ポエムバース

二月こまじ

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ポエムバース

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「安田、どうしたボーッとして」
「……モテたい」
「そんな藪から棒に一昔どころか二昔前のヤンジャンみたいなこと言われても」

 放課後の理科室。俺は試験管をポコポコ洗いながら、向かいに座って顔もあげずにスマホゲームをしながら返事をしてきた石井を睨みつけた。

「毎日毎日、試験管相手にシコシコやって。せっかく花のDKなのに。俺たちは無駄な青春を過ごしている」
「理科研なんだから仕方ねえだろ。だいたい、それだってめっちゃサボれるから入ろうってお前が誘ってきたんじゃん」

 身も蓋もないことを言われて、ぐっと口を噤むしかなかった。
 だって部活を決める時期は受験が終わって、ずっと我慢してたラノベや漫画を読みまくろうってことしか考えていなかったのだ。理科研の活動はほぼ遊びで、サボれるからと先輩に勧誘されて入ったものの、一年の俺たちは顧問の先生に言われて授業で使った実験道具の後片付けをする毎日。もちろん先輩達はとっくに帰っている。
 そうこうするうちに夏も近づき、周囲を見渡せば今週のジャンプの話をしていた奴らが全員彼女の話をしていた。
 裏切り者どもめ、と恨みはしたが、正直に言えばめちゃくちゃ羨ましい。
 俺はオタクで二次元が好きだ。
 だが、別に三次元に興味がないわけじゃない。いや、ぶっちゃけだいぶ興味がある。
 リアルな女の子とデートしたり、手なんかも繋いでみたい。これは高望みし過ぎかもしれないけど、正直キスとかも夢見たりする。

「初キッスは何味なんですか⁉」
「こわ。そういうところがモテないんだろ」

 高まり過ぎて思わず叫んだ俺を、石井が眼鏡ごしに冷たい目で見てきた。クソ。お前だって彼女はいないのに、余裕ぶりやがって。

「石井だって彼女いないだろうが。気になるだろう⁉ 初キッスはレモン味なのかカレー味なのか」
「俺キスしたことあるよ」
「いやぁぁぁぁっ⁉」
「うっさ」

 驚き過ぎて悲鳴をあげてしまった俺に、石井が冷静に突っ込んできた。

「なんで、そんな、はっ⁉ 落ち着けよ。なに言ってるのか分かってんのかお前⁉」
「お前がな」
「だって、お前彼女いないじゃんっ。なんで⁉」
「別に。仲いいオタ友の女子が、キスしてみないかって言うからしてみただけ」

 なんだコイツ。もしかしてラノベの主人公なのか。

「現実にそんなことある?」
「まあでも、お互いなんの感情もなかったからな。その後なんもねーけど」
「その後なんもねーけど……」

 一度は言ってみたい台詞過ぎて思わず復唱してしまった。なんだろうこの圧倒的な敗北感は。俺と同じ陰の者だと思っていたのに。とんだ裏切りだ。
 でもそう言われてみると、石井はオタクのくせに交友範囲が広そうだし、他クラスの女子からも話しかけられたりしていたかも。俺と同じくらいの顔面偏差値だと思ってたけど、眼鏡ブーストでちょっとインテリキャラっぽく見えような気もするし、話しやすい奴だし……もしかして知らなかったけど、石井ってモテる?

「師匠っ!」
「おう、なんでも聞け」

 俺が縋り付くと、石井はノリノリで腕を組んだ。

「どうしたら女子にモテますか⁉︎」
「知らん」

 すげない言葉にガクッと肩を落とす。チッ、使えないやつめ。所詮は陰キャオタクくんなわけだ。

「まぁ、待て。モテ方は知らんが、俺は女子オタの友達は多いぞ」

 知ってる。羨ましいと思ってたから。女子オタと石井の輪の中に入れて欲しくてまわりをウロウロしたことあるけど、「男子禁制!」と言われて入れてもらえなかった。なんで石井はいいのかと聞くと、分かっている側の人間だから許されるらしい。何故だ。俺だって分かり手になりたい。

「だから女子の流行は抑えているつもりだ」
「なるほど」 

 急に実りのある話になってきたな。俺は俄然前のめりになった。

「いまの流行りは、ずばりポメガパースとDom/Subだ」
「なにそれ?」

 首を傾げたところで、理科室のドアがガラリと開いた。剣道部帰りの古谷が理科室に入ってきたのだ。古谷も石田と同様、同じクラスの友人だ。すらりと背の高い硬派なタイプのイケメンで、俺とは遠い世界の人物だと思っていたが、ある日突然俺が読んでいた漫画を貸して欲しいと声を掛けられ仲良くなった。
 最近は古谷が理科室に迎えにきて、みんなで一緒に帰るっというのがルーティンになっている。

