戦国Re:verse ― 織田信長編《紅蓮の覇者》

梵天丸

文字の大きさ
57 / 64

第57話 風の誓火(せいか)

しおりを挟む
 夜が明ける前から、京の空は鈍く霞んでいた。
 遠くで鐘が鳴る。まだ戦の匂いが抜けきらぬ都に、冷たい風が吹き抜けた。
 地図の上に指を滑らせると、墨の線が朝靄に滲んで見えた。

「……義昭残党、北の寺町に籠もっております」

 光秀殿が報告を終える。柔らかな声だが、その眼差しは鋭い。
 その隣で、勝家さんが唸った。

「奴らの数はわずか。正面から押せば片がつく」

「ですが、勝家。寺町は狭く、火が出れば京の町が――」

 長秀さんの言葉を、勝家さんは手で制した。

「女の理屈は要らん。戦は速さだ」

 その一言に、一気にその場の空気が悪くなる。
 勝家さんは、時々、空気が読めないときがある。
 僕は息を吸い、地図の上に石を置いた。

「……風を読めば、北東に抜ける路が一本あります。
 そこを抑えれば、敵は退路を断たれ、自ずと崩れるはずです」

 利家が眉を上げた。

「北東? それでは、風下になる」
「ええ。だからこそ、風を使います。煙を起こせば、敵の目は塞がる。
 混乱したところを、勝家さんが正面から押し、利家が南へ回る。いかがでしょうか?」

 沈黙。
 信長様は地図を眺め、わずかに唇の端を上げた。

「――よかろう。相馬蓮、初陣の采配、見せてみよ」

 その声音に、誰も逆らわなかった。
 心臓が、鼓動というよりも、炎のように鳴っていた。

 いよいよ、僕の力が試されるときがきたのだ。



 陽が昇ると同時に、戦が始まった。
 寺町の屋根の向こうから、僧兵たちの法螺が響く。
 武将たちが指示を飛ばし、兵が走る。
 藤吉郎が声を張り上げた。

「軍師様、煙の準備、整いました!」

「風を待て!」

 風が西から東へと流れ始める。
 俺は扇を高く掲げた。
 戦場での、信長様の覇気を思い出す。

「――火を放て!」

 瞬間、炎がうねった。
 灰が舞い、煙が風に乗って流れ込む。
 僧兵たちの視界が奪われ、混乱が走る。
 勝家さんの軍勢が突撃し、利家が側面から回り込む。
 地鳴りのような足音と怒号。
 風が、俺たちの背を押していた。

