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序章 迷い蛾
9. 発端
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ロバートが「向こう」に言ってから、さほど時間が経った様子はない。だが、あいつが送ってくる文面からは、少なくとも数週間は経ったかのような表現がそこかしこに散りばめられていた。電話先のロバートは怯えた様子で、沈黙が多い。……今は、送信済みメールを読み返す気力もないらしい。
……ふと、何かしらの情報が、記憶の端に引っかかる。
「……掲示板にあったな、絵描きの話」
元々あの電子掲示板は、都市伝説について書き込むWebサイトだ。内容はよく覚えていないが、なんだったか……
「……サン? ファンが頻繁に自殺するっていう、あの絵描き?」
と、代わりにロバートが答えを出した。取り憑いた霊は知らなくても、本人は知っていたらしい。……というか、めちゃくちゃ嫌だなその噂……。
「ロッド兄さん、どうしたの?」
「ファンが自殺……俺だったらつらすぎる……」
「う、うーん……童話で人死ぬかな……?」
電話先の声が遠くなる。……蘇る、いつかの記憶。鳴り響いた固定電話、助けを求める声、列車のブレーキ。そして──
忘れたかった、蓋をしておきたかった過去。
「ロッド」
呼ばれて、振り返る。……軍服の青年……ローランド兄さんが、そこにいた。電話はいつの間にか、ツーツーという音声に変わっている。
「ロブ、大丈夫そう? 様子みて来ようか?」
ロバートと同じ、茶髪に青い瞳。いつものようににこりと笑って、兄さんは俺の黒髪に触れる。
ㅤ昔は俺もロバートのことを愛称で呼んでいたけど、今ではこの人ぐらいしか「ロブ」と呼ばない。……考えてみれば、俺のことを「ロッド」と呼ぶ人も、そんなに多くはない。
「……寝癖、ひどいなぁ……」
もう三十も超えた俺をガキ扱いしながら、困ったように笑っていた。
ㅤ発端の日を、思い出す。
キース・サリンジャーは、俺……ロデリック・アンダーソンのメル友だった。
二〇一五年の夏、仕事に関する愚痴の後、連絡が途絶えたかと思えば未来の日付から「殺されるかも」なんてメール。
その数日後、異動が決まったと平気な様子のメールが来て何があったと尋ねても心当たりなんてない、と。
そして、それから数週間後、キースの友人からメールが来た。受信ボックスに残っていた俺のメールから連絡先を知ったらしい。
「キースが失踪した。何か知らない?」
嫌な予感がして、その相手がキースから聞いたっていう街の名前を聞いた。
正直、驚いた。俺もよく知っている街だったからな。マンチェスターからバスに乗って一時間くらい、と、そいつ……カミーユ=クリスチャン・バルビエとかいう男は、馴れ馴れしく伝えてきた。
さらに、俺の部屋でもラップ音だの金縛りだの、怪奇現象が起こり出す。そんな中でメールボックスを覗くと、自動的にひとつのメールがピックアップされた。
「巻き込むつもりはなかった。奴らが目をつけている。とにかく逃げろ」
アドレスは表示されず、送信者欄に「Levi」とだけ表示されるというホラー。しかも空白のメールとか文字化けメールも大量。
途方に暮れてると兄さんがやって来て、弟が悪夢にうなされたりして大変だとか何とか。ついには、二度と会わないと思っていた弟も含めて三人で話し合うことに。
「……行くべきだと思う」
意外にも、弟……正確には義弟のロバートは乗り気だった。
「メール見せてもらったけど、僕には何かを伝えたがってるように見えるし」
「ロッド、キースくんは大事なお友達なんだよね?」
「……一番メールしてたし、一番勇気くれたのはあいつ」
「じゃあ、俺とロブで行ってくるから、ロッドはここで待機しててくれる?」
その後、ノエルっていう別のメル友がその街在住だと発覚し、アドバイスを受けて色々書き留めることにした……ということになる。
俺は普段童話作家もしているが、作風が全く違うからペンネームは伏せておく。
やけにオカルト系を受け入れるのが早いと思われるかもしれないが、俺の育った国では幽霊に住民票が出る……と言えば、国籍も察しがつくだろう。……実際、幽霊のような存在には心当たりがありすぎる。
「で、でも怖いな。俺は幽霊苦手だし」
「……僕がついてる」
ロバートは、仕事で世話になった教授が亡くなって傷心していたらしい。
俺が三十二になった今でも、ロバートが甘えたなのは変わらないし……兄さんの、怖がりも同じように変わらない。
「じゃあ、僕は準備してくる。……兄さんも来て」
「あっ、うん。またね、ロッド!」
ロバートが玄関から立ち去り……ローランド兄さんはそのまま霧のように消える。
ローランド・ハリス。享年二十一。
過労により十五年ほど前に列車事故で死亡している。……未だに彼は、自分の死をけ入れることが出来ない。
「……ここらで、ちゃんとしないとかもな」
……確か、あの時も今みたいに……兄さんよりかなり老けたこの冴えないツラが、パソコンのモニターに反射されていたんだっけか。