「おつかれ~」
「ああ」

 控えめな笑顔で古谷が俺の隣に座る。寡黙なのは疲れているのではなくていつもの事なので、俺は遠慮せず顔を覗き込んだ。

「古谷はポメガバースとドムサブって知ってる?」
「はぁっ?」

 珍しく古谷が大きな声をあげた。

「石井が女子の間で流行ってるって」
「あ、あぁ……まぁ、間違っては、ないか?」

 いや、でも、と古谷が口の中でブツブツと呟いた。古谷にしては、珍しくハッキリしない態度だ。

「モテるために、女子の流行りは必須だろ」

 石井が古谷に向かってウィンクする。

「いや、だか……」
「古谷も知ってるなら、やっぱりモテる奴は知ってるんだ」

 古谷が女子に何度も交際を申し込まれているのを知っている。その度に古谷は断っているようだが、なんてもったいないことをするんだ! と俺は密かに歯噛みしていた。

「そういうことじゃっ」
「そうなんだよ。お前もなるか。ポメガバースとDom/Subに」

 反論しようとした古谷を制して、石井が言った。

「なるっ。なりたいっ」

 なんだか分からんがそれになればモテるらしい。俺は思いきり拳を握った。

「いや。落ち着け。ポメガバースとDom/Subはそういうことではない。流行っていると言っても一部特殊なジャンルの女子の間でだけで」 

 古谷が引きつった顔でそう言うと、石井が半笑いで肩をすくめた。

「なんだ古谷。安田がモテるのが嫌なのか」
「えぇっ、嫉妬的な? 大丈夫だよ。俺がモテたところで古谷が女子に人気なのは変わらないよ。馬鹿だなぁ古谷は」
「いや、言いづらいが馬鹿なのはお前なんだよ」

 いつも言葉少なな古谷が、やたら否定してくるのも俺への嫉妬かと思うとむしろ可愛く見えてくる。俺はニヤニヤするのを抑えながら古谷の肩を組んだ。

「大丈夫だよ、古谷。俺はずっとお前の側にいるから」
「……」

 古谷が無言になったのを見て、石井が力強く頷いた。なんとも心強い。

「よし。では選べ。ポメガバースとDom/Subどちらになるか」
「いや、なれないだろ」

 古谷に突っ込まれてもなお、石井は得意気にフフンと鼻を鳴らした。

「ところが、出来ると言ったらどうする?」
「頭沸いてんのか」
「まあ、見てろ」

 そう言うと、石井が財布からなにか取り出した。何かと思って見ていると、おもむろに五円玉にどこからか取り出した紐を結んでいる。

「おい、まさか。いまや漫画にさえ滅多にでない過去の遺産の催眠方法じゃないだろうな」
「時代は繰り返すってね。一回やってみたかったんだよな」

 石井は五円玉と紐を固く結ぶと、紐の先端を持ってブラブラと五円玉を揺すりだした。

「ハイ、深呼吸して。ひ、ひー、ふー。そう。よーく、ここを眺めるんだ」

 流石に俺だってこんなことでポメがバースだかドムサブだかになれるとは思わないが、石井の好意を無下にするわけにもいかない。呆れたような古谷の視線を感じながら、言われた通りじっと五円玉の軌道を目で追った。
 左右に規則的に揺れる五円玉。いま俺は、絶対寄り目になっている。

「お前はいまから……Domに」
「待て。安田はどう考えてもSubだろう」 
「うわ。解釈違いオタクメンドイな。まあ、なんか安田って犬っぽいしポメガバースの方でもいいか」
「なんでもいいから早くしてくれよ」

 さっきから寄り目して目が疲れてきた。文句を言うと、石井が分かった分かったと改めて咳払いする。

「じゃあ、ポ……えー、Domじゃなくて……Sub。まあ、なんかそんな感じになれ~なれ~」

 俺は石井の言葉に耳を澄ませる。
 そして、そうしているうちに……気付いた。
 言っている意味が分からなければ、催眠術にかかりようもないことを。
 催眠術って例えば俺は椅子になるんだって、脳に思いこませてかかるんじゃないんだろうか。正直石井が言っている言葉の意味が一ミリも分からない俺には、どうしようもない。

「石井、ごめん。俺は、無力だ……」

 ガクリと肩を落とす俺に向かって、石井が首を振った。

「いや、正直このボケをどうやって落としたらいいか迷子になっちゃった俺を許してくれ」
「なーんだ、冗談か」

 ワハハと笑っといてからポカリと石井の頭を叩いた。

「しょうもない事やらすな。真面目な古谷まで巻き込みやがって」
「いやぁ、でもどっちかっつーと、なんか古谷の方が前のめりじゃなかった? BL嗜んでるのは知ってたけど、思ったより業が深そうだし」
「びぃえるぅ? って、あの男同士の……?」

