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小咄
身代わり濃姫(小咄)~日常譚・四~
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信長は執務の合間を縫って、悪阻で伏せっている美夜の部屋を訪れていた。
「今日は昨日よりはふたさじ分、多く食べることができたようだな」
あまりにも細かすぎる信長の指摘に、美夜としては苦笑するしかなかった。
「は、はい……よく調べていますね……」
食べるところを見ていたわけでもないのに細かいことまで知っている信長に、ここのところ美夜は驚かされてばかりいる。
「当然だ。何をどれだけ口に入れたかが分かれば、どの程度足りないかが分かる。しかし、まだこの量はそなたの体調が万全な時に比べると、まったく足りていないな……」
信長が深刻そうにため息をつくので、美夜は少し申し訳ない気持ちになってしまった。
「あの、信長様……悪阻は病気っていうわけではないですし、そんなに心配していただかなくても……悪阻が治まれば、たくさん食べますから」
「それは分かっておるのだが、やはり心配なのだ……」
「信長様が心配してくださるその気持ちは、とても嬉しいです。でも、これは子どもを産んだ女性はみんな経験していることですから。案ずるより産むが易しって言葉もありますしね」
「俺などよりも、そなたのほうが不安であるはずなのにな……情けない……」
信長は苦笑しながら、美夜の肩を抱き寄せる。
「もうじきそなたの兄もここへやって来るから、そうなればもう少し心強いであろうが……慣れぬ土地での出産には不安もあろう?」
信長は美夜がまったく違う世界から来たことも、気にしてくれているようだった。
「確かにそれはありますけど……でも、本当に大丈夫です。お医者様もちゃんとついてくれていますし、お城で働いている人の中には、お産を経験している人もたくさんいます。いろんな話を聞いて勉強もしていますから」
「本当に……そなたのほうがよほど落ち着いているな……」
「お産に関しては、私がいた世界でも女の人はみんな大変な思いをしていたので、たぶんどちらの世界で生んでも同じだろうなって思うんです。だからかな……何となく覚悟ができちゃった感じで……」
医療技術が発展していた時代に生きていた美夜も、楽なお産というのは聞いたことがなかった。
正直に言えば、いろんな不安はあるけれども、でも、やはりお産に関していえば、この時代も美夜がいた時代も、さほど変わりがないのではという気がするのだ。
「そなたのいた世界の出産はどのようなものだったのだ?」
「たぶん、そんなに変わらないと思います。お産の時には痛みを緩和する麻酔も使えないみたいですし。ただ、妊娠したのを知ることができるお薬があったり、お腹の中の赤ちゃんの姿を見ることができる機械があったりするので、安心感が少し違う程度です」
美夜が何となく言った言葉に、信長は大いに驚いたようだった。
「腹の中の子を見ることができるのか? いったいどうやって?」
「ええっと……私も経験したわけじゃないのでそんなに詳しくなくて、説明が難しいです……すみません……」
信長にお腹の子が見える仕組みを説明したくても、美夜自身もそういうものがあるということをどこかで聞いたというだけで、実際にどうやって撮っているのかなどの詳細は分からない。
信長はため息をついた。
「まあ、その話を聞いただけで、随分とこちらの医術とは違うのだなということが分かる」
「でも、要は無事に生むことができれば良い話ですし。お産に限っては、医術よりはむしろ、出産経験のある人のお話のほうが大事じゃないでしょうか」
「そうだな……そうかもしれぬ……」
信長はそう答えて自分を納得させようとしているようだったが、まだ不安があるようだった。
たぶん、自分が経験することではないから、出産に関する信長の不安は、美夜が無事に子を産み終えるまで続くのだろうという気がする。
美夜は話を変えてみることにした。
「あ、あの……信長様は生まれてくる子はやっぱり男の子のほうが良いですか?」
「いや、どちらでも良い。元気に生まれてきてくれれば、それで構わぬ」
信長があっさりとそう答えるので、美夜はかえって驚いてしまう。
「女子でも良いのですか?」
