嗜虐的に恋して咬みついて

石月煤子

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「零時? 俺は四時間も寝てたのか?」
「カーニバルは大広間で行われます。もう間に合いませんよ」
「始まろうと問題ない、拓斗を外へ連れ出せばいいだけの話だ」
「彼等は高額の報酬を得たいがため、自ら生き餌になることを志願しています。ノスフェラトゥとは相互利益関係にあると思いますが」
「俺の服はどこにある?」
「カーニバルがどういう風に進行するのか、ご存知ですか?」

 質問に質問で返されて不満を覚えつつも、伊吹生は口を閉じて答えを待つ。

 青年は微笑まじりに伊吹生に回答した。

「生き餌は十字架を模した磔台にステージ上で固定される。オークション形式で競り落としたゲストに大衆の面前で血を吸われる」

 伊吹生は限界まで眉根を寄せる。グズグズしてはいられない。青年が服を出す素振りはなく、致し方ないが、自分で探すためにベッドから立ち上がった。

「松森拓斗君を生き餌バイトから除外するよう、僕が口を利いてあげても構いませんよ」

 羽毛布団が音もなく床に滑り落ちる。

「ここの支配人とは顔見知りです。正確に言えば兄の友人で、今、電話をしてお願いすれば、松森拓斗君を外してくれるでしょう」
「それなら頼む、今すぐに、早く」

 肌触りのいいナイトガウンがしなやかに引き締まった伊吹生の剥き出しの肩にかけられた。

「その代わりに僕のお願いを聞いてくれますか?」
「ああ、何でも聞く」

 一も二もなく答えた伊吹生に彼は満足そうに頷いた。スラックスのポケットから携帯を取り出し、電話をかけ、業務中と思われる支配人が出ると今までと同じ調子で話しかけた。

「今夜の生き餌バイトの松森拓斗君ですが、彼は外してください。宜しくお願いします」

 端的にそれだけ伝えて電話を切った。伊吹生は戸惑う。大学生の電話一本で拓斗は本当に生き餌バイトをやらずに済むのか。今更ながら不安になってきた。

「それだけでいいのか? 直接頼みにいった方がいいんじゃないのか?」
「本当に心配性ですね」

 無造作に羽織ったナイトガウン越しに肩に手を置かれる。次の瞬間、膝の力がガクリと抜けて伊吹生はベッドに座らざるをえなくなった。

 隣に腰かけた青年は、狼狽える司法書士の顔を人懐っこい猫さながらに覗き込んできた。

「大丈夫。問題ありません。プールに突き落とされてまで助けたがっていた普通種の血。他の吸血種に奪われずに済んでよかったですね」

 フロアランプに点るオレンジ色の明かりは、まるで青年の美貌を際立たせるかのようだった。

「俺は拓斗の血に執着しているわけじゃあない」
「ふぅん。ノスフェラトゥで貴方のような人は初めて見ました。生き餌となる普通種を助け出そうとする吸血種なんて、きっと、ここにはいません」

(一体、コイツは何者なんだ?)

「僕は忽那凌貴(くつなりょうき)と言います、甫司法書士」

 伊吹生の心の声を再び読み取ったようなタイミングで青年は、凌貴は、自己紹介を。

「九鳥居(くとりい)大学の経済学部に通っています。今、三年生です。実家はホテルグループ、忽那ホテル&リゾートの運営会社をしています」

 間近に視線を重ねて伊吹生はやっと気づいた。

「ノスフェラトゥ」の門を潜った直後、バルコニーから自分を見下ろしていたのは、この凌貴であったと。

「吸血種」として優れている凌貴に冷や汗が噴き出す。十年近く血液パックにも手を出していない伊吹生は、この同種の青年との間に明確な力の差を感じていた。

「お前、どれだけ血を飲んでる?」
「後ろめたいことは何一つない、真っ当な業者が健康体の普通種から買い取ったクリーンな血液が僕の主食です」

 やおら凌貴は立ち上がると寝室を出ていった。彼に対する警戒心、拓斗の安否も気になって落ち着かない伊吹生の元へ、ゆったりとした歩調で戻ってくる。

「司法書士の先生に多くは望みません」

 赤ワインのボトル、二つのグラスを乗せたトレイがフラットシーツの上に置かれた。

「貴重な出会いを僕と乾杯してくれさえすれば後は何も乞いません」

 伊吹生は茶褐色のボトルの内側で揺らめく赤い液体を凝視する。

「知り合いが離島でワイナリーを経営していて、時々、送ってもらうんです」
「これはただのワインじゃない」
「ええ。知り合いには内緒ですが、僕なりの隠し味を足しています」
「血だ」
「血液パックのものですから。何も罪悪感を覚える必要はありません」
「俺は――」

(俺は言った、コイツのお願いを何でも聞くと)

「……本当に拓斗は無事なんだろうな?」

 凌貴は答えず、慣れた手つきでグラスにワインを注ぐ。深みのある濃厚な色味に背徳的な香り。伊吹生は咄嗟に顔を背けた。

「先に失礼します」

 凌貴が華奢なグラスを傾け、ゆっくりと呑み干していく気配に、つられて喉を波打たせた。

「……一口だけだ」

 膝の上で拳を握った伊吹生は、その言葉をかろうじて絞り出した。

 凌貴は無言でもう一つのグラスにワインを注ぐ。病みつきになる香りがまたふわりと舞って、鼻先を擽り、冷房で冷えていたはずの伊吹生の肌身は一気に汗ばんだ。

「どうぞ」

 淡々と促されてグラスを手に取る。薄いガラスの中では毒入りならぬ血入りのワインが揺らめいていた。

 伊吹生は目を閉じ、凌貴に施された酒を口にした。



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