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第三章
身代わり濃姫(51)
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信長のもとにその一報がもたらされたのは、織田家の主だった家臣たちが集まり、信秀の葬儀についての話し合いが行われている最中だった。
弟の信行とその家臣たちも参加しているということもあり、話し合いはなかなかまとまることがなく、会議は無駄に長引いていた。
信行側としては、自分たちの意見を少しでも多く取り入れさせようという思惑があり、葬儀を織田家の当主らしく可能な限り華美にすることなど、さまざまな要求を突きつけてきたが、信長側としては、斎藤道三など、できるだけ信秀と関わりのあった者たちは集めて見送りたいという意思を伝えたのみだった。
信長が知る父は、葬儀の形式などにこだわるような性格ではなかったから、おそらく過剰に華美な葬儀など望まないだろう……そう告げても、織田家としての威厳に関わるなどといって信行たちは信長の意見を拒み続けている。
さらに斎藤道三らを呼べという信長の意見に対して信行側は、斎藤道三が来るのなら葬儀の会場は変えろと言ってきたり、やはり葬儀は織田家のみでやるほうが良いなどと言い出したりして、議論がまったくまとまる様子がなかった。
そんなわけで、昼過ぎから始まった会議は、そろそろ夕刻を迎えようとする今になっても、まったく終わりそうな気配はない。
(こやつらわざとやってるのか……)
と、信長もいい加減に苛立ちを抑えきれなくなってきて休憩を入れようと提案した直後に、蔵ノ介が放った一報が信長のもとへ届けられたのだった。
休息のために用意された部屋に入った信長は、蔵ノ介からの急な報せに胸騒ぎを感じつつ文を開いた。
信長の性格をよく知る蔵ノ介は、まず当面の心配はないが……という説明から入り、現在清洲城の城門前には佐々木信親たちが待機しており、城内では残った者たちで城守の態勢を取っているということ。しかし、まだ敵に数は揃っているようには見えず、しばらくはさほどの危険はないであろうと考えられるということ。寺本城で戦後の処理に当たっている光秀にはすでに報せを飛ばして情報を伝え、戦の準備をして清洲に戻るように伝えてあるということ。さらには、信行や土田御前の関係が疑われるので、気取られないように清洲へ帰還して欲しいということが書かれてあった。
(信親がやはり裏切ったか……)
信親が父の急病を理由に、一時の離脱を告げてきたのは、この末森城に到着してからのことだった。信親の父はこの末森城内に養生していると聞いたので、ゆっくり会ってくるように告げて任を解いたのだが、まさかそれが清洲にいるとは思いもしなかった。
蔵ノ介から信親に対する内偵を開始するという話は聞かされていたものの、ここまで思い切った策にあの信親が出てくるとは、信長には考えられなかったし、考えたくないという気持ちもあったのかもしれない。
いずれにしても、信親に対する内偵の話を聞かされていながら警戒しなかった自分の甘さが露呈したのだと信長は思った。
また、父を失い、長秀を失い、長年にわたって信頼してきた友のような存在でもある近習を失うという可能性は、考えたくなかったのかもしれなかった。
信長は怒りを感じてはいたが、それは自身に対する怒りだった。
(待っておれ信親、俺が決着をつけてやる……)
「信長様、蔵ノ介様はどのようなことを……?」
蔵ノ介からの文を開いたまま表情を強ばらせ、黙り込んでしまった信長に、藤吉郎が心配そうに声をかける。
「藤吉郎、鷹狩りに行くぞ」
「え? い、今からでござりますか!?」
「父上への弔いだ。そう皆に伝え、狩りの準備をして外で待つように言え。今宵は夜通し狩りだ」
「で、でも、会議は……」
「狩りが終わってからだ。狩りが終わるまで会議は中断する。信行たちにもそう伝えよ」
信長の目を見て、すぐに藤吉郎は気づいた。
狩りに行くのではない……戦に行くのだと。
