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零章 第四部『加速と収束の戦場』

八十五話 「RD事変 其の八十四 『冷美なる糾弾⑩ 司令室攻防』」

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 司令室に銃撃の音が鳴り響く。

 その弾丸が狙うのは、扉から這い出てきた大きな人型の何か。明らかな敵意をこちらに向けた敵性異形体とでも呼べばよいだろうか。

 その存在、マリオネットは、銃弾を物ともせずに向かってくる。

 銃弾は当たっている。通常弾から貫通弾、対人用に有効な衝撃弾、車両破壊用の爆破弾など、さまざまな弾丸を試すが、そのどれもが有効打にはならない。

 せいぜい相手の装甲をわずかに削るか、衝撃でかすかに動きを制止させる程度でしかない。中には抉るように入り込む弾丸もあるが、再生能力によって一瞬で塞がってしまう。

「なんだよ、ありゃ! 反則だろう!」

 もはや「そりゃ反則だろう!」が口癖になってしまいそうなリュウが、悲鳴のような怒声を上げる。

「マジでやべえ! 全然効いてないぞ! さっきから、こんなんばかりじゃねえか! ずるいだろうが!」
「ぼやくな、リュウ。それより手を止めるな! ほら、予備のマガジンをよこせ」

 バクナイアも銃撃を続けながら、必死にマリオネットの進撃を止めようとしているが、さらにわらわらと這い出てくるため、半ば絶望を通り越して達観した表情を浮かべていた。

 少しでも銃撃をやめれば、その間に司令室は敵で埋め尽くされてしまうだろう。効かなくても足止めにはなる以上、撃ち続けるしかないのだ。

「俺だって、もう残弾がやばいんだってば」
「若いんだから体を張って止めろ」
「んなこと言われてもな…。あいつら、隔壁すら切り裂くんだ。俺でも数秒もつかどうかだ」

 すでに敵が生命体でないことは、リュウたちも理解していた。明らかに人間とは可動域が違う動きに翻弄されているし、相手には痛覚がまったくないので怯むこともなければ、不意打ちに驚くこともない。

 彼らは、ただただ前進して、こちらを殺そうと剣を振り下ろしてくる。しかも敵の攻撃を避けた時、軽々と基地の床を抉ったので、受け止めただけでも腕ごと持っていかれるのは間違いない。

 戦士タイプであるリュウも、その光景に肝を冷やし、ひたすら距離を取る戦術に切り替えていた。

 現在の戦力は、司令室にいたメンバー、大統領のカーシェル、バクナイア、リュウ、コマツバラ、護衛の兵士が十人。

 兵士は半数が負傷し、すでに戦闘能力を失っている重傷者が三名。コマツバラは単なるオペレーターなので、最低限の護身術は身につけているが、個人戦闘力はほぼ皆無。

 この中でもっとも体力が高いであろうリュウでさえ、マリオネットの攻撃を直接受ければ、おそらく数撃で死亡するだろう。相手が一体ならばともかく、次々と現れる殺戮人形に対抗などできない。

 バクナイアも武人としての資質はあり、一般兵よりは強いものの、若いリュウと比べれば戦力的には劣る。

 よって、マリオネットと対等に戦える人間は、ここにはいない。

 極めて絶望的。

 それが現状を示す、もっとも適切な用語であろうか。

「見た目は二足歩行のトカゲっぽいが、竜人の秘密兵器とかじゃないよな?」
「彼らにあんな技術力があったら、とっくの昔に地上の覇者になっているだろうな」
「つーと、やっぱり悪魔側の兵器だよな」
「それは間違いないだろう。それと、やつらが出てきた場所が問題だ」
「会議場の連絡通路から、か。こっちに来て、向こうに行かないわけがないよな」
「あれだけの数だ。むしろ、こちらがオマケという感じすらあるな。すでに会議場も危険に晒されている可能性が高い。これはまずいぞ。本当にまずい」

 バクナイアが一番恐れていることは、ハブシェンメッツも危惧した会議場内部への襲撃である。各国代表、それも国家元首たちがいるのだ。そこであんなものに暴れられたら、もはや連盟会議どころの騒ぎではない。

 ルシア軍のように自ら戦闘を望んだ軍人はまだよいが、それ以外の文官、官僚使節団が被害を被るのは問題である。ルシアの高官であり、大貴族の御令嬢でもあるアルメリアが犠牲になってしまえば、ダマスカス側としては弁明の余地もない。

 他の国もそうだ。今回は、天帝や超帝、カーリス法王も出席することから、小国や中規模国家からも最高責任者や元首が参加している。加えて、元首たちが信頼する護衛や、優秀な官僚団なども連れてきているのだ。

 これは、ホスト国としての面子だけにとどまらない。

 彼らが殺されればどうなるか。



―――世界規模の大混乱



 である。

 国家の中枢がいなくなれば、それに対抗する勢力が必ず台頭してくる。そうなれば、今の世界が保ってきた秩序が完全に崩壊する。

 これがダマスカスのような、民主主義によって選ばれる選挙制ならば、まだダメージは少ない。また代わりを選べばよいからだ。

 だが、選挙制度によって元首が選ばれる国は、かなり少ないのが実情である。小国であればあるほど、古から伝わる強い血を遺すために、大半は王族や貴族などの世襲制を採用している。

 彼らにとって、血こそが資源であり資産だからだ。

 古い血には強い力や特殊な力が宿るので、それを交渉材料に他国と政略結婚をして同盟を結んだり、平和的に貿易や融和政策を進めることができる。

 仮にここで、その血が失われることは人類の損失であるし、虎視眈々と情勢の変化を狙っていた者たちが、一斉に動き出す可能性がある。それが後継者同士ならばまだしも、他の反政府勢力が動き出せば、さらに事は面倒になる。

 そして、その責の一端をダマスカスが担わねばならない。資金援助にせよ軍事協力にせよ、泥沼に引きずり込まれるのは明白である。

 それを想像するだけでも、バクナイアの顔色は青くなる一方だった。

「なんとか突破口を開かないといかん。早急にだ」
「だが、現状は最悪だ。正直、ここで俺たちが死ぬ確率のほうが高いぜ」
「我々は死んでもかまわんが、大統領だけは守る。コマツバラ伍長、まだ駄目か?」
「は、はい。基地内部の通信網が、すべてダウンしています。司令室の隔壁操作は、オフラインで可能ですが……」
「隔壁を降ろしたところで、肝心の逃げ道が塞がれたままではな…」

 敵を殲滅するのは無理と判断すると、残った選択肢は二つある。

 一つは、外に逃げること。司令室は地下六階にあるが、現在は上部が地表部分にせり上がっているため、非常通路を通っていけば数十分で脱出も可能である。

 ただし、外ではまだMG戦闘が続いている。アミカは、相変わらず嬌声を上げながら苦戦しているし、ネルジーナともさきほどから連絡が取れない。

 さらには多少離れているものの、まだ二匹の獣が戦っている状況である。彼らの攻撃の余波は数キロ範囲に及ぶため、生身で影響を受ければ即死もありえる。

 もう一つの選択肢は、連絡通路を使って安全なエリアまで脱出すること。会議場までのルートが使えれば一番安全だが、そこが封鎖されている可能性も高いため、違うルートを使って一旦地上に出てから会議場に向かう手段が現実的である。

 が、バクナイアが言ったように、どちらの選択肢においても、マリオネットの群れを一時的にでも打開しなければならない。まずは連絡通路に出る必要があるからだ。

 そもそも、それができないからこそ困っているわけである。助けを呼びたいものの、すでに基地内部の通信網がダウンしているため、完全なる袋小路であった。

 そして、それを証明するかのように、こちらの弾丸が底をつき、相手の勢いが増していく。それを見て、バクナイアは決断した。

「伍長、隔壁を落としてくれ」
「了解しました!」

 コマツバラが最後の隔壁を落とす。

 マリオネットは、自分たちが優勢だとわかっているのか、全力では向かってこなかった。そのおかげで隔壁は、妨害されることなく降ろされた。

 視界から敵が消えたことで、張り詰めていた気持ちが和らぎ、バクナイアが腰を下ろす。

「完全に袋の鼠か。援軍は……期待できないだろうな」

 隔壁も気休めでしかない。あと数分もしないうちに破られるだろう。その間に援軍が来るとは思えない。もし来たとしても、普通の援軍程度では太刀打ちできない。死人が増えるだけだ。

