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記録25
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ふう、とルシアが大きく息を吐いたのを確認すると、俺は彼女の枕元からそっと離れた。
以前、彼女は遊園地のテレビCMを見て「ここは何!?」と目を輝かせていた。普段目にする街並みとは違うきらびやかな世界に、並々ならぬ興味が湧き上がったらしい。なので、いつか行こうと約束をしていた。そして、その約束の日はいよいよ明日に迫っていた。
先日のバーベキューの前日も気持ちが高まりすぎて寝つけない様子だった彼女は案の定、本日も一向に眠る気配を見せなかった。そのため、俺はあらゆる手を尽くして彼女を寝かしつけようとした。しかし、万全を期して用意したはずの寝かしつけ絵本なんかは、眠気を催すどころか、矛盾点などにことごとくツッコミを入れられてしまう始末。ヒーリング音楽やツボ押し、ストレッチ、呼吸法などあれこれと試して、つい先ほどようやく彼女は眠ってくれたのだった。
彼女の寝息を聞きながら、俺は仕事用の鞄から小さな箱を取り出して、明日のお出かけ時に持っていく鞄へと滑り込ませた。――彼女を心から安心させるために、俺ができるだろうこと。これは、それを明日実行するための準備だ。
翌日、俺たちは電車を乗り継いで夢の国へとやって来た。愛らしいキャラクターが出迎えてくれ、ルシアは興奮気味に彼らに走り寄り、写真を撮るよう俺に所望した。
彼女の現在の身長では、利用可能なアトラクションはかなり限られてしまう。しかしながら、彼女はテレビで見た風景を散策して回るだけでも楽しいようだった。実際に光っているということはなかったのだが、キラキラと光る園内の街並みや景色なんかよりも、彼女は光り輝いていたし眩しいと俺は思った。
いろんなショーを見て、あちこちで食べ歩きをして。至福の笑みを浮かべながら、ルシアはこっくりこっくりと船を漕ぎ始めた。あまりにも眠たそうだったので「予定を切り上げて、もう帰ろうか?」と提案すると、彼女は必死に目を擦りながら言った。
「やだ、頑張る。だって、花火……」
テレビで見た〈夜のパレードと花火〉を実際に見たいというのが、彼女が立てていた予定だった。どんなに眠くても、そこだけは譲れないらしい。俺は承諾すると、仮眠をとるようにと促して彼女を抱き上げた。ルシアはへにゃりと笑って小さく「ありがとう」と言うと、すぐさま夢路へと旅立っていった。
ところで、実は、ルシアと連れ立って出掛けると高確率で発生する面倒事がある。それは「お母さんはどうしたの?」と尋ねられるということだ。育児に積極的に参加し、妻に十分な休息をとってもらうべく父子だけで出掛けるというご家庭も現代では増えてきているだろうに、いまだにそのような質問を第三者からされるのだ。今となっては近所で声をかけられるということはなくなったのだが、アウェイな土地に行くとしょっちゅうで、おせっかいかつ疑り深い人にぶち当たってしまうと、最悪、警察を呼ばれることもあった。――そして最悪なことに、本日もそのバッドイベントが発生した。
おせっかいさんは俺に散々質問をしたあと、疑念が晴れなかったのか正義感を見せつけてきた。俺の腕を掴んで園内パトロールを呼ぼうとし、俺が困惑して身を捩ったところでルシアが目を覚ました。本当ならまだ眠っていたかっただろうに、彼女は事情を察してすぐさま俺のために一芝居打ってくれた。
おせっかいさんがそそくさと退散するのを見届けることなく、俺たちもその場から離れることにした。しばらくして落ち着ける場所にやって来ると、ルシアは頭を擦り寄せるようにしながらギュウと抱きついてきた。
「殿方がひとりで小さな子どもの相手をするというのは、そんなにおかしなことなの?」
「いや、そういうことはないはずだけど」
「そうよね。なのに何故、悪く見られるのかしら。――あなたと一緒にいると、本当に不思議に思うのよ。私はあなたの料理上手なところとか、面倒見がいいところとか、真面目で責任感が強いところとか、とても素晴らしいし魅力的だと思うのに。バーベキューのときもそうだったけれど、他の人たちの多くは、あなたのそういう資質をきちんと評価しないじゃない。あなたや、あなたのような人はもっと評価されるべきだし幸せになるべきだと思うのに、どうしてわざわざ貶めたり阻んだりしようとする人がいるのかしら」