「かしこまりました。すぐに皆に伝えて参りまする」
藤吉郎は信長にそう答えて、すぐに言われたとおりに信長の指示を伝えて回った。
信長のその指示が伝えられると、『また信長様の気まぐれが……』『やはりあの若者はたわけでしかなかったか……』などといういつもの悪口を、信行側の家臣たちはひそひそと言い始めた。
『織田の大うつけがまた……』などと信行の家臣たちが呆れ声で囁きあっている間に、信長の近習たちは準備を整え、『狩り』に出発した。
末森城で信秀に仕えていた者たちの多くも、信長に付き従った。
末森城には、信行側の家臣たちと、信秀には仕えていたが、信長の酔狂には付き合いたくないという者たちだけが残った。
しかし、とりあえず信長に付き従って狩りの準備をしてきた元信秀の家臣たちの多くは、まだ信長の真意には気づいていないようにも見える。
信長は『狩り』に行く者たちを引き連れて馬に乗り、末森城を振り返った。
(父上……また冥府でお会いします)
信長は瞑目し、心の中で父に別れを告げた。
もう末森城に戻ってくることはないだろうし、もし戻ってくることがあるとすれば、戦うためだと信長は決めていた。
おそらくこれから織田家は、信秀の葬儀どころではなくなるだろう。
『死んで冥府に行く覚悟のない者は戦をするな』とは、父がいつも信長に言って聞かせていた言葉だった。
父の魂は今頃冥府の門をくぐっていることだろうと信長は思う。父の魂は極楽浄土にはない。
そして、自分も死ねば、極楽などには招かれず、冥府へ行く。そこで父と再会し、共に閻魔の責め苦を受けるのだ。
(美夜はきっと冥府に来ることはないだろうな……)
そう考えて信長は苦笑する。
死んでまでも一緒にいたいと考えてしまったことに、我ながら未練がましいと思ってしまったのだった。
これまでに戦を含めて多くの者を手にかけてきた自分と、人など殺めたことがない美夜が共にいられるのは、生きている間だけのことだと信長は常日頃から覚悟している。
だからこそ、彼女と過ごす一瞬一瞬が、信長にとっては宝物のような日々だと感じていた。
(しかし俺の甘さで、また美夜を危険な目に遭わせてしまっている……)
兄に会いたいという願いを叶えてやりたくて美濃にやったときも、そして、清洲なら安全だろうと思い、残してきてしまったことも。
(だが、清洲には蔵ノ介がいる。先に報せが届いているはずの光秀もすぐに清洲へ向かうだろう。そして俺も……)
信長は自分の気持ちを落ち着かせるように、そう考えた。
他のことでは冷静に考えることができるのに、美夜に関わることに関しては、気持ちが昂ぶり、時に判断を誤ることがあるというのは、自分でもよく理解している。
美夜の身に危険が迫っているからこそ、信長は今、冷静になる必要があった。
(大丈夫だ……蔵ノ介の報せが早かったから、まだ信行たちは何も気づいていない。この戦、勝てる。美夜も無事のままにすべてを終わらせる)
末森城の姿が遠くなってきたところで、信長は一行をいったん止めた。
そして、この『狩り』の本当の目的を告げる。
「清洲城が謀反者たちによって包囲されている。これから謀反者たちの討伐に向かう。謀反の首謀者は佐々木信親。信親は我が妻が襲われた先の事件にも関わってきたことが判明しておる……つまり信親は、失われた十八名の仲間たちの仇でもあるのだ」
信長がそう告げると、同僚の近習たちからは驚きと戸惑いの声があがった。
「佐々木信親を生かして捕らえよ。あやつにはすべてを喋らせる必要がある。清洲まで一気に行くぞ! 遅れずに続け――!」
信長がそう命じて再び馬を駆けさせると、兵たちは次々と己の武器を振り上げ、鬨の声を上げ、先頭を走る信長の後を追った。
明智光秀もまた、周防蔵ノ介からの報せを受け、寺本城に残る兵をまとめて、出陣の準備をしていた。
寺本城の戦の事後処理もまだ片付いていない状態ではあったが、緊急事態だから仕方がない。
(ここで清洲を奪われては、元も子もないですからね……しかし、佐々木信親殿が謀反ですか……)
事の詳細は簡単ではあるが、蔵ノ介からの文に書かれてあった。
光秀も信長の近習の一人である佐々木信親の顔は知っているし、幾度か話をしたこともある。
謀反など企みそうにない温厚な人柄だったように記憶はしているが、人など見た目で判断できるわけでもないから、そういうこともあるのだろうと思う。
何しろ光秀自身が信長と出会ったときから謀反を企んでいるのだから、同じような人間が一人や二人いたところで驚きはしない。
(まあ、私の場合は、当面は謀反を起こす気持ちはありませんけどね……)
光秀はそう考え、肩をすくめて苦笑する。
何しろ、光秀の目標は天下統一なのだから、こんな尾張の平定にすら手間取っている状態で、信長に死んでもらっては困るのだ。
まだしばらく信長には生きてもらい、織田家を天下取りの名乗りを上げる程度には大きくしてもらわなくてはならない。
(さて……とりあえず急いで清洲に向かうとしますか……)
光秀は馬に乗り、編成した兵たちを引き連れて清洲へ向けて出発した。
敵の数や詳細は分からないものの、清洲の地形と清洲城の構造はすべて光秀の頭の中に入っている。
たとえどんな状況になっていようとも、光秀が預かった兵だけで対応できる自信はあった。
信秀の葬儀の準備のために末森城へ行っている信長にも報せは届いているはずだが、もしも信長の到着が遅れたとしても、光秀が采配して清洲城を取り囲む謀反者たちを取り押さえ、制圧することは十分に可能だろうと光秀は考えている。
(信行派の者たちはほとんどが末森城にいるでしょうし、敵は多くても数百……千はいないでしょう。ただ、首謀者である佐々木信親殿を取り逃がさないようにしないといけませんね)
蔵ノ介からの文にも、佐々木信親は帰蝶の襲撃にも関わっている可能性が高いので、生かして捕らえて欲しいとあった。
信親の背後関係を明らかにすることはもちろん必要だから、光秀もあらかじめ、佐々木信親だけは殺さずに捕らえよと兵たちに指示を出している。
(まあ、それほど手間取ることはないかもしれませんが……)
そうは思いつつも、戦というものは予測の付かない事態になることもあるのだと、光秀は自分に言い聞かせながら、兵を引き連れて清洲へと向かうのだった。
清洲城内の広間には、城内に残った者たちが集められている。
里から慌ただしくやって来た者たちがいきなり城門を閉めてしまったので、何事が起こったのか理解できていない者たちも多かった。
美夜はそんなふうに戸惑う者たちを前にして、口を開いた。
「この清洲城は今、信長様に仇なそうとする者たちによって取り囲まれています。相手の人数は今のところそう多くはありませんが、戦になる可能性もあります」
美夜がそう告げると、そんな深刻な事情だとは知らなかった者たちは驚いたように顔を見合わせあった。
「信長様にこの城の最良を任されている以上、私はこの城を守らなくてはなりません。私も命を賭けてこの城を守ります。だから、皆も命を賭けてこの城を守ってください。これは信長様からの主命でもあります」
美夜が言い放った言葉に、広間には緊張のようなものが走った。
それを確認して、蔵ノ介が細かい配置や役割の分担について話していく。
美夜の出番は最初に皆に主命を告げたことだけで、後はもう口出しすらできそうにないほど、専門的な話になっている。
(これで……大丈夫だったのかな……私は自分の役目をちゃんと果たせたのかしら……)
美夜はそう思って、蔵ノ介の説明を聞く家臣たちを見つめる。
皆、何かを決意するような表情で、蔵ノ介の言葉を一言も漏らすまいと聞いている。
先ほどまではなかった緊張感がそこにはあった。
美夜自身も、『命を賭けてこの城を守る』と自分の口から言った瞬間に、何か大きなものを背負ったと思った。
ここに集った者たちもきっと、信長の代理である『帰蝶』の口からその主命を告げられたことで、それぞれに何かを背負ったのだろう……美夜はそう思った。
(この世界の言葉は、こんなにも重い……)
美夜のいた世界の言葉は、この世界に比べれば軽かった。約束を破ることに罪悪感こそ感じはするものの、それは命を賭けてまで守る類いのものではなかった。
