この度生まれました三浦家の三女から、家族みんなに文句があります。

檸檬

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第二話 それぞれの夜

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二〇〇六年、三月

「遙、ここ座って。落ち着いて聞いてね」

詩織のさとすような話し方に、遙の予感は深まっていく。

「……なに?映画、途中なんだけど」

遙はわざと、ぶっきらぼうに、不機嫌そうに言ってみた。早くこの部屋から立ち去りたかった。

「うん、ごめんね。……あのね、ママとパパ、離婚することにしたの」

じっと目を見て話す詩織を、遙も同じように見つめながら話を聞いていた。黙って下を俯いている隆司も、複雑そうな顔をした祖母も、何もかもが気に入らなかった。

「……それで、遙には選んでほしいの。ママとパパのどっちと一緒に暮らすか。ママと暮らすなら、この家を出て、市内に引っ越しすることになる。パパと暮らすなら……同じようにこの家を出て、別の市に引っ越すことになる」

その言葉を聞き、遙は一瞬理解ができなかった。

「なんで?この家はパパの実家なわけだから、パパと暮らすってことはこの家で暮らすってことじゃないの?」

なかば噛みつくように少し声を荒らげて遙は言った。十五年間過ごしたこの家を離れたくないという思いから出た言葉ではあったが、なによりも、この話には自分が知らない裏があると思ったからだ。
そして、隆司がようやく頭をあげて口を開いた。

「……パパは、別の市に引っ越すんだ。もうこの家には住めない」

「だから、なんでって聞いてんの!そもそも、なんで離婚すんの?恵なんかまだ小学生なのに!」

遙は大声で怒鳴った。恵のことも心配になったのだ。
末っ子で、家族みんなから甘やかされて、愛されて育ってきた恵が、家族バラバラになるような状況に耐えられるはずがない。父親を求めるに決まってる。
そんなことは詩織も隆司も、分かりきってるはずなのに、中々理由を言おうとしない二人に遙は苛立った。

「せめて、恵が中学生になったらにしてよ!二人になにがあったか知らないけど!親ならもっとうちらのこと考えてよ!」

「……本当に、本当にすまない」

「だから、謝る前に理由を言ってよ!パパ!」

隆司は一瞬ぐっと目をつむり、唾をのみこんだ。その仕草を、揺れる瞳で遙は見ていた。

「……パパは、別の人との間に、子供ができたんだ。だからこの家を出て、別の市に引っ越して、その人達のことを面倒見なきゃいけないんだ…」



散々隆司を罵倒した後、遙は熱が冷めやらぬまま、二階へと上がっていった。
姉妹の部屋に入ると、先に布団に入っている美月が携帯をいじっていて、遙もさっさと自分の布団に入った。

しばらくの間、時計の針の音が二人の沈黙を刻むように響いていた。遙は両親の離婚のことしか考えられず、中々寝付けそうになかった。そして、ふと、自分が応接間で話を聞く前の、美月の態度を思い出した。

そっか、この話で美月姉ちゃん怒ってたんだ……

遙はぼそぼそと背を向けて寝ている美月に話しかけた。

「……美月姉ちゃん、起きてる?」

「……起きてるよ」

「……パパ、最低だよね」

「……うん、気持ち悪い」

美月も自分と同じことを考えていることに、遙は少し安心した。十代の二人は、それなりに恋愛や性の知識もあるし、経験だってある。けれど、やはり自分の親のことになると気持ちが悪く、直視しがたいことであった。

「……ママの、なにがだめだったのかな。喧嘩とかあんま見たこと無かったのに」

「多分、喧嘩したからとかじゃなくて、お酒の勢いなんじゃないのかな。分からんけど……」

「……でも、結婚するんでしょ?その人と…」

「……責任取らなきゃって思ったんでしょ。ましてや、あたしと…………」

美月はふと我に返ったように、途中で言葉をつぐんだ。それを遙は聞き逃さなかった。

「…なに?あたしとって……なんかあんの?」

美月はしばらく黙っていた。美月にとっては、恵だけでなく遙も妹であり、守りたい存在だった。だからこそ、言うのがはばかれたが、遙の追求に逃れられそうになかったことを悟ったのか、ぽつぽつと話し出した。

