新日本書紀《異世界転移後の日本と、通訳担当自衛官が往く》

橘末

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第二章 西端半島戦役

第十話 危機感を持つ者

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    ああ、私はこれからどうすべきなのか。

    そう思うと、溜め息が尽きない。
生還してからも、私は悩み続けている。
あの地獄の様な戦場を命からがら逃げ延び、なんとか港までたどり着いた。
部下達は一息ついた様子だ。
兵卒という立場を羨んだ事など一度も無いが、今日ばかりはその気楽さを羨ましく思える。
彼等はこれで終わったと、本気で思っているのであろう。
嵐の様な天災、不幸な遭遇ぐらいにしか思っていないのだ。
一過性の現象だと信じているのだ。
気楽なものである。
驚いた事に、その楽観的な風潮は農奴兵だけでなく、傭兵にまでも広まっているらしい。
実に奇妙な話である。

    無学な農奴兵ならば当然であろう。
彼等の人生は基本的に、農村で始まり農村で終わる。
今回の様に、神聖軍が大々的に動員されれば村の外へ出る事もあるが、それは例外なのだ。
故に、農奴は世間を知らない。
村の外に関する事は、無知と言ってもよいだろう。
そんな彼等であれば、楽観的な思い込みをしてもおかしくはない。
むしろ当然と言えよう。
そして、農奴兵が楽観的であろうと悲観的であろうと、戦況に変わりは無い。
何故なら、彼等はどんなに悲観的であっても、実際に不利な戦況となっても逃げる事が出来ないからだ。
そう、世間知らずな彼等にとって、外征中の逃亡は野垂れ死ぬ事と、ほぼ同意義である。
動員された以上、彼等には戦う以外に道が無いのだ。

    しかし、傭兵は違う。
余程の新米であればともかく、各地を転戦し続けている様なベテランの傭兵で無くとも、大抵の傭兵はものが見える。
ましてやベテランの傭兵ともなれば、並みの将よりも遥かにものが見えるだろう。
機に覚くを先を読み、勝ち組に付く。
それが傭兵という存在なのだ。
にも拘らず、傭兵達が農奴兵と同じ態度を取っている。
これは不可解を通り越して、不気味な状況であった。

    とにかく現状、楽観的な風潮は危険である。
あれが一時的な出来事である保障など、何処にも無いのだ。
そんな単純な事に、彼等は気付いていない。
少なくとも、農奴兵達は確実に気付いていなかった。
傭兵達の場合は異なる可能性もある。
彼等が大軍を差配したり、戦場を選ぶ事は滅多に無いのだ。
参陣すれば、それ以降は駒である。
故に、その考え方も自らを駒として割り切ったもの、という事は多い。
厳密には、大半の傭兵がそうだろう。
気付いていても、自分達が考えても仕方がないと考えているのか、現実から目を背けているのかもしれない。

    ただ、一方で傭兵は計算高いという一面がある。
私が心配しているのは、その辺りだ。
普通の戦争であれば、傭兵が裏切る事はまず無い。
裏切りとは、傭兵全体の信用に関わる問題なのだ。
下手をしなくとも、同業者からの制裁を受ける様な、掟破りとされる。
それ以前に、勝敗の見極めに長けている傭兵には、裏切る必要性が無いのだ。
その為、傭兵が裏切る事は滅多に無い。
だが、それも契約通りに事が進み、彼等に利益がもたらされた場合に限る。
その辺りは、騎士道という一種の見栄を必要とする騎士や、身軽さとは程遠い貴族と異なる点だろう。
彼等は、現実的であると同時に身軽であり、その日暮らしでもあるのだ。
実入りが無ければ、やむを得ず裏切る事も無くはない。
厄介な事に、その場合の裏切りは同業者からも黙認される。
そんな状況になってまで、雇い主に果たす義理は無いという事なのだろう。
その為、傭兵を雇う側は彼等に対し、常に餌をちらつかせなければならない。
今回の場合は、戦利品を自由に出来るというのが、彼等に与えられた唯一の利益であった。
しかし、我々は敵地に上陸する事すら出来ずに、敗走している。
つまり、参戦する見返りを与えられなくなったのだ。
そして、見返りを与えられない以上、裏切っても制裁は受けない。
この場合建前ではあるが、帝国側の事情による契約不履行とみなされるのだ。
もちろん、ここは帝国直轄領であるリース港であり、普通に考えれば裏切りなどあり得ない話である。
しかし、現に傭兵の動きは不自然極まりない。
ものの見える彼等の目には、確実に何かが映ったのだ。
その様な状況下で、彼等が裏切らないという保障もまた、どこにもないのである。