「なんとかしなくては…。だが、相当危険な敵だ。まともに突破はできんな」
「それ以前に、どこから入ったんだよ。いくら地表部に出たからって、簡単に入れる構造じゃないはずだ」

 リュウも腰を下ろし、一息つく。これが最後の一服になる恐れすらあるのだが、それを嘆くのも惜しいほどに、状況は切迫している。

「外壁が破壊された様子も、隔壁がこじ開けられた様子もありません。やはり中からとしか…」

 コマツバラも、常に周囲の状況をモニタリングしていた。さすがにこれだけの数の敵が侵入を試みれば、事前に察知できたはずである。それができなかったということは、内部から出てきたとしか思えない。

 となれば、思い浮かぶのはこれしかない。

「お得意の転移ってやつか?」

 敵が転移を使って、部隊を送り込んできた。これならば納得できる。そもそも転移自体に納得がいかないが、実際にできるのだから仕方がない。その技術を知らない自分たちが悪いのである。

「しかし、転移ってやつは、何でもありか? これだけのトカゲを送り込めるなんて、それこそ反則だ」

 いかに堅牢な砦でも、敵の内部に直接送り込んでしまえば問題ない。アピュラトリスのように不意をつかれ、制圧にまでもっていかれてしまう。これは非常に危険な状況である。

「転移ってのも卑怯なんだよな。あれは…」
「いや、これは転移ではなさそうだよ」

 リュウの疑問に答えたのは、バクナイアではなくカーシェルであった。

「基地内部への転移も可能だろう。だが、そうすると会議場への攻撃が遅れることになる。そのための通信遮断だとしても、ここまでの戦力は過剰だと思う」

 仮にこれが転移だったとしても、現状で基地を攻撃する必要性はあまりない。MG戦闘では悪魔側が攻勢だし、司令室でできることは限られている。ただでさえ警戒されている転移である。基地を落とすのに転移を使うとは思えない。

「それより、もっと簡単な手段がある。あの人型トカゲみたいなものは、おそらく無機物なのだろう。ならば、【空間格納術】でも対応できる」

 術の中には、普段の生活にも使える便利なものがたくさんある。そもそも術とは、人の生活を便利にするためのものだからだ。

 その中の一つに、【無機物限定で空間に格納する】、という術がある。

 たとえば無操術者が、ゴーレムなどを格納するために使うことが多い。ゴーレム生成には時間と手間がかかるし、いちいちその場で作っていては、いざというときに役に立たない。何より大きいと置き場所に困るデメリットがある。

 それを解消したのが、この空間格納術である。知らない人間が見れば、ゴーレムを召喚したように見えるが、実際は格納していただけであり、転移現象とはまるで違うものである。

 格納術やら空間格納術やら、あるいは空間倉庫やら、呼び名は特に決まっていないが、術式の中では比較的低位の術なので、適性さえあれば簡単に習得できる。

 ただし、格納する空間を維持するだけの魔力を使用するし、普通の術者が作れるのは、せいぜい六畳ひとま程度のもの。それも無機物限定なので、貸し倉庫代わりに使うのが一般的である。

 これは街でも巻物や符として売られており、期間が限られていることと、多少高価であることに目を瞑れば、一般家庭でも使うことができる。一般家庭用のものは、安全上の都合によって、武器類の格納禁止などの条件が付けられたものも多いようだ。

 が、自分で用意すれば、そうした制限を解除することができる。これだけのマリオネットを格納するとなれば、相当な広さの空間が必要だろうが、高位術者ならばできない芸当ではない。

 カーシェルは、マリオネットがこの空間格納術で出現したと睨んでいた。

「バック、以前に基地の補修工事をしたね」
「はい。軍縮派の要請で、格納庫の一部を造り替えました」
「たしか会議場も、いくつか改修工事をしたはずだ」
「三ヶ月ほど前に塗り替えなどはしましたが…」

 ダマスカスでは、来年度の予算編成のために、年末には公共工事が必ず行われる。その際、無駄だと思われる工事もいくつか発生し、その中には軍事施設に関するものも含まれていた。