「ああ、周りの者たちは男子をと言うだろうが、俺がそういう考えだから、そなたはまったく気にする必要はない。そなたもそういう意見はすべて聞き流せ」
周りの意見は聞き流して良いとまで言われて、美夜は狐につままれたような気持ちになる。
「分かりました……でも、ちょっと……というか、かなり意外でした。信長様も世継ぎのことを考えて、てっきり男子を望んでいるのかと思っていましたから」
美夜がそう言うと、信長は苦笑する。
「俺は自分の子に家督を継がせるとは決めてはおらぬからな。生まれてくる子の性別にこだわる必要がない」
「そうなんですか?」
「その者の資質にもよる。資質のない者に家督を継がせても、それは家にとっても子にとっても不幸にしかならぬ」
「確かに……それはそうですよね……」
「織田に生まれた子としての教育はするが、その先、家督を継ぐことができるかどうかはその子次第ということになるであろうな」
「はい……」
「もしも生まれた子が家督を継ぐべき資質でないのならば、そうした資質のある者を養子を迎えても良いし、子に自我が芽生える頃には、そうなった場合のことも教育するつもりだ」
「信長様は本当にいろんなことを考えておられるのですね」
美夜が感心したように言うと、信長は苦笑する。
「こればかりは誰かに頼ることができぬからな。俺が考えて俺が道筋を付けねばならぬ問題だ。そなたはどうなのだ? 生まれてくる子の性別に希望はあるのか?」
「いえ、私は無事に生まれてきてくれれば、それでもう十分です。それに、私も信長様の意見には全面的に賛成です」
美夜がそう答えると、信長は笑った。
「なら良い。その気持ちだけをそなたは持っていれば良いのだ」
「はい、ありがとうございます」
「ただし、これはこの腹の子に自我が芽生える年頃までは、俺とそなたの秘密だ。言えばまた、うつけだのたわけだの大騒ぎする者が出てくるからな」
信長に念を押されて、美夜は笑って頷く。
「はい、分かりました」
妊娠が明らかになってからというもの、男子を……という声を誰もが美夜に向けてくるので、少しプレッシャーに感じていたところはあったのだが。
(信長様は本当にどちらでも良いと思ってるんだ……良かった……)
信長の言葉を聞いて、美夜はかなり気持ちが軽くなった気がしたのだった。
「今日は昨日よりはふたさじ分、多く食べることができたようだな」
あまりにも細かすぎる信長の指摘に、美夜としては苦笑するしかなかった。
「は、はい……よく調べていますね……」
食べるところを見ていたわけでもないのに細かいことまで知っている信長に、ここのところ美夜は驚かされてばかりいる。
「当然だ。何をどれだけ口に入れたかが分かれば、どの程度足りないかが分かる。しかし、まだこの量はそなたの体調が万全な時に比べると、まったく足りていないな……」
信長が深刻そうにため息をつくので、美夜は少し申し訳ない気持ちになってしまった。
「あの、信長様……悪阻は病気っていうわけではないですし、そんなに心配していただかなくても……悪阻が治まれば、たくさん食べますから」
「それは分かっておるのだが、やはり心配なのだ……」
「信長様が心配してくださるその気持ちは、とても嬉しいです。でも、これは子どもを産んだ女性はみんな経験していることですから。案ずるより産むが易しって言葉もありますしね」
「俺などよりも、そなたのほうが不安であるはずなのにな……情けない……」
信長は苦笑しながら、美夜の肩を抱き寄せる。
「もうじきそなたの兄もここへやって来るから、そうなればもう少し心強いであろうが……慣れぬ土地での出産には不安もあろう?」
信長は美夜がまったく違う世界から来たことも、気にしてくれているようだった。
「確かにそれはありますけど……でも、本当に大丈夫です。お医者様もちゃんとついてくれていますし、お城で働いている人の中には、お産を経験している人もたくさんいます。いろんな話を聞いて勉強もしていますから」
「本当に……そなたのほうがよほど落ち着いているな……」
「お産に関しては、私がいた世界でも女の人はみんな大変な思いをしていたので、たぶんどちらの世界で生んでも同じだろうなって思うんです。だからかな……何となく覚悟ができちゃった感じで……」
医療技術が発展していた時代に生きていた美夜も、楽なお産というのは聞いたことがなかった。
