年下将軍に側室として求められて

梵天丸

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年下将軍に側室として求められて(5)

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「父上……」
 うなだれた義藤の目から、涙がぼろぼろと零れ落ちる。
 将軍となってからは、人前で涙を流すことなどなかった。
 けれども、病床に横たわったまま、身動き一つしない父のやせ細った姿を見ると、もう我慢が出来なかった。
 京へ戻りたいと訴え続けた父の願いを叶えてやることもできず、亡命先の地でその生を終わらせてしまったことが、義藤には無念でならなかった。
「父上……俺が将軍として、必ず京を取り戻します。足利家が武門の棟梁としてこの国を統べる室町幕府を再興するために……!」
 拳を握り締め、冷たくなった父に向かって義藤は誓いを立てる。それに対しての父からの返事はない。しかし『将軍家をよろしく頼むぞ』という父の声が、義藤の耳に聞こえた気がした。

「公方様……」
 姿の見えない義藤を探しまわっていた芭乃は、庭の片隅でようやくその姿を見つけた。
「こちらにいらしたんですね、公方様」
「その呼び方はやめろ」
「でも……」
「いいから、やめろって!」
 義藤の言葉に、芭乃は戸惑ってしまう。
 今は卜山がいるわけでもない。だから芭乃は義藤に対して将軍として接しなければならないはずだ。
「義藤って呼べよ。頼むから……」
 まるで懇願するように言われ、芭乃は頷いた。
「はい。義藤様」
 芭乃が観念してそう答えると、ようやく義藤の気持ちも少し落ち着いたようだった。
 たとえ後で父に叱られても、今は義藤の望むようにしてやりたいと芭乃は思った。
 けれども、礼儀としてこのことは伝えなくてはならない。
「このたびのこと……本当にお悔やみ申し上げます」
 芭乃がそう言うと、義藤は唇をかみ締める。
 義晴は、芭乃にとっても身近な存在だった。
 いつも義藤の傍にいる芭乃を、義晴は何かと気にかけてくれていたのだ。
 芭乃が義藤を無断で御所の外へ連れ出したあの時も、義晴があまり大事にするなと重ねて言ってくれ、そのおかげで罰は減刑され、芭乃は今もこうして義藤の傍にいることができている。
「もっと早く……俺が力をつけていれば。もう少しだけ……生きていてくれれば」
「義藤様、そんな……」
「俺は……」
 言いかけた言葉はもう言葉にならなかったようだ。
 義藤は肩を震わせ、嗚咽する。
 まだ少年の印象の強い線の細い体が、いっそう細く見るようだった。
 芭乃はためらいつつも、義藤の震える体に手を触れる。その瞬間、義藤はまるでしがみつくようにして、芭乃の体に抱きついてきた。
 子供をあやすようにして、芭乃は義藤の頭や背中を優しく撫でる。
 掛ける言葉は見つからなかった。
 ただ義藤の震える体を抱きしめ、優しく撫で続けることしか出来ない。
 義藤も芭乃の胸に顔を埋め、堪えていたものを吐き出すように声を殺して涙を流し続けた。

 数日後に営まれた義晴の葬儀は、元将軍とは思えないほど、簡素なものだった。
 亡命中の身では盛大な葬儀を営むことも出来ない。
 度重なる戦で、将軍家の財政も逼迫している。今後も戦が続くことを考えると、葬儀に多大な費用をかけることは出来なかった。
 そのことに悔しさをかみ締めつつも、義藤の気持ちはもう落ち着きを取り戻し始めていた。
 各地から弔問に訪れた大名家の者たちを迎えながら、三好長慶への反撃の算段を立てている。
 これまで父とともに築き上げてきた各大名家との信頼関係、そして武門をまとめる将軍という地位を武器に、三好家への反撃に対する協力を取り付けていく。
 先の戦でいやというほど思い知った。
 足利家が将軍家であり、武門の棟梁でありながら、何の力もないということを。
 協力者が必要だ。それも、出来るだけ多くの。
 けれども、この乱世においては大名たちも自分の領地に争いごとを抱えており、将軍家のために割く余力がある大名家は少ない。
 それでも義藤は根気強く各大名家の使者たちに協力を訴えかけていった。
「公方様、美濃の斉藤道三殿の名代の方がお見えになりました」
「ああ、会おう」
 本来なら、斉藤家とは義晴が生きている間に上洛し、会見を行なう予定だったのだが、斉藤家のほうも領地内にさまざまな問題を抱えており、今日までそれが引き伸ばされてしまっていた。
 けれども、『美濃を制するものは天下を制す』と言葉通りに、この国で今もっとも勢いのある大名家かもしれない。義藤にとって斉藤道三という新たな協力者の出現は、ありがたいものだった。