 軍縮派が、不要になるだろう基地内の格納庫を有効利用する名目で、さまざまな改装案を突きつけてきた。すでに空いている倉庫も多かったので、そうした案を受けて工事を行ってきている。また、会議場も新しくした箇所がある。

「そこに仕込まれていたと?」
「可能性はある。これだけの格納術の場合、据え置きでないと展開は難しいはずだ」
「連盟会議前に、すべての場所をチェックしたはずです。それに今も、対抗術式が発動しているはずですが…」

 空間格納術は、その利便性から悪用されることが多い。武器を簡単に施設内に持ち込めることから、術式を感知したり、術そのものを発動させなくできる対抗術を発動させている。

 当然、国際会議が行われる寸前には、大部分は再度チェックをしている。バクナイアが言った塗り替え箇所も、そうした事態にそなえて何度も安全チェックを行っていたはずだ。

 ただ、何事も絶対はない。

「会議場のすべてをカバーできているわけではない。この基地にしても、相当な広さがある。必ず穴はできるだろう。それに、対抗術式には抜け道がある。時間経過によって探知効率が下がっていくんだ」

 対抗術式が発動するには、まず探知しなくてはならない。その探知の仕方は、付与した時に残された痕跡を辿るというものである。

 それは付与した瞬間がもっとも強く、徐々に薄まっていく。おそらく二年も経てば、痕跡を感知することはできなくなる。

 持ち込むようなものならば、その場で禁止にすればよいだけだが、最初から設置されていたものであり、それがダマスカス側が用意したものであれば、おのずと警戒は薄まっていく。

 さらに、それらが巧妙に隠されていれば、発見するのは至難の業であろう。

「もし、それより以前に建て替えた施設に配置していたらどうだろう? 三年前、四年前にも工事は行われているはずだ」
「まさか、その段階から仕組まれていたということですか? さすがに不可能では…」
「私はね、金髪の悪魔という存在が、ものすごく恐ろしい存在に思えてならない。アピュラトリスを制圧し、アナイスメルにすら侵入する。あまつさえ五大国家を相手にして、これだけの戦果を挙げている。そんな相手なら、それくらいできてもおかしくはないと思えるほどにね。過大評価だと思うかい?」

 カーシェルの言葉に、誰も笑ったりはしない。会議場でのやり取り、今までの戦い、今目の前にあるマリオネットを見れば、それくらいやってもおかしくはないと思えてくる。

「相手は、時間すらも味方にできると?」
「実際に生み出したじゃないか、この【時勢】をね。もっとも恐ろしいのは、そこだよ。彼は待つのではなく、自ら生み出せるのだ」

 もし預言というものが絶対に的中するのならば、遥かに前から準備することができる。このマリオネットという存在も、もともとはメラキから八僧侶に渡された技術なのだから。

 それにもし、再チェックする人間に悪魔の協力者がいれば、もうどうしようもない。これだけ巨大な施設をすべて調べるのは、短期間では絶対に不可能なことである。

 もとより、アピュラトリスに絶対依存をしていたダマスカスである。その隙をつくのは、そう難しいことではないだろう。なぜならば彼らは、今日という日まで、世界に堂々と敵対する悪魔がいるなど、夢にも思わなかったのだから。

「どちらにせよ相手の行動は、今日という日に合わせている。タイマーなのか、意図的に遠隔操作できるのかはわからないが、至る所にあれと同じものが配備されていると思ったほうがいいだろう」
「では、会議場はもう手遅れですか」
「どうだろう。それはまだわからない。あの超帝陛下がおとなしくするとは思えないし、カーリス法王だって無力じゃない。むしろ、会議場を破壊してでもいいから脱出してほしいと願っているよ」

 カーシェルは、エルファトファネスが普通の老婆でないことを知っている。彼女が本気になれば、会議場すら破壊できる力を持っていることも。また、アダ=シャーシカに関しては、もっと危険な力を持っている。

 彼女たちが殺される可能性よりも、その力で巻き添えをくらう者たちがいないかのほうが心配である。テロリストに殺されるより、そのほうが厄介な国際問題になってしまう。

 黒機に乗るレベルの武人が現れれば危険だが、彼女たちの実力を考えれば、すぐに殺される危険性は少ないだろう。

「それより技術中尉が言ったように、我々の身の安全のほうが心配だ。だが、安心してくれ。これくらいは想定内だ」

 カーシェルが、人差し指にはめていた指輪を触ると、宝石の部分から光が放射され、床に光を落とす。その光に生まれた影が、徐々に実体化。棺桶サイズの大きな宝箱のようなものが生まれた。

