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第2章 パワハラ上司が、部下に優しい実業家になるまで
2-3 パワハラ男はようやく部下の苦境を理解しました
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その翌日、私は絶望的な気持ちになって目を覚ました。
勿論ショックの一つとしては、愛妻フリスティナが寝取られたことだ。
だがそれ以上に私を苦しめたのは、愛妻が罵倒してきた発言の内容だ。
あれは単に「催眠で言わされた」だけとは到底思えない。
というのも、ご主人様が知りえないはずの情報を語っていたからだ。
「おはようございます、イグニス課長」
私は安アパートの一室で、イグニスの声で目を覚ました。
ああ、昨日まではフリスティナの可愛い声で目を覚ましたのに、今は部下に起こしてもらうのか。
「ああ、おはよう」
「ご飯できていますよ。よかったら食べてください」
そう言ってイグニスは食事を出してきた。
正直喉を通るとは思えなかったが、その考えは彼の出したメニューを見て吹き飛んだ。
「……お前、相変わらず料理が上手いな……」
「……あの寝取られの光景は、いつ見ても慣れないですから。だから、ご主人様に会う日の翌日はこうやって、美味しいものを用意するんです」
イグニスが言うように、その日の朝は質素ながら上品で美味しそうであった。
獣肉の骨と野菜くずを長時間煮込んで作ったであろうコンソメスープ、鳥肉を細かく刻んだものが入ったふんわりしたオムレツ。
そして獣人やリザードマンでも食べられる食材で作ったシャキシャキしたサラダ。
私の胃袋も思わず鳴り、落ち込んでいた心を多少なりとも癒してくれた。
「うまいな……」
「ならよかったです。夕食も美味しいの作るので楽しみにしていてください」
そう言うとイグニスは、手元に置いていた手紙を読んでいた。
「それはなんだ?」
「俺の描いたイラストへのファンレターです。……落ち込んだ時には、これが一番の励みになりますから」
それを聞いた私はどこか羨ましくなった。
私はいつも落ち込んだ時にはフリスティナに励ましてもらっていた。だが、逆に言えば彼女を失えば、私を慰めてくれるものはないからだ。
……まったく、私がどれだけ妻に甘えていたのかわかるな。
そしてイグニスにも甘える訳にはいかない。私は食事の後、彼に提案する。
「こう食事を作ってもらっては悪いな。代わりに洗濯は私がやろう」
「え、いいんですか?」
「ああ。だが、その……多分最初は下手だと思うから、指導してくれないか?」
私は家のことはすべて妻に任せっきりだった。
だが、これからは自分でやらなければならないことは分かっている。
それを聞き、イグニスはにやりと笑みを浮かべてきた。
「指導……ですか? ニルセン課長みたいにガンガンやる感じでしょうか?」
「私みたいに、か?」
「ええ。『なんでまだできてないんだ!』『ほかの奴だったらもうとっくに終わってるぞ!』みたいな感じですよ」
「う……」
「ふざけんじゃねえ!」と怒鳴りたかったが、昨日の催眠の影響でそういう言い方が出来ない。
そういえば、確かあの催眠は『誰に対して有効か』を指定していなかった。イグニスにも怒鳴れないようだ。
「いや、そういうのは……」
……私はそう言って、思わず首を振った。
部下であるイグニスに……いや、誰が相手でもそんな言い方をされたら、2度と洗濯などするものか、と思ってしまうからだ。
イグニスは私のそんなみっともない姿を見て、アハハと笑った。
「冗談ですよ。じゃあ一つずつ教えていきますから、ゆっくり覚えていってください」
「ああ、すまんな……」
こいつは本当に強くなったな。
数多くの仕事をこなし、その中で多くの人の信頼を得たから、それが自信につながったのだろう。
そう思うと私は、皿を洗った後職場に向かった。
「おはよう」
「あ……おはよう、ございます……あれ、イグニスと一緒に来たんですね」
