六歳差の誓い — Six Years Apart, One Promise

梵天丸

文字の大きさ
10 / 10

第十話 約束の行方 — Where Promises Lead(最終回)

しおりを挟む
 一ヶ月が過ぎた。
 あの夜、逃れられない熱の底で繰り返した約束は、朝の光に冷めることなく、生活の細部に染みていった。
 互いの部屋を行き来する日々。冷蔵庫の中に並ぶ同じブランドのヨーグルト、歯ブラシは二本、洗濯機の上には同じ柔軟剤のボトル。
 ――同棲じゃない。けれど、どちらの部屋にも、いつももう一人の気配があった。

 外に出れば、世界は忙しく動いている。
 休日の昼、ふたりで商店街を歩いていると、背後から弾んだ声が跳ねた。

「HARUTOくんですよね!? 写真いいですか!」

 陽翔が振り返る。眩しそうに目を細め、いつもの不器用な笑顔で頷いた。

「ありがとうございます。じゃあ一枚だけ」

 彼は丁寧に距離を取り、ファンのスマホに合わせて軽くポーズを作る。もう一人が気づけば、自然と輪が生まれる。通りのガラスに映る自分の姿は、滑稽なほど固く見えた。

 人波から抜けたところで、俺は言った。

「……最近は顔、知られてるな。どこで誰に見られてるか分からない」
「うん。増えた」
「じゃあさ、外で会うのは控えたほうが――互いの部屋で会うほうがいいんじゃないか。男が恋人だって、ばれたら……」

 言い終える前に、陽翔は俺の手を取った。人目の少ない路地に入ってから、指を絡める。

「別に、ばれてもいい。カミングアウトすればいいだけだろ」
「そんな簡単な話じゃない。仕事に影響が――」
「影響が出たら、その時にまた考える。……俺は、悠真のほうが大事だから」

 静かな声だった。強がりではなく、決めている人間の声音。

「でも、お前の未来は、俺なんかより広い」
「“俺なんか”って言うなよ」

 陽翔は絡めた指を、ぎゅっと握った。

「俺は選んでる。誰に見られても、隣にいてほしい人を」


 そして、俺の三十路の誕生日が来た。
 仕事から戻ると、部屋はいつもより明るかった。LEDの間接照明が壁に柔らかな影を作り、テーブルには一枚のメニューカード。

《HAPPY 30th, YUUMA》
《今夜のコース》
・生姜と大葉の鶏団子スープ
・胡瓜と茗荷の浅漬け
・出汁巻き
・特製オムライス “30”
・小さな苺のショートケーキ

 思わず笑った。
 陽翔はエプロン姿で、真剣な顔のままウインクした。
 さすがにプロのモデルだけあって、ウィンクも嫌みなくサマになっている。

 陽翔が作ってくれた手料理は、派手さはないものの、ひとつひとつが丁寧に作られているのが分かる味で、とてもおいしかった。
 しっかり俺の好みを理解してくれているのも嬉しい。
 食後、苺の小さなケーキのろうそくに火を灯す。

「願いごと、して」

 俺はろうそくを見つめ、短く息を吹いた。

「何、願った?」
「内緒だ」
「ずるい」
「じゃあ、お前は」
「俺? “離れない”」
「願いごとじゃなくて、宣言だな」
「うん。宣言」

 言葉の端が、わずかに震えていた。

 プレゼントは、食器棚の上に置かれていた。黒い布製の小さな箱。開けると、中には細い革紐と、真鍮色のリングが一つ。

「キーホルダー?」
「うん。こっちの部屋の鍵を、それにつけて。俺の部屋の鍵と色違い。――“行き来自由”の印」

 胸の奥が、きゅっとなった。

「……ありがとう。受け取る」

 鍵を通すと、リングが小さく鳴った。あの歌詞みたいに、ドアが遠くでノックされる音が脳裏で蘇る。俺はもう、締め出されない。



 食器を片付けて、灯りをひとつ落とす。

「誕生日プレゼント、もうひとつある」
「まだあるのか」
「うん。こっちは、“今”しか渡せないやつ」

 陽翔が一歩、近づいた。
 誕生日の夜のキスは、祝福ではじまり、祈りで深くなる。舌先が触れ合うところから、体の温度は簡単に昔を思い出し、もっと奥を求める。指がシャツの裾から滑り込み、背中に回って、肌のきめを確かめるようにゆっくりと撫でた。