 聞いたことはあるけど読んだことはない。そもそも俺は少年漫画と学園ファンタジーのラノベ以外はあまり興味がないし。古谷も同じような感じだと思っていたから少し意外で驚いた。
 チラリと顔を向けると、なんだか難しい顔をした古谷と目が合った。

「古谷……?」

 何故か無言のままの古谷に声を掛ける。すると、古谷は弾かれたようにビクンと身体を揺らし、俺を見つめたまま囁いた。

「……キミの声がボクの心臓を直撃して、ボクの心(ハート)はピンボールみたいに弾けそうだ」
「なんて?」

 耳を疑うような台詞が古谷の口から聞こえてきた気がするが。気のせいでなければ、昭和初期の少女漫画みたいなことを古谷が言っていなかったか。いや、きっと気のせいだ。

「ああっ!」

 古谷が突然顔を抑えてうずくまる。

「ど、どうした。どこかおかしいのか」

 やっぱり体調がおかしいのだろうか。心配して顔を覗き込むと、少し頬を赤らめた古谷と目があった。

「蜂蜜みたいな視線で、ボクの目は全部溶けちゃったよ。ハニー」
「なになになになに⁉︎ 怖い怖い怖い怖いッッッ」

 俺は一目散に石井の背後に逃げ込んだ。

「石井っ!古谷が変だっ。目も頭もイッちゃってる!」
「うーん……」

 石井は神妙な顔で唸ると、閃いたようにポンと手を叩いた。

「これは、ずばり『ポエムバース』だな」
「ぽえむばーすぅぅぅ?」
「そう。催眠中に、『ポメガパース』と『Dom/Sub』が混ざって『ポエムバース』になったとみた」
「なんっっっだそりゃ」

 そんなデタラメな事あってたまるか。
 だが、目の前の古谷はいまだにイッちゃった目で「ビッグヴォイスも愛らしい小鳥の囀りみたいだね」とか言ってるし。普段の古谷だったら、絶対そんなことを言うキャラじゃない。そもそも俺と石井がふざけてるのを、古谷は黙って見てることも多いし、悪ふざけなんて出来る奴ではないのだ。

「お前にかけようと思った催眠が、古谷に効いちゃったみたいだなぁ。変なふうにかかって、ポエムしか言えなくなってるんじゃないか」
「そ、そんなことある⁉︎」
「実際かかってるしなぁ」

 のんびりとした石井の背中ごしに、古谷がゆらりと揺れながら近づいてきた。

「仔羊みたいに隠れんぼしてるのかい。ボクがキミ専用の狼さんになっても、いいってコトかな⭐︎」
「ギャー! 返してよっ。いつもの古谷を返してよっ」

 石井の肩を揺らしまくるが、石井はゲラゲラ笑うだけだ。

「オモロくていいじゃん」
「どこがっ⁉︎ それに、なんかさっきから俺にだけフォーカスされてない⁉︎」

 石井の背後に隠れているはずなのに、石井の存在などないかのように俺にだけ話しかけてくる。

「そら、古谷のポエムを送りたい相手がお前だからだろう」
「なんでっ⁉」

 わけが分からない。混乱している俺に向かって、古谷が縋るように言った。

「愛しい人、どうかボクから逃げないで。つれない人、どうかこれだけは言わせて。可愛い人、キミに夢中なんだって」
「うひぃぃぃっ」
「ほら、古谷はお前に夢中なんだと」

 後から後から容赦なく繰り出される鳥肌ものの台詞に怯えていると、石井がしたり顔で言ってきた。なんだそれ。なんだそれっ⁉

「普段秘めてるムッツリ、いや想いがポエムを通すことで爆発しちゃったんだろ」

 そんなことあってたまるか、と思うものの、古谷から言葉にも視線にも並々ならぬ熱さを感じるのは事実だ。

「か、仮に、そうだとして。古谷がなんで俺を?」
「それは、俺じゃなくて古谷に聞けばいいだろ」

 石井はそう言うと、背中に隠れていた俺を古谷へと突き出した。なんてことするんだ、この野郎。

「安田……いや、マイスイートエンジェル」
「いや、じぇねーんだよ。安田だよ」

 即座に呼び方を否定した俺に向かって、古谷がさっと跪く。若干瞳が熱に浮かされたように潤んでいるように見えるのは、気のせいだと思いたい。

「俺は窓に吊された、てるてる坊主だ」
「はぁ?」
「雨露に耐えながら、キミと言う太陽を焦がれ続けることしか出来ない」

 だっせ、という言葉をなんとか飲みこむ。とにかく、イカレポエム野郎になってしまったとしても、これは古谷なのだ。俺は本人に向かって率直な疑問をぶつけた。

「あのさ、お前って俺が好きなの?」

 先程まで、マシンガンのように激寒ポエムを放っていた古谷がピタリと固まった。

「その、ポエムみたいなやつのせいで、冗談みたいに聞こえるんだけど。今だけのネタとかじゃなくて?」
「……う」
「う?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 突如、古谷が自分の頭を掻きむしった。

