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「翠清山 最終決戦」編
406話 「大虐殺」
しおりを挟むグランハム率いる警備商隊とハンターが、猿の眷属たちを引き付ける。
地形を上手く活用したおかげで、少数で大群を相手にすることができるのだ。
だが、破邪猿将軍にとっては微々たる損害である。
あえてグランハムの動きに付き合う必要はなく、先頭を走っていた眷属数万が多少道を外れるだけのこと。
破邪猿将率いるグラヌマの中核部隊に特段の影響はない。このまま進軍してスザク軍を撃破すればいい。
ただし、初戦でマスカリオン軍を牽制したことで、彼らは『目』を失っている状態だ。
魔獣たちが都市に攻撃を仕掛けた際は明確な目標が定まっており、なおかつ敵に逃げ場がなかったのだが、今のスザク軍は自由に動くことができる。
空からの監視がなければ、この広く深い翠清山には隠れる場所がたくさんあるわけだ。
すでにスザク軍を見失ってからかなり経つため、どこに隠れているのかわからず、どのみち破邪猿将軍は一度止まるしかない状況だった。
この段階で、大群としてのメリットは失われている。
数に物を言わせて圧倒することができなければ、逆に数の多さは統率のしづらさに直結する。
なにせ魔獣たちの『食糧』も用意しなくてはならないのだ。場所によっては多くの果実や植物があるものの、すでに冬に入っているのでこれだけの大群を長期間養うのは難しい。
放っておけばチユチュといった眷属たちが食糧にされてしまい、自ら数を減らす愚行を犯すことになりかねない。
そのうえ相手からすれば、大群を発見するのは容易だ。
スザク軍は細かく偵察部隊を配置しているため、破邪猿将軍の動きは筒抜けだろう。
ここで破邪猿将は、眷属を『二つのグループに分ける』ことを決断。
自身が率いる中核部隊はこのまま待機し、一つ目のグループは引き続きグランハムらを追撃しつつ、もう一つのグループに敵の索敵を任せる作戦であった。
二日後。
侵攻開始、八十九日目。
警備商隊とハンター隊は、いまだ眷属との戦いを続けていた。
術符や対魔獣用武装が底を尽きながらも、ハンターたちの自然物を罠に使う技術に助けられ、盆地で優位に戦いを進めている。
敵の機動力を削ぐために事前に高い木々を伐採していたこともあり、特に落とし穴(竹槍付き)と落石が有効で、地上戦ならばツルを縛るだけの簡単なトラップにも引っかかってくれる。
余裕ぶって油断していた者たちと、最善を尽くして事前に準備していた者たちとでは、ここまで大きな差が生まれることを証明していた。
そして、索敵に出た側の眷属グループだが、派遣された数はおよそ四万。
軍の三割以上を占める大群であり、それだけ破邪猿将が偵察を重要視していることがわかるだろう。
しかしながら、ここで大誤算が起こる。
索敵に出たグループはグラヌマの監視から解放された途端、急速に緩み始め、完全にサボりモードに突入。
だらだらと歩くのならばよいほうで、その場に座って長時間の休憩に入る群れ、食糧を求めて勝手に動き回る群れ、寒いので日向ぼっこに精を出す群れ等々、やる気の欠片も見られない。
人間からすれば唖然とする光景だが、低級魔獣の知能は普通の動物と大差がないため、基本的には食う・寝る・繁殖に全エネルギーが注がれている。
グランハムたちと戦った眷属同様、彼らもまた強制的に集められただけの烏合の衆なのだ。
怖いのは敵よりも味方。
後ろから怒声を飛ばしてくるグラヌマであり、もはや人間を怖れてはいなかった。
がしかし、それこそが命取り。
数時間後には、この眷属たちは【全員死ぬ】ことになる。
その最大で最悪の虐殺は、『ある一人の人間』からもたらされた。
猿たちが無警戒の中、スタスタと『メイド服の女性』が単独で歩いている。
あまりにさりげなく。あまりに自然に。
この翠清山にメイドがいることに疑問を抱かないほど、当たり前のように深緋色の髪が揺れていた。
「…?」
猿たちも人間の雌がいることは理解したが、まさかたった独りでやってくるとは思わず、どう対処してよいのかわからない。
各群れの視線が、じっと彼女に注がれる。
そんなことにはまったく動じず、女性は音もなく歩き続け、大群の中央にまで進む。
そこで女性はナイフを取り出すと、おもむろにリストカット。
大量の血がドバドバと噴出する。
「フフフッ、アハハハハハ!!」
常人ならば痛みとショックで表情がこわばるところだが、その女性は笑いながら回転して血を空中に振り撒き続ける。
それどころか猿の間を走り回る奇行を見せた。
猿たちは謎の異常行動に困惑を深めて、誰も動けないでいた。
