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心の身体
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あなたはリンカと一緒に家の中に入りました。
中に入ると、まさに自分好みの空間が広がっています。木の匂い、自然の匂いがたくさんします。
なんて素敵な家なのだろう。
すべてが思い描いていたとおりで大満足です。思わず駆け出し、家中のものに触れてみます。
そのどれもが木の感触であり、しっとりと馴染むようでした。すでに素材になっているはずなのに、木々の鼓動が聞こえるようです。
どくんどくん、生命の音が聴こえます。
しかも、窓や天窓から優しい太陽の光がそそぎこみ、部屋を常に明るく照らします。壁がその光を反射し、ますます世界が輝いて見えました。それでいながらも、まぶしくないちょうどよい加減なのです。
はぁ、これなら電気代もかからないな。
ついついそんな考えも浮かびます。まだまだ頭は人間界にいたときのままのようです。
そして、ふとあることに気がつきました。
リンカは若い。
まだ二十代前半から中盤くらいだ。
彼女が死んだのは、もう何十年も前なのにどうしてだろう。
それに比べて自分は、すでに還暦を軽く越えている。
このような老いぼれが、彼女と一緒にいるなんて恥ずかしいことではないだろうか。自分はよいが、彼女に嫌な思いをさせないだろうか。
一度考え出すと、そのことばかりが浮かびます。
そういえば自分は今、どんな姿をしているのだろうと思いました。なんだか服装は若い感じですが、中身は老人です。似合っていないのではないだろうか。
「大丈夫ですよ。ほら、見てください」
リンカに促されて自分の手を見てみると、そこにあったのは若々しい手でした。
彼女のものより色黒で少しだけ筋肉質な手。
間違いなく男の手。だけど肌は張りがあって若々しい。
これが自分の手。
それに気がついたあなたは思わず顔に触れてみます。しわがない。あの醜いしわがない。その代わりに、みずみずしく潤いのある感触。
これはいったいどうしたことか。慌てて手を頭に持っていくと、髪の毛もたくさんあります。久しく忘れかけていた感触だらけです。
「それが本当のあなたですよ。今までもずっと若いままでした」
リンカが見ていたのは若い頃のあなたの姿。彼女と同じ二十代の半ばくらいの年齢に見えます。
あなたはこの世界があまりに不思議すぎて、自分のことにまで気が回りませんでした。浜辺にいたときも、亀さんが英語を使ったときも、ずっとこの姿だったのです。
鏡、鏡はないのだろうか?
興奮したあなたは鏡を探しますが家にはないようです。
それは必要ないからです。
「ここではそれが普通なんです。ご主人様が若いと思えばずっと若いままです。老人の姿が気に入っている人もいますけれど・・・」
人間にとって、もっとも活発な時代であるこの年代の肉体こそ、誰もが憧れる姿です。あなたもまたそれが当然のごとく、老いていく自分が嫌いだったのです。ですから、若い姿には大満足です。
ああ、うれしい。
あなたは素直にそう思いました。
自分が若返ったこともそうですが、リンカと同じであることがうれしかったのです。彼女に迷惑をかけずにすむ。そんなことも思いました。
そんなあなたの心に気がついたリンカは、そっとあなたの手を握ります。
ただただ優しくて、柔らかい手。
心からあなたを想ってくれているリンカの手です。
仮に老人の姿であっても、彼女はあなたを愛したでしょう。逆の立場であっても、あなたもまたリンカを愛したことでしょう。そんなものはどうだっていいからです。
愛に形態は必要ありません。そこにあるだけで最高のものなのです。あなたがどんな姿をしていようが愛とは関係がないのです。
物質界でどんな姿であろうとも、所詮は殻にすぎません。脱ぎ捨ててしまえば、あとは朽ちるだけの『服』です。
大切なものは心であり、あなたの意識そのものです。
そもそもここには年齢がないのです。あるのは、いかに魂が成長しているかだけなのです。
「あの…、そろそろ気がついたと思いますけど…」
「ご主人様も死んだんですよ」
リンカは、頃合いを見計らったように口を開きました。
あなたが落ち着くのを待っていてくれたのです。
ああ、優しいリンカ。本当に優しい子だ。
あなたは特に驚くこともなくその言葉を受け止めました。そう考えてみれば納得することばかりです。
最期はあまり覚えていないが、おそらく自分は死んだのだろう。
そうでなければ、死んだリンカと会えるはずもない。
ええ、もうそのことはどうでもよいことでした。
正直、嫌気がさしていた世界です。
騙し、騙されあう醜く愚かな世界です。自由が少なく束縛される世界です。そんな場所に執着する人間のほうが珍しいものです。
お金や物がある人は、きっと執着するでしょう。そこである程度の自由があるのですから、享楽に酔いしれるでしょう。
一方のあなたは何もなく、さして惜しむものもありませんでした。そういえば借金が少しあった気もしますが、死んだ今となっては終わったことです。
今のあなたにとっては、自然の美しさのほうが価値があります。そんなものにとらわれないほうが幸せだと知っていました。今になってそれがよくわかります。
ただ、納得する一方で疑問もありました。
肉体を持っているときと今の自分は同じだ。
驚くべきほど意識は何も変わっていない。
着る『服』が若々しくなっただけ。重苦しさがなくなっただけ。
今までは夢ではないかと疑っていましたが、しっかりと物に触った感触もあります。窓から感じる太陽の熱も心地よく思えます。
これはどういうことなのだろう?
