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【第三章―2】浜名湖・水鏡の魔女(天竜川から離れているけどつながっているのね)
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「うーん、やっぱりつながってましたね」
立花がタブレットの画面を見ながら、助手席でぽつりと呟いた。
天竜川での調査から三日後。立花の地質データ解析によると、天竜川の地下水脈が複雑に枝分かれして、なんと浜名湖の湖底ともつながっていることが判明したのだ。
「つまり、龍神の力が地下水脈を通じて……」
「浜名湖にも影響してるってことか」
ヴァルターが運転席でうなずく。確かに、ここ数日で浜名湖周辺での異常現象報告が急激に増加していた。
『我の鼻も、天竜川と同じ匂いを感じておる』
後部座席の時風タロウが、ひくひくと鼻を動かす。
『水の流れに乗って、あの忌々しい魔女の力が広がっておるようじゃな』
「それで急遽、浜名湖に調査地点を変更したんですね」
イヴリンが地図を見ながら確認する。天竜川から浜名湖まで、直線距離で約40キロ。地上では離れているが、地下の龍脈は確実につながっている。
「しかも、五芒星の頂点の一つがここにあるとは……」
立花がため息をつく。彼の最新解析によると、天竜川を中心とした五芒星の西の頂点が、まさに浜名湖の湖心だったのだ。
* * *
夕暮れの浜名湖畔。館山寺温泉街の老舗旅館「湖月荘」の玄関前で、ヴァルターは軽自動車のエンジンを止めた。
「うーん、なんか静かすぎない?」
イヴリンが助手席から身を乗り出して、きょろきょろと温泉街を見回す。
夕方の時間帯にしては、人通りが異常に少ない。土産物屋のシャッターがぱらぱらと半分下りていて、本来なら「いらっしゃいませ~」の声が響いているはずの温泉街に、まるで平日の朝のような静寂が漂っている。
「確かに。観光地にしては活気がないですね」
立花がタブレットをぽちぽち操作しながら予約確認をする。後部座席の時風タロウは、車から降りた瞬間からぴんと耳を立てて、ひくひくと鼻を動かしていた。
『嫌な匂いがするぞ』
タロウの声がぽんと三人の頭に響く。
『湿った紙の匂い……それと、古い鏡の匂いじゃな』
「古い鏡の匂いって何ですか」
イヴリンがくにゃっと眉をしかめる。
『銀が酸化した時の、あの金属っぽい匂いじゃ。それが異常に濃い』
「げ」
ヴァルターは腰のポーチから時間粒子検出器をするりと取り出した。液晶画面がピコピコと点滅を始める。
「数値が不安定だな。何かが時間の流れをぐちゃぐちゃに乱してる」
* * *
旅館の玄関に足を踏み入れると、女将らしき中年女性がばたばたと慌てたように出迎えた。
「あ、立花様でございますね。お疲れ様でございます」
女将の笑顔は丁寧だったが、その目の奥にちらりと不安の影が見える。まるで何かに怯えているようだ。
「こちら、お連れ様ですか?」
「はい。研究の協力者の方々です。で、例の行方不明者の調査協力もありがとうございます」
立花がぺこりと頭を下げて紹介すると、女将は「ほっ」とため息をついたような表情を見せた。
「それでは、お部屋へご案内いたします。ただ……」
女将が言いかけて、もごもごと言葉を濁した。
「ただ、何でしょうか?」
「最近、お客様が……洗面所の鏡を見て、急にふらふらと具合が悪くなられることが多くて。もしそのようなことがございましたら、すぐにお声がけください」
部屋に案内される途中、ヴァルターはぺらぺらと廊下の壁に設置されたスピーカーから流れる音に気づいた。
「このBGM……」
「ああ、館内有線ですね。波音をベースにしたヒーリング音楽です。お客様のリラックス効果を狙って」
立花がさらさらと説明する。確かに、穏やかな波音に癒し系のメロディがふわふわと重なっている。
でも、ヴァルターの検出器は、そのBGMがざざーんと流れるたびに数値がぴょんぴょん跳ね上がった。
「これは……」
部屋に荷物をぽんと置いた後、一行は早速調査を開始した。まずは洗面所の確認から。
「あ……これ」
イヴリンが洗面台の鏡をすっと指差した。
一見普通の鏡だが、よく見ると表面にかすかな波紋のような模様がゆらゆらと走っている。まるで水面にぽちゃんと石を投げた時のような、同心円状の波紋が、鏡の表面をのろのろと広がっては、すーっと消えていく。
「肉眼でも見えるレベルなのか」
ヴァルターが検出器をぴっと鏡に向けると、針がびよーんと大きく振れた。
「時空歪曲率が急上昇してます」
立花がタブレットをぱたぱた操作しながら報告する。
『この鏡、普通じゃないぞ』
タロウがじーっと鏡を見上げて、ぐるるると唸った。
『向こう側に、何かがいる』
「何かって……」
イヴリンがごくりと唾を飲み込む。
* * *
旅館の帳場で、立花は女将からぺらりと失踪者の名簿を見せてもらった。
「二十名全員、こちらにお泊りいただいたお客様です。皆様、最後に目撃されたのは洗面所の前でした」
「洗面所の前で、ですか」
「はい。防犯カメラにも映っているのですが……皆様、鏡をじーっと見つめながら、とても穏やかな笑顔を浮かべていらして。でも、その後は……」
女将の声がぶるぶると震えた。
「忽然と姿を消してしまわれたのです」
「うわあ……」
立花は持参したタブレットで、失踪者のSNSアカウントをぽちぽちと次々とチェックしていく。最後の投稿時刻、位置情報、投稿内容……膨大なデータを高速でさくさくと解析する。
その集中した様子は、まるで名探偵が事件を解決する瞬間みたいだった。
「面白いパターンが見えてきました」
立花がくるりと画面を三人に見せる。
「失踪直前の投稿、全員に共通点があります。『温泉が気持ちいい』『波音が癒される』『鏡に映る自分がきれい』……そして、投稿時刻がすべて同じタイミングです」
「同じタイミングって?」
イヴリンがきょとんと首を傾げる。
「館内BGMの特定の拍に合わせて投稿されてるんです。しかも、波音の『ザザーン』という音の直後」
「うげ、それって……」
立花が防犯カメラの映像もぱかぱかと確認する。小さなモニターに映る失踪者たちの姿は、確かに皆にこにこと穏やかに笑っている。
しかし……
「この笑顔、なんか変よ」
イヴリンが画面をじーっと見つめて、ぞくりと眉を顰める。
「みんな笑ってるのに、目が笑ってない。まるで……まるで操り人形みたい」
『その通りじゃ』
タロウがぐるるると低く唸る。
『あの笑顔は、本人の感情じゃない。何かにひゅーっと操られたときの表情じゃ』
ヴァルターが検出器のデータをぽちぽちとチェックしながら言った。
「BGMが流れるたびに時空歪曲が起きてる。つまり、あの音が何かのトリガーになってるんだ」
「なんですって……」
イヴリンがぞわっと身震いする。
「じゃあ、BGMを聞いた人は皆……」
「そういうことになるな」
* * *
夜が更けて、旅館がしーんと静かになった頃。一行は再び洗面所にそろそろと集まった。
「実験してみよう」
ヴァルターがするりとクロノス・パルスを取り出す。懐中時計がぽーっと青白い光を放ち始める。
「BGMの拍子を一拍遅らせてみる」
時計の針がくるくると逆回転を始めた瞬間、不思議な現象が起きた。
廊下に流れる波音のBGMが、ずれずれとわずかにずれ始める。そして——
「うわぁ……」
イヴリンがぱっと驚きの声を上げた。
洗面所の壁や床に、ふわふわと淡い光の線が現れ始めたのだ。まるで音楽の拍子記号のような縦線が、きちんきちんと規則正しく空間を区切っている。
「時間の拍が見えてる……」
ヴァルターがはーっと息を呑む。
「これが鏡の開門周期か」
光の線は鏡の前で特にきらきらと明るく輝き、まるで何かの境界線のように空間をぱっくりと分けている。
「イヴリン、今度は君の番だ」
「う、うん……」