「いろいろと理由はあると思うけれど、共通して言えることは〈満たされるほどの幸せを知らない〉ってことなんじゃないかな。――ぶっちゃけ、俺もそうだったよ。お前と出会って、お前がそうやって何かと褒めてくれるまでは、俺も自信なかったし、ちょっとしたことでイライラしたし、他人の幸せや長所を羨みすぎて妬ましいとさえ思うこともあったし」
ルシアは顔をあげると、信じられないとばかりに目を丸くした。そして苦笑いを浮かべると、俺の頬を優しく撫でながら言った。
「でもそれはきっとほんの一部分で、あなたは出会った当初から〈良い人〉だったわ。だって、じゃなかったら、私のことを保護なんかしてくれてはいないでしょう? ――誰にだって、弱気や他を羨む気持ちというのは起こり得るわ。でもね、それで視界と心を曇らせて、良いものを良いと思えなくなったり、元から持っている良いものを見失うのはもったいないわ」
「たしかに、そうかもしれないな」
「自分のことをきちんと評価してくれる人が今現在いなくても、いつかはきっと現れるから。だから〈どうせ駄目〉なんて思わずに、とりあえず自分で自分に花丸をあげておかなきゃ。もしくは、〈駄目〉だなんて言う人のことなんか気にせず、これでいいのだと悟りを開くの。そうやって常に自分の立ち位置を正に保っておかないと、せっかく評価してくれる人が現れても、それに気づくことすらできなくなってしまうわ」
「でもそれって、結構難しいもんだぜ?」
俺が肩を竦めると、ルシアは目を細めてクスクスと笑った。
「そんなことないわよ。他愛ない小さな喜びを、少しずつ大きくしていけば誰だって簡単にできることなんだから。――現に、あなただってそれができていたから、私や〈友達としてのカティ〉と出会えたわけじゃない」
嗚呼、本当に。彼女はなんて素晴らしいのだろう。どうしてこうも、彼女は愛おしいのだろう。それは彼女が聖女だからなのか、それとも俺の恋心が盲目にさせているからなのか。俺は彼女の優しい心に、綺麗な思いに、すっかりと魅せられてしまった。改めて、それを強く思い知らされた。――そんなことをぼんやりと考えながら、俺は美しく微笑む彼女に見とれて惚けていた。すると、彼女は俺の肩をポンポンと叩いて「お夕飯、食べに行きましょ」と言い、膝から降りようと身じろいだ。
夕飯を済ませると、俺たちは花火のベストスポットに移動した。城を模した施設のバックに打ち上がる花火は、何とも綺麗だった。ルシアは俺の膝の上にちょこんと座って空を見上げ、たまにこちらを振り返りながら夜空の花を堪能した。そんな彼女を包み込むように俺が身を寄せると、彼女は照れくさそうに頭を擦り寄せてきた。
最後の花火が大きく空を飾ると、ルシアは心なしか残念そうな、名残惜しそうな溜め息を小さくついた。俺はその瞬間を狙って、昨晩用意しておいた箱の中身を彼女の首へとかけた。不思議そうにぽかんとする彼女を再び腕の中に取り込むと、俺は彼女の頭に顔を寄せて言った。
「また一緒に、見に来よう。――だから、これからもずっと、そばにいさせて欲しい」
「えっ? あの、これ――」
「そっちの世界じゃあどうかは知らないけど、こっちの世界では結婚するときに夫婦で揃いの指輪をする風習があるんだよ。でもその結婚に至る前、婚約の時点でも、女性に指輪を贈ることがあって」
緊張と気恥ずかしさで、俺の声は震えていた。もしかしたら、体も変な力が入って強張ってたかもしれない。ルシアは俺の言わんとしていることをようやく理解したのか、みるみる体を強張らせ、そしてポッポと熱を帯びだした。
「ずっとそばにというのは、一体いつまで?」
「もちろん、しわくちゃの爺さんになっても。死ぬまで、ずっと。――あ、でも、お前は若いままだろうに爺さんが横にいるのは、やっぱり恥ずかしいよな」
「馬鹿ね、そんなことあるわけないじゃない。あなたとともに生きられるというのは、それだけで誇りだわ。それに、ともに老いて死にゆける方法を探すから、そんな変な気を遣わなくて大丈夫よ」
「それって寿命を早巻きにして縮めるってことじゃないか? 駄目だろ、そんなのは」
「あなたも私も幸せで、誰にも迷惑がかからないのなら問題ないじゃない」
俺に背を向けた状態でふるふると震えていたはずのルシアは、いつしか相対していた。膝に乗っかったまま抱きしめ合い、小さく「嬉しい。ありがとう」と言う彼女をさらに強く、俺は抱きしめた。抱きしめながら、俺は思った。――あれ? 何で元の姿に戻らない……? 何で、〈幸福の光〉すら瞬かない……!?