「これは…」
「これも空間格納術の効果を持つジュエルさ。ちょっと特別製でね。感知には引っかからないんだ」
「このようなものがあるとは…。警備側としては複雑な代物ですな」
「対抗術式だって、人間が作ったものなんだ。すべてのものには抜け道があるものさ。ほら、君はこれを使いなさい」

 カーシェルは宝箱をあけ、中から一丁の銃を取り出すと、バクナイアに手渡す。アサルトライフルのような形状をしているが、造詣はかなり古めかしく、やや太い火縄銃のようにさえ見える。

「それは無限火銃と呼ばれているものでね。姉さんと一緒に古代遺跡で見つけたんだ。威力もそこそこあるし、何よりも【残弾が無限】だ」
「無限? 本当ですか?」
「正確には、転移術式のようなものが組み込まれていて、どこかの弾薬庫から自動装填されるらしいが、それがどこにあるのかもわからない。まあ、古代の技術で作られているからなぁ。どこから来るのだろうね。まるで女性の身体のように不思議が一杯だよ」

 鑑定では、神機が製造された時代のものらしく、現在では謎の術式を使って作られたものであるようだ。その弾がどこから来るのか、いまだ調べようがない。

 噂では、どこかの地下に巨大な弾薬庫が存在し、そこから転移しているのではないかという話だが、いまだ発見されたという報告はない。とりあえず今でも撃てるので、残弾の心配は必要ないだろう。

「ホムラ技術中尉は、戦士だったね。武器と装具、どちらがいいかな?」
「武器がいい。攻撃力があまりないんでね。近接でも間接でも不得手はない」
「じゃあ、これだな。ああいうタイプの敵は、打撃系がいい」

 次にカーシェルが取り出したのは、派手な色の金属の装飾が施された、大きめの木槌である。工事現場で杭が打てそうな、いわゆるハンマーだ。

「これは弁慶ドン之木槌といってね、肉体強化術式が組み込まれているから、あれくらいの敵なら破壊できるだろう」
「あれくらいって…、銃弾でも駄目だったんだぜ?」
「問題ない。銃弾で傷つく程度なら、十分やれる。それとクレアちゃんは、これかな」
「は、はい! 私もですか!?」

 いきなり大統領に名前で呼ばれ、やや戸惑うコマツバラ。そして、そんな彼女に渡したのが、これである。

「ぜひ、これを着てくれ」
「こ、これを…ですか!?」
「うん、君の身を守るうえで、とても大事なものだ。さあ、遠慮なくどうぞ」
「で、ですが、これはその……【水着】では?」

 コマツバラは、手渡された【ビキニ】を凝視する。まさか、このようなものを手渡されるとは思ってもみなかったので、当然の反応である。

 触った感触は、まさにビキニ水着そのもの。引っ張った感触も、まったく同じ。本当に効果があるのか、実に疑わしい代物だ。

 だが、そんな疑念の目にも、カーシェルは負けない。

「これは伝説ビキニアーマーというもので、物理攻撃を完全防御するという優れものだ。この世に二つとない、まさに伝説の術具なんだよ。ただ、女性にしか装備できないのだけれどね。そうあってくれて良かったとは思うが」

 もし男も装備できてしまえば、とんでもないことになる。ごつい男が、ビキニの水着を装備して戦う日には、それこそ世界の終わりである。少なくとも、カーシェルは死を選ぶだろう。

「大丈夫。姉さんも試したけど、相当な性能だ。それと、この盾と剣を持てば、もう無敵だ」
「は、はぁ…これを…ですか」

 渡された剣と盾は、子供が遊ぶような玩具にしか見えない。これにカーシェルが渡したビキニを身につければ、それはもう完全にマニアックな世界の出来上がりである。まさに「お姉チャンバラ」だ。

「あの、本当に着ないと…駄目ですか?」
「大丈夫! けっして個人的趣味で言っているわけじゃない。君の安全のためなんだ!! だから、これは仕方のないことなんだ!! いいかい、大統領として、私は君を守りたいのだ! ここで君を死なせたら、私は女性一人も守れない大統領として、死んでからも恥を晒すことになる! これはお互いのため、いや、ダマスカスのためなんだ! わかるね! わかってくれるね!」
「……はぃ」

 ものすごい剣幕で、必死に説得するカーシェルに気圧され、コマツバラは仕方なく受け取る。

 彼女が受け取った瞬間のカーシェルの顔は、とても満足そうであった。完全にセクハラである。時と場合を考えず、常に自身の欲求に正直である姿は、男性の鑑とでも呼ぶべきだろうか。

 ただ、アミカの影響によって、リュウたちも多少ながら性的興奮状態にある。状況が切迫しているので、当然ながらそんな気持ちも湧かないが、ここでまたコマツバラによって余計な刺激を受けるのも問題である。

 実際、クレア・コマツバラは、それなりの美人である。アナウンサーよろしく、オペレーターも容姿審査の項目があるのではないかと疑うほど、選ばれる女性は綺麗どころが多い。

 彼女はまだ未婚ということもあり、独身男性からはかなりの人気を誇っている。プロポーションも悪くはないので、水着姿になれば、さらに人気が高まるかもしれない資質は秘めている。

 カーシェルは期待。
 他の男たちは、複雑な表情。

 そんな、言いようも知れない雰囲気の中、コマツバラが取った行動は―――

「着てみましたが、どうでしょう?」
「………」
「大統領? 付け方、間違ってますか?」
「いや……。間違ってはいない。たしかに、【服の上】から着ても効果は発揮されるからね………それは盲点だったなぁ」

 コマツバラに他意はない。単純に戦闘中であるため、服を脱いで装備するという発想が湧かなかったにすぎない。だから、何の躊躇いもなく制服の上から着たのである。

 まるで女学生が、ジャージの上からスカートをはくようなものである。べつに何かを期待はしていないが、色気から完全に遠ざかったようで、若干の寂しさを感じる男性もいるはずだ。

「う、うむ。これはこれで…悪くないか。それにしても、クレアちゃんは着痩せするタイプ……」
「大統領。それ以上は、また訴えられます。こっちにも苦情が来るので、それくらいでお願いします」

 バクナイアに制止され、カーシェルはうなだれる。秘書から訴えられた過去を思い出したのだ。それ以外にも、大統領のセクハラに関する苦情は数多い。

「べつにいいと思うんだよ。それくらいね…。みんな、姉さんくらい開放的だったら、世の中もっと上手くいくと思うんだがね…。冤罪防止のために、ボディタッチくらいは合法にすべきだろうか…」

 否。それはただの破廉恥な世界である。
 カーシェルの願いが叶うことは、今後ともないだろう。


「それじゃ、反撃といこうか」

 立ち直ったカーシェルは、他の兵士にも装備を貸し与え、さらにいくつかの身体強化の術式(宝箱に入っていたジュエルや巻物など)を使い、戦力を強化していった。

 この宝箱には、カーシェルが幼少期、紅虎と一緒に古代遺跡巡りをしていた時に見つけた術具が、大量にしまわれていたのだ。

 ほとんどが非売品であり、貴重でもあったので、こうして秘密裏に管理しているわけである。下手に売って裏社会に出回っても困るし、現在の技術体系を侵食しかねない代物もあるので、紅虎がカーシェルに管理を命じたのである。

 それらを見るたびに、カーシェルは紅虎との旅を思い出すので、暇があれば手入れを怠らないようになっていた。

 そう、これらは当時に見つけたものである。
 その当時は似合っていたものである。

 だから、今はこうなる。

「大統領、ちょっとその格好は……はは! やべぇ、笑っちまう」
「こら、リュウ! 大統領を笑うな! 失礼だろうが!」
「いやだってさ、おじさん。これはしょうがないって」

