14 / 16
牙を剥く執着②
しおりを挟む
私は震える足で後ろに下がろうとした。だが、背後には壁しかない。
逃げ場はない。やはり、この世界で「選ばれない女」に人権などないのか。
再び、暗い絶望が足元から這い上がってきたその時――。
「……営業時間は終わった。帰れ」
カイルの声が、低く、鋭く響いた。
彼はパンを捏ねていた手を止め、タオルで静かに汚れを拭うと、私の前に立ち塞がった。
その背中は、決して大きくはない。けれど、岩のようにびくともしない強固な意志を感じさせた。
「あ? 何だ、このしけたパン屋は。死にたいのか?」
刺客の男が、鼻で笑いながらカイルの胸ぐらを掴もうとする。
だが、カイルはそれを最小限の動きでかわすと、
パンを切るための長いナイフを逆手に持ち、男の喉元に突きつけた。
「この女は、俺の店の『手伝い』だ。ガロンの所有物じゃない」
カイルの瞳に、先ほどまでの穏やかさはなかった。冷徹な、獲物を仕留める職人の目。
「この街のルールじゃねえ、俺の店のルールに従ってもらう。……ここから一歩でも踏み込めば、
腕の一本くらいは置いていってもらうぞ」
「……テメエっ!」
一触即発の空気が流れる。
刺客たちはカイルの予想以上の気圧され、舌打ちをした。
カイルは単なるパン屋ではない。
この街で一人で店を構え続けるために必要な、相応の「覚悟」と「腕」を持っていることを、
彼らは本能で察したのだ。
男たちは、吐き捨てるように言った。
「……今日は引いてやる。だが、覚えとけよ。ガロン様は欲しいものは絶対に手に入れる。
この女も、この店も、まとめてな!」
彼らが去った後、店内に再び静寂が戻った。
カイルは深く溜息をつき、ナイフを置くと、まだ震えている私の方を振り返った。
「……怪我はないか」
「……はい。ごめんなさい、私のせいで、こんなことに……」
申し訳なさと、自分の無力さで胸が潰れそうだった。
前世の私なら、ここで泣いて男の同情を誘い、守ってもらうことに全力を尽くしただろう。
それが「選ばれる女」の処世術だったから。
けれど、今の私は違う。カイルの背中を見て、私は悟った。
守られるだけの存在でいる限り、私はいつか必ず、また誰かの「管理下」に置かれる。
ガロンから逃げても、また別のガロンが現れるだけだ。
「カイルさん。私、パンの作り方を教えてください」
私の言葉に、カイルは意外そうに眉を上げた。
「……ただの宿代わりだと言ったはずだ。あんたにこんな重労働は――」
「いいえ。私に、力をください」 私は、自分の汚れた手をまっすぐに見つめた。
「誰かに守られるだけの『モノ』には、もう戻りたくないんです。
自分の食い扶持を自分で稼ぎ、誰かにパンを差し出せる人間になりたい。
……この世界の間違ったルールを壊すために、まずは私が、価値ある『人間』にならなきゃいけないから」
前世で私が振りかざしていた「偽りの価値」ではない。
この泥にまみれた手で、熱い石窯に向かい、誰かの命を繋ぐ。
その実感を伴う「真の価値」を、私はこのパン屋で見つけたい。
カイルはしばらく私を凝視していたが、やがて、わずかに口角を上げた。
「……明日は朝の四時起きだ。根性、見せてもらうぞ」
窓の外では、依然として灰色の空が広がっている。
けれど、私の心には、焼き立てのパンのような、確かな熱が宿っていた。
刺客の襲来は、終わりの始まりではない。
私が「私」として戦い始めるための、号砲だった。
逃げ場はない。やはり、この世界で「選ばれない女」に人権などないのか。
再び、暗い絶望が足元から這い上がってきたその時――。
「……営業時間は終わった。帰れ」
カイルの声が、低く、鋭く響いた。
彼はパンを捏ねていた手を止め、タオルで静かに汚れを拭うと、私の前に立ち塞がった。
その背中は、決して大きくはない。けれど、岩のようにびくともしない強固な意志を感じさせた。
「あ? 何だ、このしけたパン屋は。死にたいのか?」
刺客の男が、鼻で笑いながらカイルの胸ぐらを掴もうとする。
だが、カイルはそれを最小限の動きでかわすと、
パンを切るための長いナイフを逆手に持ち、男の喉元に突きつけた。
「この女は、俺の店の『手伝い』だ。ガロンの所有物じゃない」
カイルの瞳に、先ほどまでの穏やかさはなかった。冷徹な、獲物を仕留める職人の目。
「この街のルールじゃねえ、俺の店のルールに従ってもらう。……ここから一歩でも踏み込めば、
腕の一本くらいは置いていってもらうぞ」
「……テメエっ!」
一触即発の空気が流れる。
刺客たちはカイルの予想以上の気圧され、舌打ちをした。
カイルは単なるパン屋ではない。
この街で一人で店を構え続けるために必要な、相応の「覚悟」と「腕」を持っていることを、
彼らは本能で察したのだ。
男たちは、吐き捨てるように言った。
「……今日は引いてやる。だが、覚えとけよ。ガロン様は欲しいものは絶対に手に入れる。
この女も、この店も、まとめてな!」
彼らが去った後、店内に再び静寂が戻った。
カイルは深く溜息をつき、ナイフを置くと、まだ震えている私の方を振り返った。
「……怪我はないか」
「……はい。ごめんなさい、私のせいで、こんなことに……」
申し訳なさと、自分の無力さで胸が潰れそうだった。
前世の私なら、ここで泣いて男の同情を誘い、守ってもらうことに全力を尽くしただろう。
それが「選ばれる女」の処世術だったから。
けれど、今の私は違う。カイルの背中を見て、私は悟った。
守られるだけの存在でいる限り、私はいつか必ず、また誰かの「管理下」に置かれる。
ガロンから逃げても、また別のガロンが現れるだけだ。
「カイルさん。私、パンの作り方を教えてください」
私の言葉に、カイルは意外そうに眉を上げた。
「……ただの宿代わりだと言ったはずだ。あんたにこんな重労働は――」
「いいえ。私に、力をください」 私は、自分の汚れた手をまっすぐに見つめた。
「誰かに守られるだけの『モノ』には、もう戻りたくないんです。
自分の食い扶持を自分で稼ぎ、誰かにパンを差し出せる人間になりたい。
……この世界の間違ったルールを壊すために、まずは私が、価値ある『人間』にならなきゃいけないから」
前世で私が振りかざしていた「偽りの価値」ではない。
この泥にまみれた手で、熱い石窯に向かい、誰かの命を繋ぐ。
その実感を伴う「真の価値」を、私はこのパン屋で見つけたい。
カイルはしばらく私を凝視していたが、やがて、わずかに口角を上げた。
「……明日は朝の四時起きだ。根性、見せてもらうぞ」
窓の外では、依然として灰色の空が広がっている。
けれど、私の心には、焼き立てのパンのような、確かな熱が宿っていた。
刺客の襲来は、終わりの始まりではない。
私が「私」として戦い始めるための、号砲だった。
0
あなたにおすすめの小説
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる