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第二章 西端半島戦役
第九話 潜入
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「だいたい時間通りに始まったみたいだな」
消音装置が上手く作動している為に、銃声こそ聞こえないものの、リースの町中が騒がしくなった事から、佐藤はそう判断した。
指揮官としての立場から、軽い言い回しをしているが、内心は違う。
何せ今回の作戦では、作戦開始時間が明確に決まっておらず、大まかな予定時間のみが決められていただけなのだ。
臨機応変な作戦行動の為という名目であったが、未だに混乱から立ち直っていない事は、明らかであった。
その頼りにならない、曖昧な作戦開始時間を回った事に、少なからず焦りを感じていた為であろう。
佐藤の手は汗で湿っている。
だが、流石に特殊部隊の指揮官であり、彼が内心を態度に出す事は無かった。
普通の部隊同士の連繋であれば、無線で連絡を取り合うところであるが、特殊作戦群は違う。
何せ彼等の場合は、無線を傍受される事を警戒し、敢えて無線を使わない任務も珍しく無いのだ。
もちろん、今回の任務で敵に無線を傍受される可能性は、現時点で皆無である。
しかし、それは現時点入手した情報に基づく判断であり、特殊作戦群では可能な限り無線を使用しないという事もあって、通信は行わない。
正確には、通信機器そのものを装備せずにいるのだ。
当然ながら、それは考え無しに決まった訳では無かった。
理由は、敵の聴音能力が未知数である点だ。
現時点での判断とはいえ実際上、無線が傍受される可能性は低い。
皆無と言って良いだろう。
エルフ達が無線や、電話の存在を知った時の驚き様は、特戦群にも伝わっている為に、警戒する必要性は無かった。
だが、聴音能力に関しては別である。
町の周囲に、隠しマイクの様な魔法が隠されている可能性も、否定は出来ない。
そもそも魔法という存在自体が、未知なのだ。
用心に越した事は無い。
魔法の存在する世界では、索敵一つ取ってもどの様な手段があるか、見当も付かないのである。
そして、それなりに情報が入って来てはいるものの、その全てはエルフを経由したものばかりであった。
故に、当然ながら外国人であるエルフ達からの情報を、そのまま鵜呑みには出来ないのだ。
如何に貸しのある相手とはいえ、国家間に真の友情は存在しない。
そうで無くとも、付き合いたての国交である。
全面的な信頼関係を築ける方がおかしい。
エルフ達も、日本との対立は避けようとするであろうが、日本という国家からしてみれば、絶対的に信用する事は出来ないのである。
最悪の場合は虚偽の情報や、意図的に歪められた情報がもたらされる可能性も、充分に考えられるのだ。
警戒しても慎重に過ぎるとは言えない。
今回の任務で、無線を傍受される可能性が皆無であるにも拘らず、特殊作戦群が無線を使わないのも、そうした警戒心の一環である。
佐藤の場合は特に、聴音能力に関しての警戒を強めており、無線機を用意した場合に特戦群の予期しないタイミングで無線が入り、予期せず大きな音をたててしまう可能性を、憂慮しているのだ。
もちろん、無線を切っておけば済む話ではあるが、それぐらいであれば最初から持たない方が良い、というのが佐藤の判断であった。
それにも理由はある。
下手に持ち出して、万が一にも奪われた場合。
そして、敵に翻訳魔法の様な技術があった場合。
その損失は大きいと考えたのであろう。
想定外の出来事によって、無線が必要となる可能性もあるが、当然それを踏まえた上での判断である。
その場合の対策は考慮してあった。
奪われても被害の小さい信号弾で代用しようというのだ。
技術的な話をすれば、信号弾の方が再現は楽かもしれない。
通信機の再現は、ほぼ不可能であろう。
しかし、通信機の場合は奪われたどうかも分からない状況で、通信が筒抜けになってしまう可能性があるのだ。
それに、基本的に言葉は通じないものの、万屋という前例も存在する。