「ああ」
そう言うと私は自身の仕事を軽く済ませ、部下たちの様子を見た。
「どうだ、クーゲル、仕事の進みは?」
「あ、いえ……」
ますますクーゲルの体調が悪そうに感じた。
さらに、進捗を見る限り、かなり元来のスケジュールより遅れていた。
この職場は歩合給で、仮に仕事を落としても本人の給料が落ちるだけだ。
だが、あくまでも事務所の名を出して仕事をしている以上、落ちた分の信頼は我々の事務所にも波及する。
「クーゲル」
私はそう思い、喝を入れてあげようと思った。
「は、はい……」
……だが、私の声は出なかった。これも催眠のせいだろう。
そして私はクーゲルがひどく怯えていることに気が付いた。
(……私は……部下にこんな顔をさせていたのか……)
種族の特性として、我々リザードマンは、熱くなると周りが見えにくくなることが多い。
その為、喝を入れてやったり、指導……いや、あれは指導と言えたのか?……をしていたりしている時に相手がどんな顔をしているのかなど、分からなかった。
だが、そのクーゲルの表情を見ると、私は自身の『指導』が少なくとも、相手を委縮させていることは気が付いた。
そこで私は尋ねた。
「……すまない、ちょっとお前の仕事の契約書を見せてくれないか?」
「え? あ、はい」
もとより、私は「催眠アプリ」の影響で怒ることが出来ない体になっている。
……だからこそ、指導の形を変えよう。
こいつが一枚のイラストに時間を無駄に書けてるのかもしれない。依頼内容は簡単なイラストを頼んでいるのに、ディテールにこだわりすぎている可能性もある。
そう言うところを理詰めで教えてやらないといけない。
そう思い、まずは彼女が受けている依頼の内容を調べようと思った。
……だが。
「なんだ、この契約は……!」
滅茶苦茶だったのは契約書の方であった。
異常なほどの細かい要求が記載されているうえ、要求されているクオリティも高い。
さらに、納期は通常よりも二週間は早い。
挙句の果てに報酬も相場を遥かに下回っている。
「クーゲル……昨日、何枚仕上げた? 出来た奴を見せてくれ」
「え? あ、はい」
クーゲルのイラストを見て私は確信した。
彼女のイラストの出来栄えは、イグニスほどではないが決して悪くはなく、ペースも通常通り……いや、周りの部下よりもかなり早い。
……そう、彼女の依頼が遅かったのではなく、この依頼を発注した側が無茶な注文をしていたのだ。
私は、自分が情けなく思いながら頭を下げた。
「お前、こんな依頼を受けていたのか……すまない、もっと早く気づいていればよかったな」
「……え……?」
それを聞いたクーゲルは信じられないという表情を見せた。
まったく、私が鬼か何かだと思っていたのだろうか? ……思っていたんだろうな。
「おい、聞いたか、今の……」
「悪い、多分幻聴だ……」
さらに私の周りの部下たちに至っては、頬をつねっていた。
そこまでしなくていいだろう?……いや、そこまでおかしかったんだな、昨日までの私は。
「……頑張っているみたいだが、今日、何枚仕上げられそうだ?」
「す、すみません……大体……これくらいです……」
私は彼女が仕上げてくれそうな枚数について教えてもらった。
「多分……もう納期に……間に合いそうもなくて……」
「分かった。今日は無理しないで良い。私が直接契約元に言って、締め切りの延期を願い出てくる」
「え? ですが……」
クーゲルの言いたいことは分かる。
元々クリエイターは立場が弱い。その為客先の機嫌を損ねてしまったら今後の仕事に支障が出るというのは言うまでもない。
だから部外者がしゃしゃり出るのは本人にとっても迷惑なのだろう。
……だが、だからと言ってこの生活を続けていてはクーゲルが先に参ってしまう。
バカなクリエイターの面倒を見るのが私たち管理職の仕事だ。
「分かっている。お前の仕事をつぶしたりはしないようにするさ。……おい、イグニス?」
「はい」
「お前の立場が、今回の交渉では必要になりそうだ。……すまないが、ついて来てくれないか?」