「……遙は他の女性と子供できたってことしか、聞いてないの?」

「うん。だからパパもこの家を出るってことだけしか聞いてない」

美月は少しため息をついて、遙の方を向いた。
そして、恵が部屋に入ってこないか様子見しながら、遙に耳打ちをした。

「パパのその相手の人………あたしと同じ、十八歳だって…」

「…………」

遙は絶句し、次の瞬間、全身に鳥肌がたった。自分の父親が、娘と同い年の女性に欲情したという事実が、信じられない思いだった。
遙は、この事を知った美月の心情を案じて、ほとんど無意識に美月の手をぎゅっと握った。

「めぐもまだ八歳なのにね…ほんと、信じらんないよね…」

「うん……うん……」

握られた手は暖かく、美月と遙はどちらからともなく涙を流した。
そして、この日は何年かぶりに、美月と遙は同じ布団で眠りについた。



恵は応接間での話を聞いたあと、台所でいつも飲んでいる紙パックの紅茶を飲んだ。歯磨きをしたあとには、水しか飲んじゃいけないと教えられたけど、今日だけは許される気がした。
すると、静かに台所の扉が開いて、トイレに起きたのか祖父の浩志が杖をもって入ってきた。

「…めぐ、まだ起きてたんか……。」

「あ、ごめんなさい。じいちゃん。起こしちゃった?」

「いや、めぐじゃなくて、遙の馬鹿でかい声で目が覚めたんじゃよ」

わざとおどけながら話す浩志の言葉に、恵は少しだけ笑った。
よっこいしょと言いながら、浩志は椅子に腰を掛け、恵と同じようにお茶を飲み始めた。

「……まあ、怒鳴りたくもなるよなあ……めぐも、聞いたんじゃろ?」

「……さっき」

「…………めぐはえらいな、小さいのに、こんなときでも泣かんとおる」

「…………」

コップに注いだ紅茶の水面に、今にも涙が零れそうに揺れる恵の瞳が映っていたが、浩志のこの一言で、恵は泣くのをぐっと堪えた。そして涙を体の奥底に流し込むかのように、恵は一気に紅茶を飲み干して、台所をあとにした。
音を立てないように階段を上って、部屋に入ると、美月と遙が一つの布団で眠っていた。恵も同じように布団に入りたくなったが、スペースもないので、代わりに遙にぴったりくっついて寝ることにした。
じんわりと伝わる遙の体温が、これからどうなるか分からない不安を和らげてくれるようで、恵の意識は、目をつむるとすぐに夢の世界へと沈んでいった。



深夜一時になっても、応接間の灯りはついたままであった。姉妹三人に、離婚のことを話したあと、すぐさま詩織は隆司の横から、向かいのソファーへと移動した。隆司は依然として俯いたまま、まるで神に祈りでも捧げているかのような格好で、その背中を、虚ろな目で桜は見つめていた。

「……あんたが、悪いわ。隆司、こればっかりは」

「……」

「……分かってる」

今までは母親として隆司の味方であった桜だが、今回のことばかりは隆司を責めずにはいられなかった。
桜は心底疲れたという顔でため息をつきながら、応接間を出ていった。



なんでこうなったんだろう。私のなにが、いけなかったんだろう…。

詩織は結婚生活が上手くいっていると思っていた。それが約一年前、突如として離婚を切り出され、話し合いを何度も重ね説得したのだが、結局隆司の気持ちは変わらなかった。離婚するしかないのであれば、せめて娘達の受験が終わってからにしよう、ということでこのタイミングになったのだ。
しかし、隆司は割と束縛する方であったし、それが鬱陶うっとうしく思っていた時も密かにあったが、その反面自分は愛されているという自信があったのだ。
なのにいきなり、十八歳の女に夫を奪われた。一体どれほどの屈辱なのか。そして、これから女手一つで娘達を育てなければならない重圧もあった。

「…あなた、私と恵達の引っ越し先はあなたが探して決めてくださいね。私は荷物をまとめたり忙しいので…」

「…分かった」

今までの亭主関白な夫はどこに消え去ったのだろうか。いつも偉そうで無口で、けどどこか憎めない、自分の夫はもう死んでしまったのだと、詩織は考えるしかなかった。

「それと、恵が中学卒業するまで、養育費を払ってください」

「…もちろん、払う」

その言葉を聞くと、詩織はゆっくりと立ちあがり、応接間を後にした。まだまだ夫婦で話し合わなければならないことはあるが、この日はもう精一杯であった。



一人きりになった応接間で、隆司は未だ、俯いていた。



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