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人魚王子、夢をみる。
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※
(あ、これは夢だ)
暗い海の底に漂う泡をぼんやりと目で追いながら、そう思った。
だって、この空間は魔法の匂いが濃すぎる。
──人の夢を渡り歩く魔法。
この魔法を使うには、本人は起きている必要がある。寝るのが好きな彼が、この魔法を使うことは滅多にない筈だが。
「ギィ、いるんだろ?」
何もいない空間に向かって声をかける。途端、闇から溶けるように自分の姿が映し出された。
鏡かのように見えたそれは、よく見れば自分とそっくりな姿に変身したギィの姿だ。
「オレのことなんて忘れてしまったかと思いましたよ」
自分では出来ない皮肉げな微笑みでぼやかれて、オレは戸惑いながらも否定する。
「そんなわけないじゃないか。どうしたんだ。夢渡りの魔法は、夜寝れないから嫌いだって言ってたじゃないか」
オレの魔法は液体を操る魔法だが、ギィの魔法は人の夢を渡り歩く事ができる魔法だ。夢渡りをしている間、魔法を使っている本人は眠ることは出来ない。
「まあ、事情が事情なんでね」
「事情? 帰るのには、まだ時間があるはずだろう」
自分で言っておきながら、その台詞にツキンと胸が傷んだ。まだ、大丈夫。まだ帰る時間じゃない。ギュッと抑えた心臓は、次のギイの台詞でドクンと跳ねた。
「それが、ないんですよ。というか、バレました」
「──は?」
闇から、金色の光が漏れるように溢れ出す。嘘だ。まさか。
「ち、ちうえ……」
金の光から現れたのは、まさしく海の王トリトン。オレの父上だった。
「なんで……」
絞り出すように言ったオレの言葉を、父上は一笑した。
「私に隠れて、謀りごとが出来ると、本気で思っていたのか?」
「ま、魔法使いは⁉」
「あれは私の城で吊し上げにしている。安心しろ。殺しはしない。一番愚かなのはお前だからな」
(やばい。めちゃくちゃ怒ってる……)
重々しく呟かれた言葉が、凍てつく氷の刃のように全身に突き刺さった。普段の小言の時より、静かな口調なのがかえって恐ろしい。いつもみたいに逃げてすむ話じゃない。父上の瞳が鈍く光る。
「愚かな我が子よ。お前はこのままでは、帰ってくる事ができない」
「……それって、どういう事ですか?」
てっきり、今すぐ帰って来いと言われると思っていたのに。首を傾げると、父上が唸るように言った。
「人間に恋をしたな」
「あっ……」
否定しようと思えば出来た。
でも、駄目だった。最早自分でも誤魔化せないほど、オレはオルクに惹かれている。
いま思うと、魔法使いへの思いは恋だったのかも怪しい。こんなに誰かを思うとき、胸が苦しくなるなんて知らなかった。肌が触れ合うだけで、泣きそうなほど嬉しくなるなんて。
これが恋じゃないなら、オレは恋を知らずに死ぬ。
これ以上、誰かを思うことなんて絶対ない。
何も言えずにいるオレを見て、父上が大きな溜息をついた。
「恋をすれば、それだけ魂が大きくなる。そのままでは人魚に戻ることは出来ん」
「え?」
人魚に戻る事ができないなんて、考えてもいなかった。確かにオルクと一緒にいたいけど、海の世界に帰れないとなると……。
「それでは、オレはこのまま人間になるんですか?」
それを自分が望んでいるのか、よく分からないまま尋ねた。
「いいや。今は魔法で人間になっているだけ。薬の効果が切れれば、お前は人魚でも人間でも、何者でもなくなる」
「何者でも……」
ふとヒースに教えてもらった、泡になった人魚姫の話を思い出した。まさかそれって──。
「ギィ、例のものを」
「はい」
ギィが促されて、父上は闇の中にそっと手を伸ばす。鈍く銀色に光る何かが闇からすぅっと現れた。よく見るとそれは小さな短刀に見える。ギィはそれを丁重に父上に手渡した。
「これはお前の姉妹達の髪の毛を魔法で練り上げた短刀だ。古の契約により、これでお前の恋する相手の心の臓を刺せば、お前の魂は元に戻る」
突然のことに、父上が言っている事が理解出来ない。さっきから矢継ぎ早にもたらされる情報に、感情が嵐の日の海のように吹き荒れた。心の臓を刺すとは。父上はなにを言っているのだろう。
