新日本書紀《異世界転移後の日本と、通訳担当自衛官が往く》

橘末

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第一章 小笠原事変

第二十一話 歴史的会談

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    「我が国から貴国への要望は、基本条約の締結と平和条約、通商条約や経済協定等です。
殿下がご懸念なさっておられる、安全保障問題に関しましては、合意に至る可能性が低いと思われますので、協議のみ行う事としましょう。
もちろん、協議の結果合意に至る可能性もありますので、その場合は共同声明の発表、と言う事でお願い致します。
ちなみに、我が国の食料需要を充たせる可能性を持つ、西天津国でしたかな?
その国との仲介は、殿下個人への要請と言う形で、お願い致したいのですが、如何でしょうか?」

    沢村は拙速ながらも、それなりに真っ当な要望を口にした。
国民の理解を得ると言う事以前に、この世界での基準が分からない以上、地球の基準を前提にして話を進める他無いのだ。
少しばかり強引に主導権を握っても、バチは当たらないであろう。

    ちなみに沢村は、条約の定義も地球基準と言う前提で、話を進めている。
一言で条約や協定と言っても、地域や時代によって、定義は異なるものだ。
例えば、戦国時代の日本の場合、和睦と言えば停戦を指す言葉であった。
そして、この世界の定義はいまだに、判明していない。
かと言って素直に訊けば、主導権を奪われてしまうので、ベアトリクスに直接訊ねる事は出来ない。
しかし、相手が中世的な価値観の持ち主である場合、王の一声で条約も協定も破棄される可能性は、否定出来ないだろう。
もっとも、それは日本側にもあり得る話である。
現在は、両院共に与党が過半数を占めている状況であるが、万が一政権交代が起こった場合、条約の批准を否決される可能性も、無くはないのだ。
そして、沢村は中世的な社会との間にある、一種の危うさに気付きつつも話を進めている。
これは危険な賭けであった。
価値観や常識の擦り合わせを、敢えて怠ったのである。
そうまでして一刻も早く、交渉を進める必要があるのだ。
一々定義等に拘わっている暇は無い。
沢村は、そう決断したのである。
もちろん、拙速に過ぎた事で後々揉める可能性は、非常に高いのであるが、沢村はそれを些事と認識していた。

    『パクス・ニッポニカ』構想を、危険視する沢村であっても、日本製品が世界を席巻する事については、確実であると観ている。
強引な事をせずとも、市場経済を浸透させた上で、市場を独占する事は容易い。
要は、反日感情が芽生えない程度のさじ加減こそが、論点なのだ。
里山は、そのさじ加減を考慮せずに、場合によっては反発を押さえつける事を、是としている。
沢村は、産業革命期の打ち壊し運動の様に、あるいは中国の反日暴動の様に、日本企業が襲撃される事を恐れていた。
もちろん、国民国家と言う概念さえ無ければ、商人層や職人層との対立で、事は済むであろう。
反発が少ないと言うよりも、他の層はデメリットに気付かない筈だ。
より良い暮らしと職場が提供されれば、国家への帰属意識の無い民衆は、簡単に靡く。
この世界の住人が、国家への帰属意識さえ薄く、国民と言う自覚さえ無い『無学な民衆』であるうちは、極めて合理的な方針であろう。
しかしそれは、その状態が永遠に続く事を、前提としている。
そして、優れた労働者を創出する為には、やはりそれなりの専門教育が、必要となるのだ。
問題はそこからである。
専門教育には、文字を覚える為の義務教育が、必要なのだ。
だが、別に専門教育で無くとも、義務教育さえ受ければ、当然の事ながら『無学な民衆』は消え去る。
その時の、反発は大きなものとなるであろう。
故に沢村は、里山の構想を危険視しているのだった。

    「条約や協定には、同意致します。
しかし、西天津国との仲介は私個人への要請とで仰るのですか?
私は構いませんが、それでは貴国と西天津国の仲介をしても、貴国の要望を確実に叶えられるかどうかは、保証し兼ねます。
それでもよろしいでしょうか?」