イグニスは私のその発言に、嫌な顔一つに頷いてくれた。
「ええ、もちろんです! なんでもやりますよ、俺は!」
そうして私たちはアポイントを取った後、クーゲルの得意先に足を運ぶことにした。
勿論ショックの一つとしては、愛妻フリスティナが寝取られたことだ。
だがそれ以上に私を苦しめたのは、愛妻が罵倒してきた発言の内容だ。
あれは単に「催眠で言わされた」だけとは到底思えない。
というのも、ご主人様が知りえないはずの情報を語っていたからだ。
「おはようございます、イグニス課長」
私は安アパートの一室で、イグニスの声で目を覚ました。
ああ、昨日まではフリスティナの可愛い声で目を覚ましたのに、今は部下に起こしてもらうのか。
「ああ、おはよう」
「ご飯できていますよ。よかったら食べてください」
そう言ってイグニスは食事を出してきた。
正直喉を通るとは思えなかったが、その考えは彼の出したメニューを見て吹き飛んだ。
「……お前、相変わらず料理が上手いな……」
「……あの寝取られの光景は、いつ見ても慣れないですから。だから、ご主人様に会う日の翌日はこうやって、美味しいものを用意するんです」
イグニスが言うように、その日の朝は質素ながら上品で美味しそうであった。
獣肉の骨と野菜くずを長時間煮込んで作ったであろうコンソメスープ、鳥肉を細かく刻んだものが入ったふんわりしたオムレツ。
そして獣人やリザードマンでも食べられる食材で作ったシャキシャキしたサラダ。
私の胃袋も思わず鳴り、落ち込んでいた心を多少なりとも癒してくれた。
「うまいな……」
「ならよかったです。夕食も美味しいの作るので楽しみにしていてください」
そう言うとイグニスは、手元に置いていた手紙を読んでいた。
「それはなんだ?」
「俺の描いたイラストへのファンレターです。……落ち込んだ時には、これが一番の励みになりますから」
それを聞いた私はどこか羨ましくなった。
私はいつも落ち込んだ時にはフリスティナに励ましてもらっていた。だが、逆に言えば彼女を失えば、私を慰めてくれるものはないからだ。
……まったく、私がどれだけ妻に甘えていたのかわかるな。
そしてイグニスにも甘える訳にはいかない。私は食事の後、彼に提案する。
「こう食事を作ってもらっては悪いな。代わりに洗濯は私がやろう」
「え、いいんですか?」
「ああ。だが、その……多分最初は下手だと思うから、指導してくれないか?」
私は家のことはすべて妻に任せっきりだった。
だが、これからは自分でやらなければならないことは分かっている。
それを聞き、イグニスはにやりと笑みを浮かべてきた。
「指導……ですか? ニルセン課長みたいにガンガンやる感じでしょうか?」
「私みたいに、か?」
「ええ。『なんでまだできてないんだ!』『ほかの奴だったらもうとっくに終わってるぞ!』みたいな感じですよ」
「う……」
「ふざけんじゃねえ!」と怒鳴りたかったが、昨日の催眠の影響でそういう言い方が出来ない。
そういえば、確かあの催眠は『誰に対して有効か』を指定していなかった。イグニスにも怒鳴れないようだ。
「いや、そういうのは……」
……私はそう言って、思わず首を振った。
部下であるイグニスに……いや、誰が相手でもそんな言い方をされたら、2度と洗濯などするものか、と思ってしまうからだ。
イグニスは私のそんなみっともない姿を見て、アハハと笑った。
「冗談ですよ。じゃあ一つずつ教えていきますから、ゆっくり覚えていってください」
「ああ、すまんな……」
こいつは本当に強くなったな。
数多くの仕事をこなし、その中で多くの人の信頼を得たから、それが自信につながったのだろう。
そう思うと私は、皿を洗った後職場に向かった。
「おはよう」
「あ……おはよう、ございます……あれ、イグニスと一緒に来たんですね」
「ああ」
そう言うと私は自身の仕事を軽く済ませ、部下たちの様子を見た。
「どうだ、クーゲル、仕事の進みは?」
「あ、いえ……」
ますますクーゲルの体調が悪そうに感じた。
