13 / 16
牙を剥く執着
しおりを挟む
カイルのパン屋は、市場の喧騒から数本路地を入った、崩れかけの時計塔の影にひっそりと佇んでいた。
店とは名ばかりの、煤けた石窯と頑丈な木のテーブルがあるだけの場所。
けれど、そこには外の汚濁を拒絶するような、清潔な麦の香りが満ちていた。
「……熱い」
差し出された焼き立ての雑穀パンを手に取り、私は思わず声を漏らした。
それは前世で食べていた、ふんわりとバターが香るブリオッシュとは程遠いものだ。
石のように硬く、形も不恰好。
けれど、手の平から伝わる確かな熱は、私の凍りついた心を少しずつ溶かしていくようだった。
「硬いだろうが、よく噛めば味はする。今のあんたには、それが必要だ」
カイルは無造作に自分の分のパンを割りながら言った。
彼は私の過去も、前世の傲慢さも知らない。ただ、一人の飢えた人間として私を扱っている。その「普通」の扱いが、今の私には何よりも救いだった。
私はパンを口に運んだ。噛みしめるたびに、素朴な麦の甘みと、少しの苦味が広がる。
(美味しい……)
初めて、自分の力で噛み砕き、血肉に変えていく実感。
誰かに「与えられた美酒」ではなく、生きるために必要な「糧」。
だが、その安らぎは、あまりにも唐突に破られた。
――ドスン、と。
店の薄い木の扉が、乱暴な力で蹴り開けられた。
香ばしい麦の匂いが、一瞬にして外の腐臭と殺気に塗り替えられる。
「……見つけたぜ、逃げた小鳥ちゃん」
現れたのは、ガロン本人ではなかった。
筋骨逞しい、刺青だらけの男が二人。
手には鈍く光る鉄パイプと、獲物を切り刻むための錆びたナイフを握っている。
彼らの背後には、市場で私を品定めしていたあのねっとりとした視線の主たちが、
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて立っていた。
「ガロン様がお怒りだ。
『俺が選んでやった女が、どこの馬の骨とも知れねえパン屋に寝返るとはいい度胸だ』ってな」
男の一人が、鉄パイプを手の平に打ち付けながら近づいてくる。
私の指先が、恐怖で凍りついた。せっかく噛み締めたパンの味が、一瞬で砂のように変わる。
「リナ。あんたは、自分がどれだけ分不相応なことをしたか分かってねえ。ガロン様の温情を蹴ったんだ。
そのツケは、この体で払ってもらうぜ」
彼らの目は、私を人間として見ていない。
ガロンの所有物としての「プライド」を傷つけた不備のある商品。
それを回収し、二度と逆らえないように叩き直す。
その義務感に似た残酷さが、そこにはあった。
店とは名ばかりの、煤けた石窯と頑丈な木のテーブルがあるだけの場所。
けれど、そこには外の汚濁を拒絶するような、清潔な麦の香りが満ちていた。
「……熱い」
差し出された焼き立ての雑穀パンを手に取り、私は思わず声を漏らした。
それは前世で食べていた、ふんわりとバターが香るブリオッシュとは程遠いものだ。
石のように硬く、形も不恰好。
けれど、手の平から伝わる確かな熱は、私の凍りついた心を少しずつ溶かしていくようだった。
「硬いだろうが、よく噛めば味はする。今のあんたには、それが必要だ」
カイルは無造作に自分の分のパンを割りながら言った。
彼は私の過去も、前世の傲慢さも知らない。ただ、一人の飢えた人間として私を扱っている。その「普通」の扱いが、今の私には何よりも救いだった。
私はパンを口に運んだ。噛みしめるたびに、素朴な麦の甘みと、少しの苦味が広がる。
(美味しい……)
初めて、自分の力で噛み砕き、血肉に変えていく実感。
誰かに「与えられた美酒」ではなく、生きるために必要な「糧」。
だが、その安らぎは、あまりにも唐突に破られた。
――ドスン、と。
店の薄い木の扉が、乱暴な力で蹴り開けられた。
香ばしい麦の匂いが、一瞬にして外の腐臭と殺気に塗り替えられる。
「……見つけたぜ、逃げた小鳥ちゃん」
現れたのは、ガロン本人ではなかった。
筋骨逞しい、刺青だらけの男が二人。
手には鈍く光る鉄パイプと、獲物を切り刻むための錆びたナイフを握っている。
彼らの背後には、市場で私を品定めしていたあのねっとりとした視線の主たちが、
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべて立っていた。
「ガロン様がお怒りだ。
『俺が選んでやった女が、どこの馬の骨とも知れねえパン屋に寝返るとはいい度胸だ』ってな」
男の一人が、鉄パイプを手の平に打ち付けながら近づいてくる。
私の指先が、恐怖で凍りついた。せっかく噛み締めたパンの味が、一瞬で砂のように変わる。
「リナ。あんたは、自分がどれだけ分不相応なことをしたか分かってねえ。ガロン様の温情を蹴ったんだ。
そのツケは、この体で払ってもらうぜ」
彼らの目は、私を人間として見ていない。
ガロンの所有物としての「プライド」を傷つけた不備のある商品。
それを回収し、二度と逆らえないように叩き直す。
その義務感に似た残酷さが、そこにはあった。
0
あなたにおすすめの小説
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる