六歳差の誓い — Six Years Apart, One Promise

梵天丸

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第六話 焦燥の奥で — In the Depths of Restlessness

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 食事の帰り道、風はやけに冷たかった。
 店を出て並んで歩き出してすぐ、陽翔がふと足を緩める。

「……仕事の連絡、増えてきた。ロケが続く。だから、会う時間、少し減るかも」

「そうか。無理しなくていい」

「無理じゃない。——会いたいから言ってる」

「おまえは若いんだし、もっと自分の仕事や生活を大事にした方がいい」

 陽翔の靴音が止まった。

「なにそれ。別れたほうがいいみたいな言い方」

「もし、その方が——」

「その方がいいなら、そうするって? なんで、そんなにあっさり別れることを考えられるの」

「あっさりじゃない。それがおまえのためになるなら——」

「悠真と別れるのが、俺のため?」

「……そういう場合もあるだろう」

「……そっか。俺って、悠真にとってそんなに軽いんだ」

 陽翔はそれだけ言って、信号が変わる音に紛れて背を向けた。
 肩越しに何か言いかけ、やめる。足早に人波へ溶けていく。

 残ったのは、遅れて胸を刺す言葉の残響だった。
 帰り道、ポケットのスマホが何度も震えた気がしたが、錯覚だ。部屋に戻って灯りをつけても、外套の冷えは取れない。

 年上なら、ここで引くべきだ。
 そう繰り返し自分に言い聞かせる。「このまま別れることになっても、あいつのためになるなら——」
 だがその理屈は、コートの襟にこぼれた息みたいに、すぐ消えた。

 冷蔵庫のモーターが低く唸る。
 水を一杯飲み干したとき、玄関のチャイムが鳴った。

 出るべきでない、と頭が言う。心は、もう玄関へ走っていた。

 ドアを開けると、夜の空気と一緒に陽翔が立っていた。
 肩に掛けたカメラバッグ、片手には小さな紙袋。少し早足で来たのか、息が上がっている。

「……ごめん」

 紙袋を差し出される。中にはラップで包んだ玉子サンドが二つ。

「撮影帰りに仕込んだ。怒ってるだろうけど…」

「——怒ってはいない」

「俺が怒ってた。あの言い方、酷かった。……“軽い”なんて言わせたの、俺のほうだ」

 陽翔は一度だけ目を伏せ、まっすぐ俺を見る。

「別れたくない。会えない日が増えても、別の形で隣にいたい。それを言いに来た」

 紙袋の温度がじんと掌に移る。
 言葉が見つからない。代わりに、「入れ」とだけ言って靴を揃えさせた。

 キッチンで湯を沸かす。マグに注ぐ音が、いつもよりはっきり響く。
 向かい合って座る距離が、むしろ落ち着かない。

「さっきの俺の言葉も、酷かった。引くことで守れると思った。——年上の、逃げだ」

 陽翔が短く息を吐く。

「逃げは、もう知ってる。俺もする。でも、今はしたくない。……“離れる”可能性、覗いたら、そこに落ちそうで怖かった」

 指先が机の下で探り合うみたいに触れ合う。
 確かめるように、互いの温度を握り直す。

「陽翔」

「うん」

「来てくれて、ありがとう」

 その“ありがとう”が合図になった。
 テーブルの上の玉子サンドとマグは、そのまま。引き寄せた胸板に額をあずけると、陽翔が強く抱きしめ返してくる。呼吸が重なって、壁の時計の音が遠のいた。

***********



 唇が触れる。謝罪の味と、焦燥の熱。
 浅い口づけでは足りない。夜の底に沈むほど深く、互いを探す。コートが床に落ちる音、シャツのボタンが少し跳ねる音、息が擦れる音——それら全部が、同じひとつの旋律に変わっていく。

 玄関から寝室までの短い距離が、今夜は終わりのない回廊みたいだった。
 壁に背中を預けたまま、間を置かず触れ合う。指の跡が消えないほど強く、でもどこかで相手の限界を測る優しさを手放さない。

「悠真」

 名前を呼ばれて、意地も言い訳も崩れる。
 重なりあう体温に、さっきの言い合いの棘が溶けていく。代わりに、確かなものだけが残る——求めている、という確信。失いたくない、という確信。

 もつれるようにして、ベッドに倒れ込む。

 灯りは落とさない。薄い明かりが、汗で光る肌の輪郭を拾う。喉元に噛みつくようなキスが落とされ、短い悲鳴のような吐息が零れた。視線が絡み、ほどけそうになるたび、またきつく抱き寄せられる。

「離れるなんて、言うな」

 掠れた声。
 息の隙間から零れた本音に、胸が焼ける。陽翔の指が、焦るように俺のシャツの残りのボタンを引きちぎる勢いで外していく。

「……言わない。言わないから——」

 言葉を最後まで言わせない、貪るような口づけ。
 触れる場所ごとに熱が移る。肩、背中、そして腰へ。ベルトのバックルが金属音を立てて外れ、互いの服を乱暴に剥ぎ取っていく。紙のように軽くはない重みが、むしろ安心を与えた。爪の先で縋るように陽翔の背中を掻くと、陽翔は「もっと」と囁いて、痛む前に指を絡めて握り返してくれた。

 肌と肌が直接触れ合う。陽翔がサイドテーブルに手を伸ばし、ローションを掴んだのが分かった。けれど、その冷静さとは裏腹に、彼の指は焦りで震えている。

「陽翔……早く……」

 急かすような俺の声に、陽翔が顔を上げる。その瞳には、不安と欲望がどろりと混ざり合っていた。準備もそこそこに、俺の中に指が差し入れられる。一瞬、体が強張ったが、すぐに陽翔の唇が耳元を塞いだ。

「ごめん、悠真。でも、待てない。悠真が離れていく夢を見そうだから」

 切実な声が、体の奥を直接揺さぶる。
 こくりと頷くと、熱い塊がゆっくりと侵入してきた。さっきまでの性急さが嘘のように、慎重な動き。俺が息を詰めるたびに、陽翔は動きを止め、額にキスを落とす。

「大丈夫……?」
「……大丈夫だから、全部、入れて」

 その言葉が合図だった。
 一番奥まで貫かれた瞬間、安堵のため息が二人同時に漏れた。不安を埋める最後のピースがはまったみたいに、体がぴったりと重なる。

 激しさは、乱暴とは違う。

 互いの不安を遠ざけるためではなく、抱き込むための力加減。陽翔が不安を振り払うように腰を突き上げれば、俺はそれに応えるように脚を強く絡めて引き寄せる。息が詰まりそうになれば、額を合わせて深く吸う。目を閉じれば、耳だけが忙しくなる——湿った肌が擦れる音、ベッドのきしむ音、そして、何度も確かめるように呼び合う互いの名前。

「……悠真、悠真……っ」
「陽翔……」

 名前を呼ぶたび、落ちていく場所が同じだと分かる。
 夜の底で確かめ合うたび、昼間の言葉は遠くなる。代わりに、指のあとと、首筋に浅く残る歯形だけが、この瞬間の現実を刻んでいた。
 もうどちらの心音か分からないほど速い鼓動の中、陽翔が動きを止めた。

「悠真、見て」

 言われるままに目を開けると、苦しそうに、けれど幸せそうに歪んだ陽翔の顔があった。絡めた指に、骨が軋むほど力がこもる。

「離さない……っ」

 低く唸るような声と同時に、体の奥で熱い奔流が放たれた。腹の底から突き上げるような快感に、頭が真っ白になる。陽翔の肩に顔を埋め、叫び声を噛み殺した。遅れて、陽翔の体が大きく震え、俺の中で果てる。
 やがて、波が引くように静けさが戻る。

 乱れたシーツの上、肩で息をしながら、陽翔が額を俺の胸に押し当てた。

**********

「……さっきは、ごめん」
「俺もだ。……怖かったんだ。おまえが遠くなるのが」
「遠くならない。もし遠くに行く日が来ても、行く前に何度でも戻る。俺が決める」

 強気な言い方が可笑しくて、喉の奥で笑いが漏れる。

「勝手だな」
「うん。勝手だよ。——でも、置いていかない」

 その言い分は、酷くわがままで、酷くやさしかった。
 肩に腕を回すと、陽翔が体の重みを預けてくる。互いの呼吸が落ち着いていくまで、言葉はいらなかった。
 常夜灯が、陰をやわらげる。

「陽翔」
「うん」
「さっきの言葉、取り消す。——“離れる方が、いい”なんて」
「うん。俺も“軽い”って言ったの、取り消す」

 確認するみたいに、もう一度だけ口づけを交わす。
 息が混じって、夜の味になる。
 気づけば、窓の外がわずかに薄くなっていた。まだ夜明け前、色のない時間。
 陽翔が指先で俺の手首をなぞり、数を数えるみたいに脈を追う。

「おやすみ、悠真」
「……おやすみ、陽翔」

 名前を呼んで目を閉じる。
 焦燥は、完全には消えない。けれど、その真ん中に確信がある。
 今夜は、それで十分だった。

***************

今回のお話は、YouTubeで配信している「焦燥の奥で — In the Depths of Restlessness」という楽曲とリンクしています。良かったら曲の方も聴いてみてくださいね♫

「焦燥の奥で — In the Depths of Restlessness」はこちら⇒ https://youtu.be/k94iJq94hjo
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