「三十路のドア、叩かれた気分は?」
「もう開けた」

 三十路を迎えることが、こんなに複雑な気持ちになるとは思わなかった。
 祝ってもらえる喜びの一方で、年下の陽翔と比べてしまう自分がいる。
 ――でも、向かい合って笑う彼の顔がある限り、この歳を迎えたことを後悔したくはない。

「じゃあ、入るね」

 悪戯っぽく笑って、真剣な目に戻る。その二拍の切り替えが、どうしようもなく好きだった。

 唇が再び深く重ねられる。今度は単なるキスじゃない。互いの存在を確かめ、所有を宣言するような、深く、長い口づけ。シャツのボタンを一つ一つ外す指つきは、焦るでもなく、ためらうでもなく、ただ当然のように俺の肌を暴いていく。

 布がはだけるたびに、部屋の空気が肌に触れ、陽翔の視線がそこに落ちるのを感じて体が熱くなった。
 ベッドサイドの常夜灯が、輪郭にだけ色を置く。
 ゆっくりと、慎重に、しかし貪欲に。互いの場所を覚えている指先が、記憶の奥を探り当てるたび、今夜の音に上書きされていく。陽翔の唇が、俺の首筋から鎖骨へと滑り、甘く肌を食む。そのたびに、背筋に痺れるような快感が走った。

「悠真、きれいだ…」

 吐息混じりの声が、耳元で囁かれる。
 もうどちらからともなく、互いのすべてを剥がし取っていく。完全に肌と肌が触れ合った瞬間、体の隙間に陽翔がするりと降りて来た。

「痛くない?」
「大丈夫。お前がいるから」

 息を飲む音が耳のすぐそばで震え、額と額が触れる。陽翔の指が、俺の奥を優しく探り、準備ができたことを確かめる。その丁寧な愛撫に、不安など入り込む隙はなかった。
 ゆっくりと沈んでくる熱に、背中が弓なりに反る。一気に貫くのではなく、俺の体が受け入れるのを確かめるように、少しずつ、深く。体の芯が熱いもので満たされていく感覚に、思わず声が漏れた。

「……はるとっ…」
「ここにいるよ、悠真」

 完全に繋がりきったところで、陽翔は一度動きを止めた。ただ深く結合したまま、俺の髪を優しく撫でる。その静かな時間が、かえって体の奥を疼かせた。
 やがて、ゆっくりと腰が動き出す。浅く引いては、深く届く。長い息の波が二人を同じリズムに揃え、名前がこぼれるたび、夜が濃くなる。

「悠真、見て」

 言われるままに視線を合わせる。汗で濡れた陽翔の瞳の奥に、あの夜の不安はもういない。代わりにいるのは、俺だけを選び続ける、燃えるような強さだけ。

「……好きだ」

 単純すぎるその言葉に、心が一瞬、無防備になる。体の奥が、きゅんと締め付けられた。

「俺もだ」

 応えると、陽翔の腰が一際深く沈み、世界が一度反転した。そこからはもう、理性の箍が外れる。互いを求めるままに、腰を突き上げ、受け入れる。幾度も、幾度も。シーツを握りしめる指が、いつしか陽翔の背中を掻いていた。
 限界の縁で、陽翔が俺の手を取り、指を強く絡めた。

「離れない」
「……あぁ」

 その言葉が合図だった。零れ落ちる熱に、視界が白く滲む。体の奥深くで熱い奔流が放たれ、全身の力が抜けていく。指の間に、未来の断片みたいな明滅が見えた。

 快楽に沈む瞬間、未来の不安も焦燥も、すべて同じ熱に溶かされていく。
 ――世界がどう変わっても、この瞬間だけは確かだ。
 体の奥に刻まれる熱が、「共に歩く」という約束の証のように思えた。