魔獣から見ても自傷はヤバい行動だったのだろう。
だがしかし、事実これは―――【ヤバい】
「ギッ……グギギッ!?」
「ァギッ??」
「キ゛ーー?!!」
『気化毒』となった彼女の深緋色の血が、急速に拡散されていくにつれてバタバタと猿が倒れていく。
この毒は呼吸器官あるいは皮膚を通じて吸収すると、細胞を壊しつつ血流を浸食しながら、最後は心臓を破壊する。
ただの毒と違う点は『血が生きている』ことであり、一度でも侵入を許すと簡単には中和することができず、心臓に到達すればほぼ100%死亡する。
これに対抗するには、最低でも『毒に対する耐性』を持ち合わせる必要があり、それでも重傷は免れない極めて危険なものである。
猿の肉体のほとんどは人間と構成要素が変わらず、毒耐性を持つ種族も少ない。
少し吸い込むだけで身体が動かなくなり、数秒後には意識を失って死亡まっしぐら。
そんなものが大群のど真ん中で炸裂したのだ。
うっすらと赤い霧が広がるだけで、あっという間に数千の猿が絶命。
風の向きを計算にいれていることもあって拡散は的確で、さらに一万の猿が死亡。
各種族の上位種も例外ではなく、深緋色の死神であるファテロナの毒を受けた者たちは、目や鼻から出血しながら悶え苦しむ。
体力がある個体は一瞬では死ななかったものの、一回でも完全に吸い込んでしまえば助かりようがない。
ファテロナを中心に大きな円が生まれ、ドミノ倒しの如く猿の死骸の山が積まれていく。
ただし、これだけの血を使えば当人もくらくら。
くるくる回っていたと思ったら、バターンと地面に倒れる。
「ひーー、ひーーー! 死んじゃう! もう出ないぃいいいい! もう出なぃいいいい! あひぃいいいっ! いぐうううううっ! イッヂャウゥウウウウ!!」
「ファテロナ様、血です!」
違う意味でヤバい喘ぎ声を発するファテロナに、メイドアサシン部隊の一人が『輸血パック』を持って現れる。
このメイドは『毒消紋』に加え、わずかな毒素も吸引しないように完全なる対毒仕様の装備を着込んでいた。
見た目は消防や自衛隊で使われる化学防護服風のゴテゴテのものだ。北部ではあまり見られない貴重な装備だろう。
しかし、これだけの防備でもメイドの顔は緊張していた。それだけファテロナの毒が危険だと知っているのだ。
「ふーーふーーー! ママのおっぱい、うまー! つーか、私の血じゃーーー! このやろーー!」
「ああっ! 投げてはいけません! 気をお確かに! ささ、注入を!」
「あぐぅううっ! ふ、太い! 太いぃいいい! こんなの、は、入らないぃいい! イギィイイイイッ! キツキツだよぉおお!」
地球の病院ならば細い(物によってはやや太い)針もあるのだが、この時代の北部にそんな最新技術は存在しない。
せいぜいソブカのキブカ商会が仕入れている医療用の注射針が、比較的細くて使いやすいといった程度であるも、それでもかなり太くて痛いものだ。
「もう少しです! は、入りました!」
「ウォオオオッ! うぉおおおんっ! き、効くぅうううううう! いぐ、いぐううううっ! うーん、マンダァァァァム!」
それを身体中にぶっ刺して、強制注入!
青白かったファテロナの肌に赤みが差していく。
ちなみに武人は常人以上に個人特有の血液を持っているので、輸血は『自分の血』でしか行わないのが常識である。
簡単にいえば手術の『貯血』と同じで、自分の血を保存することで補給しているのである。
とはいえ、毒素である彼女の血を保存するのは危険度が高く、同様に自分に輸血することも危険性を伴う。
ファテロナがギャーギャー騒いでいるのは針の痛みではなく、自分の血が再度循環する際の激痛なのだろう。
しかし、輸血パックをそのまま撒いても効果は薄い。あくまで彼女が操ってこそ最大の真価を発揮するので仕方ない。
「はーーはーー! この恨み、晴らさでおくべきかー! 死にさらせー! アハハハハハー! 死んじゃえーー! バブー! ばぶーーーーっ!」
と、血を補充したファテロナが、なぜか魔獣に八つ当たりをしながら血を撒き散らす。
そして、血がなくなったら輸血をし、また撒き散らすを繰り返す。
はたから見ているとただの変人だが、そのたびに猿たちが死滅していく様子は、『毒テロ』以外の何物でもない。
結果、約四万頭の―――大虐殺
ここが都市部でなかったことを心から感謝する甚大な被害が、たった一人の人間によって引き起こされることになる。
極めて短時間かつ、相手に触れずに倒した数でいえば、まさにアンシュラオン以上の戦果。
これが元A級賞金首の実力である。
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