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第一章 巴里の憂鬱
第3話「前途は多難」
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形の良い、されど大きく亀裂の入った唇が静かに語る。
「ジャン……なの、か……?」
……ちっ。思わず漏れそうになった舌打ちを、どうにか堪える。
ジャン=バティストのことはよく知っている。ドミニクに関することであれば、どんな些細なことも調べに調べた。
……ジャン=バティスト・ボンヌフォワ。職業は画家。ドミニクの愛する恋人だ。
いやいや、嫉妬してどうする。そこで嫉妬するのはさすがにどうしようもない。
深呼吸をし、乱れた心をどうにか整える。
「いいえ。僕はジャン=バティストではありません。もう一度、名乗りましょう」
胸に手を当て、はっきりと宣言する。
「僕は、ラザール──」
「分かった。もういい」
すべて名乗り終わる前に、制止された。
「……えっ」
「興味はない。ここから疾くと去れ」
ひび割れた唇から、淡々と言葉が紡がれる。
「で、では名乗り方を変えましょう。貴方のファンです!」
「興味はない、と言った」
ドミニクはぴしゃり、と、無感動な声音でおれの興奮に冷や水を浴びせかけてくる。
「貴殿が生者だろうが、死者だろうが。此処に長居することは勧めない。疾くと去れ」
おれは「自分のファンだ」と言われると嬉しい。とても嬉しい。全然売れていない自覚があるから、余計に嬉しい。
……けれど、ドミニクは違うらしい。
正直なところ、予想通りだ。
逢いに来たところで、喜ばれないのは初めから分かっていた。
詩人に変人奇人が多いから、というわけじゃない。
ドミニクの詩を見ればわかる。
淡々と綴られる、底知れない絶望と諦観。
彼はおそらく、自らが詩人だとは思っていない。詩を書いたとすら思っていないだろう。
彼は胸の裡から零れる「いたみ」を、手記に認めたに過ぎない。
おれはドミニクに逢いに来ただけじゃない。
彼を、救いに来た。
100年前から続く、果てしのない絶望から……
「ジャン……なの、か……?」
……ちっ。思わず漏れそうになった舌打ちを、どうにか堪える。
ジャン=バティストのことはよく知っている。ドミニクに関することであれば、どんな些細なことも調べに調べた。
……ジャン=バティスト・ボンヌフォワ。職業は画家。ドミニクの愛する恋人だ。
いやいや、嫉妬してどうする。そこで嫉妬するのはさすがにどうしようもない。
深呼吸をし、乱れた心をどうにか整える。
「いいえ。僕はジャン=バティストではありません。もう一度、名乗りましょう」
胸に手を当て、はっきりと宣言する。
「僕は、ラザール──」
「分かった。もういい」
すべて名乗り終わる前に、制止された。
「……えっ」
「興味はない。ここから疾くと去れ」
ひび割れた唇から、淡々と言葉が紡がれる。
「で、では名乗り方を変えましょう。貴方のファンです!」
「興味はない、と言った」
ドミニクはぴしゃり、と、無感動な声音でおれの興奮に冷や水を浴びせかけてくる。
「貴殿が生者だろうが、死者だろうが。此処に長居することは勧めない。疾くと去れ」
おれは「自分のファンだ」と言われると嬉しい。とても嬉しい。全然売れていない自覚があるから、余計に嬉しい。
……けれど、ドミニクは違うらしい。
正直なところ、予想通りだ。
逢いに来たところで、喜ばれないのは初めから分かっていた。
詩人に変人奇人が多いから、というわけじゃない。
ドミニクの詩を見ればわかる。
淡々と綴られる、底知れない絶望と諦観。
彼はおそらく、自らが詩人だとは思っていない。詩を書いたとすら思っていないだろう。
彼は胸の裡から零れる「いたみ」を、手記に認めたに過ぎない。
おれはドミニクに逢いに来ただけじゃない。
彼を、救いに来た。
100年前から続く、果てしのない絶望から……
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