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第5話 差し入れのキス — Kiss in the Quiet
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──懐かしい夢を見た。
強引で、逃げ道を与えない匠真のやり方。
反発しながらも、結局は流されて、気づけば一緒にいた。
付き合いだした当初は、会えば必ず身体を重ねた。
まともなデートなんてほとんどなかった。
けれどあの頃の俺は、婚約破棄で心がずたずたにされていた時期で……。
匠真と過ごす刺激的な時間は、嫌なことを思い出さずに済む、一種の麻酔みたいなものだった。
熱に浮かされながら、そんな記憶が頭をよぎる。
目を開ければ、見慣れた1DKの天井。
無垢材調のフローリングに、黒とグレーを基調にした家具。観葉植物の影が、朝の光で壁に揺れている。
小綺麗に整えたつもりの部屋も、今は汗で濡れたシャツと乱れた布団が台無しにしていた。
喉は焼けるように熱く、額にはじっとりと汗。
時計を見れば、まだ朝の七時前。会社に行く準備をしなければならない時間だ。けれど、体は思うように動かない。
(……最低だな、俺)
補佐として、やるべき仕事は山ほどある。出張で預かった資料も、全部俺が持っている。自分が出社できないことで支障が出ることを思えば、申し訳なさで胸が押し潰されそうだった。
スマホを手に取り、発信履歴の一番上を押す。
コール音が二度鳴り、すぐに低い声が応答した。
「……颯?」
「……本当に申し訳ない。熱が出て……会社に行けそうにない」
「熱?」
「出張の資料は、バイク便で送るように手配した。始業時間に間に合うようにしてあるから……」
言いながら、額に手を当てる。熱で霞む頭で必死に手配を済ませたのは、ただの義務感だった。
「馬鹿か」
低い声に、叱責が混じる。
「そんな状態で無理して動くな。寝てろ」
「でも……」
「でもじゃない。午前中に病院行け。診断が出たら連絡しろ」
有無を言わせぬ口調に、思わず「はい」と答えていた。電話を切ったあとも、耳の奥に彼の声が残る。
◆
午前十時。ふらつく体を引きずって近所の内科に行った。診断はただの風邪。処方されたのは解熱剤だけだった。
安堵のため息を吐きながら布団に潜り込み、スマホを手に取った。
「……ただの風邪だって。明日から出られる」
すぐに返信が来た。
『二日休め。俺が許す』
「は?」と声に出してしまった。
『お前が無理して倒れたら余計に困る。いいから寝てろ』
短い文面に逆らう気力は残っていなかった。結局「わかった」とだけ返して、目を閉じた。
◆
夜。
玄関のチャイムが鳴ったとき、夢と現実の境目でうつらうつらしていた。
重い体を起こしてドアを開けると、コンビニの袋を下げた匠真が立っていた。
「な……っ、どうして」
「差し入れ。ポカリとおかゆと、あとゼリー。冷蔵庫入れとけ」
勝手知った様子で靴を脱ぎ、狭い1DKに上がり込んでくる。
ソファに置いてある雑誌をどかし、袋の中身をテーブルに並べていく姿は、まるで自分の部屋のようだった。
「なんで来たんだよ…」
「心配だからに決まってるだろ」
「ただの風邪だって言っただろ…」
「おまえの顔が見たかった…とでも言えばいいのか?」
「馬鹿っ」
冗談だと分かっていても、自然と顔が熱くなる。
俺は慌てて話題を変えた。
「仕事は……」
「心配するな。俺がやる。おまえが入社する前の担当だった柚木もサポートしてくれる。2日ぐらいなら何とかなる」
「でも……」
「でもじゃない。明日も明後日も、お前は休め」
命令のような口調なのに、不思議と反発心は湧かなかった。
むしろ、一人で過ごしていた孤独がふっと軽くなった気がして、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……ありがとう」
気づけば、素直にそう口にしていた。
匠真は驚いたように目を見開き、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
その笑みが、熱で弱った俺には眩しすぎて、思わず視線を逸らした。
(そういえば…彼女がいるんだよな…)
思い出しそうになった記憶を、とりあえず、押し込んだ。
今思い出すと、殴ってしまいそうだったからだ。
今日は仕事も休んで迷惑をかけたし、お見舞いにも来てくれた。
殴るのは、別の機会に取っておこう。
「夢…見てた…」
「夢?」
「おまえに付き合おうって言われたときの。黒歴史だ」
「黒歴史とか言うな」
「おまえは…覚えてるの?」
「当たり前だろ」
「ふーん…」
「何だよ?」
「別に…」
「あの時、颯が言った…」
言いかけた匠真の言葉は途中で途切れた。
薬が効いた颯が、眠っているのに気づいたからだ。
「なんで…逃げたんだ…」
匠真はそう呟いて、颯の唇にキスをした。
****************
「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「差し入れのキス — Kiss in the Quiet」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
♫「差し入れのキス — Kiss in the Quiet」はこちら⇒ https://youtu.be/7ue-dcnTiOA