イヴリンがエコー・オブ・クラリティをそっと手に取り、慎重に鈴を鳴らした。
チリン……
澄んだ音色がひーんと洗面所に響く。その瞬間——
「きゃあ!」
鏡の向こうに、ぽんともう一人の自分が現れた。
しかし、それは明らかに「別人」だった。同じ顔、同じ服装だが、表情が全く違う。鏡の中のイヴリンは、にーっと不気味なほど大きく口を開けて笑っている。
「お兄様……あれ、私じゃない」
「ああ、別の何かが君の姿をすっかり借りてる」
鏡の中の偽イヴリンは、まるで手招きするようにひらひらと手を振った。「こちらにいらっしゃい」ともごもごと口パクで言っているのが分かる。
でも、鈴の余韻がすーっと消えると同時に、偽イヴリンの姿もふっと消えた。
「今の間だけ……」
「そうみたいですね。鈴の音が響いている間だけ、鏡界への扉がぱかっと開く」
立花がタブレットにせかせかと記録を取りながら分析する。
『面白い現象じゃな』
タロウが鏡をじーっと見上げる。
『あの世界は、こちらの世界の裏返しじゃ。そして、向こうには我らを誘う何かがいる』
「誘うって……」
「まあ、ろくでもないことだろうな」
* * *
一行は部屋に戻り、今夜の発見をきちんと整理した。立花がタブレットでぱちぱちと地図を広げる。
「浜名湖の地形と、異常現象の発生地点をマッピングしてみました」
画面にぱっと表示された地図に、赤い点が五つ、星の形にきれいに配置されている。
「五芒星……」
イヴリンがぽつりと呟く。
「そして中心に位置するのが……」
立花が地図の中心をぴっと指す。そこには小さな島のような場所がぽつんと表示されている。
「浜名湖の湖心にある浮御堂です。昔から地元では『水の神様を祀る聖地』として知られています」
「つまり、そこが」
「主鏡の在り処ですね。五芒星の中心、すべての力がぎゅーっと集まる場所」
その時、時風タロウがぴょこんと急に立ち上がった。目がきらりと金色に光り、理の幽霊との交信を始めている。
『理の幽霊様から、新しい道具をいただくようじゃ』
タロウの口から、ひょろひょろと縄のような光の束が現れた。それは普通の縄のように見えるが、そっと触れてみると温かく、どくんどくんと微かに脈動している。
『これは「理の縄」じゃ。現世と異界をぎゅっと繋ぐアンカーの役割を果たす。吾が噛んで引っ張れば、どんな異次元からでも帰り道が見つかる』
「すごい……」
イヴリンがきらきらと目を輝かせて感嘆の声を上げる。
『ただし』
タロウの表情がきりりと真剣になる。
『主鏡を直接『がしゃん』と破壊してはならん。それをやれば鏡界が暴走し、湖全体がごくりと異次元に呑まれてしまう』
「うひゃー、それはまずい」
「じゃあ、どうすれば……」
「反射角の書き換えです」
立花がタブレットでささささと幾何学の図を描き始める。
「鏡は光をぴかっと反射しますが、その角度をくるりと変えることで、吸引の方向を逆転させることができる。つまり、人をずるずると吸い込む代わりに、吸い込んだ人をぽんと吐き出させるんです」
「なるほど……君の理論的アプローチと、僕たちの魔術的なアプローチの組み合わせか」
イヴリンが鈴をぎゅっと握りしめる。
「でも、その前に失踪した人たちを助けないと」
「そのためには、鏡界に直接乗り込む必要があります」
立花が地図をじーっと見つめる。
「明日、作戦を実行しましょう。ヴァルターさんに外で波の管理をお願いして、僕たちが鏡の中に入る」
『その作戦、悪くないな』
タロウがぱたぱたと尻尾を振る。
『久しぶりに、理の縄の本格的な実戦投入じゃ』
窓の外では、浜名湖の湖面が月明かりにきらきらと照らされて、まるで巨大な鏡のように光っている。
でも、よーく見ると湖の中心付近で、水面がゆるゆると渦を巻いているのが分かった。
「明日の夜が、本当の戦いですね」
ヴァルターが窓外をじーっと見つめながら呟く。
「二十人の命がかかってる。絶対に成功させよう」
四人と一匹は、それぞれの武器と道具をきちんと確認し、明日の決戦に備えて休息を取ったた。
しかし、その夜。
旅館の館内BGMは一晩中ざざーんざざーんと流れ続け、洗面所の鏡には時折、招くような手の影がひらひらとちらつくのだった。
水鏡の魔女は既に、彼らの存在にすっかり気づいている——。
* * *
翌日の夜。作戦開始の時間がやってきた。
「それじゃあ、役割分担を確認しよう」
ヴァルターが懐中時計をぱちんと開く。
「俺は外でBGMの拍管理。君たち三人が鏡の中に入って救出作業だ」
立花がぱらぱらと新装備を配り始める。薄い紙のようなお札、小さな水晶の欠片、そして時を刻むメトロノームのような装置。
「反射封は鏡の攻撃を防ぎます。刻限札は安全な時間帯を教えてくれる。プリズム欠片は……まあ、切り札ですね」
『理の縄の準備も万端じゃ』
タロウがぐっと胸を張る。口から伸びる光の縄が、ほのかに温かく脈動している。
「よし……行こう」
洗面所の鏡の前で、イヴリンがそっと鈴を鳴らした。
チリーン……
鏡面にゆらゆらと波紋が広がり、向こう側の世界が姿を現す。
「うわあ……」
鏡の向こうは、まさに「水底の街」だった。
上下がひっくり返った旅館の廊下が、青い水の中にふわふわと浮かんでいる。天井には湖の水面がゆらゆら光り、床には逆さまの照明がぶら下がっている。
「天地が逆転してるのね……」
そして、その奇妙な世界のあちこちに、人影がぽつぽつと立ち尽くしていた。
失踪した二十人の人たち。
でも皆、まるで時間が止まったように微動だにしない。顔には幸せそうな笑みを浮かべたまま、まばたきひとつしない。
「最も幸福だった日で時間停止……」
立花が息を呑む。
そんな迷い人たちの周りを、ひらひらと小さな影が舞っていた。
白い面を被った子どもくらいの大きさの何か。手には古い写真立てを持って、迷い人たちに何かを見せている。
「あれが童子……」
イヴリンがごくりと唾を飲み込む。
『行くぞ』
タロウが理の縄を口にくわえ、ぴょんと鏡の中に飛び込んだ。続いてイヴリンと立花も、そろりと鏡の向こう側に足を踏み入れる。
立花がタブレットの画面を見ながら、助手席でぽつりと呟いた。
天竜川での調査から三日後。立花の地質データ解析によると、天竜川の地下水脈が複雑に枝分かれして、なんと浜名湖の湖底ともつながっていることが判明したのだ。
「つまり、龍神の力が地下水脈を通じて……」
「浜名湖にも影響してるってことか」
ヴァルターが運転席でうなずく。確かに、ここ数日で浜名湖周辺での異常現象報告が急激に増加していた。
『我の鼻も、天竜川と同じ匂いを感じておる』
後部座席の時風タロウが、ひくひくと鼻を動かす。
『水の流れに乗って、あの忌々しい魔女の力が広がっておるようじゃな』
「それで急遽、浜名湖に調査地点を変更したんですね」
イヴリンが地図を見ながら確認する。天竜川から浜名湖まで、直線距離で約40キロ。地上では離れているが、地下の龍脈は確実につながっている。
「しかも、五芒星の頂点の一つがここにあるとは……」
立花がため息をつく。彼の最新解析によると、天竜川を中心とした五芒星の西の頂点が、まさに浜名湖の湖心だったのだ。
* * *
夕暮れの浜名湖畔。館山寺温泉街の老舗旅館「湖月荘」の玄関前で、ヴァルターは軽自動車のエンジンを止めた。
「うーん、なんか静かすぎない?」
イヴリンが助手席から身を乗り出して、きょろきょろと温泉街を見回す。
夕方の時間帯にしては、人通りが異常に少ない。土産物屋のシャッターがぱらぱらと半分下りていて、本来なら「いらっしゃいませ~」の声が響いているはずの温泉街に、まるで平日の朝のような静寂が漂っている。
「確かに。観光地にしては活気がないですね」
立花がタブレットをぽちぽち操作しながら予約確認をする。後部座席の時風タロウは、車から降りた瞬間からぴんと耳を立てて、ひくひくと鼻を動かしていた。
『嫌な匂いがするぞ』