それに対して笑顔のリンカが優しく答えます。
「あなたもわたしも、こっちが本当の生まれ故郷なんです。ここには、ここで使う身体がちゃんとあるんですよ。ほら、温かいでしょう?」
彼女の手の感触もしっかりと感じられました。その温もりは、手を通してあなたの心にまで伝わるようです。
あなたは死にました。
今ごろ肉体は、腐っているか焼かれて灰になっているでしょうが、あなたはここにいます。そうです。あなたの心はけっして消えません。
人の心、意識は死んでも消えないのです。
壊れれば腐って分解される肉体と、あなた自身は別のものです。肉体はあなたを模して作られた道具なのです。道具が役割を終えれば、あとは捨てるだけ。
あなたはここにいるのですから、何も哀しむことはありません。壊れて消える世界と、永遠に壊れない世界。どちらが本物かは、あなた自身が知っています。
「これが本当のあなた。これが本当のわたしです」
リンカの言葉にあなたの身体が反応します。
きらきら、きらきら。
まるで水晶のように輝いています。
これが本当の自分なのか。
これはいい。とてもいい。
あなたはうれしくて、思わずジャンプしてみたり、ラジオ体操したりします。そのどれにも新しい身体はすぐに対応してくれました。
肉体よりも軽いのに丈夫で、もっとはっきりとした実感を感じる不思議な身体。改めて見ると、とても素敵な身体です。
安心してください。人の意識が消えないように、死んだあともその振動数に対応した身体がちゃんとあるのです。
それは意識の入れ物。
肉体を持っている時から、一緒に存在している心の身体なのです。肉体が死ねば、セミが脱皮するようにするっと抜け出すだけにすぎません。
そして彼女は、ここが本当の故郷だと言います。すべての存在が生まれた場所。人の魂が生まれた場所。
生命の輝きがある、本当の故郷なのだと。
ここでは外見はあまり意味がありません。その本質がどんな形であっても、素敵に表現されるからです。
あなたが綺麗なのは、あなたの心が綺麗だったからです。植物が美しいのは、植物の内面が美しいからです。それをごまかすことは誰にもできないのです。
なぜならば。
「ここは心で思ったことが形になる世界なんです。この家もご主人様とわたしの二人で、寝ている間に心の力でつくったんです」
あなたはリンカの言葉にびっくりします。自分がつくった。そんな記憶はありません。それに寝ている間は夢を見ていたくらいで、何もしていません。
「ふふふ。わたしはご主人様と何度も会っていますよ。戻ると忘れちゃうみたいですけどね」
この姿のリンカがあなたと会ったのは初めてではありません。あなたが寝ている間、あなたが今の身体を使ってここに来ているときに会っていました。
そこで一緒にこの家をつくっていたのです。
ここはああしよう。あそこはこれがいいな。
心が形になる世界で、二人で一緒にあれこれ考えながら家をつくりました。これから一緒に暮らす、二人の家を。
ただ、あなたが肉体に戻ると、このことは忘れてしまいます。あまりに膨大な量の情報に、脳が対応しきれないからです。それが夢となって少し現れることはあっても、思い出すことはできなくなるのです。
脳の情報量はとても少なくて、心のすべてを受け入れることができないのです。それだけ人の意識が大きいのです。
「今はそれでいいんです。少しずつ思い出しますから」
今の身体と、すでに失われた肉体は、今までも緊密な関係にありました。まだあなたには、肉体の雰囲気が強く残っており、まだまだ身体が馴染んでいません。
しかし、それも時間とともに調整されていくでしょう。寝ている間の記憶も、少しずつ思い出すでしょう。
リンカは、自分の身体とあなたの身体を見比べて何度もうなづきます。