(信長様が戻ってくるまで、この城を守らなくちゃ……私にできることは限られているかもしれないけれど……でも、できればこの人たちを誰も死なせたくない)
集まった者たちの顔を見回しながら、美夜は改めてその決意を胸に固めた。
弟の信行とその家臣たちも参加しているということもあり、話し合いはなかなかまとまることがなく、会議は無駄に長引いていた。
信行側としては、自分たちの意見を少しでも多く取り入れさせようという思惑があり、葬儀を織田家の当主らしく可能な限り華美にすることなど、さまざまな要求を突きつけてきたが、信長側としては、斎藤道三など、できるだけ信秀と関わりのあった者たちは集めて見送りたいという意思を伝えたのみだった。
信長が知る父は、葬儀の形式などにこだわるような性格ではなかったから、おそらく過剰に華美な葬儀など望まないだろう……そう告げても、織田家としての威厳に関わるなどといって信行たちは信長の意見を拒み続けている。
さらに斎藤道三らを呼べという信長の意見に対して信行側は、斎藤道三が来るのなら葬儀の会場は変えろと言ってきたり、やはり葬儀は織田家のみでやるほうが良いなどと言い出したりして、議論がまったくまとまる様子がなかった。
そんなわけで、昼過ぎから始まった会議は、そろそろ夕刻を迎えようとする今になっても、まったく終わりそうな気配はない。
(こやつらわざとやってるのか……)
と、信長もいい加減に苛立ちを抑えきれなくなってきて休憩を入れようと提案した直後に、蔵ノ介が放った一報が信長のもとへ届けられたのだった。
休息のために用意された部屋に入った信長は、蔵ノ介からの急な報せに胸騒ぎを感じつつ文を開いた。
信長の性格をよく知る蔵ノ介は、まず当面の心配はないが……という説明から入り、現在清洲城の城門前には佐々木信親たちが待機しており、城内では残った者たちで城守の態勢を取っているということ。しかし、まだ敵に数は揃っているようには見えず、しばらくはさほどの危険はないであろうと考えられるということ。寺本城で戦後の処理に当たっている光秀にはすでに報せを飛ばして情報を伝え、戦の準備をして清洲に戻るように伝えてあるということ。さらには、信行や土田御前の関係が疑われるので、気取られないように清洲へ帰還して欲しいということが書かれてあった。
(信親がやはり裏切ったか……)
信親が父の急病を理由に、一時の離脱を告げてきたのは、この末森城に到着してからのことだった。信親の父はこの末森城内に養生していると聞いたので、ゆっくり会ってくるように告げて任を解いたのだが、まさかそれが清洲にいるとは思いもしなかった。
蔵ノ介から信親に対する内偵を開始するという話は聞かされていたものの、ここまで思い切った策にあの信親が出てくるとは、信長には考えられなかったし、考えたくないという気持ちもあったのかもしれない。
いずれにしても、信親に対する内偵の話を聞かされていながら警戒しなかった自分の甘さが露呈したのだと信長は思った。
また、父を失い、長秀を失い、長年にわたって信頼してきた友のような存在でもある近習を失うという可能性は、考えたくなかったのかもしれなかった。
信長は怒りを感じてはいたが、それは自身に対する怒りだった。
(待っておれ信親、俺が決着をつけてやる……)
「信長様、蔵ノ介様はどのようなことを……?」
蔵ノ介からの文を開いたまま表情を強ばらせ、黙り込んでしまった信長に、藤吉郎が心配そうに声をかける。
「藤吉郎、鷹狩りに行くぞ」
「え? い、今からでござりますか!?」
「父上への弔いだ。そう皆に伝え、狩りの準備をして外で待つように言え。今宵は夜通し狩りだ」
「で、でも、会議は……」
「狩りが終わってからだ。狩りが終わるまで会議は中断する。信行たちにもそう伝えよ」
信長の目を見て、すぐに藤吉郎は気づいた。
狩りに行くのではない……戦に行くのだと。
「かしこまりました。すぐに皆に伝えて参りまする」
藤吉郎は信長にそう答えて、すぐに言われたとおりに信長の指示を伝えて回った。
信長のその指示が伝えられると、『また信長様の気まぐれが……』『やはりあの若者はたわけでしかなかったか……』などといういつもの悪口を、信行側の家臣たちはひそひそと言い始めた。
