年下将軍に側室として求められて

梵天丸

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年下将軍に側室として求められて(4)

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「やぁっ! とうっ!」
 勇ましい声が、御所の庭に響き渡る。
 将軍義藤の剣の相手をするのは、彼の剣術の師匠でもある塚原卜伝だ。すでにその年齢は老年の域に入っているはずなのに、激しく攻めてくる義藤の剣を、やすやすと交わし続けている。
「まだまだですな。多少は心得というものが分かってきたようですが」
「くそうっ! やああぁぁっ!」
 一気にかたをつけようとするかのように、義藤の木太刀が卜伝の喉元を狙う。
「お甘い!」
 気がつけば、義藤の切っ先は交わされ、卜伝の木太刀の先が、ぴたりと義藤の喉もとに突きつけられていた。
「真剣ならば、死んでおりましたな、公方様」
 にやりと笑う老人に、義藤は心底悔しそうにうな垂れる。
「くぅぅう……今日は一本ぐらい取れると思ったのになぁ」
「まだまだお若い。焦らずに精進しなされ」
 飄々と老人が笑ったところへ、茶の支度をした女房がやって来る。
「義藤様も先生も、少し休憩なさってください」
 茶を持ってきた女房は、小侍従こと芭乃だった。
 今は幼い頃のように義藤とともに剣術の指導を受けることはなくなった。ただ、他の女房らが指導を受けるとき、そこに混じって指導を受けている。
「やぁ、小侍従殿。相変わらずお美しいのう。なのにまだ嫁の貰い手がないとは、残念なことじゃ」
 褒められたのかからかわれたのか分からず、芭乃は困り果てたように顔を赤くする。
「先生もお父様に言ってやってください。縁談をすべて断ってしまっているのですって。中にはとても有名な大名にお仕えの殿方もいらしたのに」
 むくれたようにそう答える芭乃は、数年前とは比べ物にならないほど、女性として成長していた。まだ義藤が菊童丸だった頃には少女の匂いを残していたのに、今ではいつ嫁にいってもおかしくないほどの大人の女性になっている。
 父譲りの知性を思わせるその面に、意思の強そうな瞳はかつてと変わらない。しかし、体の線はすっかり少女のものではなく、柔らかな大人の女性のものへと変化していた。
 これだけ美しい女子が洛中を歩こうものなら、京の公達たちが放っては置かないだろう。
「まぁ、確かに。どこの誰とも知れぬ武士に、大切な娘をやるわけにはいかんだろうなぁ。晴舎殿の気持ちは儂にも少し分かるような気がするわい」
「私の身分を考えれば、そのように贅沢をいえるものではありませんもの。それぐらいのことは、わきまえています。だから、行き遅れなどと言われる前には、しかるべきところに落ち着かせてもらいたいです」
 芭乃が困り果てたように言うと、何がおかしかったのか卜山は腹を抱えるようにして笑った。隣にいる義藤は、苦笑いを浮かべている。
 芭乃の身分を考えると、地方の豪族ならともかく、大名家の正室は難しい。名のある大名家ならば、せいぜいが側室といったところだろう。
 身分は低いが、将軍家との繋がりがあるということで、政治的な利用価値は決して低くはない。だから、よほどのことがない限り、独り身のまま過ごす、ということはなさそうなのだが。
「ふむ。まあ、足利家に縁の深いそなただからこそ、父君も慎重になっておられるのだろうな」
「足利家との繋がりをつけておきたい……そう思う輩の浅はかな戦略に乗らないのは、お前の父君の賢明なところだと俺は思うぞ」
 近頃の義藤は、こんなふうに大人ぶったものの言い方をよくするようになった。将軍となり、その自覚を自分自身に促そうとしているようにも見える。