魔法であれ何であれ、言語の壁を越える手段が敵に存在しても、おかしな話ではない。
決して油断すべき状況では無いのだ。
それを考えると信号弾の方がまし、という話である。
信号弾にしたところで、再現はそれなりに困難であり、例え再現に成功したとしても無線機と比べれば、内容、距離共に大幅に制限されるものだ。
これは佐藤の立場から観れば、至極真っ当な考えである。
佐藤は軍人(自衛官という建前はあるが)であり、技術流出と前線で作戦が筒抜けになる可能性を天秤に掛けた場合、後者を取るのが正しい選択なのだ。
ちなみに、自分達の情報が完全に信頼されていない、という状況を察していると思われるエルフは、伯爵唯一人であった。
アンジェリカはお察しであり、ベアトリクスの方は情報面で依存させようと目論んではいたものの、そういった細かな状況を察するには、少しばかり経験が不足していたのだ。
伯爵も気付いてはいたが、不快感を微塵も見せない事から、おそらくは納得しているのであろう。
少なくとも理解はしている筈である。
何せ、付き合いが浅いのはお互い様なのだ。
関係を深める段階で、信頼関係が築けていれば、それは矛盾している。
そんな状況を、伯爵程老獪な人物が理解しているのは、当然であろう。
「隊長、どうします?」
部下の一人が、佐藤に小声で問い掛ける。
他の部隊とは異なる、過酷な訓練に耐えて来た精鋭とは言っても、実戦経験が少ない(無いとは言っていない。もちろん非公式な話である)為か、その声は少しばかり上ずっていた。
若さという事もあるのであろう。
佐藤自身、若い頃には覚えがある。
実際、その部下は若かった。
「まだだ。
もう少し待て」
佐藤は苦笑しつつも、部下を宥める。
部下の気持ちは分からないでもない。
だが、今回は拉致された日本国民を救出するという、政治的な意味合いから考えても、失敗の許されない作戦なのだ。
慎重に越した事は無いのであろう。
佐藤率いる特戦群は、待機する事を選んだ。
そうして五分程過ぎた頃である。
騒ぎは収まらず、益々大きくなりつつあったものの、状況は佐藤の目論見通りに進んでいた。
こちらの都合に合わせたかの様に、敵が街道側の城壁へと集結し始めたのだ。
万屋小隊の陽動は、当初の目論見通りに成功したと言えるであろう。
佐藤はニヤリと笑い、小声で指示を飛ばす。
「そろそろだな。
行くぞ!」
指示を受けた隊員達は、事前に決められた予定通りに、行動を開始する。
そもそも、彼等の居る場所は何処かと言えば、港側に近い城壁の近くであった。
万屋小隊の居る、街道側の城門近くの城壁が南側であり、佐藤達特戦群の居る位置は西北に当たる。
ここには抜け道と言っても良い様な、小さい出入口があるのだ。
むしろ、それが抜け道である事は確実であった。
何せ、その外側は崖の下である。
門とは呼べないぐらいの、小さな出入口の外には三平米程の小さな空間があり、三方は崖に囲まれていた。
正面だけは、道とも言えない山羊しか通れなさそうな、獣道が存在するがそれだけであり、馬等は確実に通れない。
通常の裏口にしては、不便過ぎるのである。
そこから獣道を登っても、そこに何かがある訳でもなく、町から東へ数キロ離れた辺りの街道近くまで続いているだけだ。
それだけでなく、外部から見付けるには岩山を越える必要があり、地上から見付けるのは先ず不可能であろう。
衛星という、空の目が無ければ発見は不可能であった。
以上の事から、それが抜け道である事は確実なのである。
そんな崖の上に、佐藤達は潜んでいた。
ここから獣道を下り、再び城壁を登るのだ。
城壁を登る前に発見された場合は、大きな音をたてるリスクを気にせず、爆薬を使用して城壁か、小さな裏門を破壊する予定である。
隊員達は音をたてずに、崖を下って行く。
初めて通る筈の急斜面を、異様なまでに静かに下れる事は、彼等が精鋭である事の証明とも言えよう。
ロープを伝っているとはいえ、全くの無音なのだ。
普通ならば下手な場所を踏んで、岩の欠片を落とすぐらいのミスはありそうなものであるが、その様な事も皆無である。
ここまで静かに移動していれば、例え目撃されたとしても、敵襲とは思われない可能性もあるだろう。