「まるでそれは、相棒を無くしたソックス! 戦場に連れてきたのは、相棒とよく似た別人だったのに。戦場に赴き、敵に指摘されるまで気付かなかったボクの心に影を落としっ。わぁぁぁぁ──っ」
「ど、どういうこと?」
「靴下間違えて履いてきたときの気持ちって言いたいんじゃね?」

 意味が分からないでいると、後ろから石井が助け舟を出してきた。だが、それも意味が分からない。首を傾げると、石井が笑いながら言った。

「めっちゃ恥ずいってことだろ」
「うわァァァァァッ」

 またしても古谷が奇声をあげた。

「お、おい。落ち着けよ。大丈夫だよ。さっきまでのポエムで十分恥ずいから今更だよ」
「全然慰めになってないな」

 石井にツッコまれながらも、古谷の肩をゆっくり叩く。古谷は少しずつ落ち着きを取り戻すと、捨て犬のような顔でこちらを伺ってきた。あまりの下がり眉っぷりに思わず笑ってしまう。

「なっ」
「ごめんごめん。だって、普段は無表情の古谷のこんな顔が見られるなんて、ちょっと愉快だろ」

 そう言いながらも、思わずニヤけてしまう俺を、複雑そうな顔で古谷が見ている。さっきは怒涛のイカれポエムにびっくりしたけど、やっぱり古谷は古谷だ。
 謎の安心感に浸っていた俺はすっかり油断していたが、ふいに古谷に右手を取られ、優しく両手で包まれた。

「えっ」
「マイリトルスター……例えキミにはボクが変わったように見えても、例え時が流れ、風が吹き、世界が変わろうとも。ボクの愛は、星空に輝く一番明るい星のように。太古の昔から、それは変わらない」

 今までで一番の熱量を古谷から感じ、俺も思わず目を離せなくなる。めちゃくちゃ茶化したい。茶化したいんだけど、流石に俺でも分かる。古谷はいま、ずっと前から俺が好きって言ったのだ。

「えーっと……」

 正直非常に困る。なにが困るって、こんなにトンチキな告白をされてるのに、顔が赤くなって仕方ないのだ。誓って言うが、今まで古谷のことを恋愛対象としてみたことはなかった。
 でも、普段は真面目でクールな男が、内に俺への想いを抱えてたのかと思うと、ぶっちゃけ、くるものがある。

「感動したっ! 生モノに興味なかった俺は死んだっ。最高だ。サンキューだよ」

 ポエポエした空間が、突然の拍手で壊された。この空間にもう一人いたことをすっかり忘れていた。石井が満面の笑みで拍手をしている。

「おい、やめろ……」

 あまりの気恥ずかしさに、かすれた声で静止することしか出来ない俺を尻目に、石井は生き生きを言い放った。

「いやぁ、俺に新ジャンルの供給をありがとう。これは、俺からのせめてものお礼だ」

 そう言うと、懐から先程使っていた五円玉を取り出す。イヤな予感しかしない。

「ご注目~」

 石井は得意げに五円玉を揺らし始める。その道のプロみたいな顔をしているのが、絶妙に腹立たしい。

「いまからこの理科室は、セックスしないと出られない部屋となりまーす。あ、俺は除く(笑)」
「はぁぁぁぁッ⁉」

 とんでもない爆弾を放り込んだ石井は、俺たちを尻目にささっと荷物をまとめた。

「まあ、遠慮するな。俺からの気持ちだ。流石にいきなり本番見るのはきちぃから後日談エピよろ。んじゃ、励めよ~」
「おいっ、ふざけんなっ」

 追いかけようとするが、石井は普段では考えられないスピードでドアの向こう側へと消えていった。俺も慌ててドアの取っ手に手を掛けるが、その手をそっと上から一回り大きな手のひらで抑えられる。恐る恐る振り返ると、古谷の熱っぽい瞳と目が合った。

「セックスしないと……出られないから」
「ちょっ、おまっ、なんでそんなチョロいんだよっ! ぎゃっ、そ、そんなとこっ」
「俺の胸の高鳴りも下の昂りも、どうか受け止めて……ハニー」
「最低ポエムやめろぉぉぉぉっ」

 その後。俺が部屋を出られたかどうかは、言いたくない。

       完
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