 リュウが笑うのも仕方ない。なぜならば、今のカーシェルの格好は、小学生がヒーロー物のコスプレをしたような格好だったからだ。

 【巨神の魔装具】。

 装備すれば腕力と体力が大幅に強化され、まるで巨神の如き力を授けるS級魔具の一つである。性能も価値も、紅虎が身につけている装備と遜色がない超一級品である。

 ただ、見た目が問題。

 装具なので、頭、胸、腰、両手足にいろいろと装備するわけだが、それが少年時代だったならば似合っていたかもしれないが、今はもう初老に差し掛かったおっさんである。

 装具の見た目も、やたら中二っぽい装飾が施されているので、コスプレをしたおっさん、という他に言葉が見当たらない。そして、それが大統領であれば、なおさら付加価値が付く。

「うーん、昔は似合ったんだよなぁ。とはいえ、これに勝る装備はないし……諦めるしかないか。うちはルシアほど強くはない。それを認めて、何でも使って生き延びようじゃないか」

 ダマスカスの武人の質が、ルシアより低いのは事実である。彼らならば実力で切り抜けられても、自分たちに同じことはできない。ならば、その差は違うもので埋めねばならない。埋めてしまえばいい。埋まるものならば、何も問題ではない。

 恥よりも実利を取る。それがダマスカス魂である。

「では、隔壁が上がったら、私が最初に仕掛けます」
「頼むよ、バック」
「はい。これでも一応、元軍人ですからね。妻には負けていられません」

 バクナイアは無限火銃を持ち、この先にいるであろうマリオネットを思い浮かべる。もしかしたら、自分はここで死ぬかもしれないのだ。そう思うと、妻への想いが湧き上がってくるというものだ。

「伍長、妻たちのバイタルチェックは任せたよ」
「はい、お任せください!」
「当然だが、君は前線に出なくていい。上の様子と、自分の身の安全だけに注意を払ってほしい」
「奥様のこと、ご心配なのですね」
「四十年も連れ添っているからね。腐れ縁というやつだ」
「いえ、素敵だと思います」

 コマツバラは、バクナイアが愛妻家ということを知っており、尊敬もしていた。自分も結婚するのならば、こうして長く付き合える相手がよい、とも思えるほどである。

 といっても今の彼女の姿は、制服の上にビキニを身につけ、ビニールで出来たような剣と盾を持っているという、実にシュールな姿である。カーシェルに負けず劣らず、これを同僚に見られた日には彼女も悲惨である。

 また、司令室を放棄するため各種情報は端末に移し、引き続きコマツバラが管理することになった。

 怪我人は「無敵棺桶」と呼ばれる、自動追尾機能が付与されたケースに入れられ、一緒に逃げることになっている。

 言ってしまえば、あの【宝箱そのもの】のことである。

 あれ自体、強固な防御術式が込められているので、おそらく普通のMGの攻撃程度では傷一つもつかない強度を誇っている。

 一人しか入れないように見えて、中には多少の空間が広がっているし、生物でも格納できることから、無機物しか格納できない現在の技術を数段超えた、まさに古代の遺物なのである。

 なにせ遺跡で見つけた宝物こそが、【宝箱】であったのだから。

 最初は、なんてシュールな宝物だとカーシェルは思ったが、絶対に壊れない宝箱というのも、たしかに便利である。

 ゾウが踏んでも壊れない筆箱よろしく、MGが踏んでも壊れない宝箱に意味があるかはわからないが、今使える物としては最高品質のものであることは間違いない。

 そうして、脱出準備は整う。

「隔壁を上げてくれ」
「わ、わかりました」

 緊張した面持ちで、コマツバラが端末で隔壁の操作を行う。

 マリオネットによって押されているため、ギシギシと音を立てながら、ゆっくりと隔壁が上がっていく。そこからわずかに見えた数多くの足から察するに、向こう側は完全にマリオネットで埋まっていると思われる。

 これだけ準備に時間をかけても隔壁が破壊されなかったのは、あまりの密度によって、剣を振るうスペースすらなかったからだろう。虫カゴに大量に入れられた昆虫のように、そこは人形地獄であった。

 そして、隔壁が十分に開き、マリオネットが身を屈ませるようにこちらを見た瞬間、バクナイアが銃を撃った。

 形状から、思わず連射するのかと思ったが、放たれた弾丸は一発である。ただ、その弾丸の色は血のような真っ赤な色をしており、なおかつ普通のものとは違い、完全なる球体だった。

