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しおりを挟む「おかえりなさい」
この人にお帰りと言うと、未だに不思議な感じがする。
秋はダンス、唯は女子会があると言って、珍しくひとりの時間はチャイムの音で終了した。
玄関まで迎えにいくとただいまと微笑んだ暮刃先輩。異次元からきたような人間が、同じ場所に帰ってくる事がどうにもむず痒くて早くリビングに入ってと促した。
リビングのソファに置かれた雑誌。
広すぎるシェアハウスは1人では扱いきれなくて、結局動きもせず読書して過ごすだけになってしまった。
「雑誌読んでたの?」
「新刊出てたんで」
「何か欲しいのはあった?」
「勝手に買わないで下さいね」
前に雑誌を見ながら秋と唯とこれが良いあれが良いとこのリビングで話し合っていたら数日後にはクローゼットにすべて入っていた事がある。すごく嬉しいが心臓に悪い。
「俺も欲しかっただけだよ」
隠す気もない嘘で微笑むとゆっくりと頰を撫でる指。外がどれほど寒いのかよくわかるほど冷えていた。
「つめたいですね」
「ああ、ごめんね」
離して欲しかった訳ではないけど、ぱっと指を離した暮刃先輩はキッチンに向かう。彼がまずする事といえば手を洗った後に冷蔵庫を開け、数秒覗き込んで何かを決めたように頷くのだ。
「チーズフォンデュにしようか」
「唯がはしゃぐやつですね」
「瑠衣もかな」
ひとりっ子コンビは想像しやすい。クスクス笑いながら野菜を取り出した暮刃先輩が振り返る。
「たまには優もやる?茹でるだけだよ、パンは焼くだけ」
カウンター越しに微笑まれたので、それならと頷いた。壁の時計には17:00のデジタル文字。あと1時間くらいでみんなも帰ってくるだろう。
「他は何が良い?」
そう聞かれ俺も冷蔵庫を覗いてみる。綺麗に整頓された冷蔵庫のCMのように綺麗な保存のされ方にはもう慣れた。
「海老、ソーセージ、アボカド、鶏肉……」
「きゅうり?」
驚いた顔の暮刃先輩にきゅうりを渡す。1秒見つめて思わず吹き出した。
「ぷっ、似合わない」
「……最近ちょっと生意気になってきたよね」
「いたたた」
先輩は相変わらず頰をつねるよね。
それかデコピンが多い。
「そのうちほっぺが伸びるよ」
「じゃあやめて下さい」
「触りたいからそれは無理だ」
ほっぺがお好きなようで。
なんだかんだ具材が増えてきたけど、それこそチーズに合わないものなんてほとんどない。キノコも良いし豚肉もいいかも。随分と豪勢だ。
「先輩達といるせいで太ります」
「細いから大丈夫」
「今は良くても将来おデブになったらどうするんですか」
「それこそ君が許せる性格じゃ無い」
お見通しとばかりに笑われてしまった。その通り、少し太ったらすぐ調整するので確かにキープしている。でもこの家でご馳走になる事が多くなるし美味しければ食べてしまうからそろそろ運動は増やそうかな。
「君達は本当に真面目だよねぇ」
「先輩達も真面目ですけど」
「あはは。そんな事、俺達に言うのこの世界で君達くらいだよ」
本当に可笑しいのかくすくすと笑いながら綺麗に野菜を洗っていく暮刃先輩。俺はお鍋に水を張って火をつけ、トースターにパンをセット。
他の世界なんて知らないのだから俺としては至極真面目だ。
「自分の目で見た世界しか知りませんし」
「うん、そうなんだけどね。なんだか嬉しくて、それがむず痒いんだよ」
見上げた顔は確かにいつもより目尻が下がっていた。可愛い、思わず遊びたくなるんだよなこの顔。
「先輩は強くて頭が良くて、それでちょっと怖くて腹が黒い」
「だんだん悪口だねぇ」
そう言いながらも楽しげだ。目の前の丸いお鍋にぐつぐつ気泡が小さく出来始めた。
「しかも死ぬほど優しいからタチが悪いです」
「限られた人間だけだ」
それが事実だとしても俺が見た世界じゃ無いから同じ事。まあこの話は平行線を辿るだろうから否定もしない、自分が見たものを信じるだけだし。先輩が切ってくれた具材を投入すると踊るように水が揺れている。
不意にボトルを取り出した暮刃先輩は2種類を見比べて綺麗に微笑んだ。
「今日は赤かな」
グラスを取り出した後、慣れた手つきで栓を抜く。
「ってもう飲むんですか」