「心の強さ、意思の強さ。それがここの実在になります。だからわたしは人間になれました」
この世界は、今まであなたがいた地上世界よりも、とてもとても感受性が強い場所です。その人の意思が、創造力がすべてを生み出します。
そう、まるで頭の中でイメージするように。
それが強ければ実際に形になるのです。
しかし、ただの動物のままでは、そこまで高度な想いは抱けないものです。動物は人間と比べて進化の低い段階にいます。リンカにとっても種族は大きな壁でした。それはもう巨大なものでした。
それを可能にしたのは、愛なのです。
愛が彼女を成長させ、動物の枠組みを超越させました。
ただし、リンカが抱く愛だけでは限界がありました。
それは無理からぬこと。動物は動物なのですから。
あなたです。
そう、あなたなのです。
あなたが愛したから彼女は人間になれました。
あなたの愛があまりに強かったために、彼女は進化したのです。彼女だけでは、絶対にこの壁は打ち破れなかったでしょう。
愛こそ進化の法のエネルギー源です。
ここは愛こそが最大の力を持つ場所なのです。
これが殻を脱ぎ捨てた本当の世界でした。実際に自分がその状態なのですから、疑う余地もありません。愛はもちろんのこと、物の考え方、しぐさまでまったく生前と同じです。
喜びと同時に、少し驚いたのも事実です。
人が死んだらすぐに天使になると聞いたことがあったからです。しかし実際はそんなことはなく、ただの自分がいました。
死んでも何も変わらない。
今までと同じ自分が、少しだけ違う身体で生きるだけ。
やはりこれには驚きを隠せませんでした。
「わたしはわたし。あなたはあなたです。だから、こうして会うことができました。でも、本当はずっと一緒だったんです」
あなたが気がつかないところでリンカは一緒にいました。あなたの目には見えなかっただけ。でも、一緒にいました。
あなたが絶望の中にいたとき、必死で励ます声が聴こえたはずです。
耳には届かずとも、その心には届いたはずです。
がんばろう、そう思えたことこそ彼女の声のおかげでした。
人生は旅のようなものです。
永遠の進化という大冒険に比べれば、小旅行に近い程度の、ごくごく短い旅にすぎません。生命から魂が生まれるために、最初に地上に降りる必要があったにすぎません。
では、何も学ばなかったかといえば、それは違います。どんな大きな川も、一滴一滴の雫が集まって生まれます。あなたの地上人生も同じように、大切な一滴を生み出していました。
あなたは、下の世界で心の成長を遂げていました。その体験がなければ、みてくれの外見だけに固執していたかもしれません。
得て、失ったことで、それに価値がないことを自ら味わったのです。
騙し、騙されたことで、無意味さと愚かさを知りました。
壊れればなくなる世界で、そのむなしさを感じました。
そして、愛を学びました。
ええ、愛を学びに人は地上に生まれるのです。その愛が今、こうして再会を実現させたのですから、大きな価値があったのです。
だからこそ、リンカが光り輝いていることもわかりました。
ふと比べてみれば、自分よりリンカのほうがずっと輝いて見えました。彼女の愛の大きさが、光の強さと比例しているのです。
不思議と嫉妬はありませんでした。
地上では比べられることがつらくて目を背けてきたあなたでしたが、リンカが自分より輝いていることは自然と受け止められました。
なぜならば、リンカは愛していたから。
あなたを心から愛しているからです。
そして世界があなたを認めているからです。
人は認められれば、こんなにも素直に受け入れられるのだと知りました。
地上では苦しかった。
誰もが急いでいたから、自分が誰かより上にいなければ落ち着かなかった。