 しばらくして、重なる呼吸だけが部屋に残った。
 汗のにじむ額に、陽翔が口づけを落とす。指を絡めたまま、彼が目を細める。



「誕生日、おめでとう」
「……最高の祝福だ」
「明日、早い?」
「午後から」

 眠りに落ちる前、ふと不安が首をもたげた。
 この寝顔も、いつか遠いどこかへ行ってしまうのではないか。取材、海外、もっと大きな仕事。

「……陽翔」
「ん」
「不安になる。勝手に」

 陽翔は目を開け、俺の不安をじっと見た。

「不安は、消さないでいい。持ったままで並べばいい。俺が右に立つから、悠真は左」
「左右、決まってるのか」
「写真の構図、バランスね。慣れてるほうが、ブレない」

 くだらない理屈に笑いながら、胸の芯がじんわりと温かくなる。

「それ、続けられるか?」
「続ける。続けたい、じゃなくてね。続ける」

 言い切る声は、静かで強い。

 朝。
 出汁の匂いに起こされた俺は、キッチンに立つ陽翔の背中を眺めた。鍋の前に置かれたスマホがぶるぶると震える。
 撮影、掲載、イベントの通知。
 スマホの画面には、国内雑誌の撮影スケジュールに混ざって、英語の通知が一瞬だけ映った。

《海外ブランドの広告撮影オファー》

 指がそれを隠すように画面を伏せるのを、俺は見逃さなかった。
 ――彼の世界は、本当にもう俺の知らないところまで広がり始めている。

 陽翔は一度だけ画面を伏せ、火加減に目を戻した。

「大丈夫か」
「大丈夫。今は味噌汁に集中」

 湯気の向こうで笑うその横顔に、世界の喧騒が一瞬だけ遠のいた。

 食後、玄関のフックに新しいキーホルダーをかける。俺の鍵。真鍮のリングが陽光を受けて小さく光る。その隣には、色違いの革紐に通された陽翔の鍵。二本の鍵が、ぶつかり合って音を立てた。

「音、覚えた」
「俺も」

 靴紐を結ぶ陽翔に言う。

「今日は寄れそうか」
「夜、遅くなる。でも、寄る。少しでも」
「少しでいい」
「少しじゃ嫌だ、って言うかと思った」
「少しでも、が積み重なるほうが、本物になる」
「うん、分かる」

 ドアを開けると、朝の光が廊下を満たしていた。
 行ってきます、の代わりに短いキスをする。
 陽翔はエレベーターのほうへ歩き出し、数歩のところで振り返った。

「ねぇ、悠真」
「何だ」
「約束の行方、どこにあると思う?」

 少し考えて、答える。

「たぶん、次の“ただいま”の中」
 陽翔は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、今夜、持って帰る」
「頼む」

 閉まりかけのドアの隙間から、彼の背中が朝の光に溶ける。
 未来は相変わらず曖昧で、世界は俺たちの都合を待ってはくれない。

 それでも――

 テーブルの上には昨夜のメニューカードが残り、キッチンには出汁の匂いがあり、玄関には二本の鍵が並んでいる。
 そして、胸の内側には、何度も口にして形になった言葉がある。

 離れない。
 “今は”じゃなくて、“これからも”。

 約束の行方は、誰かの掌の中にあるものじゃない。
 俺たちが今日の扉を開ける音の、そのすぐ先にある。
 鍵が小さく鳴った。
 次の「ただいま」までの短い距離を、俺はゆっくりと歩き始めた。



**************

陽翔 × 悠真 編は今回で最終回です!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

楽曲「約束の行方 — Where Promises Lead」も配信中ですので、良かったら音楽の方も聴いてみてくださいね♫

「約束の行方 — Where Promises Lead」はこちら⇒ https://youtu.be/I5tRBRYsf10
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

好きって言ってるようなもの

鈴川真白
BL
好きなタイプを話したところで、って思ってた 一途な後輩 × 素直じゃない先輩

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

かえり、みち

真田晃
BL
エセ関西弁の幼馴染みと、歩いて帰る。 明るいコイツのお陰で、外灯の少ない真っ暗な田舎道も怖くなかった。 なのに、何故だろう。 何処か懐かしさを感じてしまう。 コイツとはいつも一緒に帰っているのに。大切な何かを、俺は──忘れてしまっている、のか? 第一章:シリアスver. 第二章:コミカルver.

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

処理中です...