嗜虐的に恋して咬みついて

石月煤子

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 黒塗りの高級車に半ば強制的に乗せられ、伊吹生は事務所まで送ってもらうことになった。

「自宅じゃなく事務所でよかったんですか?」
「気分転換に書類作成する」

 乗り心地のいい高級車は、うまい具合に混雑を回避して「甫伊吹生司法書士事務所」にスムーズに近づいていく。

「公園で何かしていますね」

 裏通りの一角にある公園では、丁度、夏祭りが催されていた。橙の提灯がぶら下がり、所狭しと屋台が並んでいる。地域の人々がこぞって参加していて毎年盛況のようであった。

「町内の夏祭りだ」

 助手席につく凌貴に後部座席から対応していた伊吹生は、自分の事務所があるブロックの手前で運転手に声をかけた。

「すみません、この辺で停めてもらえますか」
「伊吹生さん、ここだと少し歩きますよ?」

 位置関係をすっかり把握しきっている凌貴に苦々しさを覚えつつ「酔い覚ましに丁度いい」と、溜息まじりに返す。

「水しか飲んでいないでしょう」
「乗り心地がよすぎて車酔いした。わざわざ送ってくれて、どうも」

 車が路肩に停車する。伊吹生は自分で早々と扉を開いた。車内で冷えていた肌に暑苦しい夜気がどっと押し寄せてくる。

 午後九時を過ぎ、もうすぐ終わりを迎える夏祭りの音色が鼓膜に滲んだ。

「甫先生!」

 公園の方角から小走りでやってきた拓斗に伊吹生は目を見張らせる。

「すごい車に乗ってるね。ツヤツヤしてる」

「マツモリ食堂」が忙しいはずの土曜の夜、甚平を着た拓斗はタコ焼きが入ったプラスチックの容器を手にしていた。

 無邪気に車を褒める少年の肩を抱き、伊吹生はその場から足早に離れようとした。

「普通種ですか。非常食用に契約しているのでしょうか」

 車内で時成が口にした言葉は、きっと拓斗には聞こえなかっただろう。「普通種」よりも五感が優れている「吸血種」の伊吹生は、振り返らず、ただ苦々しさを募らせた。

「暑いよ、先生、あっち行って」

 わかりやすく眉を八の字にしている拓斗の背中に手を添え、歩き出す。

「この間、事務所にいた吸血種の人が乗ってたね」
「振り返るな、拓斗」
「先生、あの綺麗で怖そうな人と仲いいの?」
「そう見えるんなら今すぐ視力検査を受けろ」

 いつにもまして人の行き来がある裏通りを進み、閉店時間まで一時間を切っても繁盛している「マツモリ食堂」の前へ差し掛かった。

「今、伯母さんとイトコが手伝いに来てくれてるんだ。だから今日は友達と夏祭りに行っていいよって、お母さんが」
「なるほど。そのタコ焼きはみんなへのお土産か」
「これは甫先生への差し入れだよ」

 週末、営業はしていないが、事務処理に追われた司法書士が頻繁に事務所にこもっていることを拓斗は知っていた。出前の注文、もしくは店まで伊吹生が食べにくるからだ。

「今から寄ってもいい?」

 拓斗がはっきり口にしなくても伊吹生にはわかっていた。先月の「ノスフェラトゥ」で、自分の知らないところで何があったのか。少年がちゃんと向き合おうとしていることを。

「もう夜遅いし、十分だけだ」
「うん。あ……でも、今の人達とご飯食べてきたのかな。タコ焼き食べれる?」
「余裕で食える」

 磨りガラスの扉が店内の明かりを反射する「マツモリ食堂」を通り過ぎて、数分も歩かない内に事務所の入るビルに着いた。

「全部いいのか?」
「俺はもういっぱい食べたから」

 天井の蛍光灯を一ヶ所だけ、そして冷房を点け、事務所内のミーティングテーブルで伊吹生は拓斗と向かい合う。

「忽那凌貴。アイツはノスフェラトゥのVIP客で、兄は支配人と友人らしい」

 八個のタコ焼きをあっという間に平らげた伊吹生は、柄物の甚平姿で神妙にしている拓斗に説明した。

 プールに落ち、凌貴に助け出されたこと。彼の協力を仰いで生き餌バイトから拓斗を外してもらったこと。何でも聞くと約束したら、血のワインによる乾杯をせがまれたこと。

「甫先生、それ飲んで、興奮し過ぎて失神しちゃったんだ……」

 ただ、キスのくだりは話す必要性がないと判断し、バッサリ省略した。

「先生が興奮するって、想像できない。狼男みたいになるの?」
「想像しなくていい」
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