故に、産業革命は人類史に残すべき、偉大な出来事なのである。

    「まさか、泡を吹くなんて……」

    しかし、その偉大さは万屋にとって、仇となっていた。
冷静沈着にしてこの場に於いて、王女が最も頼れる人物。
エルフ側の中で、最も教養のある常識人らしき伯爵は、年齢からか或いは生来の頭の硬さからか、都心の景色を目にした直後、泡を吹いて気絶している。
不可抗力とは言え、万屋が責任を問われる可能性も、無くはないだろう。

    「迂闊でしたかね……
我々は馴れていますから、ヘリから観たぐらいだと、テンションが揚がるだけで済みますけど、不馴れなお年寄りには、きつかったかもしれません」

    山田が、気不味そうに言う。

    「成る程ねぇ」

    (隙が無いと思っていたらこれだ。
キャパの限界だったのかねぇ……)

    勝手に翻訳されてしまうので、万屋は無難な事以外、返事は出来なかった。
しかし、二人は長い付き合いであり、なんとなく伝わっている様だ。
山田は肩を竦めている。

    今の伯爵の姿は、万屋の知るものとは違う。
初対面の人間が見たら間違い無く、認知症を疑うレベルの顔で、気絶している。
特に泡の付いた口元は、知性の欠片も感じさせない。
万屋達の場合は、今まで見て来た伯爵の姿とのギャップから、余計に酷く見えるのであろう。

    「叔父上!?
お??じ??う??え??!?」

    身内にとっても以外だったのであろうか、アンジェリカは取り乱している。
ベアトリクスも口に手を当てて、驚きを隠せない様子だ。

    「あ??、何と言いますか?
人は見掛けによらないものですね」

    (エルフだけどな)

    万屋はバカな事を考えながら、そう言った。

    「え、ええ。
そうですね。
申し訳ありません、万屋さん。
伯爵が、ご面倒お掛けします」

    ベアトリクスは、伯爵を預けるつもりの様だ。
万屋の観たところ、到着まで後二十分といったところである。
ベアトリクスも、直ぐに着く事を察したのであろう。

    (会談の延期とは言えないな。
宮仕えは辛いよ全く)

    万屋は、伯爵の補佐無しで会談へ向かうベアトリクスに、心底同情した。
経験とは重要なのだ。
若い(エルフの年齢は不明であるが)ベアトリクス一人では、些か荷が重いであろう。
しかし、万屋も公僕と言う自らの立場を、忘れた訳では無かった。
無論、ベアトリクスからの要望であれば、通訳と言う任務を全うするが、会談の延期と言う提案は決してしない。
何故なら、伯爵が居なければ、日本にとって有利な交渉となるからである。
伯爵が気絶すると言う事態は、当然予期せぬ出来事ではあるし、万屋の失態でもある。
それは間違い無い。
しかし、伯爵が欠席すれば日本側が、有利に交渉を進める事が可能なのだ。

    「ええ、任されました。
首相官邸にも医務室はある筈です。
伯爵には、そこで休んでいただきましょう」

    万屋は、後ろめたさを誤魔化す様に、笑顔でそう言った。
ベアトリクスの背後では、山田が頷いている。

    (羨ましいね、まったくよ。
出来れば替わって欲しいぐらいだ)

    万屋は心の中で、八つ当たりをする。
理不尽なのは自覚しているので、口には出さない。
ベアトリクスも、万屋の気持ちを察しているのか、沈黙する。
アンジェリカが騒がしい割りに、空気が重苦しくなった。

    「え??と……ああ、そろそろ着きますね
あれが官邸です」

    万屋は、少しの虚しさを感じつつそう言った。

    「はあ……」

    やはり、ベアトリクスの反応は鈍い。
万屋としては、スカイツリーや皇居、都庁舎等と言ったランドマークを、上空から紹介する予定であったが、伯爵の泡吹きに気を取られ、それどころでは無くなったている。
そして、万屋はその為に就寝時間を遅らせて、色々と調べていたのだ。
虚しさを感じるのも、無理は無かった。

    (調べものが無駄になるのって、こんなに虚しかったか?)

    客観的に観ると、それが虚しさだけではなく、意外な人物が情けない姿を見せたと言う、一種の脱力感も混ざった、複雑な感覚である事は、明白であろう。
しかし、本人は気付かないものである。

    「間もなく、到着します」

    ヘリの機長の声がインカムを通じて、万屋の耳に届いた。
ちなみに、本来ならば自衛隊のヘリに乗り込む場合、ヘルメットを着用するべきなのであるが、エルフ達は被っていない。
細長い耳の構造上、何かを引っ掻けると痛むとの事である。
同様の理由で、インカムも着けていないので、会話はお互いに気を使って、少し大声であった。

    「そろそろ、到着する様です」

    「……そうですか、もう着くのですね」

    万屋の言葉にベアトリクスは、緊張した様子を見せる。

    「大丈夫ですよ。
きっと何とかなります」

    万屋はせめてもと思い、慰めの言葉を懸ける。
無責任でも無いよりましだ、とでも思ったのであろう。

    「ありがとうございます」

    ベアトリクスはそう言って、ぎこちない笑顔を作った。

    そんなやり取りから、数分後。
ヘリは首相官邸の中庭へ、無事に着陸を果たした
着陸誘導班から、連絡があったのであろうか。
万屋達が降りるよりも前に、待ち構えていた医務室の職員が、担架と共に乗り込んで来た。