それは哀しいことだった。
あなたは強く強く、それを実感しました。
「大丈夫。わたしはここにいますから」
あなたの心の痛みを感じて、リンカがそっと抱きしめてくれます。思い出した痛みが急速に癒されていくようでした。
ありがとう。
あなたはリンカの頭を撫でます。
彼女もうれしそうにしっぽを振っています。
それは今までと変わらないやりとりでした。リンカは賢くて立派で優しい子です。それでいて今は人間になっています。
リンカはきれいだ。素敵だ。
あなたはうれしくてたまりません。
そのリンカが自分に対して愛を放っています。愛は光となってあなたを包み、心地よい雰囲気をかもし出します。それだけで大きな幸せを感じることができるのです。
こんな素晴らしいことがあってよいのだろうか。
リンカと出会い、家を手に入れただけでなく身体まで若返った。欲しいものがすべて手に入ったのです。
世界はなんて素晴らしいのだろう。
再び感動と感謝に心が満たされます。もっと世界を感じてみたい。愛を知りたいとも思います。
「この島を案内します。外に行きましょう」
本当はもっと家の中を見たかったのですが、どうせ何度も見ることになるものです。ここはリンカのほうが先輩です。おとなしく従っておきましょう。
そうです。あなたの生活は始まったばかりなのです。
あせらずとも、愛は逃げたりしません。
リンカはずっと一緒にいます。
中に入ると、まさに自分好みの空間が広がっています。木の匂い、自然の匂いがたくさんします。
なんて素敵な家なのだろう。
すべてが思い描いていたとおりで大満足です。思わず駆け出し、家中のものに触れてみます。
そのどれもが木の感触であり、しっとりと馴染むようでした。すでに素材になっているはずなのに、木々の鼓動が聞こえるようです。
どくんどくん、生命の音が聴こえます。
しかも、窓や天窓から優しい太陽の光がそそぎこみ、部屋を常に明るく照らします。壁がその光を反射し、ますます世界が輝いて見えました。それでいながらも、まぶしくないちょうどよい加減なのです。
はぁ、これなら電気代もかからないな。
ついついそんな考えも浮かびます。まだまだ頭は人間界にいたときのままのようです。
そして、ふとあることに気がつきました。
リンカは若い。
まだ二十代前半から中盤くらいだ。
彼女が死んだのは、もう何十年も前なのにどうしてだろう。
それに比べて自分は、すでに還暦を軽く越えている。
このような老いぼれが、彼女と一緒にいるなんて恥ずかしいことではないだろうか。自分はよいが、彼女に嫌な思いをさせないだろうか。
一度考え出すと、そのことばかりが浮かびます。
そういえば自分は今、どんな姿をしているのだろうと思いました。なんだか服装は若い感じですが、中身は老人です。似合っていないのではないだろうか。
「大丈夫ですよ。ほら、見てください」
リンカに促されて自分の手を見てみると、そこにあったのは若々しい手でした。
彼女のものより色黒で少しだけ筋肉質な手。
間違いなく男の手。だけど肌は張りがあって若々しい。
これが自分の手。
それに気がついたあなたは思わず顔に触れてみます。しわがない。あの醜いしわがない。その代わりに、みずみずしく潤いのある感触。
これはいったいどうしたことか。慌てて手を頭に持っていくと、髪の毛もたくさんあります。久しく忘れかけていた感触だらけです。
「それが本当のあなたですよ。今までもずっと若いままでした」
リンカが見ていたのは若い頃のあなたの姿。彼女と同じ二十代の半ばくらいの年齢に見えます。
あなたはこの世界があまりに不思議すぎて、自分のことにまで気が回りませんでした。浜辺にいたときも、亀さんが英語を使ったときも、ずっとこの姿だったのです。
鏡、鏡はないのだろうか?
