風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動

梵天丸

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第10話 消えない跡 — Scars That Stay

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 唇が触れた瞬間、胸の奥に溜まっていた苦しさが、堰を切ったようにじわりと滲み出す。
 すべてを吸い取られるような深い口づけ。

「……ん……っ」

 喉の奥で漏れたか細い声を飲み込むように、匠真の舌が執拗に絡みつく。
 肩を押してみるが、鍛えられた体はびくともしない。

 為されるがままにソファへ押し倒され、重たいスーツのジャケットを剥ぎ取られる。
 シャツのボタンが、一つ、また一つと手際よく外されていく。やがて晒された素肌に冷たい空気が触れ、その直後に匠真の指が這う感触に、無意識に身が震えた。

「……っ、たくま……」

 触れられるたびに、身体は正直に熱を帯びていく。
 指先が胸の突起をなぞり、軽くつまむ。それだけの行為で息が詰まり、背筋に甘い痺れが走った。

「ん……っ……や……」

 背徳的な快感と、胸を締めつける罪悪感にも似た痛みが入り混じる。
 千夏の姿を忘れたい。彼女に言われた言葉を、あの冷たい視線を、頭から消し去りたい。
 それだけを必死に願って、俺はシーツを掴む代わりに、匠真の腕を掴んだ。

「……もっと…っ……」

 自分でも驚くほど掠れた、懇願するような声が出た。
 俺が求めれば、この男はためらわずに応えてくれることを知っていたから。

「ああ、分かってる…」

 その言葉を合図に、匠真の動きが熱を帯びる。ベルトが外され、ズボンが引き下げられる無防備な感覚。衣擦れと荒い呼吸が重なり、部屋の中に濃密な熱が満ちていく。

 匠真が一旦体を離し、サイドテーブルから何かを取る気配がした。すぐに戻ってきた彼の手には、見慣れたジェルが握られている。その冷たさが肌に触れた瞬間、これから起こることの現実に思考が追いつき、羞恥で体が強張った。

「力、抜け」

 囁きと共に、彼の指がゆっくりと熱を分け入ってくる。慣れない感覚に思わず腰を引くと、力強い腕で押さえつけられた。

「あ……っ、ま、て……」
「待たない」

 内側を丹念に解きほぐされ、痛みはやがて疼くような熱へと変わっていく。準備ができたと判断したのか、匠真は俺の腰を持ち上げ、自身の硬い熱を入り口に押し当てた。未知の熱量と大きさに、恐怖で息を呑む。
 そして、一気に体を貫かれた。

「っ……あ……あぁっ……!」

 視界が白く弾け、裂けるような痛みと内側から満たされる熱が同時に押し寄せる。背中が大きく弓なりに反り返り、情けない悲鳴がこぼれ落ちた。

 忘れたいのに、思い出してしまう。
 千夏と過ごした五年間も、昨日突きつけられた残酷な別れも。
 だが、腰を打ち付けられるたびに、その激しい衝撃と快感が、忌まわしい記憶を少しずつ上書きしていく。
 今、この瞬間だけは。

 匠真の熱に呑まれて、何も考えずにいられる。

「……颯」

 耳元に落とされた名前は、甘い響きではなく、魂を縛り付ける呪いのように強く響いた。
 苦しくて、息もできなくて、でも、確かに安堵している自分がいる。
 矛盾した感情に翻弄されながら、俺は意識が溶けていくほどの深い波に飲み込まれていった。


 気づけば途中で気絶するように眠ってしまっていた。
 目を開けると、見慣れない天井ではなく、匠真のマンションの寝室の天井だった。いつの間にかベッドに運ばれたらしい。

 シーツの下、まだ火照りの残る身体の節々が、昨夜の激しさをはっきりと物語っている。思い出すだけで頬が熱くなり、慌てて枕に顔を埋めた。
 リビングからはカップの音と、コーヒーの香りが漂ってくる。