    「はい、ど??もど??も!
医者でございます。
今回は、日本人初のエルフ診察医になれるとかで、慌てて参りましたよ??!
気絶しているなら、色々調べられますしね??♪
とにかく、丁寧に運びましょう!」

    とてつもなく異様な、自称医者の登場に、その場に居た日本人達は、戦慄した。

    (どう見てもこの医者は、相手の立場とか考えられないタイプだろ……
目付きがヤバいぞ)

    万屋は、医者が何かをやらかすと、確信した。

    「山さん!」

    万屋がそう叫ぶと、山田の方も予想していたのか、直ぐに医者に跳びかかった。

    「え、ちょっと!?
私は医者だよ!?
採血も細胞や唾液の採取も、CTスキャンもレントゲンも、全部医療行為の一環だよ!?
何も疚しい事なんて無ぃったあぁぁぁ!!!??
痛いから!?
折れるから!?」

    山田は、医者の主張には耳を貸さず、羽交い締めにしたまま、何処かへ連れ去った。
もっとも、引き離すだけであろう。
権限から言っても、それ以上の事は出来そうに無い。
連れて行かれた医者とは別の職員が、伯爵を淡々と担架に乗せているのが、少し不気味である。

    「あの人、何時もああ何ですか?」

    万屋は好奇心のままに、つい訊ねてしまう。

    「ああ、遠藤先生はね??……
あの人は、才能あるヤバい人ですから。
マッドサイエンティストって言うのかな?
噂じゃあ、東大医学部を首席入学して、卒業まで首席のままだったらしいですね。
でもあの性格なんで、色々問題を起こした末に、大学院の入試を受けられなかったとか。
ここは名医が必要ですけど、仕事が滅多に無い職場ですから、実質飼い殺し状態なんでしょう。
暇潰しに、爬虫類とか解剖してる様な人です」

    職員は慣れているのか、何でも無い様に答える。

    (そんなヤバい奴は隔離しとけやボケナス)

    「それは大変ですね」

    万屋は上手く本音を隠す事に、成功した。
護衛対象である伯爵を、気絶させてしまったのだ。
医療関係者に、角の立つ事は言えない。

    「もう慣れていますよ。
ああ、遠藤先生はこちらで見張っておきますね。
そちらのお仕事は増やしませんので、安心してください」

    万屋にとっては都合の良い申し出である。
文句の一つでも言っていたら、こんな親切な申し出は、無かったかもしれない。

    (変な事言わなくて、良かったな)

    角の立たない様に、適当な反応をしただけでも、こんな事があるのだ。
万屋は、コミュニケーションの重要性を、実感した。

    「では、よろしくお願いします」

    万屋は一言礼を言った。
すると、慌てた様にアンジェリカが、担架に近付いた。

    「ちょっと待って欲しい。
私も同行するぞ」

    そう言って、伯爵の頭側にある持ち手を握る。

    「ええと、何と言ってるのですか?」

    医務室の職員達は、アンジェリカの振る舞いに困惑した。

    「彼女は、姪っ娘さんです。
同行の許可を求めています」

    万屋は一瞬だけ、嫌がらせでもしようかと迷ったが、仕事と思い直して、素直に訳した。

    「そうですか。
ええと、こちらとしては構いませんけど、そちらは大丈夫ですかね?」

    職員達は、どうでも良いのであろう。
極普通の回答であった。

    「殿下、アンジェリカ様無しで、よろしいのでしょうか?」

    万屋は、ベアトリクスに確認を取る。

    「え、ええ。
アンジェリカは向いていませんし、身内の大事ですものね。
伯爵に付いて居て、構いませんよ」

    端から見ると、とても大丈夫そうには見えないが、アンジェリカは納得したらしい。
何も言わずに頭を下げると、運ばれて行く担架にそのまま付き添った。

    「意外ですね。
彼女なら、殿下に付き従うと思っていました」

    万屋は意外に思ったので、素直に訊ねる。

    「仕方がありません。
彼女にとっての伯爵は、特別ですから。
他の家族ならば、付いて行くどころか、取り乱す事すら無かったでしょう」

    あれで、アンジェリカの家庭事情は、複雑な様であった。

    (アホの娘かと思ったら、意外に重い事情があるのか……
軽くは訊けないな)

    万屋は、深く追及する事を止める。
好奇心で知って良い話とは、思えなかったのであろう。

    「う、うん。
ではそろそろ、行きましょう。
心の準備はよろしいですか?」

    万屋はそう言って、話を逸らした。

    「ええ、心配してくださって、ありがとうございます。
参りましょう」

    ベアトリクスの返事を聞いた万屋は、先にヘリの外へ出て、乗り込んだ時と同じ様に、右手を差し出した。
ベアトリクスも応じるが、やはり先程とは違って、余裕の無さそうな顔である。

    (やっぱり、不安そうだなぁ。
口には出せないけど、上手くいく様に祈っとこう)

    万屋は、ベアトリクスを心配するが、結局何かを言う事は無かった。
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