「でも、同じ年の他の女房たちはもうとっくにお嫁に行っているっていうのに。これじゃあ私、そのうち本当に行き遅れだって言われかねません」
「もうすでに行き遅れだろ。手遅れだってば」
 からかうようなその言葉は、昔ながらの義藤の意地悪な言い方だ。昔から義藤は何かと芭乃に意地悪を言うことが多かった。大人になったと思っていても、こういうところは元服しても変わらない。芭乃はぷうっと頬を膨らませて抗議する。
「酷いです、義藤様! だったら、義藤様からも父を急かして下さい!」
「何で俺がそんなことしないといけないんだ」
「行き遅れたくないからです!」
「まだあと数年は大丈夫だろう」
「さっきすでに手遅れとか言ってたじゃないですか!」
 目の前で言い争いを始める二人を見て、卜伝は目を細める。
「相変わらず、二人はまるで姉弟のように仲の良いことじゃな」
「だ、誰がこんなやつを姉などと!」
「私だって、こんなに可愛げのない弟は遠慮しておきます!」
 こうして芭乃が義藤に対して軽口をたたけるのは、卜伝の剣の稽古のときだけだった。
 義藤が元服し、将軍になった直後、芭乃は彼に対する態度を改めた。そのように父からも念を押されていたし、周囲の女房たちにとっても、もう彼は菊童丸ではなく公方様だった。
 けれども、義藤がそれを嫌がり、抗議した。
 芭乃の父の晴舎がそれを咎め、将軍としての自覚を促したのだが、義藤はさらに粘って晴舎を説得し、結局卜伝の剣の稽古の際だけは、芭乃が昔どおりの態度で接することを認めさせたのだった。
 卜伝の前では芭乃は義藤の姉弟子になる。
 だから、卜伝の稽古の際だけは、自分は弟弟子として振舞う……ということになったのだ。
 晴者としては、ぎりぎりの譲歩だっただろう。
 それを認めると同時に、晴舎はこうも付け加えていたらしい。
「もしも小侍従を側室とするのなら、例外ももっと簡単に適用されるでしょうが」と。
 後から父にそのことを聞かされた芭乃の心中は複雑だった。
 義藤が将軍になったのだから、態度を改めるのは当然だという思いが芭乃の中にもある。むしろ、態度を改めるなと言われるほうが難しかった。
 けれども、義藤が粘って交渉し、それを父の晴舎が認めたのだから、もはやそれは命令にも近い。芭乃としてはそれに従うしかない。
 だから芭乃は、卜伝の前でだけ、義藤を以前の菊童丸だと思い込むようにした。そうすれば、何となく以前の会話や雰囲気が思い起こされ、自然に義藤に接することが出来たのだ。
「しかし、公方様。公方様とて、婚姻は他人事ではありませんぞ。お世継ぎをもうけることは、将軍として大切な役割なのですからな」
「また晴舎にでも説教をしろと言われたのか?」
 義藤が鬱陶しそうに肩をすくめる。
 あえて卜伝が義藤の婚姻について口を出してきたということは、それを指図したものがいるに違いない。
 義藤が元服してからすでに数年が経っている。
 けれども、義藤はまだ一度も自分の閨に女子を入れたことがなかった。
 近頃ではそのことを案ずる者たちの声も聞こえ始めていた。
「でも、父のいうことも、もっともですよ、義藤様。足利将軍家の安泰のために必要なことは、世継ぎの存在。家中の皆が案じていることです」
 芭乃は先ほどの仕返しにとばかり義藤を責めてみたが、義藤はなぜか複雑そうな顔をする。
 何か悪いことでも言ってしまったのかと思い、芭乃は慌ててつくろうように言った。
「ま、まあ……義藤様にも好みというのがあるでしょうから、その好みに合わない女性しかいないのでしたら、仕方がないですけどね。でも、贅沢な悩みですよ。私たち女子は相手を選ぶことなんて出来ないんですから」
「べ、別に……好みの女がいない……わけじゃない……」
「え? そうなんですか? だったら……」
 だったら、それを晴舎にでも伝えれば、すぐにでも義藤の願いは叶えられそうなはずなのに。どうして言わないんだろう……そう思っていると、義藤は面倒くさそうに言い放つ。
