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僕が笙を吹いた日 中編
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と言っても、僕はなんとなく頭の中にある基礎知識のようなもの以外、世界のことを何も知らない。
この数日の出来事しか、知らない。
あっちをうろうろ、窓際まで行ってはビビって引き返そうとし。
それではいけないと、和室の引き戸からえいやとリビングへと足を踏み入れた。
畳とは違う、固く、ひんやりとした板の感触。
僕は突然違う場所に来たみたいになって、肩をすくませ体を小さくして、そろりそろりと歩き出した。
そこは、昼間と違って、なんだか怖い。
朝は活気があって、昼はうららかで、あったかい空間のはずなのに、なんだか飲み込まれそうだった。
闇雲にうろうろしていた時、なんとなく後ずさったら、かさり。
何かに足が当たった音がした。
振り向くと、暗がりにビニールの透明な袋が見えた。
『おーい。おーい』
どこからともなく声がする。
「だ、だだだ、誰?! どこにいるの?」
びくびくしながら尋ねると、目の前のビニールがガサガサと動いた。
じっと見つめると、なんとなく腕が見える。
『ここだ、ここ。チッ、近づけねぇ。なぁ、出してくんねぇ?』
その腕は、僕より小さかった。
「なんで出たいの」
『なんでも何も、この前までほっとかれたと思ったらこの有様でよぉ。前はよく遊んでくれてたのに、なんだってんだって怒鳴り込んでやろうと思って』
その腕はそう言いながら、まだもがいているようだった。
「君は誰?」
『ああ? 俺か? 俺はシルバニアっつー人形のうさぎだよ』
ガサガサという音が続き、腕につづいてお尻と両足がチラリと見えだした……とはいえ、その左足はもげたのか、見当たらない。
『なぁ、出せねぇ?』
その声が、なんだか頼りなく感じて。
僕は目の前の半透明のビニールを一生懸命押したり引いたりしてみた。
けれど、かなり丈夫なのか、それとも僕がただ非力なだけか、小穴一つ開けることはできなかった。
「……ごめん」
『いいってことよ。まぁ、なんとかなるさ』
明るくそのうさぎは言ってくれたけれど、僕は情けなくて。
追加で押したり引いたりしたけれど、でもどうしても駄目だった。
ここで見つかると危ないぞ、と言われ。
粘ろうと思ったけど、なんとなく相手の親切心からの言葉だと感じて大人しく和室へと帰る。
結局、その後は部屋の四隅をただぐるりと一周しただけで。
コソコソと、段飾りのお雛様がいる側の裏の方へと逃げ帰ったのだった。
月の光も届かない、朱塗りの台のその裏。
相変わらず、膝を抱えてうずくまり、背中を台へと預けて一息ついた。
暫くして、雅楽の音色が聞こえてきて、僕はいつものように耳を澄ます。
ああ、なんていい音色なんだろう。
没頭しているうちに曲が終わる。
この曲を、自分でも奏でることができたなら。
右手でぶっきらぼうに持った笙に、視線を向ける。
お前は、どんな音色なんだろう。
笙を、持ち上げる。
口へと、近づけようとする。
一呼吸、吸って、吐いて。
だけど。
躊躇う僕の耳に、女の子のやけに通る声が、こちらまで聞こえてきた。
「それに、本当はもういらないって、捨てられるのも怖かった」
どきり。
捨てられるって、誰に。
僕はその考えたこともないような単語に、思わず耳をそば立てた。
女の子は少し涙声になりながらも、別の誰かと話しているらしい。
「だけど、今年お雛様を見て決心がついた」
「え?」
震えていた声が、スッと筋が通ったふうになった。
「わたし、もう逃げない。わたしたち物にとってはやっぱり、使ってもらえなくちゃ、意味がないって気づいたから」
使ってもらえなくちゃ、意味が、ない――?
僕はハッとして、手に持っていた笙を見た。
こいつも、意味がないんだろうか。
吹かない限り、鳴らさない限り、なんの意味のないただのガラクタになってしまうんだろうか。
もしかしたら……僕も……?
その想像に背筋が凍った。
何で、とか。
どうして僕が、とか。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
好きで生まれたわけじゃないのに……!!
「追いかけなくて、よろしいのです?」
混乱した頭の中に、女官の誰かが声をかけるのが聞こえた。
「……できるわけ、ないじゃん……うちら、来年も再来年も……まだまだ、ここにいるもん」
その言葉で、さっきの女の子がもう来年にはいないのだということを知る。
そういえば玩具の人形とお雛様が仲良くしているんだ、と、よっこんだかカッキーだかが話していた。
今の子は、じゃあその玩具の……?
僕達人形がいなくなるって、どういうことなんだろう。
物として人間から扱われてる僕達は……。
その答えは、翌日昼の人間たちの行動から知ることになった。
どうやらここの住人が、ちょっとした大掃除をする事にしたらしく、色々と「これは取っておく」だの「これはキープマスト!」だの「あ、それいらなーい」だのと、物を整理していたのだ。
そう、物は整理される。
ゴミ箱ってやつに入れられて、どうやら燃やされたり埋め立てられたりするらしい。
あのうさぎ……袋に入れられてたのは……っ。
形がなくなる。
僕も、この笙も。
いずれは……?