「それって、殺せってこと?」
思考よりも先に口が動いた。情けないくらい震えた声で聞き返す。
「そうだ。ただ殺しても意味はない。この短刀で確実に心の臓を刺せ。でないと、お前は人魚に戻ることは出来ない。今なら遅くない。恋する気持ちは簡単に泡となって海に溶ける」
「なにそれ。泡になって溶けたのを見たことでもあるのかよ」
なんでもないことのように言う父上の言葉に苛ついて、反射的に言い返した。父上は無言のまま見つめてくる。その瞳に予想外の憐憫を感じて、オレは思わずたじろいた。
「私の最も美しい息子であり、トリトンの名を継ぐ者よ。悪いことは言わない。人魚に戻り海の王になれ。家族と……。父と元の姿で二度と会えなくなってもいいのか」
「あ……」
澄んだ海のような父上の声が、オレの胸を深くついた。父上が、こんなふうに自分の気持ちを吐露したことなど今まで一度もなかったのだ。
いつも、戯れのように怒られて。オレはそれを生意気に言い返して。
それが、いつもの日常だった。でもこのままだと、そんな毎日が無くなるということだ。
横に目線をずらせば、ギィが暗い顔で佇んでいた。人魚で無くなれば、ずっと一緒にいたギィとももう会えなくなるということだ。
──みなさんに、愛されてお育ちになったのですね。
クロエの言葉が脳裏によぎる。
愛は、あった。
海の中に。
それを、オレはこのまま手放すのか?
手放さない為には、オルクを殺すしかない。
「シレーヌ、期限は明日の日没。人間になる魔法薬の効能が切れるまでだ。信じているぞ」
一瞬だけ、父上の手がオレの頬に触れた気がした。
だが、返事をする前に、ささああさ父上は闇の中に溶けて消えた。
ギィは無言でずっとこちらを見ていた。泣きそうな暗い瞳が、闇の中で最後まで俺を責め続ける。まるで、自分の鏡に恨まれているようだ。
(ごめん……ギィ)
そっと、手を伸ばす。撫でてやらなきゃ。そう思うが、ギィとの間は闇に阻まれて、全然距離が縮まらない。
(待って……ギィ。そんな目でオレを見ないでくれ。お前を忘れていたわけじゃないんだ)
ギィが闇に包まれながらゆっくりと口を開く。闇の狭間で、囁き声がさざ波のように耳に届いた。
「約束、忘れないでくださいよ」
(あ、これは夢だ)
暗い海の底に漂う泡をぼんやりと目で追いながら、そう思った。
だって、この空間は魔法の匂いが濃すぎる。
──人の夢を渡り歩く魔法。
この魔法を使うには、本人は起きている必要がある。寝るのが好きな彼が、この魔法を使うことは滅多にない筈だが。
「ギィ、いるんだろ?」
何もいない空間に向かって声をかける。途端、闇から溶けるように自分の姿が映し出された。
鏡かのように見えたそれは、よく見れば自分とそっくりな姿に変身したギィの姿だ。
「オレのことなんて忘れてしまったかと思いましたよ」
自分では出来ない皮肉げな微笑みでぼやかれて、オレは戸惑いながらも否定する。
「そんなわけないじゃないか。どうしたんだ。夢渡りの魔法は、夜寝れないから嫌いだって言ってたじゃないか」
オレの魔法は液体を操る魔法だが、ギィの魔法は人の夢を渡り歩く事ができる魔法だ。夢渡りをしている間、魔法を使っている本人は眠ることは出来ない。
「まあ、事情が事情なんでね」
「事情? 帰るのには、まだ時間があるはずだろう」
自分で言っておきながら、その台詞にツキンと胸が傷んだ。まだ、大丈夫。まだ帰る時間じゃない。ギュッと抑えた心臓は、次のギイの台詞でドクンと跳ねた。
「それが、ないんですよ。というか、バレました」
「──は?」
闇から、金色の光が漏れるように溢れ出す。嘘だ。まさか。
「ち、ちうえ……」
金の光から現れたのは、まさしく海の王トリトン。オレの父上だった。
「なんで……」
絞り出すように言ったオレの言葉を、父上は一笑した。
「私に隠れて、謀りごとが出来ると、本気で思っていたのか?」
「ま、魔法使いは⁉」
「あれは私の城で吊し上げにしている。安心しろ。殺しはしない。一番愚かなのはお前だからな」
(やばい。めちゃくちゃ怒ってる……)
重々しく呟かれた言葉が、凍てつく氷の刃のように全身に突き刺さった。普段の小言の時より、静かな口調なのがかえって恐ろしい。いつもみたいに逃げてすむ話じゃない。父上の瞳が鈍く光る。