平静を装いつつも、俺の頭の中は「何で」「どうして」でいっぱいだった。彼女とのやりとりから鑑みるに、プロポーズの答えはイエスであるはずなのに。嬉しいと言いながら、強く抱きついてきてくれているのに。なのに彼女は一向に元の姿に戻る気配がなかった。よくよく考えてみると、俺は彼女から一言も好きだの愛しているだの言われたことはない。良いと思う点を挙げてはくれるが、素敵だ魅力的だと言ってはくれるが、愛の告白はされたことがなかった。――もしかして、ここまで気持ちが昂ぶっているのは、俺だけ……?
俺が内心冷や汗を掻きパニックに陥っているということも知ってか知らずか、ルシアはにっこりと微笑んで「そろそろ帰りましょうか」と言った。俺はもちろん、電車の中でもずっと「何で」「どうして」を頭の中でグルグルとさせた。そんな俺の横で、ルシアはペンダントのように首にかけられた〈小さいながらもダイヤの付いた指輪〉を嬉しそうに眺めていた。――そんなに嬉しいなら! 元の姿に! 戻ってくれよ!! お前、プロポーズだよ!? 一世一代の大イベントだよ!?
帰宅して風呂に入り、そろそろ寝ようかと部屋の明かりを消してすぐ、俺はショックのあまりにルシアに背を向ける形でベッドに寝転がった。しばらくして俺は、自分の布団に包まっていたはずのルシアの熱をその背中に感じた。
「タクロー、今日は本当にありがとう」
彼女の声に驚いて、俺は飛び起き彼女のほうを振り向いた。声が、幼女のそれではなかったのだ。
「ごめんなさい、はしたないわよね。でも、あなたのそばに行きたかっ――」
申し訳なさそうに笑った彼女を抱き寄せると、俺はそれ以上何も言わせなかった。
次に目を開けたとき、俺が目にしたのは頬を染めてはにかむ彼女ではなく天井だった。真っ暗だったはずの部屋に朝日が差し込んでおり、その明るさに驚愕した俺は「えっ、まさか何もせずに寝落ちした!?」と心中で叫んだ。しかし、それもつかの間――
ルシアが忽然と姿を消していることに気がついて、俺の頭の中は真っ白になったのだった。
以前、彼女は遊園地のテレビCMを見て「ここは何!?」と目を輝かせていた。普段目にする街並みとは違うきらびやかな世界に、並々ならぬ興味が湧き上がったらしい。なので、いつか行こうと約束をしていた。そして、その約束の日はいよいよ明日に迫っていた。
先日のバーベキューの前日も気持ちが高まりすぎて寝つけない様子だった彼女は案の定、本日も一向に眠る気配を見せなかった。そのため、俺はあらゆる手を尽くして彼女を寝かしつけようとした。しかし、万全を期して用意したはずの寝かしつけ絵本なんかは、眠気を催すどころか、矛盾点などにことごとくツッコミを入れられてしまう始末。ヒーリング音楽やツボ押し、ストレッチ、呼吸法などあれこれと試して、つい先ほどようやく彼女は眠ってくれたのだった。
彼女の寝息を聞きながら、俺は仕事用の鞄から小さな箱を取り出して、明日のお出かけ時に持っていく鞄へと滑り込ませた。――彼女を心から安心させるために、俺ができるだろうこと。これは、それを明日実行するための準備だ。
翌日、俺たちは電車を乗り継いで夢の国へとやって来た。愛らしいキャラクターが出迎えてくれ、ルシアは興奮気味に彼らに走り寄り、写真を撮るよう俺に所望した。
彼女の現在の身長では、利用可能なアトラクションはかなり限られてしまう。しかしながら、彼女はテレビで見た風景を散策して回るだけでも楽しいようだった。実際に光っているということはなかったのだが、キラキラと光る園内の街並みや景色なんかよりも、彼女は光り輝いていたし眩しいと俺は思った。
いろんなショーを見て、あちこちで食べ歩きをして。至福の笑みを浮かべながら、ルシアはこっくりこっくりと船を漕ぎ始めた。あまりにも眠たそうだったので「予定を切り上げて、もう帰ろうか?」と提案すると、彼女は必死に目を擦りながら言った。
「やだ、頑張る。だって、花火……」
テレビで見た〈夜のパレードと花火〉を実際に見たいというのが、彼女が立てていた予定だった。どんなに眠くても、そこだけは譲れないらしい。俺は承諾すると、仮眠をとるようにと促して彼女を抱き上げた。ルシアはへにゃりと笑って小さく「ありがとう」と言うと、すぐさま夢路へと旅立っていった。