    ベアトリクスは、安全保障協力を求めるつもりであったが、それは胸に収めておく。
やんわりと協力を拒否された事に、少なからず失望感もあったが、それでも議題となった時に巻き返せば良い、と考えたのだ。

    「もちろんです。
仲介さえしていただければ、問題ございません」

    沢村の答えは即答であった。
これにもベアトリクスは失望する。
彼女としては、国家単位での貸しを作りたかった、と言うのが本音なのだ。
しかし、沢村はそれを個人への貸しにまで、縮めてしまうと言う。

    (これは油断できませんね)

    ベアトリクスは、改めて気を引き締めた。

    (若い割に、面倒そうな相手だ。
帝王学と言うやつを、しっかり学んでいるのかもしれないな。
いや、エルフの場合は歳上という可能性もあるか……)

    ベアトリクスの目の色が変わった事で、沢村も警戒度を数段上げる。
沢村の主観では、決して元々油断していた訳では無い。
しかし、無意識のうちに若い娘と侮っていた可能性も、否定し切れないのだ。

    (総理大臣の胃痛は、伝染病なのか?)

    万屋は、無難に通訳をこなしているが、段々に胃痛を感じ始める。
場違いである事を、自覚しているのであろう。
もちろん、それだけでは無い。
本命であろう西天津国との仲介を、個人に要請すると言う沢村の考えに、素人ながら危機感を持ったのだ。

    (仮にもプロ。
政界歴の長い、ちゃんとした政治家なんだから、思惑はあるんだろうけど、端から観てると無謀だよなぁ)

    万屋の思った事は、中継を視ている国民の大半と同じであった。
ほとんどの国民が、沢村の無謀さを不安に思いながら、中継を視ている。

    残念な事に沢村は、国家間での借りを避ける事に固執していた。
仕方の無い事だろう。
拙速であっても、考え無しでは無いのだ。
この世界の主流が、封建君主であっても専制君主であっても、地球基準の常識を持たない相手である事は、明白だった。
それはつまり、借りを作りたくない相手である事を意味する。
何故なら、古今東西常識の異なる者は、悪意も無しに無茶苦茶な要求をしかねないからだ。
だからこそ、沢村は国家単位での借りを、避けたのである。

    もちろん、これはそれなりの手であろう。
しかし、睡眠不足が祟ったのであろうか、沢村は重大な事を見落としていた。
それは、何を要求して来るか分からないのは、西天津国にも言える、と言う点である。
どうせなら、王族の救助と言う多少の貸しがある、ハイエルフ王国に借りを作るべきであろう。
沢村は、判断を誤ったのだ。
この事が、後に与党を追い詰めるのであるが、それはまだ先の話である。

    会談は、和やかに進んだ。
大使館の設置や可能な限りの食料輸入、対価としてのインフラ整備等、多岐に渡る内容であったが、ほとんどは問題無く合意に至っている。
人権問題等、確実に紛糾するであろう問題が、敢えて議題にされなかった事も、和やかに進んだ要因であろう。
安全保障問題こそ重要な議題なので、議題とされているものの、それ以外の荒れかねない議題は意図的に避けられたのだ。
中央大陸情勢が判明した今となっては、西方大陸でも奴隷制度の様に、日本政府としては知らない方が良い社会制度も、おそらくはあると観られている。
もちろん情勢が安定した後は、人権団体からの圧力を受け入れ、何らかの交渉を行う事となるであろう。
しかし、それまでは荒れる様な議題を、徹底的に避けるべきなのだ。
当然、人権団体の陳情も、しばらくは黙殺される事となるだろう。
沢村は、必要な事と割り切っている様だ。

その様に気を使った事で、和やかに進んだ会談であったが、当然予想外の事も起こる。
会談の中で、関税無しでの貿易と言う、試しに言ってみただけの提案を、ベアトリクスが受け入れてしまったのだ。
もちろん、拒否される事を前提に提案している日本側は、ベアトリクスが受け入れた事に驚愕した。

    (以外だな……
状況が分かっていないのか?
このままでは確実に、やり過ぎと言われるな。
支持率も、下がるだろう。
さて、どうするか……)