「あーもう、うるさいな! 人の結婚のことなんて放っておけよ! そのうち考える! よし、先生! もう一本だ!」
 まるで話を紛らわすかのように、義藤は木太刀を持って立ち上がった。

 剣術の稽古も終わり、卜伝を見送ると、芭乃は態度を改める。
「公方様、剣術のお稽古が終わったら、お話があると藤孝殿が申しておりました。あちらでお待ちいただいております」
「うん。分かった」
 そう答えた義藤は、どことなく消沈しているように芭乃には見えた。
 いつもそうだ。剣の稽古が終わると、義藤はどこか寂しそうな顔をする。
 汗を拭くのを手伝いながら、芭乃は聞いてみる。
「お疲れですか、公方様?」
「いや、疲れてない。大丈夫だ」
 着物を調えると、義藤は藤孝の待つ部屋へと向かう。
 控えの間で待つのは細川藤孝という若き幕臣で、芭乃と同じように幼い頃から義藤の傍に侍ることを許されている者だ。
 まだ義藤が菊童丸だった頃、芭乃はまるで弟が二人いるような感じで義藤と藤孝を見つめていた。年は藤孝のほうが義藤よりも二つ年長だけど、藤孝はとても落ち着いて見えるので、もっと年長のようにも見える。
 藤孝は義藤の元服後、藤の名を使うことを許され、藤孝と名乗るようになった。それぐらい、義藤が信頼している人物でもある。
「公方様がお見えです」
 芭乃が障子を開けると、中では藤孝が平伏して待っていた。
「堅苦しいのはよせ。どうせこの部屋には芭乃しかおらん」
「ですが……」
「私はお茶をご用意したらすぐに下がります。藤孝殿、どうぞお楽に」
 芭乃はそう言うと、二人分の茶の用意を整え、部屋を後にした。
 藤孝は名残惜しそうに、芭乃の去ったほうを見つめる。
 芭乃は二人に気を遣って席を外したのだろうが、藤孝は彼女にそのまま残って欲しかったようだ。
「小侍従殿は美しくなられましたね。近頃は小侍従殿が通られるたびに、家中の男どもがそわそわとしているようです」
 まるで眩しいものでも見つめるように、藤孝は言う。
「ふん。あいつもそろそろ行き遅れとか言われる年になるぞ」
「小侍従殿ならば、望んで縁を持ちたいと思われる者も多いでしょうに」
「らしいな。いろんなところから結婚の申し込みが来ているそうだ」
「どうしてお受けにならないのでしょう?」
「その理由は、お前だってよく分かっているんじゃないのか?」
 にやりと笑って言われ、藤孝は思わず顔をぽっと赤くする。嘘のつけないこの臣が、義藤には可愛くて仕方がなかった。
 年齢でいうと、義藤よりも二つ上だが、名家の生まれながらあまりにも純朴すぎるその人柄が、時に危なっかしく義藤には感じられてしまうのだ。だから、年下の自分が守ってやらなくてはという気持ちになることが少なくない。
 実は藤孝は幼い頃から芭乃に淡い気持ちを抱き続けていた。当の芭乃はまったく気づいていない様子だったが……。
 二年ほど前、藤孝は芭乃を正室に迎えたい旨の話を養父の細川元常にしたのだが、正室ではなく、側室なら構わないという話になった。
 藤孝としては不本意ではあったが、芭乃を他の大名の子息や京の貴族などに奪われる可能性を考えると、側室でも手に入れたいと思ったのだろう。
 細川家の側室となれば、芭乃の父である進士晴舎も納得してくれるだろうと細川家は話を進めたが、丁重に断られてしまったらしい。
 その後しばらく、細川家と進士家の間には多少不穏な空気が流れてしまい、これを悲しんだ藤孝が義藤に事情を説明し、義藤は二家の間に入ってとりなした。そのおかげもあって、今は両家の間に禍根はないようだ。
 つまりそういう理由で、義藤は藤孝が芭乃に思いを寄せていたことなどのいきさつを知っているのだった。
「今も芭乃のことが忘れられないのか?」