「ロッド、なにか来てるよ」
ㅤ兄さんに促されて、我に返る。メールの着信があったらしい。「調書」と、タイトルには記されている。……とりあえず、開いてみた。
……ふと、何かしらの情報が、記憶の端に引っかかる。
「……掲示板にあったな、絵描きの話」
元々あの電子掲示板は、都市伝説について書き込むWebサイトだ。内容はよく覚えていないが、なんだったか……
「……サン? ファンが頻繁に自殺するっていう、あの絵描き?」
と、代わりにロバートが答えを出した。取り憑いた霊は知らなくても、本人は知っていたらしい。……というか、めちゃくちゃ嫌だなその噂……。
「ロッド兄さん、どうしたの?」
「ファンが自殺……俺だったらつらすぎる……」
「う、うーん……童話で人死ぬかな……?」
電話先の声が遠くなる。……蘇る、いつかの記憶。鳴り響いた固定電話、助けを求める声、列車のブレーキ。そして──
忘れたかった、蓋をしておきたかった過去。
「ロッド」
呼ばれて、振り返る。……軍服の青年……ローランド兄さんが、そこにいた。電話はいつの間にか、ツーツーという音声に変わっている。
「ロブ、大丈夫そう? 様子みて来ようか?」
ロバートと同じ、茶髪に青い瞳。いつものようににこりと笑って、兄さんは俺の黒髪に触れる。
ㅤ昔は俺もロバートのことを愛称で呼んでいたけど、今ではこの人ぐらいしか「ロブ」と呼ばない。……考えてみれば、俺のことを「ロッド」と呼ぶ人も、そんなに多くはない。
「……寝癖、ひどいなぁ……」
もう三十も超えた俺をガキ扱いしながら、困ったように笑っていた。
ㅤ発端の日を、思い出す。
キース・サリンジャーは、俺……ロデリック・アンダーソンのメル友だった。
二〇一五年の夏、仕事に関する愚痴の後、連絡が途絶えたかと思えば未来の日付から「殺されるかも」なんてメール。
その数日後、異動が決まったと平気な様子のメールが来て何があったと尋ねても心当たりなんてない、と。
そして、それから数週間後、キースの友人からメールが来た。受信ボックスに残っていた俺のメールから連絡先を知ったらしい。
「キースが失踪した。何か知らない?」
嫌な予感がして、その相手がキースから聞いたっていう街の名前を聞いた。
正直、驚いた。俺もよく知っている街だったからな。マンチェスターからバスに乗って一時間くらい、と、そいつ……カミーユ=クリスチャン・バルビエとかいう男は、馴れ馴れしく伝えてきた。
さらに、俺の部屋でもラップ音だの金縛りだの、怪奇現象が起こり出す。そんな中でメールボックスを覗くと、自動的にひとつのメールがピックアップされた。
「巻き込むつもりはなかった。奴らが目をつけている。とにかく逃げろ」
アドレスは表示されず、送信者欄に「Levi」とだけ表示されるというホラー。しかも空白のメールとか文字化けメールも大量。
途方に暮れてると兄さんがやって来て、弟が悪夢にうなされたりして大変だとか何とか。ついには、二度と会わないと思っていた弟も含めて三人で話し合うことに。
「……行くべきだと思う」
意外にも、弟……正確には義弟のロバートは乗り気だった。
「メール見せてもらったけど、僕には何かを伝えたがってるように見えるし」
「ロッド、キースくんは大事なお友達なんだよね?」
「……一番メールしてたし、一番勇気くれたのはあいつ」
「じゃあ、俺とロブで行ってくるから、ロッドはここで待機しててくれる?」
その後、ノエルっていう別のメル友がその街在住だと発覚し、アドバイスを受けて色々書き留めることにした……ということになる。
俺は普段童話作家もしているが、作風が全く違うからペンネームは伏せておく。
やけにオカルト系を受け入れるのが早いと思われるかもしれないが、俺の育った国では幽霊に住民票が出る……と言えば、国籍も察しがつくだろう。……実際、幽霊のような存在には心当たりがありすぎる。
「で、でも怖いな。俺は幽霊苦手だし」
「……僕がついてる」
ロバートは、仕事で世話になった教授が亡くなって傷心していたらしい。
俺が三十二になった今でも、ロバートが甘えたなのは変わらないし……兄さんの、怖がりも同じように変わらない。
「じゃあ、僕は準備してくる。……兄さんも来て」
「あっ、うん。またね、ロッド!」
ロバートが玄関から立ち去り……ローランド兄さんはそのまま霧のように消える。
ローランド・ハリス。享年二十一。
過労により十五年ほど前に列車事故で死亡している。……未だに彼は、自分の死をけ入れることが出来ない。
「……ここらで、ちゃんとしないとかもな」
……確か、あの時も今みたいに……兄さんよりかなり老けたこの冴えないツラが、パソコンのモニターに反射されていたんだっけか。
「ロッド、なにか来てるよ」
ㅤ兄さんに促されて、我に返る。メールの着信があったらしい。「調書」と、タイトルには記されている。……とりあえず、開いてみた。
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