    沢村は頭を悩ませる。
このままでは、素人の小娘相手に悪辣な交渉を纏めた、極悪人にされてしまうであろう。
国益には沿っているのに、どうにも理不尽な話ではあるが、民主国家の政治家はそれなりに、善人らしくしていなければ、政権が取れない。
沢村としては、一度拒否された後で改めて低い関税率を約束させる、と言う予定であったのだ。

    日本側が、拒否される事を前提にして提案した、かなり無茶苦茶な条件を、ベアトリクスが受け入れたのには、文化的齟齬と言う原因があった。
エルフは閉鎖的であり、輸出入共に物流の規模が小さいのだ。
他国と比較すると、交易の回数や一度に動かされる物資の量は、半分以下である。
そして、技術の普及についての、誤解も原因の一つであろう。
エルフの様に閉鎖的で無くとも、この世界の輸送手段は、限られているのだ。
大量に輸送するならば船舶であるが、それは沿岸部に限られる。
大抵の場合は、馬車による輸送が主流であった。
山越えともなれば、より困難になる。
小国の下手な山道では、人夫を雇って運ぶ事も多々あるのだ。

    もちろんベアトリクスも、AAV7の様な軍事的輸送手段は、目の当たりにしていた。
『みうら』や『いずも』、それらの艦と艦隊を構成する艦も、遠目ではあったが観ている。
ただ、彼女の不幸はそういった輸送手段の、普及率を見誤った事だった。
彼女は戦闘車両を見たものの、それが民間にも普及している、極一般的な輸送手段であるとは、考え付かなかったのである。
それを、単純に機動力を有する兵器として、認識してしまったのだ。
もちろん、それだけでも慧眼と言えるだろう。
未知の兵器の特性を、初見で見抜いたのだ。
ベアトリクスが、優秀な軍人である事の証であろう。
それは決して、間違いでは無かったのだ。
輸送艦や護衛艦についても、軍事的には正しい推測をしている。
しかし、その背景を読み切れなかった事は、間違い無く彼女の不覚であろう。
結果を見れば、彼女が優秀な軍人ではあっても、優秀な政治家では無い、と言う事が分かる。
ベアトリクスは致命的な失敗を、無自覚に起こしてしまったのであった。

    (あちゃ??。
可哀想な事になったな??。
総理も気の毒だけど……
でも、通訳がでしゃばる訳にはいかないんだよな……
頑張ってくれよ??)

    万屋は呆れつつも、心の中で応援する。
ベアトリクスが何かを勘違いしている事は、万屋にも理解出来るが、だからと言ってそれが何かを指摘する事は、出来無かった。
立場上の話だけで無く、能力的な意味でも出来無いのだ。

    (協議の上で改定する事を、可能としておけば良いだろう。
世話のやける姫君だな)

    沢村の方は自分から提案した事もあって、ハイエルフ側が気付いた後の事を、考える。
この様に定めておけば、騙されたとは言われないであろう、と言う判断だ。

    (若い割には、遣り手だと思ったのだがな……
自分達の不利益に気付いた後で、貸しとなるから問題はないが、この分だとしばらくは気付きそうに無いな。
こちらの見込み違いだったのか、もしくは大量輸送と言う概念を持たないのか。
いや、市場とならない可能性もあるな……
それを自覚しているからこそ、受け入れたと言う可能性も、否定し切れないか。
やはり、情報量が少な過ぎるな。
お互いに言える事だが、それでは困る。
技術的に圧倒しているのだから、情報量も圧倒しなくては、意味が無い。
いっその事、情報収集機関を増やすべきかもしれんな。
在日米軍は、最早一蓮托生だろう。
ノウハウの吸収は、充分に可能な筈だ。
最悪、我が国に侵入しているスパイを、公募する手もあるか……)

    沢村は、考えようにも情報量が少な過ぎる事を、大いに嘆いた。
ベアトリクスが、失態と思われる承諾をしてしまったので、気が抜けたのであろうか。
思考が逸れている。
疲れているのであろう。
むしろ、普段はしない様な、妄想にも等しい方向へ、思考が転がっている。

    「総理、ちょっと失礼します」

    カメラの端辺りに居た、政務官が万屋の背後から近付き、声を掛けた。
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