さらに、進捗を見る限り、かなり元来のスケジュールより遅れていた。
この職場は歩合給で、仮に仕事を落としても本人の給料が落ちるだけだ。
だが、あくまでも事務所の名を出して仕事をしている以上、落ちた分の信頼は我々の事務所にも波及する。
「クーゲル」
私はそう思い、喝を入れてあげようと思った。
「は、はい……」
……だが、私の声は出なかった。これも催眠のせいだろう。
そして私はクーゲルがひどく怯えていることに気が付いた。
(……私は……部下にこんな顔をさせていたのか……)
種族の特性として、我々リザードマンは、熱くなると周りが見えにくくなることが多い。
その為、喝を入れてやったり、指導……いや、あれは指導と言えたのか?……をしていたりしている時に相手がどんな顔をしているのかなど、分からなかった。
だが、そのクーゲルの表情を見ると、私は自身の『指導』が少なくとも、相手を委縮させていることは気が付いた。
そこで私は尋ねた。
「……すまない、ちょっとお前の仕事の契約書を見せてくれないか?」
「え? あ、はい」
もとより、私は「催眠アプリ」の影響で怒ることが出来ない体になっている。
……だからこそ、指導の形を変えよう。
こいつが一枚のイラストに時間を無駄に書けてるのかもしれない。依頼内容は簡単なイラストを頼んでいるのに、ディテールにこだわりすぎている可能性もある。
そう言うところを理詰めで教えてやらないといけない。
そう思い、まずは彼女が受けている依頼の内容を調べようと思った。
……だが。
「なんだ、この契約は……!」
滅茶苦茶だったのは契約書の方であった。
異常なほどの細かい要求が記載されているうえ、要求されているクオリティも高い。
さらに、納期は通常よりも二週間は早い。
挙句の果てに報酬も相場を遥かに下回っている。
「クーゲル……昨日、何枚仕上げた? 出来た奴を見せてくれ」
「え? あ、はい」
クーゲルのイラストを見て私は確信した。
彼女のイラストの出来栄えは、イグニスほどではないが決して悪くはなく、ペースも通常通り……いや、周りの部下よりもかなり早い。
……そう、彼女の依頼が遅かったのではなく、この依頼を発注した側が無茶な注文をしていたのだ。
私は、自分が情けなく思いながら頭を下げた。
「お前、こんな依頼を受けていたのか……すまない、もっと早く気づいていればよかったな」
「……え……?」
それを聞いたクーゲルは信じられないという表情を見せた。
まったく、私が鬼か何かだと思っていたのだろうか? ……思っていたんだろうな。
「おい、聞いたか、今の……」
「悪い、多分幻聴だ……」
さらに私の周りの部下たちに至っては、頬をつねっていた。
そこまでしなくていいだろう?……いや、そこまでおかしかったんだな、昨日までの私は。
「……頑張っているみたいだが、今日、何枚仕上げられそうだ?」
「す、すみません……大体……これくらいです……」
私は彼女が仕上げてくれそうな枚数について教えてもらった。
「多分……もう納期に……間に合いそうもなくて……」
「分かった。今日は無理しないで良い。私が直接契約元に言って、締め切りの延期を願い出てくる」
「え? ですが……」
クーゲルの言いたいことは分かる。
元々クリエイターは立場が弱い。その為客先の機嫌を損ねてしまったら今後の仕事に支障が出るというのは言うまでもない。
だから部外者がしゃしゃり出るのは本人にとっても迷惑なのだろう。
……だが、だからと言ってこの生活を続けていてはクーゲルが先に参ってしまう。
バカなクリエイターの面倒を見るのが私たち管理職の仕事だ。
「分かっている。お前の仕事をつぶしたりはしないようにするさ。……おい、イグニス?」
「はい」
「お前の立場が、今回の交渉では必要になりそうだ。……すまないが、ついて来てくれないか?」
イグニスは私のその発言に、嫌な顔一つに頷いてくれた。
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