「水分取るのに早いも遅いもないよ」
珍しく屁理屈めいた事を言うからおかしくて、ちいさく吹き出してしまう。なぁにと首を傾げた暮刃先輩が綺麗だから余計におかしい。
「将来暮刃先輩お腹出たら盛大に笑いますからね」
「それまで一緒にいてくれるって事だね。いい約束をありがとう」
「……家までくれた人が何言ってるんです」
そんな簡単に離れると思っているのか。にっこり笑う暮刃先輩のそれが嘘なのは分かるが、俺としてはちょっとカチンときた。
お得意の言葉遊びなら付き合ってあげる。
グラスからひと口含んだのを見計って、両腕を伸ばし暮刃先輩の首ごと引き寄せる。驚いた先輩が飲み込む前に唇を合わせて赤いそれを少しだけもらった。
驚いたグレーの瞳に笑いかける。
「仕方ないから毎夜、晩酌に付き合ってあげますよ」
「優……」
正直まだ味の美味しさが分からないけど、将来の自分に期待しよう。大人の俺を想像していたら、骨が軋むほど抱きしめられる。首筋に暮刃先輩の顔が埋まるとくぐもった声で話し出した。
「やめてくれ」
「晩酌ですか?」
「ちがうよ」
何をだ。
鍋がそろそろ慌ただしくなってきて、手を伸ばして火を弱めようとするとまたきつく抱きしめられる。
「先輩、火が」
「……はやく食べ頃になんないかなぁ」
「そのさらっとエッチな事言うのキャラ的にずるいですよね」
「君もさらっと上を行く言動やめてくれ、2人きりの時に」
「襲いたくなるから?」
「はい、ストップ」
両手を上げた暮刃先輩。そのまま手をリビングに向けると随分とそこが賑やかになっていた。4人増えた事を確認し、時計を見るが30分ほどしか進んでいない。
「早いですね、おかえりなさい」
俺の反応に1秒ほど止まって、
爆発したように騒がしくなる。
「アハハハ!!優たん超クールーーー!」
「ただいまー」
瑠衣先輩がゲラゲラ笑い、秋がのんびり手をあげる。
「ぷはっ!!ひ、ひさと先輩くるしぃーー……」
「ああ、悪い」
ソファに唯と氷怜先輩がいて、後ろから先輩が抱きつくように何故か唯の口を塞いでいた。やっと手から抜け出しグッタリとする唯の横で爆笑しながら瑠衣先輩がお腹を押さえた。
「イチャイチャすんのイイけどー、オレはお腹空いてるからチーズフォンデュ早くしてー?」
「瑠衣先輩ムードクラッシャーっすね」
「もう壊れてるし暮ちんわざと続けてたしー」
「え、そうなんですか?!」
瑠衣先輩の足の間で秋はスマホをいじりながら瑠衣先輩に寄り掛かっている。暮刃先輩の策略に驚いた唯が真っ赤な顔で暮刃先輩を見るが、この場で今更恥ずかしがっているのは唯だけ。
「おかえり唯」
暮刃先輩がわざと穏やかにそういうと、ようやく吹っ切れたように話し出す唯。
「ただいまですよもう!だって、2人の世界だったからさーもー!幸せかー!」
絶妙にズレたツッコミをする唯にククッと笑った氷怜先輩。唯を抱きしめ直すとその頭に顎を置いた。
「こいつが恥ずかしくて黙ってるのが無理だって言うから口塞いでた」
なるほどと頷きながら、お皿に具材を並べにかかる。唯だって振り切れモードならこれくらいなんて事ないのに。
「まだまだ修行が足りないね唯」
「なんだ、それなら口の方が良かったな」
「……え?!」
それはどっちにしろ唯の敗北だ。
チーズフォンデュのセットも準備完了して、運ぼうと思ったらひょいと暮刃先輩が持っていってしまう。
代わりにドリンクとグラスを運び並べ出すと唯と瑠衣先輩が騒ぎ出す。並べるとやっぱり豪華で、運動を増やすと誓った。
「チーズは世界平和~」
「唯ちんわかってんねぇ」
予想通りの反応がおかしくて笑ったら、引っ張られてクッションの上。隣に暮刃先輩が座ると腰を引かれて足の間に収まる。
「みんながもう少し遅かったら襲ってたよ。良かった」
「げほっ」
「暮刃先輩のせいで唯がむせてますよ」
秋があーあと言いながら背中をさすって、瑠衣先輩と氷怜先輩はすでにグラスを掲げていた。
2人きりでも時間が過ぎるの早いのに、全員揃うと家族より騒がしい。
結局どこでも楽しくて、新しい家が身体に馴染むのにそう時間は掛からなそうだ。
応援ありがとうございます!
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