そしてその速度も、信じられない程に速い。
迅速な行動は、軍事的な観点から観ると美徳であるが、それにしても異様である。
滑る様に下って行くのだ。
迷信深い(迷信と言い切る事は困難であるが)この世界の人間が目撃すれば、亡霊の集団と見間違えてもおかしくはないであろう。
それ程までに素早く、静かな移動であったのだ。
もっとも、それ以前に夜の闇の中、無灯火で素早く移動する彼等を遠距離から発見する事は、非常に困難である。
魔法的な何かが無い限りは、見付かる可能性は皆無であった。
何はともあれ、佐藤達特戦群は城壁の下までたどり着く。
行動を開始してから、全員がここまで下りて来るのに、僅か三分程しか経っていない。
まさに精鋭らしい迅速な行動である。
「まだ発見されていないらしいな…………、よし登るぞ」
佐藤はそう言うと、鍵縄の付いたロープを器用に放り投げた。
時代劇に出てきそうな、昔ながらの道具ではあるが、壁を登る際に音が小さく済むには、これが一番良い方法であると佐藤は信じている。
仮にも特殊部隊の指揮官である佐藤だが、そんな迷信にも等しい一面があった。
特殊部隊の指揮官としては、らしくない話ではあるが、佐藤にもそれなりの理由がある。
そもそも、佐藤がここにいる経緯は子供の頃、忍者に憧れた為であった。
誰でも子供の頃は、現実的では無い夢に憧れるものである。
佐藤も、そんな純粋な少年の一人であった。
しかし、その夢の実現が困難である事に気付いた時、大抵の人間は妥協するか、諦めるものであろう。
佐藤の場合は、前者を選んだ。
忍者にはなれなくとも、特殊部隊であれば似たようなものと、割り切れる様になったのだ。
こうして佐藤は自衛隊への道を進み、苦労の末に特戦群へ加わったのである。
鍵縄への拘りは、佐藤の中に今でも残っている、青春の思い出なのだ。
無論、それで死んではもとも子もない。
故に今回の任務に於いて、自分が本気で役に立つと信じた装備である、鍵縄こそ使用するものの、その他の装備は現代特殊部隊に相応しいものを使用しているのだ。
その唯一役に立つであろう鍵縄でさえ、有用なのは今回の任務ぐらいである。
低い城壁という、現代社会では少なくなっている建造物だからこそ、どうにかなるのであって、それなりの高さの鉄筋コンクリート製ビルにまで有効とは思えない。
その事は、佐藤も承知しているのだ。
この世界では、まだ暫くは鍵縄を活用出来る機会もある筈であるが、日本の建設業者が進出すれば、それも終わりである。
所詮は一瞬の機会なのだ。
佐藤はそこに寂しさを感じつつも、私情で自身や部下を危険な目に遭わせる程、無謀さを持ってはいなかった。
佐藤はロープを引っ張り、引っ掛かっている事を確認すると、それに掴まりながら城壁に足を掛ける。
そして、崖の獣道を下る時と同じ様に、異様な速度で登って行く。
幸いな事に、裏口やそこに続く抜け道の存在は知られていても、それが発見されるというのは想定外だったのであろう。
彼等は発見される事もなく、易々と侵入に成功する。
万屋小隊が攻撃している正門らしき大きな入口の方では、篝火が焚かれているものの、それ以外の場所は暗い。
当然と言えば当然である。
電灯の発明以前、人類は基本的に夜明けと共に起き、日暮れと共に眠る生活をしていたのだ。
この世界の文明では、この時間に起きている人間が少なく、その為に漏れる様な灯りも、存在しないのであろう。
現代人である佐藤は、違和感を覚えつつもそう考えて納得する。
(俺も浮き足だっているのか)
佐藤はそう思って苦笑を浮かべた。
リースに街灯の一つも存在しない事は、事前情報で知っていた筈なのだ。
普段であれば、即座にその事前情報を思い出し、違和感を感じる事も無かったであろう。
(気を付けないとな………)
佐藤は、改めて気を引き締めた。
消音装置が上手く作動している為に、銃声こそ聞こえないものの、リースの町中が騒がしくなった事から、佐藤はそう判断した。
指揮官としての立場から、軽い言い回しをしているが、内心は違う。
何せ今回の作戦では、作戦開始時間が明確に決まっておらず、大まかな予定時間のみが決められていただけなのだ。