興奮したあなたは鏡を探しますが家にはないようです。
それは必要ないからです。
「ここではそれが普通なんです。ご主人様が若いと思えばずっと若いままです。老人の姿が気に入っている人もいますけれど・・・」
人間にとって、もっとも活発な時代であるこの年代の肉体こそ、誰もが憧れる姿です。あなたもまたそれが当然のごとく、老いていく自分が嫌いだったのです。ですから、若い姿には大満足です。
ああ、うれしい。
あなたは素直にそう思いました。
自分が若返ったこともそうですが、リンカと同じであることがうれしかったのです。彼女に迷惑をかけずにすむ。そんなことも思いました。
そんなあなたの心に気がついたリンカは、そっとあなたの手を握ります。
ただただ優しくて、柔らかい手。
心からあなたを想ってくれているリンカの手です。
仮に老人の姿であっても、彼女はあなたを愛したでしょう。逆の立場であっても、あなたもまたリンカを愛したことでしょう。そんなものはどうだっていいからです。
愛に形態は必要ありません。そこにあるだけで最高のものなのです。あなたがどんな姿をしていようが愛とは関係がないのです。
物質界でどんな姿であろうとも、所詮は殻にすぎません。脱ぎ捨ててしまえば、あとは朽ちるだけの『服』です。
大切なものは心であり、あなたの意識そのものです。
そもそもここには年齢がないのです。あるのは、いかに魂が成長しているかだけなのです。
「あの…、そろそろ気がついたと思いますけど…」
「ご主人様も死んだんですよ」
リンカは、頃合いを見計らったように口を開きました。
あなたが落ち着くのを待っていてくれたのです。
ああ、優しいリンカ。本当に優しい子だ。
あなたは特に驚くこともなくその言葉を受け止めました。そう考えてみれば納得することばかりです。
最期はあまり覚えていないが、おそらく自分は死んだのだろう。
そうでなければ、死んだリンカと会えるはずもない。
ええ、もうそのことはどうでもよいことでした。
正直、嫌気がさしていた世界です。
騙し、騙されあう醜く愚かな世界です。自由が少なく束縛される世界です。そんな場所に執着する人間のほうが珍しいものです。
お金や物がある人は、きっと執着するでしょう。そこである程度の自由があるのですから、享楽に酔いしれるでしょう。
一方のあなたは何もなく、さして惜しむものもありませんでした。そういえば借金が少しあった気もしますが、死んだ今となっては終わったことです。
今のあなたにとっては、自然の美しさのほうが価値があります。そんなものにとらわれないほうが幸せだと知っていました。今になってそれがよくわかります。
ただ、納得する一方で疑問もありました。
肉体を持っているときと今の自分は同じだ。
驚くべきほど意識は何も変わっていない。
着る『服』が若々しくなっただけ。重苦しさがなくなっただけ。
今までは夢ではないかと疑っていましたが、しっかりと物に触った感触もあります。窓から感じる太陽の熱も心地よく思えます。
これはどういうことなのだろう?
それに対して笑顔のリンカが優しく答えます。
「あなたもわたしも、こっちが本当の生まれ故郷なんです。ここには、ここで使う身体がちゃんとあるんですよ。ほら、温かいでしょう?」
彼女の手の感触もしっかりと感じられました。その温もりは、手を通してあなたの心にまで伝わるようです。
あなたは死にました。
今ごろ肉体は、腐っているか焼かれて灰になっているでしょうが、あなたはここにいます。そうです。あなたの心はけっして消えません。
人の心、意識は死んでも消えないのです。
壊れれば腐って分解される肉体と、あなた自身は別のものです。肉体はあなたを模して作られた道具なのです。道具が役割を終えれば、あとは捨てるだけ。
あなたはここにいるのですから、何も哀しむことはありません。壊れて消える世界と、永遠に壊れない世界。どちらが本物かは、あなた自身が知っています。
「これが本当のあなた。これが本当のわたしです」
リンカの言葉にあなたの身体が反応します。
きらきら、きらきら。
まるで水晶のように輝いています。
これが本当の自分なのか。
これはいい。とてもいい。
あなたはうれしくて、思わずジャンプしてみたり、ラジオ体操したりします。そのどれにも新しい身体はすぐに対応してくれました。
肉体よりも軽いのに丈夫で、もっとはっきりとした実感を感じる不思議な身体。改めて見ると、とても素敵な身体です。
安心してください。人の意識が消えないように、死んだあともその振動数に対応した身体がちゃんとあるのです。
それは意識の入れ物。
肉体を持っている時から、一緒に存在している心の身体なのです。肉体が死ねば、セミが脱皮するようにするっと抜け出すだけにすぎません。
そして彼女は、ここが本当の故郷だと言います。すべての存在が生まれた場所。人の魂が生まれた場所。
生命の輝きがある、本当の故郷なのだと。
ここでは外見はあまり意味がありません。その本質がどんな形であっても、素敵に表現されるからです。