 将軍との謁見のためにもうけられた部屋に招かれてやって来たのは、まだ若い青年だった。年のころは二十歳を少し越えたところといったところだろうか。
 しかしその見目はまるで女性と見まごうほどに美しく、背丈も高く、その瞳は溢れるほどの知性を思わせるほどに澄んでいる。
 青年は義藤の前に出ると平伏する。
「斉藤道三の名代で参りました。明智光秀と申します。このたびは謁見をお許しいただき、ありがとうございます」
「明智光秀か。よう来てくれた。亡き大御所様も喜んでおられるに違いない」
「はい。もう少し早ければ、大御所様にも謁見ことが出来たのにと道三も悔やんでおりました」
「そうだな……しかし、貴殿がこうして焼香に来てくれた事が、父にとってもせめてもの慰めになろう」
 明智光秀は実に知識が豊富で、義藤と光秀の会見は、時間を大幅に延ばされるほどだった。
 光秀は義藤に許され、しばらく坂本に滞在した後、美濃へと帰っていった。
 しかし、その後は道三の使いもかねて、光秀は何度も坂本を訪れるようになる。

 義晴の葬儀からしばらく経ったある日のこと、美濃からやって来た明智光秀は、御所の庭で鉄砲を手に的を狙っていた。
 ぱぁんっという乾いた音がしたかと思うと、その的のほぼ中心部に穴が開いている。
 芭乃は傍で控えながら、その見事な鉄砲の腕に目を見張った。
「すごい……」
 呟くように芭乃が言うと、義藤もそれに頷いた。
「ああ、見事なものだな」
 光秀はまだ火薬の匂いのする銃を抱えたまま振り返る。
「斉藤道三も申しておりますが、今後は鉄砲を用いた戦が主流になってくるのではないかと」
「うん、確かにそんな気はする。このような武器をもしも大量に用いられたら、もう従来の戦は通用せぬようになるな」
「ええ。一部の大名家はすでに鉄砲を大量に集めているという噂もあります」
「ふむ……俺にもその鉄砲は使えるか?」
「ええ、もちろんです。やってみられますか?」
「やってみる。弓とは……かなり勝手が違いそうだな」
「違いますね。まず、弓のように次から次へと放つことは出来ません。こうして火をつけ、弾をこめ、準備をする必要があるのです。それに弓に比べてかなり重いです」
 光秀から鉄砲を渡された義藤は、思わずよろけてしまいそうになりながらも、何とか踏ん張った。
 光秀ほどの背丈があれば軽く用いることが出来るものでも、義藤が持つと、同じようにとは行かない。
「公方様はこれから背丈も伸びますし、すぐに銃を自在に扱えるようになるはずです」
「む……ぅぅ……い、今だってちゃんと扱えるぞ」
 背が低いから今は無理だといわれたように感じたのか、義藤はむきになって言った。
 しかし光秀はそれに笑ったりはせず、生真面目な顔のまま続ける。
「鉄砲は扱い方を覚えれば、女人でも使うことが出来ます。これまで戦場では女人の活躍の場は限られておりましたが、ただしい使い方を学べば、男に混じって戦場で戦うことも可能になります」
 光秀の言うことの一つ一つに、義藤は目を輝かせる。偏った知識ではなく、先を見据え、幅広い知識を持つ者は、幕臣を見渡してみてもあまりいない。
 義藤が光秀を気に入るのも無理のないことだった。
「教えろ。お前の知っていることすべて」
「御意」
 こうして義藤は光秀から銃の指南を受けることになったのだった。
 さらに義藤のみならず、足利家の幕臣たちも兵に指導するために光秀から銃の指南を受けた。