強引で、逃げ道を与えない匠真のやり方。
反発しながらも、結局は流されて、気づけば一緒にいた。
付き合いだした当初は、会えば必ず身体を重ねた。
まともなデートなんてほとんどなかった。
けれどあの頃の俺は、婚約破棄で心がずたずたにされていた時期で……。
匠真と過ごす刺激的な時間は、嫌なことを思い出さずに済む、一種の麻酔みたいなものだった。
熱に浮かされながら、そんな記憶が頭をよぎる。
目を開ければ、見慣れた1DKの天井。
無垢材調のフローリングに、黒とグレーを基調にした家具。観葉植物の影が、朝の光で壁に揺れている。
小綺麗に整えたつもりの部屋も、今は汗で濡れたシャツと乱れた布団が台無しにしていた。
喉は焼けるように熱く、額にはじっとりと汗。
時計を見れば、まだ朝の七時前。会社に行く準備をしなければならない時間だ。けれど、体は思うように動かない。
(……最低だな、俺)
補佐として、やるべき仕事は山ほどある。出張で預かった資料も、全部俺が持っている。自分が出社できないことで支障が出ることを思えば、申し訳なさで胸が押し潰されそうだった。
スマホを手に取り、発信履歴の一番上を押す。
コール音が二度鳴り、すぐに低い声が応答した。
「……颯?」
「……本当に申し訳ない。熱が出て……会社に行けそうにない」
「熱?」
「出張の資料は、バイク便で送るように手配した。始業時間に間に合うようにしてあるから……」
言いながら、額に手を当てる。熱で霞む頭で必死に手配を済ませたのは、ただの義務感だった。
「馬鹿か」
低い声に、叱責が混じる。
「そんな状態で無理して動くな。寝てろ」
「でも……」
「でもじゃない。午前中に病院行け。診断が出たら連絡しろ」
有無を言わせぬ口調に、思わず「はい」と答えていた。電話を切ったあとも、耳の奥に彼の声が残る。
◆
午前十時。ふらつく体を引きずって近所の内科に行った。診断はただの風邪。処方されたのは解熱剤だけだった。
安堵のため息を吐きながら布団に潜り込み、スマホを手に取った。
「……ただの風邪だって。明日から出られる」
すぐに返信が来た。
『二日休め。俺が許す』
「は?」と声に出してしまった。
『お前が無理して倒れたら余計に困る。いいから寝てろ』
短い文面に逆らう気力は残っていなかった。結局「わかった」とだけ返して、目を閉じた。
◆
夜。
玄関のチャイムが鳴ったとき、夢と現実の境目でうつらうつらしていた。
重い体を起こしてドアを開けると、コンビニの袋を下げた匠真が立っていた。
「な……っ、どうして」
「差し入れ。ポカリとおかゆと、あとゼリー。冷蔵庫入れとけ」
勝手知った様子で靴を脱ぎ、狭い1DKに上がり込んでくる。
ソファに置いてある雑誌をどかし、袋の中身をテーブルに並べていく姿は、まるで自分の部屋のようだった。
「なんで来たんだよ…」
「心配だからに決まってるだろ」
「ただの風邪だって言っただろ…」
「おまえの顔が見たかった…とでも言えばいいのか?」
「馬鹿っ」
冗談だと分かっていても、自然と顔が熱くなる。
俺は慌てて話題を変えた。
「仕事は……」
「心配するな。俺がやる。おまえが入社する前の担当だった柚木もサポートしてくれる。2日ぐらいなら何とかなる」
「でも……」
「でもじゃない。明日も明後日も、お前は休め」
命令のような口調なのに、不思議と反発心は湧かなかった。
むしろ、一人で過ごしていた孤独がふっと軽くなった気がして、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……ありがとう」
気づけば、素直にそう口にしていた。
匠真は驚いたように目を見開き、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
その笑みが、熱で弱った俺には眩しすぎて、思わず視線を逸らした。
(そういえば…彼女がいるんだよな…)
思い出しそうになった記憶を、とりあえず、押し込んだ。
今思い出すと、殴ってしまいそうだったからだ。
今日は仕事も休んで迷惑をかけたし、お見舞いにも来てくれた。
殴るのは、別の機会に取っておこう。
「夢…見てた…」
「夢?」
「おまえに付き合おうって言われたときの。黒歴史だ」
「黒歴史とか言うな」
「おまえは…覚えてるの?」
「当たり前だろ」
「ふーん…」
「何だよ?」
「別に…」
「あの時、颯が言った…」
言いかけた匠真の言葉は途中で途切れた。
薬が効いた颯が、眠っているのに気づいたからだ。
「なんで…逃げたんだ…」
匠真はそう呟いて、颯の唇にキスをした。
****************
「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。
今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「差し入れのキス — Kiss in the Quiet」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
♫「差し入れのキス — Kiss in the Quiet」はこちら⇒ https://youtu.be/7ue-dcnTiOA
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