『織田の大うつけがまた……』などと信行の家臣たちが呆れ声で囁きあっている間に、信長の近習たちは準備を整え、『狩り』に出発した。
末森城で信秀に仕えていた者たちの多くも、信長に付き従った。
末森城には、信行側の家臣たちと、信秀には仕えていたが、信長の酔狂には付き合いたくないという者たちだけが残った。
しかし、とりあえず信長に付き従って狩りの準備をしてきた元信秀の家臣たちの多くは、まだ信長の真意には気づいていないようにも見える。
信長は『狩り』に行く者たちを引き連れて馬に乗り、末森城を振り返った。
(父上……また冥府でお会いします)
信長は瞑目し、心の中で父に別れを告げた。
もう末森城に戻ってくることはないだろうし、もし戻ってくることがあるとすれば、戦うためだと信長は決めていた。
おそらくこれから織田家は、信秀の葬儀どころではなくなるだろう。
『死んで冥府に行く覚悟のない者は戦をするな』とは、父がいつも信長に言って聞かせていた言葉だった。
父の魂は今頃冥府の門をくぐっていることだろうと信長は思う。父の魂は極楽浄土にはない。
そして、自分も死ねば、極楽などには招かれず、冥府へ行く。そこで父と再会し、共に閻魔の責め苦を受けるのだ。
(美夜はきっと冥府に来ることはないだろうな……)
そう考えて信長は苦笑する。
死んでまでも一緒にいたいと考えてしまったことに、我ながら未練がましいと思ってしまったのだった。
これまでに戦を含めて多くの者を手にかけてきた自分と、人など殺めたことがない美夜が共にいられるのは、生きている間だけのことだと信長は常日頃から覚悟している。
だからこそ、彼女と過ごす一瞬一瞬が、信長にとっては宝物のような日々だと感じていた。
(しかし俺の甘さで、また美夜を危険な目に遭わせてしまっている……)
兄に会いたいという願いを叶えてやりたくて美濃にやったときも、そして、清洲なら安全だろうと思い、残してきてしまったことも。
(だが、清洲には蔵ノ介がいる。先に報せが届いているはずの光秀もすぐに清洲へ向かうだろう。そして俺も……)
信長は自分の気持ちを落ち着かせるように、そう考えた。
他のことでは冷静に考えることができるのに、美夜に関わることに関しては、気持ちが昂ぶり、時に判断を誤ることがあるというのは、自分でもよく理解している。
美夜の身に危険が迫っているからこそ、信長は今、冷静になる必要があった。
(大丈夫だ……蔵ノ介の報せが早かったから、まだ信行たちは何も気づいていない。この戦、勝てる。美夜も無事のままにすべてを終わらせる)
末森城の姿が遠くなってきたところで、信長は一行をいったん止めた。
そして、この『狩り』の本当の目的を告げる。
「清洲城が謀反者たちによって包囲されている。これから謀反者たちの討伐に向かう。謀反の首謀者は佐々木信親。信親は我が妻が襲われた先の事件にも関わってきたことが判明しておる……つまり信親は、失われた十八名の仲間たちの仇でもあるのだ」
信長がそう告げると、同僚の近習たちからは驚きと戸惑いの声があがった。
「佐々木信親を生かして捕らえよ。あやつにはすべてを喋らせる必要がある。清洲まで一気に行くぞ! 遅れずに続け――!」
信長がそう命じて再び馬を駆けさせると、兵たちは次々と己の武器を振り上げ、鬨の声を上げ、先頭を走る信長の後を追った。
明智光秀もまた、周防蔵ノ介からの報せを受け、寺本城に残る兵をまとめて、出陣の準備をしていた。
寺本城の戦の事後処理もまだ片付いていない状態ではあったが、緊急事態だから仕方がない。
(ここで清洲を奪われては、元も子もないですからね……しかし、佐々木信親殿が謀反ですか……)
事の詳細は簡単ではあるが、蔵ノ介からの文に書かれてあった。
光秀も信長の近習の一人である佐々木信親の顔は知っているし、幾度か話をしたこともある。
謀反など企みそうにない温厚な人柄だったように記憶はしているが、人など見た目で判断できるわけでもないから、そういうこともあるのだろうと思う。