正直に言えば、いろんな不安はあるけれども、でも、やはりお産に関していえば、この時代も美夜がいた時代も、さほど変わりがないのではという気がするのだ。
「そなたのいた世界の出産はどのようなものだったのだ?」
「たぶん、そんなに変わらないと思います。お産の時には痛みを緩和する麻酔も使えないみたいですし。ただ、妊娠したのを知ることができるお薬があったり、お腹の中の赤ちゃんの姿を見ることができる機械があったりするので、安心感が少し違う程度です」
美夜が何となく言った言葉に、信長は大いに驚いたようだった。
「腹の中の子を見ることができるのか? いったいどうやって?」
「ええっと……私も経験したわけじゃないのでそんなに詳しくなくて、説明が難しいです……すみません……」
信長にお腹の子が見える仕組みを説明したくても、美夜自身もそういうものがあるということをどこかで聞いたというだけで、実際にどうやって撮っているのかなどの詳細は分からない。
信長はため息をついた。
「まあ、その話を聞いただけで、随分とこちらの医術とは違うのだなということが分かる」
「でも、要は無事に生むことができれば良い話ですし。お産に限っては、医術よりはむしろ、出産経験のある人のお話のほうが大事じゃないでしょうか」
「そうだな……そうかもしれぬ……」
信長はそう答えて自分を納得させようとしているようだったが、まだ不安があるようだった。
たぶん、自分が経験することではないから、出産に関する信長の不安は、美夜が無事に子を産み終えるまで続くのだろうという気がする。
美夜は話を変えてみることにした。
「あ、あの……信長様は生まれてくる子はやっぱり男の子のほうが良いですか?」
「いや、どちらでも良い。元気に生まれてきてくれれば、それで構わぬ」
信長があっさりとそう答えるので、美夜はかえって驚いてしまう。
「女子でも良いのですか?」
「ああ、周りの者たちは男子をと言うだろうが、俺がそういう考えだから、そなたはまったく気にする必要はない。そなたもそういう意見はすべて聞き流せ」
周りの意見は聞き流して良いとまで言われて、美夜は狐につままれたような気持ちになる。
「分かりました……でも、ちょっと……というか、かなり意外でした。信長様も世継ぎのことを考えて、てっきり男子を望んでいるのかと思っていましたから」
美夜がそう言うと、信長は苦笑する。
「俺は自分の子に家督を継がせるとは決めてはおらぬからな。生まれてくる子の性別にこだわる必要がない」
「そうなんですか?」
「その者の資質にもよる。資質のない者に家督を継がせても、それは家にとっても子にとっても不幸にしかならぬ」
「確かに……それはそうですよね……」
「織田に生まれた子としての教育はするが、その先、家督を継ぐことができるかどうかはその子次第ということになるであろうな」
「はい……」
「もしも生まれた子が家督を継ぐべき資質でないのならば、そうした資質のある者を養子を迎えても良いし、子に自我が芽生える頃には、そうなった場合のことも教育するつもりだ」
「信長様は本当にいろんなことを考えておられるのですね」
美夜が感心したように言うと、信長は苦笑する。
「こればかりは誰かに頼ることができぬからな。俺が考えて俺が道筋を付けねばならぬ問題だ。そなたはどうなのだ? 生まれてくる子の性別に希望はあるのか?」
「いえ、私は無事に生まれてきてくれれば、それでもう十分です。それに、私も信長様の意見には全面的に賛成です」
美夜がそう答えると、信長は笑った。
「なら良い。その気持ちだけをそなたは持っていれば良いのだ」
「はい、ありがとうございます」
「ただし、これはこの腹の子に自我が芽生える年頃までは、俺とそなたの秘密だ。言えばまた、うつけだのたわけだの大騒ぎする者が出てくるからな」
信長に念を押されて、美夜は笑って頷く。
「はい、分かりました」
妊娠が明らかになってからというもの、男子を……という声を誰もが美夜に向けてくるので、少しプレッシャーに感じていたところはあったのだが。
(信長様は本当にどちらでも良いと思ってるんだ……良かった……)
信長の言葉を聞いて、美夜はかなり気持ちが軽くなった気がしたのだった。
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