風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動

梵天丸

文字の大きさ
5 / 64

第5話 差し入れのキス — Kiss in the Quiet

しおりを挟む
 ──懐かしい夢を見た。
 強引で、逃げ道を与えない匠真のやり方。
 反発しながらも、結局は流されて、気づけば一緒にいた。

 付き合いだした当初は、会えば必ず身体を重ねた。
 まともなデートなんてほとんどなかった。
 けれどあの頃の俺は、婚約破棄で心がずたずたにされていた時期で……。
 匠真と過ごす刺激的な時間は、嫌なことを思い出さずに済む、一種の麻酔みたいなものだった。

 熱に浮かされながら、そんな記憶が頭をよぎる。
 目を開ければ、見慣れた1DKの天井。
 無垢材調のフローリングに、黒とグレーを基調にした家具。観葉植物の影が、朝の光で壁に揺れている。
 小綺麗に整えたつもりの部屋も、今は汗で濡れたシャツと乱れた布団が台無しにしていた。

 喉は焼けるように熱く、額にはじっとりと汗。
 時計を見れば、まだ朝の七時前。会社に行く準備をしなければならない時間だ。けれど、体は思うように動かない。

(……最低だな、俺)

 補佐として、やるべき仕事は山ほどある。出張で預かった資料も、全部俺が持っている。自分が出社できないことで支障が出ることを思えば、申し訳なさで胸が押し潰されそうだった。

 スマホを手に取り、発信履歴の一番上を押す。
 コール音が二度鳴り、すぐに低い声が応答した。

「……颯?」
「……本当に申し訳ない。熱が出て……会社に行けそうにない」
「熱?」
「出張の資料は、バイク便で送るように手配した。始業時間に間に合うようにしてあるから……」

 言いながら、額に手を当てる。熱で霞む頭で必死に手配を済ませたのは、ただの義務感だった。

「馬鹿か」

 低い声に、叱責が混じる。

「そんな状態で無理して動くな。寝てろ」
「でも……」
「でもじゃない。午前中に病院行け。診断が出たら連絡しろ」

 有無を言わせぬ口調に、思わず「はい」と答えていた。電話を切ったあとも、耳の奥に彼の声が残る。



 午前十時。ふらつく体を引きずって近所の内科に行った。診断はただの風邪。処方されたのは解熱剤だけだった。

 安堵のため息を吐きながら布団に潜り込み、スマホを手に取った。

「……ただの風邪だって。明日から出られる」

 すぐに返信が来た。

『二日休め。俺が許す』
「は?」と声に出してしまった。

『お前が無理して倒れたら余計に困る。いいから寝てろ』

 短い文面に逆らう気力は残っていなかった。結局「わかった」とだけ返して、目を閉じた。



 夜。
 玄関のチャイムが鳴ったとき、夢と現実の境目でうつらうつらしていた。
 重い体を起こしてドアを開けると、コンビニの袋を下げた匠真が立っていた。

「な……っ、どうして」
「差し入れ。ポカリとおかゆと、あとゼリー。冷蔵庫入れとけ」

 勝手知った様子で靴を脱ぎ、狭い1DKに上がり込んでくる。
 ソファに置いてある雑誌をどかし、袋の中身をテーブルに並べていく姿は、まるで自分の部屋のようだった。



「なんで来たんだよ…」
「心配だからに決まってるだろ」
「ただの風邪だって言っただろ…」
「おまえの顔が見たかった…とでも言えばいいのか?」
「馬鹿っ」

 冗談だと分かっていても、自然と顔が熱くなる。
 俺は慌てて話題を変えた。

「仕事は……」
「心配するな。俺がやる。おまえが入社する前の担当だった柚木もサポートしてくれる。2日ぐらいなら何とかなる」
「でも……」
「でもじゃない。明日も明後日も、お前は休め」

 命令のような口調なのに、不思議と反発心は湧かなかった。
 むしろ、一人で過ごしていた孤独がふっと軽くなった気がして、胸の奥がじんわり熱くなる。

「……ありがとう」
 気づけば、素直にそう口にしていた。

 匠真は驚いたように目を見開き、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
 その笑みが、熱で弱った俺には眩しすぎて、思わず視線を逸らした。

(そういえば…彼女がいるんだよな…)

 思い出しそうになった記憶を、とりあえず、押し込んだ。
 今思い出すと、殴ってしまいそうだったからだ。
 今日は仕事も休んで迷惑をかけたし、お見舞いにも来てくれた。
 殴るのは、別の機会に取っておこう。

「夢…見てた…」
「夢?」
「おまえに付き合おうって言われたときの。黒歴史だ」
「黒歴史とか言うな」
「おまえは…覚えてるの?」
「当たり前だろ」
「ふーん…」
「何だよ?」
「別に…」
「あの時、颯が言った…」

 言いかけた匠真の言葉は途中で途切れた。
 薬が効いた颯が、眠っているのに気づいたからだ。

「なんで…逃げたんだ…」

 匠真はそう呟いて、颯の唇にキスをした。

****************

「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。

今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「差し入れのキス — Kiss in the Quiet」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

♫「差し入れのキス — Kiss in the Quiet」はこちら⇒ https://youtu.be/7ue-dcnTiOA
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?

monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。 そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。 主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。 ※今回の表紙はAI生成です ※小説家になろうにも公開してます

[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった

ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン モデル事務所で メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才 中学時代の初恋相手 高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が 突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。 昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき… 夏にピッタリな青春ラブストーリー💕

俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き

toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった! ※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。 pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。 もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿ 感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_ Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109 素敵な表紙お借りしました! https://www.pixiv.net/artworks/100148872

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

溺愛じゃおさまらない

すずかけあおい
BL
上司の陽介と付き合っている誠也。 どろどろに愛されているけれど―――。 〔攻め〕市川 陽介(いちかわ ようすけ)34歳 〔受け〕大野 誠也(おおの せいや)26歳

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...