臨機応変な作戦行動の為という名目であったが、未だに混乱から立ち直っていない事は、明らかであった。
その頼りにならない、曖昧な作戦開始時間を回った事に、少なからず焦りを感じていた為であろう。
佐藤の手は汗で湿っている。
だが、流石に特殊部隊の指揮官であり、彼が内心を態度に出す事は無かった。
普通の部隊同士の連繋であれば、無線で連絡を取り合うところであるが、特殊作戦群は違う。
何せ彼等の場合は、無線を傍受される事を警戒し、敢えて無線を使わない任務も珍しく無いのだ。
もちろん、今回の任務で敵に無線を傍受される可能性は、現時点で皆無である。
しかし、それは現時点入手した情報に基づく判断であり、特殊作戦群では可能な限り無線を使用しないという事もあって、通信は行わない。
正確には、通信機器そのものを装備せずにいるのだ。
当然ながら、それは考え無しに決まった訳では無かった。
理由は、敵の聴音能力が未知数である点だ。
現時点での判断とはいえ実際上、無線が傍受される可能性は低い。
皆無と言って良いだろう。
エルフ達が無線や、電話の存在を知った時の驚き様は、特戦群にも伝わっている為に、警戒する必要性は無かった。
だが、聴音能力に関しては別である。
町の周囲に、隠しマイクの様な魔法が隠されている可能性も、否定は出来ない。
そもそも魔法という存在自体が、未知なのだ。
用心に越した事は無い。
魔法の存在する世界では、索敵一つ取ってもどの様な手段があるか、見当も付かないのである。
そして、それなりに情報が入って来てはいるものの、その全てはエルフを経由したものばかりであった。
故に、当然ながら外国人であるエルフ達からの情報を、そのまま鵜呑みには出来ないのだ。
如何に貸しのある相手とはいえ、国家間に真の友情は存在しない。
そうで無くとも、付き合いたての国交である。
全面的な信頼関係を築ける方がおかしい。
エルフ達も、日本との対立は避けようとするであろうが、日本という国家からしてみれば、絶対的に信用する事は出来ないのである。
最悪の場合は虚偽の情報や、意図的に歪められた情報がもたらされる可能性も、充分に考えられるのだ。
警戒しても慎重に過ぎるとは言えない。
今回の任務で、無線を傍受される可能性が皆無であるにも拘らず、特殊作戦群が無線を使わないのも、そうした警戒心の一環である。
佐藤の場合は特に、聴音能力に関しての警戒を強めており、無線機を用意した場合に特戦群の予期しないタイミングで無線が入り、予期せず大きな音をたててしまう可能性を、憂慮しているのだ。
もちろん、無線を切っておけば済む話ではあるが、それぐらいであれば最初から持たない方が良い、というのが佐藤の判断であった。
それにも理由はある。
下手に持ち出して、万が一にも奪われた場合。
そして、敵に翻訳魔法の様な技術があった場合。
その損失は大きいと考えたのであろう。
想定外の出来事によって、無線が必要となる可能性もあるが、当然それを踏まえた上での判断である。
その場合の対策は考慮してあった。
奪われても被害の小さい信号弾で代用しようというのだ。
技術的な話をすれば、信号弾の方が再現は楽かもしれない。
通信機の再現は、ほぼ不可能であろう。
しかし、通信機の場合は奪われたどうかも分からない状況で、通信が筒抜けになってしまう可能性があるのだ。
それに、基本的に言葉は通じないものの、万屋という前例も存在する。
魔法であれ何であれ、言語の壁を越える手段が敵に存在しても、おかしな話ではない。
決して油断すべき状況では無いのだ。
それを考えると信号弾の方がまし、という話である。
信号弾にしたところで、再現はそれなりに困難であり、例え再現に成功したとしても無線機と比べれば、内容、距離共に大幅に制限されるものだ。
これは佐藤の立場から観れば、至極真っ当な考えである。
佐藤は軍人(自衛官という建前はあるが)であり、技術流出と前線で作戦が筒抜けになる可能性を天秤に掛けた場合、後者を取るのが正しい選択なのだ。
ちなみに、自分達の情報が完全に信頼されていない、という状況を察していると思われるエルフは、伯爵唯一人であった。