何しろ光秀自身が信長と出会ったときから謀反を企んでいるのだから、同じような人間が一人や二人いたところで驚きはしない。
(まあ、私の場合は、当面は謀反を起こす気持ちはありませんけどね……)
光秀はそう考え、肩をすくめて苦笑する。
何しろ、光秀の目標は天下統一なのだから、こんな尾張の平定にすら手間取っている状態で、信長に死んでもらっては困るのだ。
まだしばらく信長には生きてもらい、織田家を天下取りの名乗りを上げる程度には大きくしてもらわなくてはならない。
(さて……とりあえず急いで清洲に向かうとしますか……)
光秀は馬に乗り、編成した兵たちを引き連れて清洲へ向けて出発した。
敵の数や詳細は分からないものの、清洲の地形と清洲城の構造はすべて光秀の頭の中に入っている。
たとえどんな状況になっていようとも、光秀が預かった兵だけで対応できる自信はあった。
信秀の葬儀の準備のために末森城へ行っている信長にも報せは届いているはずだが、もしも信長の到着が遅れたとしても、光秀が采配して清洲城を取り囲む謀反者たちを取り押さえ、制圧することは十分に可能だろうと光秀は考えている。
(信行派の者たちはほとんどが末森城にいるでしょうし、敵は多くても数百……千はいないでしょう。ただ、首謀者である佐々木信親殿を取り逃がさないようにしないといけませんね)
蔵ノ介からの文にも、佐々木信親は帰蝶の襲撃にも関わっている可能性が高いので、生かして捕らえて欲しいとあった。
信親の背後関係を明らかにすることはもちろん必要だから、光秀もあらかじめ、佐々木信親だけは殺さずに捕らえよと兵たちに指示を出している。
(まあ、それほど手間取ることはないかもしれませんが……)
そうは思いつつも、戦というものは予測の付かない事態になることもあるのだと、光秀は自分に言い聞かせながら、兵を引き連れて清洲へと向かうのだった。
清洲城内の広間には、城内に残った者たちが集められている。
里から慌ただしくやって来た者たちがいきなり城門を閉めてしまったので、何事が起こったのか理解できていない者たちも多かった。
美夜はそんなふうに戸惑う者たちを前にして、口を開いた。
「この清洲城は今、信長様に仇なそうとする者たちによって取り囲まれています。相手の人数は今のところそう多くはありませんが、戦になる可能性もあります」
美夜がそう告げると、そんな深刻な事情だとは知らなかった者たちは驚いたように顔を見合わせあった。
「信長様にこの城の最良を任されている以上、私はこの城を守らなくてはなりません。私も命を賭けてこの城を守ります。だから、皆も命を賭けてこの城を守ってください。これは信長様からの主命でもあります」
美夜が言い放った言葉に、広間には緊張のようなものが走った。
それを確認して、蔵ノ介が細かい配置や役割の分担について話していく。
美夜の出番は最初に皆に主命を告げたことだけで、後はもう口出しすらできそうにないほど、専門的な話になっている。
(これで……大丈夫だったのかな……私は自分の役目をちゃんと果たせたのかしら……)
美夜はそう思って、蔵ノ介の説明を聞く家臣たちを見つめる。
皆、何かを決意するような表情で、蔵ノ介の言葉を一言も漏らすまいと聞いている。
先ほどまではなかった緊張感がそこにはあった。
美夜自身も、『命を賭けてこの城を守る』と自分の口から言った瞬間に、何か大きなものを背負ったと思った。
ここに集った者たちもきっと、信長の代理である『帰蝶』の口からその主命を告げられたことで、それぞれに何かを背負ったのだろう……美夜はそう思った。
(この世界の言葉は、こんなにも重い……)
美夜のいた世界の言葉は、この世界に比べれば軽かった。約束を破ることに罪悪感こそ感じはするものの、それは命を賭けてまで守る類いのものではなかった。
(信長様が戻ってくるまで、この城を守らなくちゃ……私にできることは限られているかもしれないけれど……でも、できればこの人たちを誰も死なせたくない)
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