「……起きたか」

 匠真が俺の額にキスをして、そのまま自然に唇が重なった。



 軽く触れるだけのキス。
 でも、優しさが伝わってくる。

「何時だ?」
「十時前。今日は休みだから、ゆっくりしておけ」

 あっさりと告げる声が、やけに穏やかだった。
 テーブルには、サンドイッチと温かいスープ。休日の遅い朝食らしい光景に、胸の奥がざわつく。

「無理させたな」

 そう言って目を伏せる匠真は、昨夜の強引さが嘘みたいに柔らかい。

「……大丈夫」

 それを望んだのは俺だ。
 匠真はそれに答えてくれた。
 だから、昨日よりも、少し気持ちが楽になっていた。
 千夏の影も、薄くなっている。

 スープを口に含む。温かさがじんわりと身体に沁みていく。
 こうして朝食を共にするのは、久しぶりだった。
 三年前も、たまに一緒に過ごした休日の朝があった。
 洗濯物を干す音や、テレビから流れるニュースの声。何気ない生活の断片を、並んで過ごした記憶。
 その懐かしさが胸を締めつける。

(……あの頃も、こんなふうに。俺たち、普通に“恋人”だったんだよな)

 けれど、懐かしさと同時に、失った時間の重みも押し寄せる。
 自分から壊した関係。逃げるように去った三年。
 今こうして同じ部屋で朝を迎えていることが、不思議でならなかった。
 匠真は俺の内心を知ってか知らずか、サンドイッチを一口かじり、淡々とした声で言う。

「今日は予定あるか?」
「……特にない」
「なら、少しのんびりしていけ。昔みたいに」

 その一言に、心臓が大きく跳ねた。
 温かいスープで身体が落ち着くと、ようやく昨夜の疲れが抜けていくのを感じた。
 食器を片付けようと立ち上がると、匠真が「いい。座ってろ」と軽く手を振った。
 昔からそうだった。匠真は俺を甘やかすのが好きだ。

 ◆

 昼前になると、匠真が「映画でも観るか」と提案してきた。
 棚にはDVDやBlu-rayが整然と並んでいる。相変わらず趣味に妥協がないらしい。
 その中から、昔二人で観た洋画が目に留まった。

「……まだ持ってたんだ」
「当然だろ。お前が途中で寝落ちしたからな。最後まで一緒に観られてない」
「……そんなことまで覚えてるのかよ」
「当たり前だ。俺はずっと覚えてる。お前に関わることなら」

 軽いやり取りの後、俺たちはソファに並んで座った。
 画面が暗転し、オープニングの音楽が流れる。
 匠真の横顔が視界の端に映り、胸の奥に奇妙な安心感が広がる。
 こうしてただ隣にいるだけで、心が少し軽くなる。
 昨夜は「忘れるため」に縋ったはずなのに、今は「懐かしさ」に包まれている。
 その違いに気づいて、自分でも戸惑った。

 映画の途中、肩に何かが触れる。
 匠真の腕がさりげなくソファの背に回っていた。
 触れてはいない。ただ、そこにあるだけで意識が引き寄せられる。
 心臓の鼓動は誤魔化せない。

「……寝るなよ」
「寝ないって」
「三年前もそう言って、結局寝ただろ」

 くすぐるような声に、思わず小さく笑ってしまった。
 画面の光が二人を照らし、淡い静けさが部屋を満たしていく。
 けれど胸の奥では、まだ解けない棘のような痛みがわずかに残っていた。

 ふいに、匠真のスマホの着信音がなった。
 匠真は無視していたが、その画面には会社の社長の名前が表示されていた。

「社長からだぞ。出た方がいいんじゃないのか?」
「今日は休みだ」
「でも、急用だったらどうするんだ?」
「明日対処すればいい」
「もし何かトラブルだったら困るから、一応出てみろよ」

 着信は一度切れて、今また再びなり出した。
 匠真は渋々、スマホを取り上げる。

「はい、篠原です」

 そう言ってからほどなく。

「お断りします」

 匠真はそっけなく告げて電話を切り、スマホをベッドの方に放り投げた。

******************

「風を捕まえる手 ― 再会は逃れられない衝動」は、YouTubeチャンネル「BL Soundscape」 にて公開されるオリジナル楽曲と完全連動しています。

今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「消えない跡 — Scars That Stay」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫

♫「消えない跡 — Scars That Stay」はこちら⇒ https://youtu.be/B3BXeSWiObE
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