アンジェリカはお察しであり、ベアトリクスの方は情報面で依存させようと目論んではいたものの、そういった細かな状況を察するには、少しばかり経験が不足していたのだ。
伯爵も気付いてはいたが、不快感を微塵も見せない事から、おそらくは納得しているのであろう。
少なくとも理解はしている筈である。
何せ、付き合いが浅いのはお互い様なのだ。
関係を深める段階で、信頼関係が築けていれば、それは矛盾している。
そんな状況を、伯爵程老獪な人物が理解しているのは、当然であろう。
「隊長、どうします?」
部下の一人が、佐藤に小声で問い掛ける。
他の部隊とは異なる、過酷な訓練に耐えて来た精鋭とは言っても、実戦経験が少ない(無いとは言っていない。もちろん非公式な話である)為か、その声は少しばかり上ずっていた。
若さという事もあるのであろう。
佐藤自身、若い頃には覚えがある。
実際、その部下は若かった。
「まだだ。
もう少し待て」
佐藤は苦笑しつつも、部下を宥める。
部下の気持ちは分からないでもない。
だが、今回は拉致された日本国民を救出するという、政治的な意味合いから考えても、失敗の許されない作戦なのだ。
慎重に越した事は無いのであろう。
佐藤率いる特戦群は、待機する事を選んだ。
そうして五分程過ぎた頃である。
騒ぎは収まらず、益々大きくなりつつあったものの、状況は佐藤の目論見通りに進んでいた。
こちらの都合に合わせたかの様に、敵が街道側の城壁へと集結し始めたのだ。
万屋小隊の陽動は、当初の目論見通りに成功したと言えるであろう。
佐藤はニヤリと笑い、小声で指示を飛ばす。
「そろそろだな。
行くぞ!」
指示を受けた隊員達は、事前に決められた予定通りに、行動を開始する。
そもそも、彼等の居る場所は何処かと言えば、港側に近い城壁の近くであった。
万屋小隊の居る、街道側の城門近くの城壁が南側であり、佐藤達特戦群の居る位置は西北に当たる。
ここには抜け道と言っても良い様な、小さい出入口があるのだ。
むしろ、それが抜け道である事は確実であった。
何せ、その外側は崖の下である。
門とは呼べないぐらいの、小さな出入口の外には三平米程の小さな空間があり、三方は崖に囲まれていた。
正面だけは、道とも言えない山羊しか通れなさそうな、獣道が存在するがそれだけであり、馬等は確実に通れない。
通常の裏口にしては、不便過ぎるのである。
そこから獣道を登っても、そこに何かがある訳でもなく、町から東へ数キロ離れた辺りの街道近くまで続いているだけだ。
それだけでなく、外部から見付けるには岩山を越える必要があり、地上から見付けるのは先ず不可能であろう。
衛星という、空の目が無ければ発見は不可能であった。
以上の事から、それが抜け道である事は確実なのである。
そんな崖の上に、佐藤達は潜んでいた。
ここから獣道を下り、再び城壁を登るのだ。
城壁を登る前に発見された場合は、大きな音をたてるリスクを気にせず、爆薬を使用して城壁か、小さな裏門を破壊する予定である。
隊員達は音をたてずに、崖を下って行く。
初めて通る筈の急斜面を、異様なまでに静かに下れる事は、彼等が精鋭である事の証明とも言えよう。
ロープを伝っているとはいえ、全くの無音なのだ。
普通ならば下手な場所を踏んで、岩の欠片を落とすぐらいのミスはありそうなものであるが、その様な事も皆無である。
ここまで静かに移動していれば、例え目撃されたとしても、敵襲とは思われない可能性もあるだろう。
そしてその速度も、信じられない程に速い。
迅速な行動は、軍事的な観点から観ると美徳であるが、それにしても異様である。
滑る様に下って行くのだ。
迷信深い(迷信と言い切る事は困難であるが)この世界の人間が目撃すれば、亡霊の集団と見間違えてもおかしくはないであろう。
それ程までに素早く、静かな移動であったのだ。
もっとも、それ以前に夜の闇の中、無灯火で素早く移動する彼等を遠距離から発見する事は、非常に困難である。
魔法的な何かが無い限りは、見付かる可能性は皆無であった。
何はともあれ、佐藤達特戦群は城壁の下までたどり着く。