「押し切れ!」
「崩れるぞ、もう一歩だ!」

 火の粉が鎧を焦がす。
 けれど、不思議と恐怖はなかった。
 信長様がくれた“采配”という炎が、胸の奥で燃えていた。



 戦は半刻ほどで終わった。
 義昭残党は散り、京の北に逃げ延びたわずかな者が残るだけ。
 だが、報告を聞いた時、胸が痛んだ。

「……小隊の一つが、煙に巻かれ、戻りませんでした」

 藤吉郎の声が沈む。
 勝利の歓声の裏で、確かに命が失われていた。
 その現実が、初めて“軍師”という名の重みを教えてくれた。
 俺は、手を強く握りしめた。



 夕刻、陣屋の大広間。
 信長様が座す前に、将たちが並んでいた。
 火が灯され、盃が順に配られる。
 勝家さん、利家、光秀殿、長秀さん、藤吉郎――そして俺。

「今日の采配、見事であった」

 信長様の声が響く。

 「相馬蓮、初陣にして風を掴む。これより、織田の軍師として名実を得たと心得よ」

 その言葉に、光秀殿が微笑む。
 藤吉郎が拍手をし、勝家さんが「若造もやるな」と笑った。
 盃が重なり、火がぱちりと弾ける。

 けれど、信長様の目がこちらを向いた瞬間、すべての喧噪が遠のいた気がした。
 あの金の瞳が、まっすぐに俺を射抜いていた。



 夜。
 陣は静まり、風だけが幕を揺らしている。
 僕は、今回の戦の報告書をまとめていた。
 背後で足音がして、振り返る。

「……まだ起きておるのか」

 信長様だった。
 赤い髪が灯に照らされ、影がゆらめく。
 手にした盃を俺の前に置く。

「今日の采配、あの場におった誰よりも冴えていた。
 だが、顔は晴れぬな」

「失いました。命を……自分の策で」

「それでいい」

 信長様は盃を傾け、淡く笑った。

 「死を恐れる軍師は、風を鈍らせる。だが、重みを知る者は強い。
 ……そなたは、前者ではない」

 その言葉に、胸の奥の痛みが少し溶けた。
 沈黙の中、火がまた小さく爆ぜた。

 信長様が、ふいに手を伸ばした。
 頬を撫でる指先。
 熱いのか冷たいのか、わからない。

「蓮。……この身に仕えることを、悔いたことはあるか?」

「ありません。どんな未来でも、信長様の隣に立てるなら」

 その言葉のあと、
 唇が、触れるか触れないかの距離で止まった。

 信長様の睫毛が、震えた。
 その目に映るのは――俺ではなく、何か遠い炎のようにも見えた。

(信長様は……どういう気持ちで、キスをするんだろう)

 心臓の音が耳を打つ。
 嬉しいのに、怖かった。
 自分が“信頼”の延長にいるのか、それとも――違うのか。
 尋ねたかった。けれど、声にならなかった。

 唇が軽く触れた。
 まるで、僕を慰めるかのように。
 だけど、それはすぐに離れていった。

「……今宵は、風が穏やかだな」

 その言葉とともに、幕が揺れた。
 夜風が二人の間を通り抜け、焔が揺らぐ。
 その一瞬に、 信長様の瞳がわずかに翳ったのを、俺は見逃さなかった。

 夜風が二人の間を通り抜け、焔が揺らぐ。
 その一瞬に、信長様の瞳がわずかに翳ったのを、俺は見逃さなかった。

 ――けれど、その揺らぎを見ていた者が、もう一人いた。

 廊の陰、灯の届かぬ場所で。
 光秀殿は、何も言わず、ただ静かに目を閉じた。
 唇に浮かんだ表情は、怒りでも哀しみでもなく、
 “理解”に似た静かな影だった。

(この人の“戦”の先には、何があるんだろう)

 けれど――その夜だけは、何も考えたくなかった。
 ただ、信長様の隣で、同じ風を感じていたかった。

 夜は静かに更けていく。
 燃え尽きた薪の残り火が、二人の影を長く揺らした。
 やがて、火が落ちる音だけが残った。

***************

戦国Re:verse ― 織田信長編《紅蓮の覇者》は、各エピソードごとに YouTubeで公開されるオリジナル楽曲 が1曲ずつ連動しています。

今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「風の誓火(せいか)」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

「風の誓火(せいか)」はこちら ⇒ https://youtu.be/5KEQl-wTyBg
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

優の異世界ごはん日記

風待 結
ファンタジー
月森優はちょっと料理が得意な普通の高校生。 ある日、帰り道で謎の光に包まれて見知らぬ森に転移してしまう。 未知の世界で飢えと恐怖に直面した優は、弓使いの少女・リナと出会う。 彼女の導きで村へ向かう道中、優は「料理のスキル」がこの世界でも通用すると気づく。 モンスターの肉や珍しい食材を使い、異世界で新たな居場所を作る冒険が始まる。

異世界のんびり放浪記

立花アルト
ファンタジー
異世界に転移した少女リノは森でサバイバルしながら素材を集め、商人オルソンと出会って街アイゼルトヘ到着。 冒険者ギルドで登録と新人訓練を受け、採取や戦闘、魔法の基礎を学びながら生活準備を整え、街で道具を買い揃えつつ、次の冒険へ向けて動き始めた--。 よくある異世界転移?です。のんびり進む予定です。 小説家になろうにも投稿しています。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

処理中です...