「忘れられないというか……そうですね。そうかもしれません。でも、仕方がないです。小侍従殿には幸せになっていただきたいですから、ご正室として迎えてくれるところへ嫁されるのが女性としては一番なのかもしれません」
「どうだろうな……」
 何が女の幸せかなどということは、この戦乱の世では確たることはいえない。正室には正室なりの、側室には側室なりの苦労があり、幸せもあるのだろう。
「まあ、何が幸せなのかを決めるのは、小侍従殿ですからね。ただ、小侍従殿が選んだ幸せを実際に手に入れることが出来るのかどうかはわかりませんが」
 武家の娘に生まれた以上、その婚姻もすべて政治的な道具にされてしまうことが多い。本人も家族も、それは承知の上だ。
 進士家は身分こそ高くはなくても、実質的に足利家の雑事全般を担っていることを考えると、その政治的利用価値は諸大名たちにとっては決して低くはないだろう。
 そしてその芭乃の政治的価値を、父である進士晴舎もよくよく理解している。だからこそ、安易な婚姻の申し込みには応じないのだ。
「それで、今日の用件はなんだ?」
 話題を変えるように義藤が言うと、藤孝は表情を曇らせる。
「実は……大御所様のご容態が思わしくなく……」
「父上が……そうか。後でお見舞い申し上げよう」
「はい。そうしていただければ、大御所様もお喜びになられるかと」
 義藤の父、義晴は近頃は臥せっていることが多かった。
 もともと、それほど心身ともに強い人ではなかったが、内戦のたびに京を追われ、ところを落ち着ける余裕もない日々を過ごしているうちに、病は義晴の体を蝕んでいったようだ。
  天文十八年の江口の戦いにおいて、三好長慶軍に敗北し、この坂本へと落ち延びてきた後は、ほとんど床から起き上がることも出来ないほどに悪くなった。
 この江口の戦いは義藤の初陣でもあったが、その初陣は敗北という結果に終わり、義藤にとっても苦い思い出となった戦でもある。
 義晴は、義藤にとってはかけがえのない肉親であり、父親だった。
 それだけに、自分が将軍として戦った戦で破れたことは、悔しさもさることながら、腹立たしくて仕方がなかった。
「三好のやつらめ。今に見ていろ。次の戦では連中を京から追い出してみせる」
 もともとは官領の細川晴元を主としていたが、その主を事実上失脚させ、京の主権を掌握するに至ったのが三好長慶だ。
 義藤は義晴とともに、三好長慶に追われ、ここ坂本へと幾度目かの亡命をすることとなった。
「中尾城の普請も急がなくてはならないな。父の体が動けるうちに、京に落ち着かせてやりたい」
 体は弱りきっているというのに、父義晴の京復権への思いは強く、自らが指揮して足利家の本拠とするべく城を築かせている。それが中尾城だった。
「はい。私も大御所様をお見舞いした後は速やかに京に戻り、中尾城の普請を進めてまいります」
「頼む、藤孝。俺は迂闊にここを動けない。中尾城のことはお前に任せる」
「御意のままに。公方様」
「俺は俺で、味方として力を借りることが出来そうな勢力を当たってみる。近頃は美濃が接触してきているからな」
「美濃……斉藤道三殿ですね」
 斉藤家といえば、美濃を制圧した実力ある大名として近頃その名をあげている。斉藤家のような勢いのある大名家が将軍家に協力してくれるとなれば、大きな力になることは間違いない。
「ああ。近々、その名代の者が来ることになっている。美濃から兵なり借りることが出来れば、前回のような情けない負け戦をすることもないだろう」
 声を潜め、そんな話をしている時だった。
 慌しく廊下を駆けてくる音が聞こえる。
「公方様っ! 大御所様がっ!」
 義藤の胸がどくんと嫌な鼓動を打った。
 義藤はすぐに立ち上がり、義晴の部屋へと向かった。
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