    楽観論にしても達観にしても裏切りにしても、私には羨ましい話であった。
生還した軍人の中で最高位という私の立場では、そのどれも許されざる贅沢なのだから。
そう、私がいるのは生還した最高位の軍人という、最悪の立場であった。
ここまで来ると清々しい程の大敗であるが、だからと言って勲章を貰える可能性は無い。
当然である。
私は敗軍の将となったのだから。
理不尽さを感じないでもなかったが、それでも生還した以上は、敗北の責任を負わねなばなるまい。

    そして、これ程の大敗である。
叱責で済む可能性は皆無だ。
爵位剥奪で済めば奇跡、と言ったところか。
実際は査問の末、死罪が妥当であろう。
最悪、身内にも累が及ぶ可能性も、充分にある。
少なくとも確実に言えるのは、私の未来が暗いという事だ。
悩ましい限りである。
何か対策を考えねば、ここで終わるであろう。
だが、対策と言っても何をどうすれば良いのか、皆目見当も付かないのが、現状であった。

    そもそも、敗北以前に敵の存在そのものが、疑問だらけなのだ。
何せ、正体すら不明である。
落ち着いて考えれば考える程、疑問が強くなって行くという、奇妙な存在とも言えよう。

    先ず、とにかく強い。
どれ程強いかと言えば、敗走中は騎士から船乗りまで、皆が揃いも揃って神への祈りを捧げるばかり、という惨状からも分かるだろう。
もちろん、船の中には教国からの従軍司祭や、聖騎士の様に信心深い連中だけでなかった。
傭兵の様な、お世辞にも信仰心の篤いとは言えない連中も、半分は占めていたであろう。
船乗りの様な、荒くれ者も結構な割合を占めていたのだ。
そんな彼等でさえも例外ではなく、一様に震えながら祈っていた事が、敵の強さを示している。

    無理も無い話なのだろう。
僅か一昼夜の戦いで三十万の大軍が、文字通り壊滅したのだ。
しかも、その大半は昼間の僅かな時間で、海の藻屑となってしまった。
数百数千といた上陸船団の内、ここリース港までたどり着けたのは、たったの一隻である。
それも、ほぼ一方的に負けたのだ。
少なくとも、私は敵に損害を与えたという報告を、一切聞いていない。
あれでは、とても戦争とは呼べないだろう。
屠殺と言ってもよい筈だ。

    そんな惨状から、必死の思いで逃げて来たのでは、どんな不信心者でも祈らずにはいられなかったのであろう。
それはいい。
圧倒的な戦力差の前に畏縮するのは、極めて自然な事だ。

    問題はその圧倒的な戦力が、何処から現れたかという点である。
地理的な観点から観れば、タルターニャ海軍が最有力候補であるが、おそらく彼等ではない。
たしかに、彼等の強さは有名である。
しかし、彼等の海軍には西天津国のティコーゼンという、対抗手段が存在した。
強大な相手ではあるが、決して抗えない存在でもないのだ。
我が海軍にしても、ここまで一方的に負ける相手ではない。

    しかし、我々が対峙した敵は違った。
歴史的な大遠征軍を一方的に殲滅して見せた、非常識な存在である。
タルターニャにしろ西天津国にしろ、ここまで非常識な存在ではない。
彼等はあくまでも常識的な強者であり、神でも悪魔でも無いのだ。
故に第一候補であるタルターニャ海軍、及び第二候補として挙げられる西天津海軍は、除外される。

    では魔族領域の軍なのか?
こうなると、第三候補として挙げられるのは、魔族のみとなる。
しかし、それはそれでおかしな話だ。
たしかに西端半島は、人類領域南部に属する。
魔族領域に近く、戦闘が起こっても不思議ではない。
だが、一方で我々神聖大陸の戦力と、西方大陸の戦力が集中している地域でもあるのだ。
いくら魔族でもこの地域に手を出すのは、無謀と言えるだろう。
この地域に進攻する為に、唯一考えられる手段は、片方の陣営と和睦する事であろうか。