タロウの声がぽんと三人の頭に響く。
『湿った紙の匂い……それと、古い鏡の匂いじゃな』
「古い鏡の匂いって何ですか」
イヴリンがくにゃっと眉をしかめる。
『銀が酸化した時の、あの金属っぽい匂いじゃ。それが異常に濃い』
「げ」
ヴァルターは腰のポーチから時間粒子検出器をするりと取り出した。液晶画面がピコピコと点滅を始める。
「数値が不安定だな。何かが時間の流れをぐちゃぐちゃに乱してる」
* * *
旅館の玄関に足を踏み入れると、女将らしき中年女性がばたばたと慌てたように出迎えた。
「あ、立花様でございますね。お疲れ様でございます」
女将の笑顔は丁寧だったが、その目の奥にちらりと不安の影が見える。まるで何かに怯えているようだ。
「こちら、お連れ様ですか?」
「はい。研究の協力者の方々です。で、例の行方不明者の調査協力もありがとうございます」
立花がぺこりと頭を下げて紹介すると、女将は「ほっ」とため息をついたような表情を見せた。
「それでは、お部屋へご案内いたします。ただ……」
女将が言いかけて、もごもごと言葉を濁した。
「ただ、何でしょうか?」
「最近、お客様が……洗面所の鏡を見て、急にふらふらと具合が悪くなられることが多くて。もしそのようなことがございましたら、すぐにお声がけください」
部屋に案内される途中、ヴァルターはぺらぺらと廊下の壁に設置されたスピーカーから流れる音に気づいた。
「このBGM……」
「ああ、館内有線ですね。波音をベースにしたヒーリング音楽です。お客様のリラックス効果を狙って」
立花がさらさらと説明する。確かに、穏やかな波音に癒し系のメロディがふわふわと重なっている。
でも、ヴァルターの検出器は、そのBGMがざざーんと流れるたびに数値がぴょんぴょん跳ね上がった。
「これは……」
部屋に荷物をぽんと置いた後、一行は早速調査を開始した。まずは洗面所の確認から。
「あ……これ」
イヴリンが洗面台の鏡をすっと指差した。
一見普通の鏡だが、よく見ると表面にかすかな波紋のような模様がゆらゆらと走っている。まるで水面にぽちゃんと石を投げた時のような、同心円状の波紋が、鏡の表面をのろのろと広がっては、すーっと消えていく。
「肉眼でも見えるレベルなのか」
ヴァルターが検出器をぴっと鏡に向けると、針がびよーんと大きく振れた。
「時空歪曲率が急上昇してます」
立花がタブレットをぱたぱた操作しながら報告する。
『この鏡、普通じゃないぞ』
タロウがじーっと鏡を見上げて、ぐるるると唸った。
『向こう側に、何かがいる』
「何かって……」
イヴリンがごくりと唾を飲み込む。
* * *
旅館の帳場で、立花は女将からぺらりと失踪者の名簿を見せてもらった。
「二十名全員、こちらにお泊りいただいたお客様です。皆様、最後に目撃されたのは洗面所の前でした」
「洗面所の前で、ですか」
「はい。防犯カメラにも映っているのですが……皆様、鏡をじーっと見つめながら、とても穏やかな笑顔を浮かべていらして。でも、その後は……」
女将の声がぶるぶると震えた。
「忽然と姿を消してしまわれたのです」
「うわあ……」
立花は持参したタブレットで、失踪者のSNSアカウントをぽちぽちと次々とチェックしていく。最後の投稿時刻、位置情報、投稿内容……膨大なデータを高速でさくさくと解析する。
その集中した様子は、まるで名探偵が事件を解決する瞬間みたいだった。
「面白いパターンが見えてきました」
立花がくるりと画面を三人に見せる。
「失踪直前の投稿、全員に共通点があります。『温泉が気持ちいい』『波音が癒される』『鏡に映る自分がきれい』……そして、投稿時刻がすべて同じタイミングです」
「同じタイミングって?」
イヴリンがきょとんと首を傾げる。
「館内BGMの特定の拍に合わせて投稿されてるんです。しかも、波音の『ザザーン』という音の直後」
「うげ、それって……」