昼にもかかわらず、僕はこっそりと手元の笙を見た。
「……ねぇ、お母さん。あの人形今ちょっとポーズ変わんなかった?」
「そんなわけないでしょ、もう。冗談はよしてちょうだい」
気づかれそうになって、慌てて元のポーズをキープした。
この数日の出来事しか、知らない。
あっちをうろうろ、窓際まで行ってはビビって引き返そうとし。
それではいけないと、和室の引き戸からえいやとリビングへと足を踏み入れた。
畳とは違う、固く、ひんやりとした板の感触。
僕は突然違う場所に来たみたいになって、肩をすくませ体を小さくして、そろりそろりと歩き出した。
そこは、昼間と違って、なんだか怖い。
朝は活気があって、昼はうららかで、あったかい空間のはずなのに、なんだか飲み込まれそうだった。
闇雲にうろうろしていた時、なんとなく後ずさったら、かさり。
何かに足が当たった音がした。
振り向くと、暗がりにビニールの透明な袋が見えた。
『おーい。おーい』
どこからともなく声がする。
「だ、だだだ、誰?! どこにいるの?」
びくびくしながら尋ねると、目の前のビニールがガサガサと動いた。
じっと見つめると、なんとなく腕が見える。
『ここだ、ここ。チッ、近づけねぇ。なぁ、出してくんねぇ?』
その腕は、僕より小さかった。
「なんで出たいの」
『なんでも何も、この前までほっとかれたと思ったらこの有様でよぉ。前はよく遊んでくれてたのに、なんだってんだって怒鳴り込んでやろうと思って』
その腕はそう言いながら、まだもがいているようだった。
「君は誰?」
『ああ? 俺か? 俺はシルバニアっつー人形のうさぎだよ』
ガサガサという音が続き、腕につづいてお尻と両足がチラリと見えだした……とはいえ、その左足はもげたのか、見当たらない。
『なぁ、出せねぇ?』
その声が、なんだか頼りなく感じて。
僕は目の前の半透明のビニールを一生懸命押したり引いたりしてみた。
けれど、かなり丈夫なのか、それとも僕がただ非力なだけか、小穴一つ開けることはできなかった。
「……ごめん」
『いいってことよ。まぁ、なんとかなるさ』
明るくそのうさぎは言ってくれたけれど、僕は情けなくて。
追加で押したり引いたりしたけれど、でもどうしても駄目だった。
ここで見つかると危ないぞ、と言われ。
粘ろうと思ったけど、なんとなく相手の親切心からの言葉だと感じて大人しく和室へと帰る。
結局、その後は部屋の四隅をただぐるりと一周しただけで。
コソコソと、段飾りのお雛様がいる側の裏の方へと逃げ帰ったのだった。
月の光も届かない、朱塗りの台のその裏。
相変わらず、膝を抱えてうずくまり、背中を台へと預けて一息ついた。
暫くして、雅楽の音色が聞こえてきて、僕はいつものように耳を澄ます。
ああ、なんていい音色なんだろう。
没頭しているうちに曲が終わる。
この曲を、自分でも奏でることができたなら。
右手でぶっきらぼうに持った笙に、視線を向ける。
お前は、どんな音色なんだろう。
笙を、持ち上げる。
口へと、近づけようとする。
一呼吸、吸って、吐いて。
だけど。
躊躇う僕の耳に、女の子のやけに通る声が、こちらまで聞こえてきた。
「それに、本当はもういらないって、捨てられるのも怖かった」
どきり。
捨てられるって、誰に。
僕はその考えたこともないような単語に、思わず耳をそば立てた。
女の子は少し涙声になりながらも、別の誰かと話しているらしい。
「だけど、今年お雛様を見て決心がついた」
「え?」
震えていた声が、スッと筋が通ったふうになった。
「わたし、もう逃げない。わたしたち物にとってはやっぱり、使ってもらえなくちゃ、意味がないって気づいたから」
使ってもらえなくちゃ、意味が、ない――?
僕はハッとして、手に持っていた笙を見た。
こいつも、意味がないんだろうか。
吹かない限り、鳴らさない限り、なんの意味のないただのガラクタになってしまうんだろうか。
もしかしたら……僕も……?
その想像に背筋が凍った。
何で、とか。
どうして僕が、とか。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
好きで生まれたわけじゃないのに……!!
「追いかけなくて、よろしいのです?」
混乱した頭の中に、女官の誰かが声をかけるのが聞こえた。
「……できるわけ、ないじゃん……うちら、来年も再来年も……まだまだ、ここにいるもん」
その言葉で、さっきの女の子がもう来年にはいないのだということを知る。
そういえば玩具の人形とお雛様が仲良くしているんだ、と、よっこんだかカッキーだかが話していた。
今の子は、じゃあその玩具の……?
僕達人形がいなくなるって、どういうことなんだろう。
物として人間から扱われてる僕達は……。
その答えは、翌日昼の人間たちの行動から知ることになった。
どうやらここの住人が、ちょっとした大掃除をする事にしたらしく、色々と「これは取っておく」だの「これはキープマスト!」だの「あ、それいらなーい」だのと、物を整理していたのだ。
そう、物は整理される。
ゴミ箱ってやつに入れられて、どうやら燃やされたり埋め立てられたりするらしい。
あのうさぎ……袋に入れられてたのは……っ。
形がなくなる。
僕も、この笙も。
いずれは……?
昼にもかかわらず、僕はこっそりと手元の笙を見た。
「……ねぇ、お母さん。あの人形今ちょっとポーズ変わんなかった?」
「そんなわけないでしょ、もう。冗談はよしてちょうだい」
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