あなたが綺麗なのは、あなたの心が綺麗だったからです。植物が美しいのは、植物の内面が美しいからです。それをごまかすことは誰にもできないのです。
なぜならば。
「ここは心で思ったことが形になる世界なんです。この家もご主人様とわたしの二人で、寝ている間に心の力でつくったんです」
あなたはリンカの言葉にびっくりします。自分がつくった。そんな記憶はありません。それに寝ている間は夢を見ていたくらいで、何もしていません。
「ふふふ。わたしはご主人様と何度も会っていますよ。戻ると忘れちゃうみたいですけどね」
この姿のリンカがあなたと会ったのは初めてではありません。あなたが寝ている間、あなたが今の身体を使ってここに来ているときに会っていました。
そこで一緒にこの家をつくっていたのです。
ここはああしよう。あそこはこれがいいな。
心が形になる世界で、二人で一緒にあれこれ考えながら家をつくりました。これから一緒に暮らす、二人の家を。
ただ、あなたが肉体に戻ると、このことは忘れてしまいます。あまりに膨大な量の情報に、脳が対応しきれないからです。それが夢となって少し現れることはあっても、思い出すことはできなくなるのです。
脳の情報量はとても少なくて、心のすべてを受け入れることができないのです。それだけ人の意識が大きいのです。
「今はそれでいいんです。少しずつ思い出しますから」
今の身体と、すでに失われた肉体は、今までも緊密な関係にありました。まだあなたには、肉体の雰囲気が強く残っており、まだまだ身体が馴染んでいません。
しかし、それも時間とともに調整されていくでしょう。寝ている間の記憶も、少しずつ思い出すでしょう。
リンカは、自分の身体とあなたの身体を見比べて何度もうなづきます。
「心の強さ、意思の強さ。それがここの実在になります。だからわたしは人間になれました」
この世界は、今まであなたがいた地上世界よりも、とてもとても感受性が強い場所です。その人の意思が、創造力がすべてを生み出します。
そう、まるで頭の中でイメージするように。
それが強ければ実際に形になるのです。
しかし、ただの動物のままでは、そこまで高度な想いは抱けないものです。動物は人間と比べて進化の低い段階にいます。リンカにとっても種族は大きな壁でした。それはもう巨大なものでした。
それを可能にしたのは、愛なのです。
愛が彼女を成長させ、動物の枠組みを超越させました。
ただし、リンカが抱く愛だけでは限界がありました。
それは無理からぬこと。動物は動物なのですから。
あなたです。
そう、あなたなのです。
あなたが愛したから彼女は人間になれました。
あなたの愛があまりに強かったために、彼女は進化したのです。彼女だけでは、絶対にこの壁は打ち破れなかったでしょう。
愛こそ進化の法のエネルギー源です。
ここは愛こそが最大の力を持つ場所なのです。
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そして、愛を学びました。
ええ、愛を学びに人は地上に生まれるのです。その愛が今、こうして再会を実現させたのですから、大きな価値があったのです。
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不思議と嫉妬はありませんでした。
地上では比べられることがつらくて目を背けてきたあなたでしたが、リンカが自分より輝いていることは自然と受け止められました。
なぜならば、リンカは愛していたから。
あなたを心から愛しているからです。
そして世界があなたを認めているからです。
人は認められれば、こんなにも素直に受け入れられるのだと知りました。
地上では苦しかった。
誰もが急いでいたから、自分が誰かより上にいなければ落ち着かなかった。
それは哀しいことだった。
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「大丈夫。わたしはここにいますから」
あなたの心の痛みを感じて、リンカがそっと抱きしめてくれます。思い出した痛みが急速に癒されていくようでした。
ありがとう。
あなたはリンカの頭を撫でます。
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そのリンカが自分に対して愛を放っています。愛は光となってあなたを包み、心地よい雰囲気をかもし出します。それだけで大きな幸せを感じることができるのです。
こんな素晴らしいことがあってよいのだろうか。
リンカと出会い、家を手に入れただけでなく身体まで若返った。欲しいものがすべて手に入ったのです。
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再び感動と感謝に心が満たされます。もっと世界を感じてみたい。愛を知りたいとも思います。
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リンカはずっと一緒にいます。
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