立花が防犯カメラの映像もぱかぱかと確認する。小さなモニターに映る失踪者たちの姿は、確かに皆にこにこと穏やかに笑っている。
しかし……
「この笑顔、なんか変よ」
イヴリンが画面をじーっと見つめて、ぞくりと眉を顰める。
「みんな笑ってるのに、目が笑ってない。まるで……まるで操り人形みたい」
『その通りじゃ』
タロウがぐるるると低く唸る。
『あの笑顔は、本人の感情じゃない。何かにひゅーっと操られたときの表情じゃ』
ヴァルターが検出器のデータをぽちぽちとチェックしながら言った。
「BGMが流れるたびに時空歪曲が起きてる。つまり、あの音が何かのトリガーになってるんだ」
「なんですって……」
イヴリンがぞわっと身震いする。
「じゃあ、BGMを聞いた人は皆……」
「そういうことになるな」
* * *
夜が更けて、旅館がしーんと静かになった頃。一行は再び洗面所にそろそろと集まった。
「実験してみよう」
ヴァルターがするりとクロノス・パルスを取り出す。懐中時計がぽーっと青白い光を放ち始める。
「BGMの拍子を一拍遅らせてみる」
時計の針がくるくると逆回転を始めた瞬間、不思議な現象が起きた。
廊下に流れる波音のBGMが、ずれずれとわずかにずれ始める。そして——
「うわぁ……」
イヴリンがぱっと驚きの声を上げた。
洗面所の壁や床に、ふわふわと淡い光の線が現れ始めたのだ。まるで音楽の拍子記号のような縦線が、きちんきちんと規則正しく空間を区切っている。
「時間の拍が見えてる……」
ヴァルターがはーっと息を呑む。
「これが鏡の開門周期か」
光の線は鏡の前で特にきらきらと明るく輝き、まるで何かの境界線のように空間をぱっくりと分けている。
「イヴリン、今度は君の番だ」
「う、うん……」
イヴリンがエコー・オブ・クラリティをそっと手に取り、慎重に鈴を鳴らした。
チリン……
澄んだ音色がひーんと洗面所に響く。その瞬間——
「きゃあ!」
鏡の向こうに、ぽんともう一人の自分が現れた。
しかし、それは明らかに「別人」だった。同じ顔、同じ服装だが、表情が全く違う。鏡の中のイヴリンは、にーっと不気味なほど大きく口を開けて笑っている。
「お兄様……あれ、私じゃない」
「ああ、別の何かが君の姿をすっかり借りてる」
鏡の中の偽イヴリンは、まるで手招きするようにひらひらと手を振った。「こちらにいらっしゃい」ともごもごと口パクで言っているのが分かる。
でも、鈴の余韻がすーっと消えると同時に、偽イヴリンの姿もふっと消えた。
「今の間だけ……」
「そうみたいですね。鈴の音が響いている間だけ、鏡界への扉がぱかっと開く」
立花がタブレットにせかせかと記録を取りながら分析する。
『面白い現象じゃな』
タロウが鏡をじーっと見上げる。
『あの世界は、こちらの世界の裏返しじゃ。そして、向こうには我らを誘う何かがいる』
「誘うって……」
「まあ、ろくでもないことだろうな」
* * *
一行は部屋に戻り、今夜の発見をきちんと整理した。立花がタブレットでぱちぱちと地図を広げる。
「浜名湖の地形と、異常現象の発生地点をマッピングしてみました」
画面にぱっと表示された地図に、赤い点が五つ、星の形にきれいに配置されている。
「五芒星……」
イヴリンがぽつりと呟く。
「そして中心に位置するのが……」
立花が地図の中心をぴっと指す。そこには小さな島のような場所がぽつんと表示されている。
「浜名湖の湖心にある浮御堂です。昔から地元では『水の神様を祀る聖地』として知られています」
「つまり、そこが」
「主鏡の在り処ですね。五芒星の中心、すべての力がぎゅーっと集まる場所」
その時、時風タロウがぴょこんと急に立ち上がった。目がきらりと金色に光り、理の幽霊との交信を始めている。
『理の幽霊様から、新しい道具をいただくようじゃ』
タロウの口から、ひょろひょろと縄のような光の束が現れた。それは普通の縄のように見えるが、そっと触れてみると温かく、どくんどくんと微かに脈動している。