    たしかに、片方と結んで片方を滅ぼせば、容易に進出する事が可能ではあろう。
だが、それはあくまでも理屈の上での話だ。
実際問題、魔族と人類が結べる可能性は、皆無である。
他種族連盟と称する西方大陸陣営が、如何に野蛮であろうとも、それだけは絶対にあり得ない話だ。
たとえそうであったとしても、タルターニャの領海である。
彼等の海軍は魔族と相対する、海の守護者なのだ。
何の情報ももたらさずに負ける可能性は、それこそ皆無であろう。
故に、魔族の可能性も消える。

    消去法で考えれば東方大陸の、アトランティス帝国となるが、彼等は鎖国を維持し続けている。
有名な海上城壁を越える事は、彼等自身でも困難であると聞く。
第一、動機も無いのだ。

    こうして全ての可能性が潰える。
考えれば考える程、疑問が増えていくだけであった。

    「あ??あ??ゎ」

    私は奇声を出しつつ体を反らした。
こうなると、極僅かな可能性を考える必要が出てくる。
それが憂鬱で堪らない。
気の滅入る様な可能性であるが、状況を考えるとそれが一番高い可能性なのだ。
しかし、それを口に出せば異端審問に掛けられるだろう。
それでも報告すべきなのか。
考えていても始まらない。
帝都へ、第一報を報せる為の伝令を送り出したのは、失敗であった。
伝令を出してしまった以上は、可能な限り詳細な続報を可能な限り速やかに、用意せねばならないのだ。
そう思い立った私は、ペンを取って公文書用の羊皮紙を押さえる。

    そこでふと思った。
これ程の大敗であり、生存者は少ない。
聞き取り調査は、生存者全員に行われるであろう。
彼等は正直に話であろうか?
この私自身、狂人扱いを恐れているのだ。
ましてや兵卒達の立場である。
私と同じ様な恐れを持った場合、どの様に話であろう?
正直に話てくれれば良いのだ。
恐いのは、古参の兵士であれば上の求めを推察する事が容易い、という点だ。
この場合、残念な事に上から求められているのは、責任を負うべき生け贄である。
そして、生け贄になると理解した上で尽くす程、帝国に義理があるのだろうか?

    「……………無いな」

    そう考えると、気が楽になった。
何せ、帝国の命運は気にせず、私自身と領地の事だけを考えれば、それで良くなったのである。
こうなると、問題は一つだ。
虚偽の報告をしたと判断されなければ、それで済む。
私が錯乱状態にあると判断されれば、尚良い。
とにかく、あれに再び挑んだ場合、帝国も神聖連邦も滅びるだけである。
錯乱を理由に領地で幽閉されていれば、後は帝国が滅亡するのを待つだけだ。
帝国滅亡よりも前に、時期を見計らって彼等に恭順すれば、領地も安堵されるだろう。
途中で参戦するのも手だ。
その頃になれば、帝国も討伐軍を編成する余裕は無い筈。
私が、彼等の土地に上陸した事さえばれなければ、恩賞を受ける事も出来よう。
そう考えると、正確な情報を知っている事は、大きな強みになるものだ。

    だが、その前に聞き取り調査をの方を、上手く切り抜けねばなるまい。
信じ難くも、正確な報告をすべきであろうか。
しかし、それが責任逃れの嘘と判断されれば、問題だ。
虚偽の報告は重罪である。
悪質な場合は死罪となる可能性もある程だ。
もちろん、兵卒達が念密な打ち合わせの下に、本気で私を見捨てるつもりがあればの話である。
実際問題、余程上手く口裏を合わせねば、矛盾だらけとなるだろう。
明らかな偽証であれば、参考とはならない。
念の為に、注意はしておくべきであろう。
ここさえ切り抜けられれば、明るい未来が待っているのだ。
上手く、最初に恭順した領主となれば、周囲の領地は切り取り自由とされるであろう。
彼等の制度にもよるが、大領主となれる可能性は、非常に高い。

    そうと決まれば、拐ってきた島民を始末せねばならんな。
私の顔を知られた以上、売るのは危険だ。
彼等の土地に私が上陸した事は、咎められる点である。
傭兵や兵卒達には、口止め料を払えば良かろうが、私を恨んでいる筈の島民は口を封じる他無い。
彼等が売れないという事は、出征費用を考えると一時的な赤字であるが、それは仕方の無い事だ。

    ところで、外の騒がしさは何であろうか?
裏切り等はあるまいが、様子を見てくるべきか。
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