「愚かな我が子よ。お前はこのままでは、帰ってくる事ができない」
「……それって、どういう事ですか?」
てっきり、今すぐ帰って来いと言われると思っていたのに。首を傾げると、父上が唸るように言った。
「人間に恋をしたな」
「あっ……」
否定しようと思えば出来た。
でも、駄目だった。最早自分でも誤魔化せないほど、オレはオルクに惹かれている。
いま思うと、魔法使いへの思いは恋だったのかも怪しい。こんなに誰かを思うとき、胸が苦しくなるなんて知らなかった。肌が触れ合うだけで、泣きそうなほど嬉しくなるなんて。
これが恋じゃないなら、オレは恋を知らずに死ぬ。
これ以上、誰かを思うことなんて絶対ない。
何も言えずにいるオレを見て、父上が大きな溜息をついた。
「恋をすれば、それだけ魂が大きくなる。そのままでは人魚に戻ることは出来ん」
「え?」
人魚に戻る事ができないなんて、考えてもいなかった。確かにオルクと一緒にいたいけど、海の世界に帰れないとなると……。
「それでは、オレはこのまま人間になるんですか?」
それを自分が望んでいるのか、よく分からないまま尋ねた。
「いいや。今は魔法で人間になっているだけ。薬の効果が切れれば、お前は人魚でも人間でも、何者でもなくなる」
「何者でも……」
ふとヒースに教えてもらった、泡になった人魚姫の話を思い出した。まさかそれって──。
「ギィ、例のものを」
「はい」
ギィが促されて、父上は闇の中にそっと手を伸ばす。鈍く銀色に光る何かが闇からすぅっと現れた。よく見るとそれは小さな短刀に見える。ギィはそれを丁重に父上に手渡した。
「これはお前の姉妹達の髪の毛を魔法で練り上げた短刀だ。古の契約により、これでお前の恋する相手の心の臓を刺せば、お前の魂は元に戻る」
突然のことに、父上が言っている事が理解出来ない。さっきから矢継ぎ早にもたらされる情報に、感情が嵐の日の海のように吹き荒れた。心の臓を刺すとは。父上はなにを言っているのだろう。
「それって、殺せってこと?」
思考よりも先に口が動いた。情けないくらい震えた声で聞き返す。
「そうだ。ただ殺しても意味はない。この短刀で確実に心の臓を刺せ。でないと、お前は人魚に戻ることは出来ない。今なら遅くない。恋する気持ちは簡単に泡となって海に溶ける」
「なにそれ。泡になって溶けたのを見たことでもあるのかよ」
なんでもないことのように言う父上の言葉に苛ついて、反射的に言い返した。父上は無言のまま見つめてくる。その瞳に予想外の憐憫を感じて、オレは思わずたじろいた。
「私の最も美しい息子であり、トリトンの名を継ぐ者よ。悪いことは言わない。人魚に戻り海の王になれ。家族と……。父と元の姿で二度と会えなくなってもいいのか」
「あ……」
澄んだ海のような父上の声が、オレの胸を深くついた。父上が、こんなふうに自分の気持ちを吐露したことなど今まで一度もなかったのだ。
いつも、戯れのように怒られて。オレはそれを生意気に言い返して。
それが、いつもの日常だった。でもこのままだと、そんな毎日が無くなるということだ。
横に目線をずらせば、ギィが暗い顔で佇んでいた。人魚で無くなれば、ずっと一緒にいたギィとももう会えなくなるということだ。
──みなさんに、愛されてお育ちになったのですね。
クロエの言葉が脳裏によぎる。
愛は、あった。
海の中に。
それを、オレはこのまま手放すのか?
手放さない為には、オルクを殺すしかない。
「シレーヌ、期限は明日の日没。人間になる魔法薬の効能が切れるまでだ。信じているぞ」
一瞬だけ、父上の手がオレの頬に触れた気がした。
だが、返事をする前に、ささああさ父上は闇の中に溶けて消えた。
ギィは無言でずっとこちらを見ていた。泣きそうな暗い瞳が、闇の中で最後まで俺を責め続ける。まるで、自分の鏡に恨まれているようだ。
(ごめん……ギィ)
そっと、手を伸ばす。撫でてやらなきゃ。そう思うが、ギィとの間は闇に阻まれて、全然距離が縮まらない。
(待って……ギィ。そんな目でオレを見ないでくれ。お前を忘れていたわけじゃないんだ)
ギィが闇に包まれながらゆっくりと口を開く。闇の狭間で、囁き声がさざ波のように耳に届いた。
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