ところで、実は、ルシアと連れ立って出掛けると高確率で発生する面倒事がある。それは「お母さんはどうしたの?」と尋ねられるということだ。育児に積極的に参加し、妻に十分な休息をとってもらうべく父子だけで出掛けるというご家庭も現代では増えてきているだろうに、いまだにそのような質問を第三者からされるのだ。今となっては近所で声をかけられるということはなくなったのだが、アウェイな土地に行くとしょっちゅうで、おせっかいかつ疑り深い人にぶち当たってしまうと、最悪、警察を呼ばれることもあった。――そして最悪なことに、本日もそのバッドイベントが発生した。
おせっかいさんは俺に散々質問をしたあと、疑念が晴れなかったのか正義感を見せつけてきた。俺の腕を掴んで園内パトロールを呼ぼうとし、俺が困惑して身を捩ったところでルシアが目を覚ました。本当ならまだ眠っていたかっただろうに、彼女は事情を察してすぐさま俺のために一芝居打ってくれた。
おせっかいさんがそそくさと退散するのを見届けることなく、俺たちもその場から離れることにした。しばらくして落ち着ける場所にやって来ると、ルシアは頭を擦り寄せるようにしながらギュウと抱きついてきた。
「殿方がひとりで小さな子どもの相手をするというのは、そんなにおかしなことなの?」
「いや、そういうことはないはずだけど」
「そうよね。なのに何故、悪く見られるのかしら。――あなたと一緒にいると、本当に不思議に思うのよ。私はあなたの料理上手なところとか、面倒見がいいところとか、真面目で責任感が強いところとか、とても素晴らしいし魅力的だと思うのに。バーベキューのときもそうだったけれど、他の人たちの多くは、あなたのそういう資質をきちんと評価しないじゃない。あなたや、あなたのような人はもっと評価されるべきだし幸せになるべきだと思うのに、どうしてわざわざ貶めたり阻んだりしようとする人がいるのかしら」
「いろいろと理由はあると思うけれど、共通して言えることは〈満たされるほどの幸せを知らない〉ってことなんじゃないかな。――ぶっちゃけ、俺もそうだったよ。お前と出会って、お前がそうやって何かと褒めてくれるまでは、俺も自信なかったし、ちょっとしたことでイライラしたし、他人の幸せや長所を羨みすぎて妬ましいとさえ思うこともあったし」
ルシアは顔をあげると、信じられないとばかりに目を丸くした。そして苦笑いを浮かべると、俺の頬を優しく撫でながら言った。
「でもそれはきっとほんの一部分で、あなたは出会った当初から〈良い人〉だったわ。だって、じゃなかったら、私のことを保護なんかしてくれてはいないでしょう? ――誰にだって、弱気や他を羨む気持ちというのは起こり得るわ。でもね、それで視界と心を曇らせて、良いものを良いと思えなくなったり、元から持っている良いものを見失うのはもったいないわ」
「たしかに、そうかもしれないな」
「自分のことをきちんと評価してくれる人が今現在いなくても、いつかはきっと現れるから。だから〈どうせ駄目〉なんて思わずに、とりあえず自分で自分に花丸をあげておかなきゃ。もしくは、〈駄目〉だなんて言う人のことなんか気にせず、これでいいのだと悟りを開くの。そうやって常に自分の立ち位置を正に保っておかないと、せっかく評価してくれる人が現れても、それに気づくことすらできなくなってしまうわ」
「でもそれって、結構難しいもんだぜ?」
俺が肩を竦めると、ルシアは目を細めてクスクスと笑った。
「そんなことないわよ。他愛ない小さな喜びを、少しずつ大きくしていけば誰だって簡単にできることなんだから。――現に、あなただってそれができていたから、私や〈友達としてのカティ〉と出会えたわけじゃない」
嗚呼、本当に。彼女はなんて素晴らしいのだろう。どうしてこうも、彼女は愛おしいのだろう。それは彼女が聖女だからなのか、それとも俺の恋心が盲目にさせているからなのか。俺は彼女の優しい心に、綺麗な思いに、すっかりと魅せられてしまった。改めて、それを強く思い知らされた。――そんなことをぼんやりと考えながら、俺は美しく微笑む彼女に見とれて惚けていた。すると、彼女は俺の肩をポンポンと叩いて「お夕飯、食べに行きましょ」と言い、膝から降りようと身じろいだ。