行動を開始してから、全員がここまで下りて来るのに、僅か三分程しか経っていない。
まさに精鋭らしい迅速な行動である。
「まだ発見されていないらしいな…………、よし登るぞ」
佐藤はそう言うと、鍵縄の付いたロープを器用に放り投げた。
時代劇に出てきそうな、昔ながらの道具ではあるが、壁を登る際に音が小さく済むには、これが一番良い方法であると佐藤は信じている。
仮にも特殊部隊の指揮官である佐藤だが、そんな迷信にも等しい一面があった。
特殊部隊の指揮官としては、らしくない話ではあるが、佐藤にもそれなりの理由がある。
そもそも、佐藤がここにいる経緯は子供の頃、忍者に憧れた為であった。
誰でも子供の頃は、現実的では無い夢に憧れるものである。
佐藤も、そんな純粋な少年の一人であった。
しかし、その夢の実現が困難である事に気付いた時、大抵の人間は妥協するか、諦めるものであろう。
佐藤の場合は、前者を選んだ。
忍者にはなれなくとも、特殊部隊であれば似たようなものと、割り切れる様になったのだ。
こうして佐藤は自衛隊への道を進み、苦労の末に特戦群へ加わったのである。
鍵縄への拘りは、佐藤の中に今でも残っている、青春の思い出なのだ。
無論、それで死んではもとも子もない。
故に今回の任務に於いて、自分が本気で役に立つと信じた装備である、鍵縄こそ使用するものの、その他の装備は現代特殊部隊に相応しいものを使用しているのだ。
その唯一役に立つであろう鍵縄でさえ、有用なのは今回の任務ぐらいである。
低い城壁という、現代社会では少なくなっている建造物だからこそ、どうにかなるのであって、それなりの高さの鉄筋コンクリート製ビルにまで有効とは思えない。
その事は、佐藤も承知しているのだ。
この世界では、まだ暫くは鍵縄を活用出来る機会もある筈であるが、日本の建設業者が進出すれば、それも終わりである。
所詮は一瞬の機会なのだ。
佐藤はそこに寂しさを感じつつも、私情で自身や部下を危険な目に遭わせる程、無謀さを持ってはいなかった。
佐藤はロープを引っ張り、引っ掛かっている事を確認すると、それに掴まりながら城壁に足を掛ける。
そして、崖の獣道を下る時と同じ様に、異様な速度で登って行く。
幸いな事に、裏口やそこに続く抜け道の存在は知られていても、それが発見されるというのは想定外だったのであろう。
彼等は発見される事もなく、易々と侵入に成功する。
万屋小隊が攻撃している正門らしき大きな入口の方では、篝火が焚かれているものの、それ以外の場所は暗い。
当然と言えば当然である。
電灯の発明以前、人類は基本的に夜明けと共に起き、日暮れと共に眠る生活をしていたのだ。
この世界の文明では、この時間に起きている人間が少なく、その為に漏れる様な灯りも、存在しないのであろう。
現代人である佐藤は、違和感を覚えつつもそう考えて納得する。
(俺も浮き足だっているのか)
佐藤はそう思って苦笑を浮かべた。
リースに街灯の一つも存在しない事は、事前情報で知っていた筈なのだ。
普段であれば、即座にその事前情報を思い出し、違和感を感じる事も無かったであろう。
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ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる
あっとさん
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。
でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。
でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。
その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。
そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。
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