『これは「理の縄」じゃ。現世と異界をぎゅっと繋ぐアンカーの役割を果たす。吾が噛んで引っ張れば、どんな異次元からでも帰り道が見つかる』
「すごい……」
イヴリンがきらきらと目を輝かせて感嘆の声を上げる。
『ただし』
タロウの表情がきりりと真剣になる。
『主鏡を直接『がしゃん』と破壊してはならん。それをやれば鏡界が暴走し、湖全体がごくりと異次元に呑まれてしまう』
「うひゃー、それはまずい」
「じゃあ、どうすれば……」
「反射角の書き換えです」
立花がタブレットでささささと幾何学の図を描き始める。
「鏡は光をぴかっと反射しますが、その角度をくるりと変えることで、吸引の方向を逆転させることができる。つまり、人をずるずると吸い込む代わりに、吸い込んだ人をぽんと吐き出させるんです」
「なるほど……君の理論的アプローチと、僕たちの魔術的なアプローチの組み合わせか」
イヴリンが鈴をぎゅっと握りしめる。
「でも、その前に失踪した人たちを助けないと」
「そのためには、鏡界に直接乗り込む必要があります」
立花が地図をじーっと見つめる。
「明日、作戦を実行しましょう。ヴァルターさんに外で波の管理をお願いして、僕たちが鏡の中に入る」
『その作戦、悪くないな』
タロウがぱたぱたと尻尾を振る。
『久しぶりに、理の縄の本格的な実戦投入じゃ』
窓の外では、浜名湖の湖面が月明かりにきらきらと照らされて、まるで巨大な鏡のように光っている。
でも、よーく見ると湖の中心付近で、水面がゆるゆると渦を巻いているのが分かった。
「明日の夜が、本当の戦いですね」
ヴァルターが窓外をじーっと見つめながら呟く。
「二十人の命がかかってる。絶対に成功させよう」
四人と一匹は、それぞれの武器と道具をきちんと確認し、明日の決戦に備えて休息を取ったた。
しかし、その夜。
旅館の館内BGMは一晩中ざざーんざざーんと流れ続け、洗面所の鏡には時折、招くような手の影がひらひらとちらつくのだった。
水鏡の魔女は既に、彼らの存在にすっかり気づいている——。
* * *
翌日の夜。作戦開始の時間がやってきた。
「それじゃあ、役割分担を確認しよう」
ヴァルターが懐中時計をぱちんと開く。
「俺は外でBGMの拍管理。君たち三人が鏡の中に入って救出作業だ」
立花がぱらぱらと新装備を配り始める。薄い紙のようなお札、小さな水晶の欠片、そして時を刻むメトロノームのような装置。
「反射封は鏡の攻撃を防ぎます。刻限札は安全な時間帯を教えてくれる。プリズム欠片は……まあ、切り札ですね」
『理の縄の準備も万端じゃ』
タロウがぐっと胸を張る。口から伸びる光の縄が、ほのかに温かく脈動している。
「よし……行こう」
洗面所の鏡の前で、イヴリンがそっと鈴を鳴らした。
チリーン……
鏡面にゆらゆらと波紋が広がり、向こう側の世界が姿を現す。
「うわあ……」
鏡の向こうは、まさに「水底の街」だった。
上下がひっくり返った旅館の廊下が、青い水の中にふわふわと浮かんでいる。天井には湖の水面がゆらゆら光り、床には逆さまの照明がぶら下がっている。
「天地が逆転してるのね……」
そして、その奇妙な世界のあちこちに、人影がぽつぽつと立ち尽くしていた。
失踪した二十人の人たち。
でも皆、まるで時間が止まったように微動だにしない。顔には幸せそうな笑みを浮かべたまま、まばたきひとつしない。
「最も幸福だった日で時間停止……」
立花が息を呑む。
そんな迷い人たちの周りを、ひらひらと小さな影が舞っていた。
白い面を被った子どもくらいの大きさの何か。手には古い写真立てを持って、迷い人たちに何かを見せている。
「あれが童子……」
イヴリンがごくりと唾を飲み込む。
『行くぞ』
タロウが理の縄を口にくわえ、ぴょんと鏡の中に飛び込んだ。続いてイヴリンと立花も、そろりと鏡の向こう側に足を踏み入れる。
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