 御所の中庭には、芭乃と義藤だけがいる。義藤が人払いをしてしまったので、他の家中の者たちの姿はない。
 こういうことは最近よくあることだった。
「銃はすごいな。芭乃」
「はい、義藤様」
 義晴の死以降、芭乃は義藤と二人きりでいるとき、かつてのように義藤と呼ぶようにと言われていた。
 決して命令のような強い言い方ではなかったけど、芭乃はそれに従った。
 それだけ義晴の死が義藤に与えた影響は大きいし、今もまだ彼が無理をしているということは、芭乃にもよく分かっていたからだ。
 彼のことを菊童丸と呼んでいた頃と同じように接することで、義藤の気持ちのいくらかを和らげることが出来るのならと芭乃は考えた。もしも責めを受けることがあれば、進んで受けようという覚悟も出来ていた。
 各地の大名との謁見の際には将軍としての顔を決して崩さない義藤も、芭乃と二人きりの時にはその年頃らしい笑みを浮かべる機会も増えてきている。
 父を失った義藤の傷が癒えるまでにはまだ時間がかかるかもしれないが、芭乃は傍にいて彼を支えたいと心から思っていた。
「銃は女子でも扱えると、光秀殿は仰られていましたよね」
「そうだな。確かに、力がそれほど必要というわけじゃない。鍛錬は必要だろうが」
 そう言ってから義藤は少し考えるように沈黙し、やがて頷いた。
「そうだ。お前も教えてもらえ。いざという時、身を守るものになる」
「え? 私がですか?」
「俺は女子をあえて戦場に連れて行くことは考えていないが、いざという時に身を守る術が多いほうが良いのは事実だ。お前が光秀から習い、他の女たちにも教えてやってくれれば助かる」
「そういうことでしたら、ぜひ光秀殿にご教授いただきたいです」
「ああ、俺から光秀に伝えておく。頑張れよ」
「はい! 頑張って練習しますっ」
 芭乃は嬉しかった。何だか義藤に認めてもらえたような気がして。
 ふと気がつくと、何だかしみじみとした顔で義藤が見ていた。
「なっ、何ですか?」
「そろそろ俺のほうが高いよな?」
 芭乃の横に並んだ義藤が、頭の上に手を当てて、二人の背丈を見比べている。
「そうでしょうか? まだきっと私のほうが高いと思いますけど」
「いや、もう俺のほうが高い」
「うっ、嘘ですっ! 私のほうが高いですっ! そんなに簡単に抜かれるわけにはっ」
 でも、隣に立つ義藤を見てみると、確かに僅かではあるが、背丈を追い抜かれているようだった。
「あ……」
「ほら、俺のほうが高いだろう?」
「で、でも……本当に少しだけです」
「少しだけでも、俺のほうが高い」
 得意げに言う義藤の言葉に、芭乃ははぁ、とため息をつく。
「とうとう抜かれてしまいましたか……」
 がっくりと肩を落とすと義藤はさらに得意げになり、ふふんと鼻を鳴らした。
「これからどんどん引き離していくぞ。芭乃の成長は終わっただろうが、俺の成長はまだまだこれからだからな」
「まるで人間が終わったみたいな言い方はやめてくださいっ。人間的にはまだまだ成長するつもりですからっ」
「いい心がけだな」
 そう言って義藤は笑ったが、何だか馬鹿にされているような気がして、芭乃は頬を膨らませてむくれた。
(あ……何だか久しぶりに義藤様の笑顔……)
 腹の立つことをいわれても、義藤のこの笑顔には弱い。憎めなくなってしまう。昔から芭乃はそうだった。きっとこれからもそれは変わらないような気がした。
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