 火縄銃のようなのに火も使わず、火薬が破裂した音もない。そうでいながら、まっすぐに放たれた一発の弾丸がマリオネットに着弾すると―――

―――業爆

 炎と呼ぶには生ぬるい、強烈な爆発と炎が前方に吹き荒れ、その勢いのまま蟻の群れに大穴を穿った。今の一発で、おそらく十体のマリオネットが消失したに違いない。

 あの人形ですら、再生する暇がなく消滅した。一気にコアまで焼き尽くしたのだ。

「な……ぁ」

 その威力には、さすがのバクナイアも唖然とする。ただの銃だと思っていたのだが、グレネード弾が玩具に思えるほど。対戦車弾すら上回る破壊力であった。

 万全ではないとはいえ、雪騎将のゾバークが一体倒すだけでも苦労するのだ。それをまとめて十体屠るとは、信じられない威力である。

 しかも爆風がこちらに向かってこない。発射した方向に集中していることで、敵だけを攻撃することができる。それでいながら残弾の心配はない。まさに古代の超兵器の一つである。

「大統領…、これは量産できませんか?」
「うーん、どうかな。過去の遺物だからね。難しいだろう」
「惜しいですな。これが複製できれば、相当な戦力に…」
「おじさん、話はあとだ! 敵の戦列に穴があいた! 一気にいくぞ!」

 人形に恐怖という感情はない。マリオネットは、その攻撃にも怯まないし、後ろを振り向くこともしない。ただこちらを目掛けて、突っ込んでくる。

 そうなる前にリュウが飛び出し、穴を広げようとハンマーを振り回す。

 それがマリオネットに当たり―――吹っ飛ぶ。

 当たったのは腰の少し上だっただろうか。それでも当たった瞬間に衝撃波が襲いかかり、上半身ごと消失させた。

 おそらく普通の武器だったならば、軽くよろけさせるのが精一杯であったはずの相手を、一撃で倒したのだ。さきほどのバクナイアの一撃で予想していたが、それでも驚くべき結果である。

「すげっ! というか、やばいな、こいつは! 味方に当たったら死ぬぞ!」

 うっかり味方に当たったら、ごめんでは済まないだろう。そこに気をつけながら、リュウは必死にハンマーを振るって、マリオネットを破壊していく。

「リュウ、そのまま維持していろ」

 バクナイアが無限火銃を再び撃ち、少し離れた場所でマリオネットが吹き飛ぶ。こちらも強力すぎるために、味方がいる場所では使えないデメリットがあった。

 また、再装填するための時間、およそ五秒が必要である。弾丸が無限という最大の長所があるものの、連発はできない重火器であった。

「では、私も行くか」

 そこにカーシェルが、バクナイアをカバーするように躍り出ると、マリオネットに殴りかかる。

 巨神の魔装具の力は絶大で、カーシェルが殴りつけると、マリオネットが次々と吹っ飛んでいく。コアを破壊しなかったので再び再生するが、吹っ飛んだ人形が違う人形に当たり、それが邪魔になって動きが制限されていく。

 ボクサーのように華麗なステップを踏みながら、次々とカーシェルが敵を押しのけ、コマツバラたちの道を作っていく。その様子に、バクナイアも笑う。

「まだまだ現役ですな。さすが紅虎様の弟子ですか」
「当然だよ。姉さんの顔に泥は塗れないからね。といっても、これでも弟子の中では最低のほうなんだがね」
「それで、ですか」
「姉さんは厳しくてね。ここ何十年かで認められたのは、ラナー卿だけだろう。私は、全然駄目だったよ」

 カーシェルは紅虎の弟子である。その動きは、そこらの武人を凌駕する軽快さである。

 が、これでも紅虎からは「あんたには、武人の才能はないわね」と言われる始末である。彼女からすれば、この程度では最低ラインにすら到達していないのだ。

 おそらく彼女にとってみれば、王竜級以上が最低ラインなのだろう。魔戯級で普通レベル、聖璽級でなかなかやる、超零級で良い感じ、神狼級で素晴らしい武人、という評価になる。

 ということで、カーシェルは武人の鍛錬はあまりやっていない。それよりは、知力を磨いたほうが褒められたからだ。紅虎に褒められる。それこそカーシェルにとって、生きる悦びそのものなのだから。

「一気に脱出する。まずは誰でもいいから味方と合流しよう」
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