夕飯を済ませると、俺たちは花火のベストスポットに移動した。城を模した施設のバックに打ち上がる花火は、何とも綺麗だった。ルシアは俺の膝の上にちょこんと座って空を見上げ、たまにこちらを振り返りながら夜空の花を堪能した。そんな彼女を包み込むように俺が身を寄せると、彼女は照れくさそうに頭を擦り寄せてきた。
最後の花火が大きく空を飾ると、ルシアは心なしか残念そうな、名残惜しそうな溜め息を小さくついた。俺はその瞬間を狙って、昨晩用意しておいた箱の中身を彼女の首へとかけた。不思議そうにぽかんとする彼女を再び腕の中に取り込むと、俺は彼女の頭に顔を寄せて言った。
「また一緒に、見に来よう。――だから、これからもずっと、そばにいさせて欲しい」
「えっ? あの、これ――」
「そっちの世界じゃあどうかは知らないけど、こっちの世界では結婚するときに夫婦で揃いの指輪をする風習があるんだよ。でもその結婚に至る前、婚約の時点でも、女性に指輪を贈ることがあって」
緊張と気恥ずかしさで、俺の声は震えていた。もしかしたら、体も変な力が入って強張ってたかもしれない。ルシアは俺の言わんとしていることをようやく理解したのか、みるみる体を強張らせ、そしてポッポと熱を帯びだした。
「ずっとそばにというのは、一体いつまで?」
「もちろん、しわくちゃの爺さんになっても。死ぬまで、ずっと。――あ、でも、お前は若いままだろうに爺さんが横にいるのは、やっぱり恥ずかしいよな」
「馬鹿ね、そんなことあるわけないじゃない。あなたとともに生きられるというのは、それだけで誇りだわ。それに、ともに老いて死にゆける方法を探すから、そんな変な気を遣わなくて大丈夫よ」
「それって寿命を早巻きにして縮めるってことじゃないか? 駄目だろ、そんなのは」
「あなたも私も幸せで、誰にも迷惑がかからないのなら問題ないじゃない」
俺に背を向けた状態でふるふると震えていたはずのルシアは、いつしか相対していた。膝に乗っかったまま抱きしめ合い、小さく「嬉しい。ありがとう」と言う彼女をさらに強く、俺は抱きしめた。抱きしめながら、俺は思った。――あれ? 何で元の姿に戻らない……? 何で、〈幸福の光〉すら瞬かない……!?
平静を装いつつも、俺の頭の中は「何で」「どうして」でいっぱいだった。彼女とのやりとりから鑑みるに、プロポーズの答えはイエスであるはずなのに。嬉しいと言いながら、強く抱きついてきてくれているのに。なのに彼女は一向に元の姿に戻る気配がなかった。よくよく考えてみると、俺は彼女から一言も好きだの愛しているだの言われたことはない。良いと思う点を挙げてはくれるが、素敵だ魅力的だと言ってはくれるが、愛の告白はされたことがなかった。――もしかして、ここまで気持ちが昂ぶっているのは、俺だけ……?
俺が内心冷や汗を掻きパニックに陥っているということも知ってか知らずか、ルシアはにっこりと微笑んで「そろそろ帰りましょうか」と言った。俺はもちろん、電車の中でもずっと「何で」「どうして」を頭の中でグルグルとさせた。そんな俺の横で、ルシアはペンダントのように首にかけられた〈小さいながらもダイヤの付いた指輪〉を嬉しそうに眺めていた。――そんなに嬉しいなら! 元の姿に! 戻ってくれよ!! お前、プロポーズだよ!? 一世一代の大イベントだよ!?
帰宅して風呂に入り、そろそろ寝ようかと部屋の明かりを消してすぐ、俺はショックのあまりにルシアに背を向ける形でベッドに寝転がった。しばらくして俺は、自分の布団に包まっていたはずのルシアの熱をその背中に感じた。
「タクロー、今日は本当にありがとう」
彼女の声に驚いて、俺は飛び起き彼女のほうを振り向いた。声が、幼女のそれではなかったのだ。
「ごめんなさい、はしたないわよね。でも、あなたのそばに行きたかっ――」
申し訳なさそうに笑った彼女を抱き寄せると、俺はそれ以上何も言わせなかった。
次に目を開けたとき、俺が目にしたのは頬を染めてはにかむ彼女ではなく天井だった。真っ暗だったはずの部屋に朝日が差し込んでおり、その明るさに驚愕した俺は「えっ、まさか何もせずに寝落ちした!?」と心中で叫んだ。しかし、それもつかの間――
ルシアが忽然と姿を消していることに気がついて、俺の頭の中は真っ白になったのだった。
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